笑顔を大切に

 悠人は会議から戻る途中、向こうからハリオンが歩いてくるのを見つけた。
「よ、ハリオン。買い物の帰りか?」
「はい~~」
荷物を手にしているのを見てそう判断したのだが、それにしては時間が遅い気がして聞いてみる。
「それにしては遅くないか?」
「それは~ですね~~、ゆっくり~帰ってきたから~なんですよ~~」
ハリオンがゆっくり帰ってくるのはいつものことだから、それでこんなに遅いというのはいったいどれだけゆっくりだったのだろう? そんなことを考えているとハリオンが続けた。
「わたし~~、クラスが上がったんですよ~~」
「え? そうか、それはめでたい。……って、セラフの上って?」
「い~え~~。わたし~~、のんびり屋さんから~、のん気者さんに~~、なったんです~~」
「…」
「…」
「……」
「……」
「………」
「………?」
悠人は脱力のあまり _| ̄|○ とくずおれた。
「……というか、のんびり屋さんという自覚はあったんだ…」
あまりのことにツッコミどころまでおかしくなる。どうにか気を取り直した悠人が顔を上げた時には、そこにハリオンの姿はなかった。
まぁ、買い物の帰りだったわけだし、第二詰所に帰ったのだろう。そう軽く考えた悠人は、目を離していた時間はのんびり屋さんが視界から消えるには不充分なぐらいには短かった、ということに気づいていなかった。

 翌日の朝食後、悠人は第二詰所に来ていた。基本的に悠人は第一詰所で生活しているが、隊長として隊全体を見る必要がある。そのための措置として、時々は第二詰所に居るようにしていた。
「あ、ハリオン、おはよう」
廊下で見かけて声をかけるも、ハリオンはそのまま通り過ぎてしまう。
「…無視、されたのか?」
ハリオンの様子に何かいつもと違うものを感じたものの、その表情はいつものニコニコ顔だったために確信が持てなかった。

 昼食の時間。朝の事が気になっていた悠人は、ハリオンの様子を窺っていた。
「ハリオン、塩取って」
「はい~」
ヒミカの頼みに応じて塩の瓶を渡すハリオン。いつものハリオンだ。朝会った時に感じた違和感も今はなかった。
気のせいだったかと思いつつも、どうにも腑に落ちない。食事を終えた者が自室へ引き上げ始める中、悠人は残ってハリオンを観察していた。
しばらく見ていてもやはりいつもと変わらぬ様子に安心しかけていたが、最後にシアーが食堂から出て行き、悠人とハリオンだけになったとたんにハリオンの様子が変わった。
いや、朝と同じで見た目に変化はない。顔はいつものニコニコだし、食器を片付ける動きにも変化はない。だが、今のハリオンには何か違和感を感じるのだ。
何か……そう、空気というか雰囲気が違うのだ。いつもハリオンはなんというか、時に癒され、時に毒気を抜かれる、そんな雰囲気を纏っている。今のハリオンにはそれがないのだ。
といって、怒りとか冷たさとか、そういう雰囲気があるわけでもない。無の雰囲気というのも違う。そう、どんな雰囲気もない。何とも名状し難い感覚だが、あえて言うなら「欠如」というのが近いだろうか。
違和感の正体に気づいた悠人は深い、苦しさ、哀しさ、そしていたたまれなさに襲われ、席を離れた。

 悠人は第二詰所の自室に戻って考える。ハリオンのあの異変は悠人しかいない時にのみ発現する。食堂での様子からそれは確かだ。とりあえず、ハリオンが神剣に呑まれたとかそういうことではないとわかって少しほっとした。
「しかしあれは…」
怒っている、あるいは不機嫌というものなんだろうか…。そう考えたところで悠人は気づく。ハリオンが怒ったところを見たことがないことに。いや、正確には怒ったようなそぶりを見せることはあった。
だが、その時も「もう~」と言う声は明るく、雰囲気は「しょうがないんだから~」とでもいうようなどこか暖かいものだった。そう、本気で怒るというのはハリオンには似合わないと思うし、実際、想像もつかない。
「だけどまぁ、俺だけということからして、昨日の事で怒っているというぐらいしか可能性が考えられないよなぁ…」
正直、昨日の事よりよっぽど本気で怒りそうなことも過去にあったような気もするのだが、いろんな意味で普通じゃないハリオンだけにそんな考えで判断するのは危険だろう。

 夕刻、悠人は昨日ハリオンと会った場所でハリオンが買い物から帰るのを待っていた。昨日の時間ではなく普段の時間の少し前から待っていたが、今のところまだ帰ってきていない。
「また昨日ぐらいの時間になるのかな…」
そう思っているとハリオンの姿が見えた。普段よりは遅く、昨日よりは早い、ちょうどその間ぐらいの時間だ。
悠人は駆け寄って土下座した。土下座というのがファンタズマゴリアで意味を持つのかはわからないが、気持ちの問題だ。
「昨日は変なこと言ってごめん。ハリオンはハリオンだ。ハリオンらしいのが一番だ。それがよくわかったよ」
ハリオンの答えはない。悠人が目を上げると、そこにハリオンの姿はなかった…。

 あくる日の午後。悠人は自室で煩悶していた。第二詰所ではなく第一詰所だ。昨日あの後ハリオンと顔を合わせるのがこわくて、予定を変更して第一詰所に移ったのだ。
それでも結局ハリオンのことが気になってこうしてのた打ち回っている。午後の会議へ向けて午前中に行われたレスティーナとの会談の間も、注意散漫で何度もレスティーナに注意されてしまった。
「あぁ、そろそろ会議に行かなきゃな。…ふぅ」
盛大にため息をつくと悠人は腰を上げた。

 何も言わずにいなくなったってことは、やっぱり許してくれてないんだろうなぁ…。会議に向かいつつも、やはり悠人はハリオンのことを考えていた。内容が暗いだけに自然と俯いてしまう。と、
「あら~、ユートさま~。ちょうどよいところに~」
ハリオンの声に我に返って目を上げる。そこにいるのはいつものハリオン。いつもの笑顔、いつもの雰囲気。
「ハリオン…」
悠人の視界が滲む。
「これから~、お買い物に行くんですけど~、ご一緒してくれませんか~?」
「ああ、いいよ。よろこんで」
溢れそうな涙を堪えるように天を仰ぐ。陽はまだ高い。のんびり買い物するにはいい日和だ。
「それでは~参りましょう~」
二人で並んで歩き出す。
隣を歩くハリオンに目を向ける。
いつもの、暖かな、溶かすような、包み込むような、そんな雰囲気。
これに比べたら、退屈な会議なんてどれほど価値もない。
ハリオンのほんとうの笑顔―――