「ユート様、なんだか髪がずいぶん伸びてきたようです」
朝の食卓。俺の顔を見ながらのエスペリアの一言。
確かに気になってはいた。
「ああ、そうだなぁ。自分で適当に切ってたんだけど、面倒でさ。えっと街に行けば
そう言う店があるのか?」
眼が隠れるくらいな方が、ウケは良いのかもしれない。いやなんとなく。
「はい、有るにはありますが……」
エスペリアは歯切れが悪い。
エスペリアがこういう受け答えの時は大概同じ理由になる。
「ああ、そうか。あまり歓迎されないと」
「申し訳ありません」
やはりそういうことか。しかたないんだけど……市場の連中とは結構うち解けてきてはいるけ
ど、その他の路地にはあまり行かないからな。なかなかむずかしい。
「いや、エスペリアが謝る事じゃないさ」
そう言って、さりげなくリクェムを退けていく。
「それでは……ナナルゥに頼んでみてはいかがでしょう。私たちは自分で切ることも多いですが、
あの娘は上手なので頼まれることも多いのです」
「ふーん、ナナルゥか。そうだなたまにはあっちに顔出すか。ネリーがうるさいけどな」
「ふふっ。たまには皆の機嫌をお取りくださいませ」
悪戯っぽく笑う。こういう時のエスペリアは普段のきっちりした部分が消えて、年相応のかわ
いらしさを出すように思う。
しかし、意外な名前が出てきた。ナナルゥとは。ちょっとやりにくいかなと思いながら、俺は
第二詰め所の方へと足を向けた。
しっかりとリクェムは食べさせられたが。
「なんか意外だな、ナナルゥにこんな特技があったなんて」
「はい。皆の髪を切るのは私が担ってきていました。評判は良いようです」
相変わらず淡々とした事務的な口調。今では慣れてしまったが、元々のナナルゥの性格という
のはどういう物だったのだろう。
第二詰め所の中庭。俺はこの場に置かれた椅子に座らされ。首の回りに白いシーツを巻かれた
状態でいる。すっかり春めいた季節。小鳥たちのさえずりも聞こえ、小さな花達も可憐に咲き誇
る。そして周りには、芝生の上で転げ回るネリーとシアー。俺を凝視するヘリオン。花にとまる
蝶をジッと見つめるニム。その他あーだこーだ姦しい年長組。
と言うか、何でみんな見に来るんだ?
「それでは、いきます」
はじまった。
使用する道具は俺の世界と同じ。ハサミや櫛、カミソリ等。シャキシャキと小気味よく音を鳴
らしながら切り落としていく。
これはまんざらでもないかも知れない。
「ユート様、失礼します」
そう言うと、俺の頭を持ちちょっと傾ける……っておおぉぉっ!!!ちょ、ちょっとあの今ムニっ
て、ムニって……いや、だめだ。周りの視線がある。セリアはいないから良いけど、ハリオンと
かヒミカとかに何を言われるか分からない。だから俺は表情に出さず必死に平成を……兵制を……
フニ。
あ、あのナナルゥさん、わざとやっ
ムニ。
い、いやそうか椅子が高いし、床屋のような高さ調節なんか無いんだ。だから小柄なナナルゥ
にはどうしても俺に密着せざるおえな…………ナナルゥって結構着やせするんだなぁ。ち、ちが
う、でもナナルゥってなんだか気が落ち着いてくるような匂いがする。
嗚呼。
………
……
…
至福の時は過ぎた。今はヘリオンがシーツについた毛髪を払い落とし、ナナルゥは道具の片付
け中だ。後は風呂に行くだけ。
「ふふふ~ユート様お疲れ様ですぅ。気持ちよかったですかぁ?」
ハリオンがにやにやしながらよってくる。
「ああ気持ちよかった。さっぱりしたよ」
そう答えた。なんだかいやな予感はするが。
「そうですかぁ。気持ちよかったですかぁ」
やはり、にやついたまま。これは、この物言いはハリオンは気づいているっ?ま、まさか。
ヒミカに目をやると、睨んでる。俺を睨んでるよ。
やばい。数多の修羅場経験が俺に警報を鳴らす。
「よかったですねぇ。それじゃお風呂もナナルゥさんにお願いしますよねぇ?それともお役交代
しましょうかぁ。きれいに洗って差し上げますよぅ」
俺にすり寄ってくるハリオン。俺は思わず一歩引いた。
「あ、あまり寄ると髪の毛が付くからさ、ええっと俺風呂行くからじゃ、じゃぁ」
ここは逃げるが勝ちだ。つるし上げを食らいそうな雲行きを後に俺は逃走した。
はぁはぁ、つ、疲れた。思わず全力疾走してしまった。
第一詰め所の風呂場。何故か第二には風呂がない。
い、息を整えて、少し落ち着こう。
ハァハァ、ハァハァ、ハァ ハァ、ハァ ハァ。
……
…
よし、なんとか落ち着いた。しかし汗までかいてしまった。しょうがない、頭だけと思ってい
たけどこのまま汗も流そう。そう思うと俺は服を脱いで、風呂場に入った。
風呂場の湯気の中。置かれた丸い木椅子に座る。
そういえば、ハリオン達のせい?で、ナナルゥに礼も言っていない。後でちゃんと言っておか
ないと。でもナナルゥ……気持ちよかったな……女の子だよなぁ。
あ、ヤバイ反応が、
「ユート様。ナナルゥです。入ってもよろしいですか?」
「うわっ?!!え、ナ、ナナルゥか?ど、どどどどうした」
まさか、こんな早くくるとは思いもしなかった。と言うか何故来たんだ?と言うかなんて言う
タイミングでくるんだ。
風呂場と脱衣所を仕切る戸の方に目をやると、
「最後まで終わらせるのが、私のつとめです。まだユート様の髪を洗っていません」
「だ、大丈夫だから、自分でできるよ」
なんとか追い返さないと。この状態でご対面というわけにはいかん。
「いいえ。始めたことは最後まで始末を付けねばなりません。入ってもよろしいですか?」
「気にしないでくれ、ナナルゥ。今回は助かった。後は自分でできるから」
さすがにこの状態で入られるわけにはいかない。だがナナルゥは引かない。普段とは違う、ナ
ナルゥのこだわりに面食らう。
もしかすると、これはナナルゥにとって譲れない事なのかも知れない。我の薄いナナルゥにも、
こう言うところがあるのだと思うとなんだか嬉しくなる。
そう思うと、俺の都合で無碍に断るわけにも行かない。
仕方ない。静まれ、静まれ、静まれ、静まれ――――脳裏に分かるはずのない数学の公式や光
陰の顔を思い浮かべ沈静化を図る。
ふぅ。何とか、血液は体に戻っていってくれたようだ。
俺は、タオルを腰に掛けるとナナルゥに許しを出した。
「失礼します」
ナナルゥの格好は、袖をまくった程度のいつものメイド服だ。いや、何を期待したわけではな
いが。
「ユート様。お流しします」
躊躇せず俺に近づいてくる。俺の方は心の準備がまだできていないというのに。
「ああ、たのむ」
俺は何とか返事をする。ナナルゥは手際よく桶でお湯をすくい俺の髪を濡らし、石けんを手に
取り泡立てていく。
床屋ではなく、風呂場で、椅子に座ったままナナルゥの様な少女に髪を流してもらう。なんだ
か少しだけ倒錯的な雰囲気がする。
このまま無言だとヤバイ。
「サンキュな。ナナルゥ。」
俺の後ろに立つ少女に、礼の言葉を送った。
「サンキュ?サンキュとはどういう意味ですか?」
「ああ、えっとウレーシェ、のことだよ」
「そうですか。いいえユート様に礼を言われるようなことではありません。大した技術でもありま
せんから」
「いや、そんなことはないさ。結構なもんだ。俺の世界の床屋と大して差無いよ。どうやって身
につけたんだ?」
「……ただのまねです」
「真似?誰かそう言う人がいたのか」
「はい。小さい頃の私の髪を切ってくれたスピリットがいました。それを真似ているだけです」
「そうか」
そのころのスピリットなら、きっともう居ないのだろう。はっきりとは分からないが、エスペリ
アよりも古いスピリットは、ある時を境に皆居なくなっているようだから。
「じゃぁ、その人の技を引き継いで居るんだ。ナナルゥは」
「姉様のを……引き継いで……ですか?」
「そう言うことさ。ナナルゥの中に残ってるんだよ。そのナナルゥのお姉さんの……思いという
かさ、繋がりが」
「そう、なのでしょうか。姉様の……」
後ろにいるナナルゥの表情は分からない。だけど声がいつもとは違う様な気がする。湿り気の
ある、感情のこもった響きだ。
ザッパーン。
上がりの湯を被って、これでおしまいだ。
「これからもさ、髪切るの頼んで良いかな。もちろんナナルゥがよければだけど」
「はい」
素っ気ない、一語だけの返事。だけど、いつもとは違う言葉。
これ以来、2ヶ月に一度ナナルゥの散髪は続いている。ハリオンに茶化されるのも続いている
が、ヒミカは気にかけていたナナルゥに張りが出てきたと喜んでいた。
そりゃ、今でも柔らかなモノが押しつけられることは多いけど、今はナナルゥとこうした時間
を持つことが大事に思える。
昼下がりの午後、今日も、ナナルゥのハサミが、相変わらずシャキシャキとした小気味よい音
を立て俺の髪を切り落としていく。
そよ風に揺れるナナルゥの髪に頬をなでられながら。俺は目を閉じた。
こんな日常が当たり前の世界になるように、そんなささやかな求めが叶うように、俺は、俺た
ちは、これからも剣を取り続けるのだろう。