旧イースペリア領ランサ。
対マロリガン共和国攻略戦の前線拠点が設営された、ダスカトロン砂漠の入り口にあるこの都市で、ある異変が起きていた。
「あわわわ、たたた、大変です、ユート様っ!」
エーテルジャンプでラキオス本城から戻ってきた途端、不意打ちせんばかりの勢いで黒いツインテールの少女が飛びついてきた。
「どうしたヘリオン、敵襲か!?」
その度を超した慌てぶりに、悠人はすぐさま表情を引き締める。
「あ、いえ……そ、そういうわけじゃないんですけど……と、とにかく行けばわかりますからっ!」
「お、おい……」
ヘリオンはしゃにむに悠人の腕を抱え込むや、主人を引きずろうと懸命に足掻く子犬さながらに前進する。なすがままにされながらも、悠人は念のため『求め』に敵スピリットの気配の有無を訊いたが、それはあっさり否定された。
『だが契約者よ。その妖精の向かう先には、ただならぬ神剣の気配が感じられる。敵意はないようだが、用心するがいい』
と、意味深なことを言われ、心の準備だけは整えて「現場」にたどり着いた。
そこは、マロリガン軍を迎え撃つべく急ピッチで建設が進められている防衛施設群である。
「あら、お帰りなさいませ、ユート様。早速の見回り、ご苦労様です」
「…………」
騒然とした現場の外れで工事の進捗状況を監督していたグリーンスピリットが、悠人を見かけるや折り目正しく挨拶してきた。『求め』の言うただならぬ気配とは、確かに目の前の彼女のことらしいのだが、あいにくこのスピリットはラキオス軍の軍装を身につけている。
しかし……悠人は、見慣れているはずのそのスピリットに言葉を失ってしまう。
「? どうされました、ユート様。私の顔に何かついてますか?」
「あ……いや、ごめん、何でもないよ。仕事の邪魔してすまない」
「ならよろしいのですが。各施設建設の進捗状況についてのレポートは後刻提出しますので、今しばしのご猶予を願います。それと、エーテルの備蓄状況に若干の不安がありますので、本国への陳情を……」
「……あ、ああ」
矢継ぎ早に申し送り事項を畳みかけてくるのへ、ユートは馬鹿面のままに適当な相づちを返すのが関の山だった。
「……それでは、これより建築主任のジドクリフ様と打ち合わせがありますので、私はこれで失礼致します」
「……え? あ、そうか。ご苦労様」
「ヘリオン、あなたも早く持ち場に戻りなさい、こんなところで油を売っている暇はないはずよ?」
「へ? その……す、すみません」
悠人の背中に隠れていたヘリオンは、水を向けられて慌てて頭を下げた。それを一瞥し、そのスピリットは踵を返して、きびきびした足取りでその場を離れていく。
「なあ、ヘリオン……」
取り残された悠人は、なにか釈然としない面持ちで見送りながら、声を掛けた。
「は、はい」
「今のあれ……ハリオン……だよな?」
その問いかけにヘリオンが無言で頷くと、悠人は腕組みをして
「うーん、確かに大変、だなこりゃ……」
と、短く唸ったまま黙り込んだ。
その後、「ヘリヤの道」へ威力偵察に出撃するヘリオンと別れ、悠人は宿舎へ足を向けた。ハリオンの豹変ぶりが気にならないと言えば嘘になるが、スピリット隊隊長として多忙の身の上であり、いつまでもこの件にかかずらっている訳にもいかない。
と、行く手からセルリアンブルーの髪の美女がこちらに近づいてきた。しかし、いつもの颯爽とした姿からすれば、まるで別人のように薄ぼんやりとしており、悠人もすれ違う寸前まで、それが自分の部下であると分からなかったほどである。
「? ファーレーン?」
「……は、はひ? あ、ゆ、ユート様っ!?」
三歩はゆうに行き過ぎてから、その黒スピリットは仰天して見せた。どうやら様子がおかしいのは、ハリオンだけではないらしい。
「こ、これは失礼しました、お見苦しいところを見せて申し訳ありませんっ」
「あーいや、そこまで恐縮することないって」
見ていて気の毒になるほど縮こまるファーレーンに優しい言葉をかけたあと、悠人は今し方目の当たりにした光景を彼女に話してみた。
「……ということなんだけど、ファーレーンは何か心当たりない?」
「ハリオンも、ですか……」
酢を一気飲みしたような表情を浮かべて、ファーレーンは絶句した。
「『も』? って、どういうことだ?」
眉をひそめてユートが問い質すと、ファーレーンはそれには答えず、ただ「宿舎へ戻れば分かります」とだけ告げて、再びふらふらといずこかへ立ち去っていく。
「……まさかとは思うけど」
行けば分かるといい、戻れば分かるという。妙な符号の一致に嫌な予感が胸を去来するのを抑え、ユートは宿舎への道を急いだ。
ランサの市庁舎の一棟を接収して臨時の宿舎に割り当てられた一画に戻ると、早くも「ただならぬ」一種騒然とした気配が漂ってきた。一言で言うなら戦場のそれに近い。
「おい、バカ剣……」
『案ずるな、敵ではない。さきほどの妖精と似たようなものだ』
一々そんなことで呼び出すな、とでも言いたげに投げ遣りなその口調が、悠人の疑念を確信に変えた。意を決し、生唾を飲み込んで玄関のドアノブに手を掛ける。恐る恐る扉を押し開くや否や、ブンッとうなりを上げ、何かが顔面目がけてすっ飛んできた。
「ぬおっ!?」
気合い一閃、悠人は仰け反るように『求め』を掲げてソレを弾く。キンッ!と、甲高い金属音が鳴り響き、撃墜されたそれは玄関の三和土に転がった。
一息つく間もなく、今度は罵詈雑言の散弾が浴びせかけられる。
「もう、どこ行ってたのよユート! エヒグゥの手も借りたいくらい忙しいってときにうろうろほっつき歩いてんじゃないわよ! ほら、仕事は山ほどあるんだから、自主的に率先して取りかかってよね、隊長だからってエラソーにふんぞり返ってると、餌やんないよ!」
「は、はぁ……」
悠人が足下に転がった「おたま」を拾い上げたときには、もう声の主は目の前にはいなかった。何かつむじ風のようなものが緑色の残像を残して悠人の視界を飛び交っていき、それが通り過ぎていく度に、宿舎の中がピカピカになっていく。
「あーもう、あんたら邪魔邪魔! 仕事する気がないんなら、物置にでも入ってなさいよ!」
と、廊下の隅っこへ、ゴミ同然に赤と青のスピリットが追いやられていた。
「ゆ、ユート様ぁ……」
情けない声を上げて助けを求めるシアーたちの元へ、ユートは廊下の端を、切り立った崖道を行くがごとく這っていった。途中なんどもつむじ風とすれ違い、その度にカマイタチのような真空波が衣服の端を切り裂いていくのには、生きた心地もしない。
「……みんな、無事か?」
「こ、怖かったよう~」
たどり着くなり、涙目のシアーがひしっとしがみついてくる。悠人はその頭を優しく撫でながら、話の通じそうなセリアに問いかけた。
「……まさかとは思うけど、アレはニムか?」
「ええ……本城に戻られていたユート様はご存じないでしょうが、今朝から彼女、ずっとあの調子なんです。だから、みんな気味悪がって……」
然り。平素スプーンの上げ下げをするのさえ「面倒」と言って憚らない、アンニュイなニムと、目の前の旋風を同一視するには、まだ人生経験が足りていない。
「原因に心当たりはないか?」
「そんなものあったら、とっくに何とかしてます。このままだとみんな調子が狂って、仕事になりませんから、ユート様が何とかしてください」
苛立たしげに吐き捨て、セリアはそっぽを向いた。普段は仕事をしないニムを白眼視している彼女だが、ニムが仕事をしたらしたで不平を言う。悠人は苦笑を禁じ得なかった。
「何とかしろと言われてもなあ……」
そうぼやいた瞬間、ぞわりと背筋に悪寒が走った。
「あーもう、そこ! ニム一人に仕事させて、何楽勝かましてんのよっ!!」
「……『消沈』よ、我が手に」
ニムの怒声と、ナナルゥのぼそっと囁くような声はほぼ同時だった。悠人達を赤いマナの力場が包み込んだその直後、チュイーンッ!とチェーンソーのような高周波音と、目も眩むばかりの強烈な火花が飛び散った。
「なっ……」
『消沈』を掲げ仁王立ちのナナルゥの足下に、玄関に飾ってあったはずの、ランサの名士の胸像が真っ二つになって転がっている。
それを見ては、さすがの悠人も声を荒げずにはおれない。
「おいニム、俺たちを殺す気か!?」
「うっさいっ! 働かざる者生きるべからず! あんたら全員昼飯抜きっ!」
山のような洗濯物を抱えたニムは、そう怒鳴り返して玄関を飛び出していった。
ようやく、静けさが戻ってきた。
「ハリオンといい、ニムといい……うちのグリーンどもはどうしてしまったんだ?」
悠人は頭を掻きながら溜息をついた。ニムが通り過ぎた後は、掃除炊事針仕事、そのことごとくが完膚無きまでに仕済まされていた。普段のニムとのギャップを知れば知るほど、それは「恐怖」以外のなにものでもない。
「ハリオンお姉ちゃんも、ニムちゃんも……怖いよぅ」
「確かに別人だよな、アレは。ところで、お前達は何ともないのか?」
シアーの髪を梳く手並みは、佳織で慣れたものだった。
「私たち青や、赤、黒は特に普段と変わりありません。おかしいのは、緑だけです」
「そうか……エスペリアがここにいれば、確証が取れるかも知れないが、彼女はしばらく本城から動けないしなぁ……」
悠人は、窓から外のニムの様子を窺った。風にそよぐロープに、あれよあれよと洗濯物が翻っていく様は、壮観とすら言えた。
「緑だけがおかしいってのが引っ掛かるけど……まあ、普段のんびり屋の連中が仕事をする分には、問題ないんじゃないか?」
「冗談じゃありません!」
「ません~」
「……」
希望的観測を口にした途端、三者三様の反撃を受けた。あの主体性ゼロのナナルゥですら、「嫌です」オーラを漂わせているとはただごとではない。
「まあ、ヘリオンもファーレーンも壊れてたしなあ……やはり何とかするしか……」
と、ひょいっという感じで玄関から白髪の老人が頭を覗かせた。
「エトランジェ殿はご帰宅かな?」
「え? 俺ならここにいますけど……」
胸像の残骸を拾い上げながら悠人が答えると、その老人――ランサ建築主任ジドクリフは、飄々とした足取りで近寄ってきた。よれよれの白衣に薄汚れた身なりは、かの自称大天才ヨーティアに通ずるものがある。
技術者という人種の規格は、老若男女を問わず万国共通なのかも知れない。
「……ふむ、見事なお手並みだのう。これはお手前が?」
顎髭を弄りながら胸像の鮮やかな切り口を感心しきりに眺め、ジドクリフは神剣を携えているナナルゥに問いかけた。
「……はい」
何の感慨もなく頷いて、ナナルゥは永遠神剣を「消し」た。
「これをもらっていっても構わんかね? 金属切断の研究のサンプルにしたい」
その場の思いつきでものを言うのも、やはり彼らの特性か。
「はあ、それは構いませんが……それより、俺に何の用ですか?」
切断面に手を触れ、まだ残っている余熱に思わず手を引っ込めたジドクリフは、耳たぶに手をやりながら答えた。
「おお、そうじゃったそうじゃった。お主から発注のあった塔のことなんじゃが……」
「ああ、確か今週が完成予定でしたよね?」
「それなんじゃが……申し訳ないエトランジェ殿。塔を作るはずが、弟子どもの手違いで常緑の樹に化けてしもうてなあ、しかも最大規模の」
常緑の樹は、緑属性のマナを活性化させる増幅装置である。その効果範囲内では、グリーンスピリットの能力が飛躍的に増強されるのだが……
それを聞いて、ユートの中で何かが腑に落ちた。
「……ひょっとして、うちのグリーンスピリットどもがやたら元気なのはそのせいですか?」
「緑属性のマナが桁違いに活性化しとるからのう。ま、今回は防衛戦なわけじゃから、グリーンスピリットの強化はむしろ好都合と言えんこともない。ここは一つ勿怪の幸いというか、怪我の功名ということで……」
呵々と高笑いしてみせるジドクリフが、悠人達のスイッチを入れてしまった。
立ちこめるオーラフォトン。
収束する青白いエーテルは、死に神の囁きか。
「……シアー、エーテルシンク発動。音を外に漏らすな。セリアはヘヴンズスォード、ナナルゥはイグニッションだっ!」
「イエッサー!!」
次々と転移してくる永遠神剣。ジドクリフは、自らの死を目の当たりにして、後ずさった。
「ままま、待て、話せば分かるっ、話せば分かるっ!!」
「問答無用っ!!」
パッション→イグニッション→ヘヴンズスォード。
青と赤の光の乱舞は、一切の音を伴わなかったという。
「……まったく、お主らは手加減というものを知らんのか……年寄りに乱暴しよって」
すっかり黒こげになったジドクリフが、煤混じりの呼気をケホケホと吐き出した。
「申し訳ない、ついカッとなって……」
「悪気はなかったんですが……」
「殺意はありませんから……」
「誰でもよかったんです~」
度を失ったとはいえ、過ぎた悪戯に悠人達はシュンと項垂れた。
「……ま、確かにこっちの落ち度でもあるからのう。それで、常緑の樹はどうするのかね?」
縮れた顎髭をさすりつつジドクリフが聞くと、それには全員が声を揃えて即答した。
「今すぐそれをマナに還元してください。一刻も早く!」
「むう……お主らがそういうのなら、しょうがないのう。承知した、早速作り直そう」
残念そうに首を捻りながら、ジドクリフはよたよたと研究所へ戻っていった。
「まったく人騒がせな……」
セリアがぼやくのに頷きながら、悠人は感慨深げに続けた。
「しかしまあ、この程度で済んでよかったんじゃないか? もしランサにエスペリアがいたら……」
この世のものとは思えないその仮定の答えを知るものは、この場にはいなかった。
それから程なくして、常緑の樹はきれいさっぱりマナに還元されたそうな。
そして、グリーンスピリットたちにかかっていた「魔法」は解けてしまいましたとさ。
「……あらあら~?」
「……はぁ、面倒」
(終わったらんかい
「あの施設にそんな効能があったなんて、初めて聞きました」
自らの淹れたお茶の味に満足そうに頷きながら、エスペリアが感想を述べた。
「まったくだ。あのハリオンとニムの八面六臂ぶり、エスペリアにも見せたかったけど、あれは命がいくつあっても足りないよ」
心底うんざりしたように、悠人は白磁のカップを口元に運ぶ。
「ユート様に有効な増幅施設がないのが残念ですね、開発されたらいの一番に建設しますのに」
「冗談じゃないよ、これ以上忙殺されたら、本当に死んでしまう」
と、勢いよく居間のドアが開いた。
「あら、アセリア、どうしたの?」
「ん?」
悠人が背後を振り返ると、そこには鬼気迫る表情のアセリアが、『存在』を構え、傲然と悠人を見下ろしていた。
「ユート、何している。マロリガンの精鋭に立ち向かうには訓練に訓練を重ねてし足りないということはない。お茶なんか飲んでる暇があるなら、一本でも多く打ち込め!」
「……あの、アセリアさん?」
薄ら寒いものを感じてアセリアの背後を見ると、そこには悪鬼羅刹の気配を纏ったネリーとシアー、それにセリアまで控えていた。
「さぼった罰として、ユートは4対1の打ち込みを受けてもらう。みんな、ユートを連れてって」
「応!」
すっかり血の気が失せた悠人は、席を立ち上がりかけたが、上から右から左から、がっちりと押さえつけられた。
「よ、よせ! お前ら俺を殺す気かっ!」
「ここで死ぬようならそれまでのこと」
「骨はネリー達が拾ってあげるから、ユート様は安心していいよ♪」
「……ユート様」
呆然と拉致されていくユートを見送った後、入れ違いにしてジドクリフがやってきた。
「いやあ、申し訳ない。蒼の水玉を試しに作ってみたんじゃが、ちょっと規模を間違えてなあ」