夢から覚めて

 ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ、ぴぴぴぴ。
 目覚ましの電子音に急かされ、私は目を覚ました。
 寝起きは良い方だと思うけど、今朝は妙に身体がだるくて、暫く目覚ましは鳴りっぱなしにしておいた。
 何か夢を見ていたような気がする。それは長い長い夢。悲しくて辛くて切なくて、なのに幸せな
夢、だったと思う。目覚めた瞬間忘れてしまったそれは、暖かさとほんの少しの痛みを、私に与えて
去っていったようだった。
 僅かに首を振る。
 見えるのは、本棚や箪笥、子供の頃から使っている勉強机、そしてその一角に置いてある写真立て。
 いつもの私の部屋だった。
 新鮮な感じがする。巧く言えないけど、強いて言えばどこかのホテルにでも泊まっているみたいな、
そんな感覚。
 少しして、腕を伸ばして目覚ましを止めた。
 そしてがばっと起きあがる。ぐずぐずしているといつまでも起きられないから。そう思ってから
少し変な気持ちになった。それって自分のことだったかな?
 向きを変えて改めて時計を見る。6時を少し過ぎていた。
「……あれ?」
 何故こんなに早くに起きてしまったんだろう? 多分お母さんも起きたところじゃないだろうか。
 出し抜けにばたん、と音がして、そのまま耳を澄ませていると誰かが階段を下りていく様子だ。
 多分お母さんだろう。
 折角早起きしたんだし、今日は朝ご飯の準備を手伝うことにした。

 お弁当も詰めて、壁掛け時計を見ると良い時間だった。
「それじゃ、行ってくるね」
 気をつけてね、とお母さんが言い、頑張れよとお父さんが言った。
 それはいつもの登校前の風景なのに、今朝は何故かくすぐったかった。
 家を出て少し行くと、待ち合わせの電柱の所に小鳥が立っていた。
「あ、佳織、おはよー」
「おはよー小鳥。今日は時間通りだね」
「そういつもいつも遅れてられませんって。さっ、行こう?」
 小鳥が笑って、いつもの、というよりは少し余裕のある登校風景が始まる。

「…それで、今日は運勢バッチリなのよ。特に恋愛運が満点でねー」
 小鳥は相変わらず良く喋る。聞いているだけで楽しくなってくるけど、なかなか口を挟む
機会が無くて、つい「アハハ、そうなんだ」みたいな受け答えになってしまうのが残念。
 ところが今日は例の急な坂を登る途中くらいから、小鳥は黙ってしまった。
「……?」
 ちらりと小鳥を見ると、小鳥もしきりに首をかしげている。自分が喋らないのが信じられないって
様子で。時々何か言おうとするんだけど、口がぱくぱくするだけで、続かないみたい。
 そのまま坂を上りきった所で、今まで私の右を歩いていた小鳥が急に左に回った。
「?」
 そして、また右に戻る。
 うん、と納得したように小鳥は頷いた。

 暫くお互い黙ったまま歩いていると、急に小鳥が私の腰に抱きついてきた。
「きゃっ、な、なに?」
 小鳥は何も言わず、左手は私の腰に回ったままで、右手をぶんぶんと私の左手の辺りで振った。
 端から見たら馬鹿みたいな光景だろうけど、小鳥が真剣な顔をしているので振りほどくのは
憚られた。
「こ、小鳥、なにしてるの?」
「え? うーん」
 小鳥は首を捻った。
「何かこの辺にいるような気がするのよね」
「え? な、なに?」
 急に怖くなって私も左上を見上げた。
 何もないし、誰もいない。
「なに? 霊感かなにか?」
「違うけど」
 恥ずかしいよ、と言うと小鳥も気付いたらしくぱっと私から離れた。
「ホントになにもない?」
「ないよ」
 もう一度左上を見上げるが、やはり誰もいなかった。
 そして顔を見合わせる。
「気のせい、じゃないの?」
「気のせい、なのかなぁ?」

 それからも時折思い出したように小鳥は私の左側を見ては首を傾げた。
 その度に私も左上を見上げた。
 暫くしてふと疑問に思う。
(なんで私は左上を見上げるんだろう…?)
 そう思うと、急に胸の奥が熱くなった。
「…か、佳織ってばなんで泣いてるの?」
「…え?」
 気付かないうちに、私の目から涙が流れていた。
「あ、あれ? 変だなぁ…」
 ハンカチで涙をぬぐう。小鳥が心配そうに私の顔を覗き込む。
 ぽろっ。
 小鳥の目からも涙が一筋こぼれ出た。
「あ、やだ、私までもらい泣きしちゃったじゃない」
 そう言ってアハハと小鳥が笑った。
 私もハンカチを当てながらアハハと笑った。
 心の中が暖かくて、それでも涙はなかなか止まってくれなかった。
 ふと胸元を見ると、ペンダントが優しい光を放ったような気がした。

 いきなり、小鳥が私の手を引いた。
「走ろ?」
「うん」
 急いでもいないのに、それがふさわしい気がして私たちは通学路を走り出した。