失望と絶望

 戦場に鐘が鳴る。
 黄土の街路が長く伸び、端には鬱蒼と生い茂った、天然の森林の壁が立ちふさがる。
 後方にはラキオスの街、前方には向かうべきリーザリオの街が、遥か遠くに、小さく見える。
 その中心で顔色を無くし、僅かに緊張と恐怖で身を震わせる少女は失望のヘリオンだ。
 長く、解けば腰にまで届きそうなツインテール。
 透き通るような白い肌を、白と黒を基本とした、厚めの服装で身を覆う。
 両手に付けられた手甲は金属音を立て、彼女の心情を露わにしていた。

 前方、ヘリオンにとって恐怖の対象である、サルドバルトのスピリットがいる。
 ほぼ同じ国力だというのに、見に纏うマナの量は自分とは桁が違う。
 相手側には帝国が付いているのだ――
 それを思うと、ますますヘリオンの心は収縮していく。
 スピリットは基本的に一部隊三人で戦う。
 相手は青、緑、赤、と最も基本的な陣形を見せている。
 対するラキオスの部隊はユート、エスペリアと言った精鋭。
 だと言うのに、何故自分はこんなにも震えているのだろう。
 腕に力が入らない。いや、全身から力が抜けていた。
 助けて欲しい、戦いたい。
 相反する感情がヘリオンの中でぶつかり合う。
「ヘリオン、前に出すぎだ! 一旦戻れッ!」
「は、はいっ!」
 悠人の鋭い叱咤が飛んだ。ヘリオンが周りを見渡せば、自分独りが特攻を掛けているよ
うな、酷く危うい状況だった。

 ヘリオンが正面を見ながら、ウィングハイロゥの力を使って後退する。
 その時、まるで見計らったようなタイミングでレッドスピリットが攻勢を仕掛けてきた。
 黒いウィングハイロゥがはためくと同時、弾けるような前進。
 追いつかれる! とヘリオンが身を堅くしながらも『失望』に手を掛けた。
 初めての実戦。初めて身に襲い掛かる殺気が、手元を少しずつ狂わせていく。
 その時だ――
「――アキュレイトブロック!」
「エスペリアさん」
「ヘリオン、もっと下がれ」
 視界を割って入るようにして、エスペリアがレッドスピリットのスイングの全てを受け
止める。
 その動きは流石経験豊富なだけあり、一つ一つの動作にも無駄が無い。
 最小限、最低限の動きで最大の効果を挙げている。
 流れるようなレッドスピリットの連撃が止まった時が、悠人達の反撃の始まりだった。
「おぉぉぉぉぉおっ!」
 咆哮一つ。
 エトランジュならではの圧倒的なオーラを撒き散らしながら、悠人が前進した。
 求めから溢れ出る蒼色のオーラ。
 動きに無駄こそ多いが、そのマイナスを補って余りあるパワー。
 グリーンスピリットへ袈裟懸けに一撃――金色のマナが血となって飛び散る。
 返す刀で二撃――足の付け根から肩にかけて一刀両断。
 金色のマナが、身体の全てを覆い尽くし、やがて空気に溶けるように霧散していく。
 悠人を周りを中心に、血の臭いと、蛋白質がこげた時に発する特有の嫌な臭いがした。

 荒い息をつき、歯を食いしばる悠人が何を思うのか、ヘリオンには分からない。
 だが、その鬼気迫った表情が、悔恨を見せ付けていた。
 何故だろう、とヘリオンは不思議に思う。
 アセリアは、オルファは敵を倒した時、全く悔やむと言う事はない。
 それは自分自身の存在意義でもあるからだ。
 だが、目の前にいる悠人は違う。
 戦いを悲しみ、殺す事を痛んでいる。
 ――何故なんだろう。
 再びヘリオンは自問自答する。
 先ほどまで恐怖に慄き、ただ震えることしか出来なかったというのに、何故悲しむ隊長
を前に、自分はこんなにも胸が高鳴るのだろう。
 考えるが、理由は分からない。
 死を前にしてそんな事を考えるのは、きっと酷く失礼で、愚かな行為だろう。
 そう分かっていても、ヘリオには胸の高鳴りを抑える術を知らなかった。
「残り……二人」
 絞り出すような声。
 同時に、悠人が再び駆ける。
 先程よりも更に速く、更に鋭く。まるで自らの思考も断ち切るように。 
 血が乱れ飛ぶ。返り血が悠人を赤く染める。
 レッドスピリットを、グリーンスピリットを倒し終えたと言うのに、しばらく悠人の血
はこびり付いたまま消えなかった。
 風が吹き、少しずつ返り血がマナとなって大地へと還ってゆく。

「さて、行くか……」
 そう言った悠人の表情は優れない。
 近寄れば、今もまだ血の臭いが鼻に刺す。
 悠人がリーザリオの街へとゆっくりと歩く。気配も同時に探っているのか、歩みに淀みが無い。
 エスペリアが遅れずに付いて行き、しばらくしてヘリオンが慌てて後を追う。
 彼らの移動は早く、一時間で五キロほど進んだだろうか。
 ふと、たった今気付いたように悠人が足を止め、振り返った。そしてヘリオンに向けて口を開く。
「良く考えてみれば、これが初陣だったんだよな」
「は、はいっ!」
「確かにそうですね」
「……、どうだった?」
 エスペリアもまた、初めて気が付いたと言う声を聞きながら、
ヘリオンは自分の戦闘を振り返って頬を紅潮させ、次に落ち込んだ。
 そこにある感情は恥と自分への失望だ。風が吹けば掻き消えてしまうような小さな声でヘリオンは応える。
「震えちゃって……、全然駄目でした」
「そっか。じゃあ俺と同じだな」
「悠人隊長っ!?」
 にこやかに笑って言う悠人に、ヘリオンは驚いた。
 初陣より先、竜退治と悠人の活躍は常に耳にしていた。
 例えそれが本人以外からの情報だとしても、驚かずにはいられない。
「俺だって、最初は役に立てなくて、今も皆のサポートが無きゃマトモに戦えない」
 だから、震えても良いんじゃないかな? と、そう言って悠人が再び歩き出す。
 その背中を、ヘリオンはいつまでも見続けながら後へと続いた。