それは夜明けの光のように

「大丈夫か?」
悠人はうずくまっているニムントールに声をかけた。二人で哨戒任務を終えての帰途、半分眠りながら歩いていたニムントールはつまずいて足首を挫いてしまった。器用なんだか不器用なんだか…。
「だ、大丈夫よ。慣れてるから…」
「……慣れてるのか」
慣れてるということはつまり…。と、ニムントールが慌てて言い募る。
「く、訓練で、よ、訓練」
「ふーん、訓練で、ね…」
「ムッ、なんか文句…っ」
食ってかかろうとして立ち上がりかけたニムントールだったが、痛みに再びうずくまってしまう。
「あぁ、動かない方がいいぞ。ちょっと待ってろ」
悠人は森から手ごろな枝を拾ってくると添え木に、自分の服の袖を切ったのを包帯代わりにして固定してやる。
「ほら、これで少しはマシになっただろ?」
おっかなびっくり立ち上がってみるニムントール。
「…ぅん」
「ま、治るわけじゃないし、痛みが完全になくなるわけでもないけど、何もしないよりはいいだろ」
「変なこと知ってるんだ…」
「んー、まぁ、いろんなバイトしてたしな」
「『バイト』?」
「あぁ、えーと…任務みたいなもんだ」
「ふーん…」
「そっか、この世界じゃ神剣魔法があるからあんまりこういうことしないかもな」
「………」
黙り込んで俯いてしまったニムントールを見て、悠人は己の失言を悟った。今のところニムントールが使える神剣魔法はウィンドウィスパーしかない。
ニムントールのウィンドウィスパーには何故か回復効果があるものの、その効果量はアースプライヤーには到底及ばない微々たるものだ。一般に緑スピリットには防御力と回復魔法が期待される。
普段、強気に振舞っているニムントールだが、防御にこそ優れるもののアースプライヤーを使えないことに内心忸怩たるものがある。悠人はそれに既に気づいていた。気づいていたのに…
「ま、傷じゃないから神剣魔法じゃろくに効果ないだろうけどな。ふむ、そう考えると捻挫の応急処置として広めた方がいいかもしれないな」
「ん…」

悠人は努めて明るく言うも、ニムントールの顔は晴れない。下手な気休めだ。たしかにアースプライヤーはマナを活性化させて傷を癒す魔法であり、欠損ではない捻挫のような症状には幾分効果が薄い。
とはいえ、その差は小さなものだ。捻挫も少し痛むだけで普通に歩けるぐらいには回復し、そのまま二~三日も経てば完治するだろう。アースプライヤーにはそれだけの力がある。
ニムントールにもそれがわかっている。悠人は己の失言を、そしてそれを上手くフォローできない己の不甲斐なさを悔やむ。えぇいっ、仕方ない。
「きゃあっ!? ちょっ、ちょっと、なにしてんのよっ!」
「ん? 何って、おんぶだよ、ニム」
「な、なんでいきなりおんぶなんかしてんのよっ!? てゆーか、ニムってゆーなーっ!」
背中で暴れるニムントールにポカポカ叩かれながら、悠人は少し安堵する。「いつもの」ニムントールに…。
「いくら痛みを抑えたとはいえ、歩けないだろ? 落ちるから暴れるなって」
そう言って、ニムントールの足を支える腕を一瞬緩める。
「ひゃうっ!?」
「っと」
再びしっかりと支えて、後ろに傾きかけたニムントールを前に戻した。
「ほれ、歩くから首か肩につかまってろ」
「うぅうぅうぅぅ~」
ニムントールが唸りながらもつかまったのを確認すると悠人は歩き出した。

ゆらゆらと揺られながら、ニムントールは湧き上がるあたたかく懐かしい気持ちに戸惑っていた。
なんだろう…この感じは…どこかで…いつ…? 
なんとはなしに、つかまった手で体を支えるのではなく、悠人の背中に寄りかかってみる。そう、なんとなく、だ。悠人は何も言わなかった。ちょっと体を前に傾けただけだ。落ちないように、安定するように、ニムントールが体を預けやすいように。
そう、言葉はいらない。悠人が突然おんぶしたのもニムと呼んだのもわざとだということはニムントールにもわかっていた。わかったから、怒ってみせた。努めていつものように。
いつも喧嘩(といってもほとんどニムントールが一方的につっかかるだけだが)してばかりいたが、いつの間にか口にする言葉とは別の会話が成立するようになっていた。
あったかい…
湧き上がる想いが強くなる。それは嫌な気持ちではない。むしろ…。ニムントールはその先を意識にのせるのを止めた。
今のニムは変だから…でももうすこしこのまま…今だけ…
そのままほんわかとした安心感に包まれて眠りに落ちる。その寸前、ニムントールはわかった気がした。
…そっか…この感じは……

ニムントールが目を覚ますとそこは第二詰所の自分の部屋だった。窓からは朝日が差し込んでいる。どうやら悠人に背負われて帰るうちに眠ってしまい、そのまま翌日の朝まで起きなかったらしい。
昨日挫いてしまった足首を動かしてみるとほんの微かに痛みがあるだけだ。きっと眠っている間にハリオン辺りのアースプライヤーで治癒されたのだろう。
足を動かしたときに布団に引っかかりを感じて目を向けると、悠人がベッドにもたれて眠っている。手を伸ばしてそっと悠人の手に触れた。思い出すのは昨日のことだ。
眠りに落ちる寸前、認識すまいとする意思のたがが緩んでしまったのか、結局ニムントールは理解してしまった。無意識ではもうとっくに悠人が信頼できる相手だと認めていたことを。
そして、おんぶをきっかけに過去の記憶を呼び起こして認識をせまったのだと。それに抗おうとしていたのは自分が変わってしまうことへの恐れのためだった。だけど、変わったわけじゃない。無意識もまた自分、それだけのこと。

「ん…?」
悠人が身じろぎした。ニムントールは慌てて手を引き戻す。自分の中に悠人への信頼があることは認めた。だが、それはそれとして、まだ素直に表現することにはためらいがある。
「…ふぁあ。あぁ、おはよう」
「ぅん、おはよ…」
「陽の加減からいって昼前というほどでもなさそうだけど、早朝ってわけでもないな。よっと、んー」
悠人は立ち上がって伸びをする。
「腹減ったろ、メシ食いに行こうぜ。ハリオンに診てもらったから歩けるだろ」
「んー、起きるの面倒…」
まどろみながらたわいない会話をするこの雰囲気をもう少し味わいたい、というのが本当のところだ。
「ほれ、起きろー、ニム」
そう言って悠人が毛布を引き剥がす。
「うにゃ~」
枕にしがみついて丸まるニムントール。「ニム」と呼ばれたことは流してみる。
「はぁ。なんか、ファーレーンの苦労が思いやられるな…」
「…なんか、ムカつく」
「いや、まぁ、ニムとファーレーンが普段どうなのかは知らないけどな。俺は普段起こされる側だから、起こす側の苦労に思いを致して反省してみた。…それはそれとして、はい、起っきー」

悠人が枕ごとニムントールの上半身を起き上がらせる。
「う゛~」
「ほーら、ごはんが呼んでるぞー」
ニムントールはベッドから降りて立ち上がる。枕を抱えたままだ。つと、顔をしかめてみせると腰を下ろした。
「ん? まだ痛むのか?」
「ぅん…」
本当は大したことはない。立てないほどじゃないし、歩くのだって平気だろう。
「……おんぶ」
ぼそっと。
「…なんだかずいぶん甘えんぼだなぁ。そんな甘えんぼなお姫さまは、こうだっ」
「きゃうっ!?」
悠人はニムントールを抱き上げた。お姫さまだっこだ。
「な、な、な…」
「そんなに長い距離じゃないからな。それに、こっちの方が都合がいい。ほい、枕置いて」
ニムントールが枕をベッドに落としたのを確認すると悠人は歩き始める。
「ニム、扉開けて」
「………」
「な? おんぶだと二人とも手がふさがっちまうんだよ」
「…バカ」

廊下に出ると辺りを見回してみる。幸い誰もいない。出てくる気配もない。おそらくみんなもう食堂にいるのだろう。それをたしかめてニムントールはほっとした。
悠人に抱かれて運ばれながら、ニムントールは自分の胸の鼓動に戸惑っていた。もう急に抱き上げられた驚きは収まったはずなのに、その鼓動はなおも速い。
顔が紅くなっている気がして、悟られないように悠人の胸に寄せて表情を隠した。と、悠人の鼓動を感じる。あは、なーんだ。ユートもおんなじじゃん。…へへ、ニムといっしょだぁ~……

そんなことを思っているうちに、もうすぐ食堂への扉だ。
「ね、降ろして」
「ん? 大丈夫なのか?」
「いいから降ろす!」
「はいはい」
悠人はそっとニムントールを降ろして立たせた。
なんてことないやりとり。だがそこに込められた意味は、
(みんなの前ではいつもどおりだからね!?)
(わかったよ)
といったところか。

食堂に入ったニムントールは「大丈夫?」という声に迎えられ、「大丈夫」と答えて、そしてあとはいつものように進む食事。
ニムントールの食べるペースが速くないのもいつものことだ。だが、今はいつにもまして進みが遅い。悠人に抱かれて食堂へ向かっているときの胸の高鳴りについて考えていたからだ。
ふと気がつくと、まだ食べ終わっていないのはシアーとニムントールだけだった。悠人も食べ終わっている。ニムントールはあわててペースを上げる。
「…ニムントール」
「…んごきゅ。何?」
悠人に声をかけられ、あわてて口の中のものを飲み下して聞き返す。
「ついてるぞ」
そう言って悠人は自分の頬を指差した。食堂へ入る前のやりとりを反映していつもの調子だ。だけどニムントールにはわかる。悠人が、
(あわてなくても先に行ったりしないから落ち着いて食え)
という意味を乗せてきたことが。
「う」
別にそうじゃない、そう切り返そうとして、けれどその意図を乗せられる「いつも」らしい返し方が思いつかなくて、半端な反応になる。ニムントールは布巾で頬を拭って食べるのを再開した。普通のペースで。
シアーよりも遅れていたから、自分のせいで片付けが遅れるのを避けようと思った。それはたしかだ。だけど、自分が遅れていることに気づいた瞬間、悠人の状況を確認してしまった。
やっぱりそれも気にしてたんだな…。もうニムントールはそれを認めるのにやぶさかではない。だから、普通のペース。

隣に座っているファーレーンに髪を撫でなれながら食後のお茶。その手からはいつもと変わらぬ愛情が感じられる。目覚めたときにいなかったけど、見捨てられたわけではない。それが確認できて安心する。
もちろんファーレーンが自分を見捨てることなんかない、それはわかっていた。それでも、わかっていても、改めて確認できると安心するものだ。
やがて三々五々と食堂を出て行く面々。ファーレーン、ニムントール、悠人が残ったところで、ファーレーンが立ち上がる。
「それでは、あとはお願いします」
「ああ」
「え? お姉ちゃん、もう行くの?」
「わたしは用事がありますから。またあとでね、ニム」
ファーレーンはそう言うと食堂を出て行った。二人で冷めたお茶を啜ることしばし。
「さて、そろそろ行こうか?」
「そうね」
二人は席を立ち、ニムントールは側に来た悠人に掴まって、そっと歩き出す。その必要もないのはないしょだ。

廊下に出て人気がないのを確認したところで、ニムントールは悠人に掴まった手をくいくいと引いた。
「………」
何も言わず、ただ視線で。
「それじゃ、ニムに選ばせてあげよう。どっちにする?」
「………だっこ」

悠人の腕に抱かれて運ばれながら、ニムントールはまた胸が高鳴るのを感じていた。今度は予めだっこされるのがわかっていたけれど。そして、また悠人の胸に顔を寄せて安心するのだ。

もう、ニムントールの世界を照らす光はファーレーンだけではない。
信頼とは別の何かもまた芽生え始めているのだが、ニムントールがその「何か」の正体を認識するにはもう少し時間が必要だろう……。
ともあれ、ニムントールが手に入れたそれは夜明けの光のように、眩しく、あたたかな、希望―――