+で小騒ぎ

「『永遠のアセリア+』か…」
 巨大なディスプレイに映る巨大な文字を読んでいた悠人は、そう呟くと2chブラウザを閉じる。悠人の身長はこの世界では煙草の箱程度しかなく、マウスを動かすのにも体全体で抱え込まなければならない。
 都内某所『永遠のアセリア』開発部跡地。現在、開発スタッフは他の作品の作業にまわっている。
 数週間前、悠人は気がつくとそこにいた。ハイペリアとそっくりの世界ではあったが、決してハイペリアではなかった。
そこはハイペリアやファンタズマゴリアよりも外側の世界。ハイペリアもファンタズマゴリアもこの世界のゲームの物語でしかない。教えられたわけでも発見したわけでもなく、この世界に現われた時にはただ「知って」いた。
「いーえ、『時詠の時深』です」
 2chブラウザを閉じ終わり、マウスに寄りかかってこの世界に現われた時の衝撃を思い返していた悠人の耳に時深の声が飛び込んだ。
「時深は充分出番があったろ。文句はそこでのん気にミルクレープ食ってるシナリオの中の人に言ってやれ」
 返す言葉が投げやりになる。全員ではないが、悠人以外にも何人かがこの世界に現われていた。しかし、この時深は外面を気にせずやたらと自己主張が激しく、わずか数週間で悠人は既に辟易していたのだ。
「『義妹の佳織』なんかどうだ?」
 今度は、佳織…ではなく、ナポリタンだ。ファンタズマゴリアでもただの帽子だったナポリタンが、この世界では何故か神剣のような存在になっていた。契約者たる佳織は既にナポリタンにのまれている。悠人に佳織への執着は今は無かった。
ファンタズマゴリアつまりゲーム中と違い、シナリオの規制が外れているようだ。
「お前も文句はシナリオの中の人に言っとけ」
 二人の矛先をシナリオの中の人へ反らすと、悠人は『+』についての考察を再開した。

「まぁしかし、実際問題として『+』は難しいだろうな。不遇キャラの救済はいいとして、各ヒロインもそのままというわけにはいかないだろう。
とすると、増加分のコストが多くなり過ぎる。そのくせ、新作ではないから販売期待量はそう多くは見積もれない。となると『ファンディスク』か? いや、それではキャラが多すぎて掘り下げ切れずにユーザが満足しないだろう。
ならばいっそのこと『ダイアリー』という手もありかもしれない…」
 やけにシビアな思考をしてしまうが、自分がキャラという認識がある以上真剣にならざるを得ない。
「…『ヘリオン の ドジっ娘日記』」
「はわぅっ!?」
 ヘリオンが頬を赤く染め、涙目でウルウルしつつ両手をわたわたと振り回している。どこか抜けてるわりに妙なところで器用なことだ。
「あぅ~、ユートさま、ひどいですぅ~」
 ヘリオンの頭の中で『ドジっ娘日記』のストーリーが生成されているらしい。
「あ、そ、そんな、ユートさまぁ…」
 トテトテチョロチョロと動き回り始めた。どんな妄想^H^H想像をしているのやら。
「はぅっ!?」
 ヘリオンは足を滑らせてスッテンと転んでしまった。
「おい、大丈夫か? ヘリオン?」
 返事がない。脈は…ある。自発呼吸もしている。出血もなし。
「ふぅ、ま、ただの気絶だな」
 そっと抱き寄せて膝枕してやる。
「まったく、ドジなんだから…ま、これがヘリオンだよな」
 そう、ハラハラしつつもどこか心暖まる、こんな日常―――

「あーっ、ヘリオンずるいーっ」
「ずるいです~♪」
 声がしたかと思ったら左右から首に抱きつかれる。ネリーとシアーだ。
「ずるいって…」
「ネリーたちもユートさまにくっつくー」
「くっつくです~♪」
 構って光線出まくりの二人。
「あーもう。ヘリオンは気を失ってるんだよ。くっついててもいいから、おとなしくしてること。わかった?」
「はーい」
「は~い♪」
 少し不満げなネリーと満足げなシアー。まぁ、シアーは元々それほど活発なたちではないからな。ネリーもまぁ状況が理解できないほど子供ではない。それでも不満が表に出てしまう辺りがまぁ相応か。
 しばらく悠人の髪をいじったり頬をすりすりしたりしていた二人だが、ほどなく悠人の肩にもたれて眠ってしまった。
「…俺は安心毛布か?」
 思わずそんな問いが口をつくが、もちろん応えはない。まぁ、こいつらの精神年齢的にそうした安らぎはあって然るべきではある。自分が与えてやれるのなら与えてやりたいとも思う。
「何というか、仔犬のようだよな…さしずめ、『ネリー&シアー の いつでもいっしょ』といったところか…」
 起こさないように気をつけながら二人が楽なように姿勢を調整してやり、考えを続ける。

「犬と言えば猫。猫と言えば…」
「…なんか、ムカつく」
 視線に気づいたのか、睨んでくるニムントール。本人に自覚があるのかはわからないが、ときどき悠人の様子をうかがうそぶりを見せる。それでいて、話しかけたりするとツンと逃げる。逃げるのだが、やはり気にしている。そんなところが猫を思わせる。
「ニムは猫みたいだな、と思ってな」
「あんたなんかに ニム って呼ばれたくない」
「こら、ニム。ユート様に向かってなんて口のききかたですか」
 叱ったのはニムントールが自分以外で「ニム」と呼ぶことを認める唯一の人物、ファーレーンだ。
「どうして姉さんはユートなんかの味方するのよっ!」
「ニム、ユート様は人間であり、隊長なのよ」
 ファーレーンはそう諭すが、悠人としてはこれは受け入れられない。
「いや、ファーレーン、それは…」
「わかっています」
 ファーレーンは悠人の抗議をさえぎると、ニムントールを胸に抱きしめて悠人の隣に腰を下ろした。
「ニム、よく聞いて。ユート様は人間とかスピリットとか気にしない方ですし、隊長といって驕る方でもありません。ですが、あなたは他者への接し方を改める必要があります。
まったく、わたし以外の方への接し方といったらぞんざいというか失礼というか…わたしが甘やかし過ぎたのでしょうか…」
「お姉ちゃんは悪くないもん。ニムが、ニムが…」
 泣き出したニムントールの背中をファーレーンは優しく撫でる。
「少しずつ、ゆっくりでいいの。成長してくれれば…」
「…うん、うん」

 ニムントールがファーレーンに甘えられるように半ば誘導した面もあるのだが、二人の様子を見て「あぁ、姉妹なんだな」と改めて思う。
ネリーやシアーと違って甘えられる存在がいたニムントールは幸運だったのだろう。しかしそれ故に、ファーレーン以外への甘え方を知らずに生きてきて、ファーレーンさえいれば良かったから他者への接し方を学ぶ必要もなかった、とも言える。
ファーレーンもそれを認識している。それを確認できたのは収穫かな。だけど、焦る必要はない。ファーレーンの言うとおり、少しずつゆっくりでいい。ニムントール自身の認識はともかく、精神年齢はニムントールもネリーやシアーと大して変わらない。
まだまだ庇護という愛情を享受するべきだろう。いずれは自立しなければならない日がくるのだから。悠人自身が甘やかしてやれないというのは少し寂しくもあるが…
「『ファーレーンとニムントール ~絆~』…かな?」
 二人の方を見やると、ニムントールはファーレーンに抱かれたまま眠っていた。それはいいとして、ファーレーンの体が傾いだかと思うと、悠人の右肩で眠るネリーに当たり、そのまま悠人の右腿へ滑り落ちる。
「おいおい、ファーレーンもか? 妖精が眠りの粉でも撒いたみたいだな…」

 ふと、頭の後ろにやわらかな感触を感じる。
「お父さん役、おつかれさまです~」
 第二詰所のお母さんを自任するハリオンだ。
「俺はたしか巨大なマグカップに寄りかかっていたはずなんだが…いつの間に? というかあれを動かしたのか?」
「さぁ~? なんですか~?」
 いつの間にかマグカップと悠人の間にハリオンが割って入り、その胸に悠人の頭をもたれさせていた。ハリオンはときどき突拍子も無いことを平然とやってのける。悠人はいつものように深くは追求しないことにした。聞くのも恐いからだ。
「で、お父さんって?」
「はい~。お兄さんでもいいんですが~。あ~、お父さんだとわたしはお母さんですね~。それなら~、お兄さんの方がお姉さんでいいかしらぁ~」
「…えーと、ハリオン?」
「はい~?」
「それで、何してるんだ?」
「ですから~、お疲れのお兄さんをお姉さんが優しく包んであげようかと~♪」
 聞きようによっては微妙な表現だがハリオンのことだ、深い意味はないだろう。普通なら恥ずかしがってやめさせるところだが、相手がハリオンだ。やめさせようとしたところで無駄なことは悠人もわかっている。
「なんだか俺も眠くなってきたよ…」
「おやすみなさい~。子守唄でも歌いましょうか~?」
「いや、充分だよ…」
 そう言って目を閉じる。そう、充分だ。頭に感じる胸の感触だけで…。乳は正義。
「『ハリオン の お姉さんといっしょ』だな…」
 そう呟いたとたん、頭に重みを感じる。
「すぴ~」
 ハリオンが悠人の頭を枕に眠ってしまったようだ。
「…お母さん役も楽じゃない、か…」
 そんなことを思う悠人の意識にもついに睡魔のマントが舞いかかる。そして、眠りに落ちる寸前、悠人は呟いた。
「『第二詰所 ~家族の日々~』」

 幸せそうに眠る悠人たちから少し離れたところに三つの人影があった。
一つ目は、お茶を飲みながら悠人たちの様子を眺めているナナルウ。
二つ目は、やはりお茶を啜るヒミカ。
三つ目は、こちらもやはりお茶を手にしたセリア。しかしその目は油断無く周囲に注意を配っている。
 時深とナポリタンがシナリオの中の人に攻撃をしかけ始めたときから、その余波が悠人たちの方へ届くのをヒミカとセリアが防いでいた。
シナリオの中の人はミルクレープを食べ終え眠りこけていたが、時深とナポリタンは執拗に攻撃を続けている。まったく効果がないのにご苦労なことだ。
 第二詰所の父性を担ってきた感もあったヒミカだが、悠人が溶け込んでからというもの、ほぼお役御免になっている。それでもこうして自然とフォローにまわってしまうのは癖か性分か。しかし、ヒミカ自身はこれでいいと思っている。
父性を意識して接しても、それはやはり演じているにすぎない。せっかくユートという天然の父性が近くにいるのだから、幼い者たちには本物の父性に触れるべきだろう。
ユートに自覚がないのと人数が多いのとで、手なり頭なりがまわらない部分だけわたしが補えばいい。それがヒミカの考えだ。
 今回も、ネリーとシアーがじゃれついている頃まではそう遠くない所で見守っていたのだが、シナリオの中の人に文句を言っていた時深とナポリタンが攻撃を始めたため、そっと座を外し防衛にまわることにしたのだ。
 シナリオの中の人に近すぎずかつユートたちにも近すぎない地点を見極めたところでセリアが横に並んだ。セリア曰く「一人では手が足りないでしょう」とのことだ。
冷静な判断と取るべきか、幼い者たちがまぶしくて逃げてきたと取るべきか…甘えるまで行かなくともセリアも楽しめばいいのに、ま、それも性格か。あるいは戦士の自覚かもしれないな。
と考えたところでヒミカは気づく。それは自分も同じ、か…。役割を自分で決めて逃げているだけかもしれないな。
攻撃を行っているのが二人である以上、最悪の場合にはヒミカだけでは防ぎきれない可能性があるのはたしかなので、何も言わずにセリアを受け入れた。

 ふと足元に気配を感じて見やると、ナナルウが座ってお茶を飲んでいた。この子も何を考えているんだか…いや、そもそも考えているのかどうか…もっと自我が強くなってくれれば、とヒミカは思うが、焦ってどうなるというものでもないこともまたわかっている。
「ま、流れ弾の処理だ。滅多に来るものでもないしな。ナナルウ、わたしにもお茶淹れてくれるか?」
 そんなこんなで防衛線兼お茶会会場となっていた。
「よっと」
 跳ねて飛んできた時深の扇子を、お茶を啜りながらヒミカが弾く。
 弾かれた扇子はユートたちの上空へと飛んで行く。
「しまったっ!」
 扇子はユートたちには当たらない。だがその先には―――

 ズシャーッゴンッドサッ!
 資料と書類の崩れる音で、シナリオの中の人は目を覚ました。崩れた資料との山を無意識のうちに積み直す。その下から現われたのはマウス、マグカップ、ボールペン。
「小さい悠人たちが騒いでいた気がしたが、夢だったか…」
 いや、眠る前にも見た気がするなぁ…抗欝剤か睡眠薬の見せた幻覚かな…
「ま、いいや、ミルクレープ買ってこよっと」
 シナリオの中の人は出かけて行った。
 マグカップの影に転がっている小さな扇子に気づくことなく―――
(Fin.)