風邪は万病の元?

「くちゅんっ!!」
目覚めの第一声はくしゃみだった。
嫌々ながらも目を開ければ一面真っ白。
ごしごしと手の甲で寝ぼけ眼を擦ってみてもやっぱり白。
それもそのはずシーツに頭まですっぽりと潜り込んで丸まっているのだから。
だが、その暖かなシーツに包まれているはずなのだがどこか肌寒い。
(あれ……窓開けっ放しだったかなぁ?)
風が吹いているような感じはないが一応確かめるべくもぞもぞ動き出す。
しばらく内部を蛇行しながら動いてやっとのことでシーツの端から顔を出す。
傍から見れば亀、もしくはみのむしと言った様子。
ともすれば眠気で今にも落ちそうな瞼を支えながら辺りを見渡す。
質素な六畳ほどの、家具も少ない実にシンプルな部屋。
(……窓開いてないです)
東側に面した窓からは朝焼けの光が入ってくるだけで風は入ってこない。
ぐるりと顔を回転させ南側の窓も見てみるがこっちもぴったりと閉じられている。
首を傾げながらもまたシーツの中に顔を引っ込める。
ぬくぬくとしたシーツの中でまた眠りの世界に旅立とうとするが―――
「くちゅんっ!!」
全身を駆け巡った身震いと寒気、それと共に出るくしゃみ。
どことなしか頭がボーとするような気もする。
ここまできたら症状に気付いてもいいはずなのだが―――
(……眠いからです)
と、考え、瞼を閉じて再び夢の世界に旅立っていった。
ほどなくして寝息と共にシーツが少し乱れ、端から艶のある黒髪が覗いていた。

「はぁ、面倒」
所変わって、時も変わって第二詰め所の厨房。
ぼやきながら厨房に立つのは『曙光』のニムントール。
ただ、声とは対象的に軽快な音と共に切り刻まれていく食材は見事としかいいようがない。
まがりなりにも刃物……神剣を持って戦うもの、包丁捌きはお手の物か。
厨房に響くのはトントンとグツグツの二つのリズム。
もっともニムが担当しているのはトントンのほうだけ。
切るのは得意だが味付けは苦手……という部類なのである。
一方、グツグツのほうを担当しているのは―――
「ほら、ニム。ちょっと切りすぎですよ」
いわゆるニムのお姉ちゃん……『月光』のファーレーン。
珍しくヘッドプロテクターを外した状態で理知的な顔には苦笑が浮かんでいる。
「あ、ごめん。お姉ちゃん」
未だに食材を切り刻んでいた手をピタリと止める。
なんだかんだ言ってお姉ちゃん子なのである。
どこぞのヘタレな隊長の言うことはあまり聞かないが義姉の言うことなら聞くのです。
「ん。いいのよ、それより出来たから盛り付けしてくれる?」
ニコリと笑った義姉にこちらも不器用ながら笑顔を返しながら頷く。
ほのぼのとした雰囲気が流れる。
二人が作っているのは一日の始まりとも言える朝食。
第一詰め所では『献身』のエスペリアが全てを受け持っているがこちらはローテーションだ。
基本的に掃除洗濯食事の支度、それぞれ二人一組で取り組むことになる。
そういうわけで二人は食事の支度をしているというわけだ。
しかし、本当はファーレーンのペアはニムではなかったのだが……。
そこらへんは言うと怖いことになるので言えない。
ただ、ファーレーンの今までペアになる相手はことごとく襲げk(以下略)……。
まあ、もともと二人の姉妹空間を壊すなど誰もする気はなかったのだが。
と、不意に厨房から居間へのドアが音を立てて開く。
開いたドアの隙間から顔を覗かせたのは『大樹』のハリオン。
「あのぉ~お料理、出来ましたか~?」
ニコニコと常に微笑を浮かべている。

「あ、はい。後は盛り付けだけですね」
ファーレーンもまたいつものように微笑を浮かべた顔で返事を返す。
「じゃあ~盛り付けの終わったものから運びますね~。皆さん待ちくたびれてますから~」
飛び交う微笑、微笑、微笑。
間に挟まれ居心地の悪そうな盛り付け係ニム。
ていうか義姉とのひと時を邪魔されてちょっと不機嫌なニム。
でも、義姉の手前、どうしようもないので我慢しているニム。
一皿だけ微妙に怨念の篭った盛り付けになったが気にしない。
その後はやっぱり居心地が悪いものの仕事はきっちりするニムなのだった。

「って、あれ?ヘリオンは?」
料理の並んだ食卓で疑問の声をあげたのは『赤光』のヒミカ。
第二詰め所のまとめ役である彼女がいつも食事の挨拶をするのだが、一つだけ空いた席を見つけた。
ヒミカの疑問を聞いて初めて気付いたかのように皆も空席に目を向ける。
「珍しいね、ヘリオンが寝坊するなんて」
ヒミカに続いて声をあげたのは『静寂』のネリー。
「え、う、うん……そうだね」
シアーに続くように声をあげたのは『孤独』のシアー。
この二人もファーレーンとニムと同じような姉妹の関係である。
「そうよね~……セリアとナナルゥも何か知らない?」
ヒミカが食卓についてから一言も喋っていない二人に声を掛けるが両者とも横に首を振る。
『熱病』のセリア、『消沈』のナナルゥ、両者共に喋る方ではないので仕方ない反応だ。
と、廊下へと通じる扉の向こうから「くちゅんっ!!」という小さなくしゃみが聞こえた。
いきなりの登場に唖然とするも気を取り直すヒミカ。
「えーと、お、おはようヘリオン」
少々ひきつった笑いになりながらも挨拶を返すがヘリオンはまたくしゃみ。

それと同時にゆっくりと扉か開いていく。
ぽよぽよと跳ねるツインテールを揺らめかせ、覚束無い足取りで入って来たのは『失望』のヘリオン。
「あ、皆さん。おはようございま……くちゅんっ!!」
開口一番、挨拶とともにくしゃみが飛び出す。

テーブルに向かう足取りもふらふらして顔は上気して少し赤い。
やっとのことで自分の席に腰を下ろしたヘリオンに皆の視線が向かう。
だが、ヘリオンはそのことに気付いていないのかポーと焦点の定まらない視線で食卓を見つめている。
「ま、とりあえず、全員揃ったことだし頂きましょうか」
ヒミカの号令と共にそれぞれが思い思いの食事を始める。
だが、そんな中ヘリオンだけが手をつけずに座っていた。
「ん?ヘリオン、食べないの?」
隣に座っていたネリーがヘリオンの顔を覗き込みながら尋ねる。
そこでやっと現実世界に返ってきたのか少々慌てながら
「あわわ、えっと、その、ちょっと食欲なくて……」
顔の前で手を振り振り、だがそれがいけなかったのかちょっとクラリとくる。
傾きかけたヘリオンを慌ててネリーが支える。
「ヘ……ヘリオン、だいじょうぶ?」
「だ……だいじょうぶ、だと、思います。ただ今食べると吐いちゃいそうで……」
少し青白くなった肌を押さえながら呟く。
現にクラクラと視界が廻って平衡感覚が保てない。
見てられないといった感じのヒミカが声を掛けようとするが先にナナルゥが―――
「………………妊娠?」
ピシリと音を立てて世界が止まった。
外界の音も聞こえず、静寂のみが場を支配している。
それは数時間のことでもあり、コンマ秒のことでもあって……。
次の瞬間にはいろんな意味をもった多種多様な視線がヘリオンに向けられていた。
「誰の子?誰の子!?」「まさ……か、ユート様」「ヘリオン……」
「おめでとう、お母さんね」「はぁ、面倒」「…………クスッ」
思わずたじろぐヘリオン。
全員(一部を除く)、好奇心満々の状態で身を乗り出してくる。
今にも飛び掛ってきて身体中を調べられかねない状況にヘリオンの決断は一つ。
すなわち、それは―――戦術的撤退。
椅子から立ち上がりドアへと向い全力疾走。

素早さがモットーのブラックスピリットなら逃走も可能だが、いかんせん今の体調を忘れていた。
イスから立ち上がった瞬間に猛烈な立眩み。
ついで一歩踏み出せば平衡感覚を失いそのままパタリと床に倒れこんでしまった。
最早、指一本動かせず暗くなっていく視界。
皆の慌てた声が聞こえるが最後にヘリオンが思ったのは―――
(ふぇぇぇーーん、貞操の危機……です)


「え~と、39度6分……風邪ね」
額に氷枕を押し当てられヘリオンは自室のベッドに縛り付けられていた。
口元に入れられていた体温計も今はヒミカの手中に。
「あ……あの、わたしならだいじょうぶですから……」
もぞもぞと蠢きながら抗議の声をあげてみる。
が、返ってきたのは怒りを込めた鋭い眼光だった。
ビクリと体が強張る。
「あのね、皆に心配掛けさせないようにってのは分からないでもないけど、
その体で動き回られるほうが心配なの。だから大人しくしてなさい」
ピシャリとこう言われてしまっては返す言葉もない。
「はいぃ~……くちゅんっ!!」
しょんぼりと縮こまりながら肯定の意を返すだけで精一杯。
意外と起きているのも辛かったりする。
そんなヘリオンの姿に幾ばくか表情を緩める。
「じゃあ、私達は訓練に言ってくるからその間大人しくしてるのよ。」
小さく頷いたヘリオンに満足げな表情を浮かべ立ち上がるヒミカ。
部屋の中にいた他の面々も口々に応援やら冷やかしやら言葉を掛けるとさっさと部屋から出て行く。
最後にヒミカが「おやすみ」とだけ言葉を残し扉を閉めると途端に眠気が襲ってきた。
「ふあぁぁぁ~あ」
思わずでた大きな欠伸に赤面する。

思わず辺りをキョロキョロと見渡してみる。
(誰も見てませんよね……)
誰もいないことにホッと溜息をつくと―――
「…………クス」
天井から小さな笑い声が響いた。
赤面した顔を弾かれるように上に向ければ一対の瞳と出くわす。
天井に空いた小さな隙間から覗く目。
じー、と見詰め合う目と目。
と、唐突にいなくなる。
ただ、空いた穴からワインレッドの髪がちらりと見えたのは錯覚ではないはずだ。
「はぅ……」
小さく溜息をつくと、頭からシーツを被り白の海へと潜り込む。
ほどなくして心地よい眠気と共に夢の世界へと落ちていった。


不意に感じた人の気配に意識が浮上してくる。
目を開けば目の前は白……ではなく夕焼け色。
これから察するに随分な時間眠っていたようだ。
もぞりと体を反転……させようとするがシーツが突っ張って反転できない。
(…………ほえ?)
そんなに体に巻きつけてるかな?と思いシーツから顔を出してみる。
シーツを見渡す、別段異常は……な……い……。
「えぇぇ……むぐ」
叫びそうになる口を両手で押さえる。
反動でツインテールがぽよぽよと揺れた。
異常があった、それも大きな異常だ。
じー、とそのシーツの上に突っ伏している物体を見つめてみる。
尖った硬質の針金を思い起こすような髪質。
あどけないながらもキリリと引き締まった顔立ち。
ただ、よだれがちょっと垂れて汚い。

こんな特徴的な姿を持つのは知ってる中でただ一人。
「え……えと、ユート様?」
恐る恐る呼びかけてみる。
耳がぴくりと動く、と同時にゆっくりとだが瞼が開いていく。
ゆっくりと体を起こすと欠伸と共に大きく伸びをする。
「ん~!おはよう、ヘリオン」
ふやけた顔で挨拶されて思いっきり動揺するヘリオン。
「え、えと、あの、そ、その、お、おはようございます、ユート様」
案の定言葉がひきつりまくりのどもりまくり。
そんなヘリオンの姿にユートは―――
「おやすみ、ヘリオン」
また寝た。
「って、ユ……ユート様!起きてください!」
ゆさゆさ、ゆらゆら。
小一時間揺すられ続けてようやく覚醒してくる悠人。
「ふあ……おはよう」
「あ、えと、おはようございます……って、じゃ、じゃなくてです!」
寝ぼけ眼を擦りながら体を起こす悠人と赤面してるヘリオン。
「ど、どうしてユート様がここにいるんですかぁ!」
「どうしてって……お見舞い」
さらりと言う悠人の二の句が継げなくなる。
「ヒミカから聞いたけど風邪、引いたんだって?気をつけろよ、風邪は万病の元って言うし」
しみじみという悠人、けれどヘリオンは別のことを考えていた。
(あわわ、ユート様と二人っきり……しかもわたしの部屋)
さっきから心臓がドキドキバクバク、顔の熱もあがっているような気がする。
救いを求めるように辺りを見渡してもやっぱりいるのは悠人ただ一人と自覚するだけ。
最大限できることといえばシーツで顔を隠すこと。
けれど半分だけ顔を覗かせて悠人を観察している。

と、唐突に悠人がこちらを向く。
「ん、顔が赤いな。熱あるのか?」
言葉とともにコツンと額に振動が響いた。
(……え?)
目の前に悠人の顔、しかもドアップ。
おでことおでこが引っ付きあい互いの熱を吸収している。
今の状態を認識すると同時に身体全体がゆでだこのように真っ赤になる。
「………ユ……ユート様?」
「うわ、凄い熱じゃないか!」
悠人が叫ぶと同時におでこのひんやりとした感触が遠のく。
(あ……)
ただ少し恥ずかしいけどもこのとき名残惜しいと感じてしまった。
「ちょっと待ってろ!」
扉を荒々しく開けて出て行った悠人だがすぐに戻ってきた、その手に洗面器を抱えて。
「とりあえず冷やさないとな」
タオルを水に浸してから絞るとゆっくりとこちらの額に乗せてくる。
ひんやりとした感触が熱を吸い取ってくれる。
(はう……気持ちいい)
表情が緩やかになって安心したのか悠人は「じゃあ、エスペリアを呼んでくる」と部屋を出て行こうとする。
けれど、なんとげなしに呼び止めてしまっていた。
「あ……あのユート様」
呼び止めに不思議そうな顔でこちらを見てくる悠人。
ただ、なんとなく呼び止めてしまっただけなので会話はないのだが……。
「えーと、あの、ユート様はどうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」
「え?」
「わたしたちは……その……スピリットですし」
例え一時でも戦えないスピリットは処刑されても文句はいえない。
ただ、これに対するユート様の答えならなんとなく分かっている。
でも、一度聞いておきたかった。

「家族だから……かな」
少しの間逡巡していたようだが悠人はキッパリそう言った。
「もともと俺も、エトランジェで人じゃないし、スピリットとそう大差ないしな。
 それに一緒に戦う仲間だ。家族といってもいいんじゃないか」
照れくさそうに笑う悠人、それを見つめるヘリオン。
「やっぱり、ユート様はユート様ですね」
あははと二人して笑いあう、と「くちゅんっ!!」とくしゃみの音。
悠人も話を切り上げるとエスペリアを呼びに出て行ってしまった。
後に一人ぽつんと残されたヘリオン。
ただ、その心のうちには何か温かいものが蟠っていた。
(家族……かぁ)
ムフフと小さく含み笑いをするとシーツの中に潜り込む。
ほどなくして襲ってきた眠気にそのまま身を任せた。
(今度はいい夢が見れるかなぁ……)

翌日、ヘリオンの風邪は完治し元気にドジっ娘ぶりを発揮していた。
だが、一方悠人の方はと言えば―――
「へ……へックショイ!!」
思いっきり風邪を移されていた。
「か……風邪は移すと治るっていうのは本当だったんだな……ガクっ」
精も根も尽き果てベッドで倒れる悠人。
『……情けない』
頭に響く『求め』の声がやけにこびりついた。