ラキオスに訪れた夏

「暑い……一体どうしちまったんだ、今年のラキオスは……」
本来なら一年を通して、常春と言って良い位の気候だっていうのに、この暑さは異常すぎる。
しかも、ただ気温が高いだけじゃ無しに、湿度も高く蒸していてどんどん不快指数が上がっていく。
けれども、なんだかこの蒸し暑さに懐かしさを感じるのは俺の気のせいだろうか。
「まるで、日本の夏みたいだ……」
戦装束と上着を脱ぎ、シャツとズボンだけになって首からタオルをかけ、
椅子にもたれていると、ここが異世界であるという認識が薄れていく。
「そうだろうそうだろう、その顔を見ればなかなかに懐かしさを満喫してもらえたようだな」
隣に同じ様にシャツ一枚にズボン、あまつさえ裸足になってタオルの代わりに
数珠をぶら下げ、馬鹿でかい剣を持った男だけがいる事も、その感覚に拍車をかけていた。
ああ、クーラーもつけないで我慢大会をした事もあったっけ……
って、剣を持ってる男の何処に日本を思わせるものがあるんだ。さらにそれよりも。
「いや、待て光陰。お前いつの間に俺の部屋に入ってた」
「ふふ、暑さでボーッとしている所に『因果』の力を使って忍び込めば造作もねえ」
「そうかよ……ところで、まるでこの暑さの原因に心当たりがあるみたいじゃないか」
「ああ、俺がやった。『蒼の水玉』と『炎の祭壇』、アクセントに『常緑の樹』を建てて見事に
日本の夏の気候を再現する事に成功したんだ。というか、悠人の指示でやった事にしたからな。
なにしろ、施設の建設権はお前にあるんだから」
自らも暑さで額から汗を流しながら、事も無げに言ってのける光陰。
それを聞いて俺の顔からは暑さによるものではない汗が吹き出し始める。
「な……何のために?」

「もちろん、懐かしき日本の夏を堪能するため、そしてハイペリアに興味津々のみんなに
この気候を体験してもらうために決まってるじゃないか」
光陰のやけに爽やかな笑顔を見て、即座にその言葉の中に含まれる真意を読み取る。
というより分からないほうがどうかしてる。
「単に、暑かったらみんなが薄着になるだろうって魂胆だろうが!
エーテルの無駄遣いは厳禁だって釘をさされてる所だって言うのに
なんてことをしてくれるんだよ!まあ、施設に使った分なら撤去すれば何とかなるけど……」
ヨーティアの言う、マナに還らない一部のエーテルが出てしまうかもしれない事に変わりない。
だっていうのに、光陰は更に予想外の事を口にし始めた。
「なに、要は無駄遣いと思われなきゃいいんだ。
その為に、この気候にぴったりの『訓練施設』の建設も既に終わらせてある」
そうほざく光陰の目にきらりと光が灯る。先ほどの爽やかな笑みの裏側にあるものが凝縮されたような光だったが。
強調されて発音された『訓練施設』の響きによって、すぐにその正体に思い当たった。
「……おい、まさか」
「全身運動、有酸素運動が的確に行われ、身体の訓練に最適!そしてこのぐったりとする暑さを吹き飛ばして
士気の向上にも繋がる『訓練施設』という触れ込みで天才の姉ちゃんに頼んだら快く承諾を得られたぜ」
「ヨーティアまで、何考えてるんだ……」
クラクラする。きっと暑さが原因なんかじゃない事だけは理解できる。
かくんとうなだれている俺に光陰は追い打ちをかけるように続けて言った。
「ちなみに悠人がデザインしたと言う事で、専用の訓練服も注文しておいたんだがな」

「待てっ、お前の趣味に俺を巻き込むなっ!
どうせアレだろっ、紺色で、厚ぼったい生地のアレを作らせたんだろうが!?」
光陰のシャツの襟元を掴んでがくがくと揺さぶったが、決して動じる事なく溜め息をつくだけだった。
「いんや、とりあえず最後まで聞いてくれ。
そうしたいのは山々だったんだが、説明をしている所で今日子に見つかっちまってなぁ、
訓練用のは規格物の競泳系ので統一されちまったんだ。
だけど、それだけじゃ楽しくないのは今日子も一緒だったようでな、
自由時間用にもう一着、今日子たちがそれぞれの好みで作る事になった」
ピタリ
光陰の言葉に反応して揺さぶる手を止めてしまう。
ニヤリと笑い、光陰は襟にかかった手を外しながら話し続ける。
「それで、俺たちも自分の分を作らなくちゃいけなくなって悠人の意見を聞きに来たんだ。
とりあえず、トランクスとビキニパンツと褌と。どれにする?」
「……トランクス」
「まあ、そうだよな。さすがに俺もみんなに引かれるような大胆さは求めんさ」
思えば、暑さでどうにかしていたのかもしれない。それか、単に興味と欲望に負けただけなのか。
かくして本日、ラキオス城に特別訓練施設「プール(25m×6コース)」が加わることとなった。

「へぇ、自分で作っといてなんだけど、結構気持ちの良いもんじゃないか」
「あのさ、ヨーティア。施設の影響で蒸し暑いのは俺たちだけのはずなんだけど」
マナによって構成されている俺たちエトランジェとアセリアたちスピリットはまともに施設の力を受けて
異常気象ともいえる暑さを体験しているけれど、人にとってはそれほどの影響は出ないはず。
にもかかわらず、ヨーティアはちゃぷちゃぷと足をプールにつけて遊んでいる。
あまりの暑さに耐えかねて、初めての自由時間に一番乗りで泳いでいた所に乱入してきたわけだが、
その気だるげな様子はとても光陰から聞いた説明だけでプールを作ってしまった天才だとは思えない。
「ははっ、固いこと言うんじゃないよ。ユートだってただ単にでっかい水風呂で遊んでるだけじゃないか。
たまたま暇になれたんだから、ちょっとは自分の作った物を試してもバチは当たらないよ」
「いや、まあそりゃ今は訓練もしてない自由時間なんだけどさ……」
他に娯楽らしい娯楽も少ないここで、暑さを紛らわせる手段があるというだけに
俺も含めて、みんな自由時間のほとんどをここで過ごす予定になっている。
一応、こんな所でも名目上は訓練施設なため、一見遊んでいるようでも自主訓練と見られるように
手配していた光陰の抜かりの無さには感謝するしかない。
……まあ、目の前のヨーティアにはバレバレだけども、
自分が息抜きできる場所を見つけたことでお咎め無しなのだろう。
「しかし、ハイペリアの風習に触れる事ができるのは貴重な経験だけど、水遊びをするための服があるとはねぇ。
技術者連中も驚いてたよ、これがハイペリアの訓練服なのですか?だってさ」
「とりあえず、水の中専用だけどな」
下手に説明を始めるとややこしくなりそうだったので話をあわせておき、
ヨーティアをその場に残してプールサイドに上がる。

時間は昼過ぎ、暑さもピークに達する頃でそろそろみんなもやって来る。
まだ水泳という行為に慣れていないみんなに危険が及ばないように、
俺たちは監視員めいたことをしないといけない。
「……ん?」
設置された監視台にかけてあるシャツを取って、頭から被ろうとした所で妙な視線を感じる。
振り返って目をやると、にやにやと口元を緩めてこちらを眺めているヨーティアの姿があった。
「なっ、なんだよっ」
「いやぁ、改めて見ると随分鍛えてあると思ってなぁ、何せ、『あの時』はしっかりとは見なかったもんだからさ」
からかうつもりなのだと思いたいけれど、その笑みを妖艶なものに変えてこちらに近づいてくる。
その言葉に思い当たって、意識とは関係なく顔が赤く染まるのが分かった。
「ば、馬鹿なこと言ってないで、さっさと上がれよっ、そろそろ他のみんなも来るんだからっ!」
明らかに照れ隠しだと自覚しながらも手早くシャツを着込む。
ホイッスルがあれば完璧だがそこまでは用意できなかったらしい。
情けないとは思うものの落ち着きを取り戻せないまま、逃げるように監視台に上がって腰を下ろしてしまった。
「へーいへい。それじゃ、また次の機会にな」
結局、ヨーティアは最後までにやにや笑いを止めないまま気だるげに戻っていった。
数少ない息抜きの時間だったのかもしれないのに、追い払うようにしてしまった事は少し悪かったと思う。
とは言え、みんながやって来たあとの騒がしさを考えると今のうちに帰ったほうが良いだろう。
「ただでさえ、みんなが自由にプールを使えるのは始めてなんだしな」
ふと、無意識に訓練用の競泳水着に身を包んだアセリアたちの姿が目に浮かんだ。
光陰や俺が変な気を起こさないようにと、今日子が徹底して露出度を排除してくれたおかげで
ほとんど全身を覆うタイプのものになってしまっていたのだ。
あんな競泳選手の一部が着るようなデザインに色気を感じられるほど
俺も、そして光陰でさえもマニアックな趣味をしているわけじゃない。
まあ、体の線ははっきり出てたんだけど……って、落ち着け、俺。

初めての自由時間。すなわち、みんなが作った……というか今日子の知識にある中から選んだ
と言う方が正しいだろうけど、とにかく、あれ以外の水着姿を見る事になる。
気にならないなんて悟った事が言える筈も無く、言ってしまえばさっきから期待に胸が躍りっぱなしだ。
「あ、洗体漕とシャワーの点検もしないと」
逃げ込んだ監視台から降りて出入り口へと近づいていく。
光陰の説明で作られたプールはかなりの部分が学園によくあるものに酷似している。
入り口を進んでいって洗体漕で腰まで浸かり、シャワーで全身を流し、
その後にプールに到達するという作りのアレだ。
こうして見るとこの中は完璧なまでに地球の光景を再現していて、
本当にここがファンタズマゴリアだってことを忘れかける。
いや、まあそれも。
「ねーねーユートさまっ、もう入ってい~い?」
「ですか~?」
「あーっ!オルファが一番乗りなんだからネリーたちは後だよっ!ねっパパ!」
「オルファ、まずはシャワーを浴びてからだと言ってるでしょう。
それに誰が最初でも同じです。ユートさまからも仰ってください」
「あ、ああ、ちゃんとしないと、みんな入れてやらないぞ」
こうして、日本じゃまず見られないほどの美人が揃ってることで現実に引き戻されるわけだけど。
「……パパ?どうしたの?」
「え、いや、なんでもない。それじゃシャワーを出すからみんな進んでくれ」
第一陣はネリーにシアー、オルファとエスペリアか。
歓声を上げながら洗体漕を抜けてシャワーへと突入するのは年少組のお約束だろう。

「パパー、どう、この『ミズギ』、オルファにぴったりだよっ」
「へっへーん、ネリーの方が似合ってるよ~だ。ほら、シアーも見てもらいなよっ」
「ね、ネリー、引っ張らないでよぅ~」
そのままの勢いでシャワーをくぐり抜けて、年少三人組が水着姿を見せびらかしにきた。
赤を基調にボーダーを入れて星模様を散りばめたセパレートタイプに身をつつみ、
上の水着のすそからおへそをちらつかせながらポーズをとるオルファの横で、
淡い青の地に濃い青で小さな雪の結晶の柄を一面にあしらっている、同じくセパレートを着こなして
オルファを睨みやるネリー。肩紐がオルファのものとは違って背中で交差するようにつけられているのが
対抗意識の現われなのだろうか。さらにその二人の後ろに隠れるようにしながら俺の様子をうかがっているシアーがいた。
薄い青の生地に白とピンク、そして濃い目の青でチェック柄をつけたワンピース、
足の付け根を隠すようにミニスカートをプラスしているのが奥ゆかしく、
また、胸元とスカートの腰についたリボンがポイントらしい。
「えっと、うん、三人とも良く似合ってる、と思う」
まんま「お子様用」に見えてしまう事は伏せておいて感想を言うと、
シアーだけは恥ずかしげにはにかみながら、トテトテとプールサイドを歩いていったけれど
残りの二人はどうあっても優劣をはっきりさせないと気がすまないらしい。
「ねーえ、パパァ、オルファの方が似合ってるよねー」
「この暑いのに赤いやつを着てたらよけいに暑く感じるよっ。
やっぱりくーるで涼しそうなネリーの勝ちだねっ」
バチバチと視線に火花が散るように牽制しあいながらじわじわと俺の方に詰め寄ってくる。
「あー、えーっと……」
答えあぐねてじりじりと押されるように後退する。
どっちかを立てたところで後に待つのはもう一人の方の怒りの抗議だ。
どうにか丸く治める方法を考え付かないかとエスペリアに視線で助けを求める。

そっと頷いて俺の視線の意図を汲んでくれたエスペリアがオルファとネリーの間に入った。
「二人とも、いくら水着が似合っていてもケンカをしているようでは台無しです。
褒めてくださった事が帳消しにならないうちにお終いになさい」
エスペリアに窘められるとさすがの二人もとりあえずは大人しくなってくれた。
最後に息を合わせて(?)そっぽを向き合うとシアーの元へと駆けていく、……って。
「こらっプールサイドを走るんじゃなーい!」
「あっ、ごめんねパパー!」
「ユートさまごめんなさーいっ」
ててっと俺の声に反応して少しだけ速度を緩める。しかし二人はそのままざぶんとプールに入ってはしゃぎ始めた。
「飛び込みもダメだって言ったろうに……」
「す、すみませんユートさま。後でしっかり言って聞かせますので……」
「いや、まあこれだけ暑けりゃ仕方ないけどな。俺だって子どもの頃何回怒られたかわからないくらいだし」
まぁ、とくすくす微笑むエスペリアを見て、そこでようやく彼女の格好に注意が向いた。
ハイビスカスによく似た柄の入ったワンピース、緑と赤のコントラストが白地にちょうどよく映えている。
腰に太ももを隠しきる大判のパレオを巻きつけているのは、
普段から脚を見せない服を着ているエスペリアらしいと言える。
でも、膝から下の白い素足やふくらはぎはしっかりと見えているわけで、なんとも新鮮な感じがする。
「ユートさま、あの、すみませんがじっとご覧になられると……
それに、先ほどからキョーコさまとコウインさまもお見えになられておりますし」
「えっ!?」
慌てて振り向くと、エスペリアの言葉どおりに監視台の所で
にやにやと笑っている光陰と、ジト目で俺を睨み付けている今日子の姿があった。
それでは、オルファたちを見てきますから。と離れていくエスペリアと入れ違いに光陰と今日子がやって来る。

「やれやれ、どうやら一足遅かったか。水の中じゃそれほどしっかりとは見られんからなぁ」
「アンタねぇ、それじゃ誰に監視がいるのか分からないじゃないの」
俺と似たような格好の光陰は割愛。
今日子の方は、下はいつものようなスパッツタイプの水着を着ていて、
上半身はTシャツの裾をお腹の上で結んでおへそを出し、少しでも涼しいように工夫している。
シャツの下にはタンクトップ系の水着を着込んでいるらしく、薄く黒い色が透けていた。
「それにしても、今日子、よくみんなにいろんな水着を作らせるなんて思いついたな」
「いやぁ、別に考えがあったわけじゃないんだけどね、
やっぱり同じような服ばっかじゃみんなもつまらないだろうなって。
でもね、別にアンタたちを喜ばせるためにやったんじゃないんだから
その辺はよく肝に銘じておくこと。さもないと……分かってるわよね」
今日子の瞳に危険な光が灯る。万が一ここで電撃なんかを出されようものなら全員に被害が及ぶ。
口元を引きつらせた光陰がへらへらと笑いながら頷くのに合わせて、同じように頷いておいた。
「よーし、それじゃアタシは先に遊んでくるから、アンタたちはちゃーんとみんなを見といてあげるのよ」
「はぁっ?おいちょっと待てよ今日子。俺たちだけ泳げないのかよ」
「悠はもう泳いでるでしょ、髪の毛見たら分かるもの。
それに光陰をこの娘たちと一緒に入らせたら何しでかすか分かんないし」
言いながらさっさとプールの方に向かって歩き出していく今日子。
「そりゃねぇぜ今日子、野郎二人でプールサイドにいたってしょうがねえだろうが」
なおも食い下がろうと光陰が一歩を踏み出した瞬間、今日子はTシャツの結び目を解いて脱ぎ捨てる。
「……!」
予想通りのタンクトップだったのだけれども、露わになった背中に目を奪われた光陰が足をとめた次の瞬間、
既にプールの中にはからかいを含んだ笑顔を光陰に向けている今日子の姿があった。
光陰は光陰で我儘には慣れたという顔で苦笑いを浮かべ、オルファたちに近い位置の監視台に向かっていく。
どうなっても知らないという事にして、俺は他のみんなを待つ事にした。

「アセリア殿、ヒミカ殿、お手柔らかにお願いします」
「ん……負けない」
「ええ、それじゃナナルゥ、号令と判定をしてもらうけれど……本当にいいの?」
「はい、みなさん頑張ってください」
第二陣、シャワーを終えたアセリア、ウルカ、ヒミカ、そしてナナルゥが飛び込み台の前に並んだ。
「ナナルゥ、アセリアたちは何をするつもりなんだ?」
念入りに準備体操をしている三人に話し掛けるのも悪い気がして、
一目見たところでは三人をぼうっと見ているように思えるナナルゥに声をかける。
実際には呆けていることなんか無しに即座に俺の声を聞きつけて、
すう、とナナルゥは顔を俺の方に向けなおして答える。
「競泳です。前回の訓練時に基本は押さえたので、試しに比べてみようという事になりました」
「ふぅん、それじゃあオルファたちにコースを空けるように言わないとな」
プールの中に目を移そうとしたその時、ちらちらとヒミカが俺に目線を送るのを感じた。
俺が気付いたのを確かめると、次には目をナナルゥに移動させる。……なるほど。
「今日子、光陰、オルファとネリーを、1コースから4コースに入らないように見張っといてくれ」
シアーは別に注意しなくても状況を見て動けるだろうからな。
「ユート様、コースが一つ多いようですが」
「ああ、号令と判定だっけ。それ、俺がやるからナナルゥも一緒に泳いできていいぞ。
そういうのも俺たちのやる事にして構わないしさ」
「……ですが、私の服装は競泳に適しているわけではありません」
そっと、自らの視線を下に向けてナナルゥが呟く。
確かにナナルゥの着ている水着は背中側で幾重にもストラップを交差させて留める形の、
胸元と腰にフリルをあしらえた可愛らしい薄いピンクのワンピース。
結構着やせするんだなぁと、押し上げられた胸元を見てしまい
無意識に緩みかけた頬を引き締めた所で他の三人にも目を向けてみる。

薄手で水色の生地に、右胸にワンポイントの花柄がついただけのワンピースを着ているアセリア、
前から見ると普段のレオタードと変わりないけど、背中側が実は大きく開いている水着のウルカ、
スピリットたちの中で一番の身長を誇り、そのすらりとした脚を強調するハイレグカットを施し、
ちょっときつめなんじゃないかと思うくらい身体にピッタリと張り付いてるフィットネス水着を身につけているヒミカ。
そう言われてよく見比べればナナルゥの格好で速さを競っても明らかに不利っぽい。
「……?どうした、ユート。わたしたちの服、どこかおかしいのか」
「い、いや、そんなことは無いけど。三人とも、何と言うか、実用性に富んだ水着だと思って」
いけない、あまりに視線を送りすぎてしまったようでアセリアが俺に近づいてきた。
少しばかり混じる興味本位の目線に気付くことなく、自分の水着の選び方が間違っているかもしれないと
落ち込みかけるその姿を見せられるのには非常に罪悪感を覚えてしまう。
「普段の服に似ておれば動きやすいのは道理でありましょう。
涼もとる事ができ、なかなかに便利です」
ふ、と口元を緩めるいつもの笑みを浮かべるウルカ。
よく考えれば、普段からこれくらいの大胆な格好をしていることに今さらながらに思い当たる。
まずい、これから先に顔をあわせればきっと今の格好が頭に浮かんじまいそうだ。
「ナナルゥ、ユート様もああ言っておられるのだからあなたも泳いだらどう?」
というヒミカの声に、軽く熱を持ちかけた思考が現実に戻ってくる。
「うん、別に本気で順位を決めたりするわけじゃないんだから、
有利か不利かとかで考えるんじゃなくてさ。ナナルゥがやりたい事を優先していいんだぞ」
さっきからのヒミカの様子じゃ、単に遠慮してるだけみたいだし。
「私のしたいこと……」
俺に言われて、ナナルゥはしばし俺の顔を見続けた後、
「ユート様、合図をお願いします。それと、最後まで見ていてください」
微かに目元と口を笑みの形に動かした、ような気がした。

三人に遅れて準備運動を始めるナナルゥを見やっていたかと思うと、ヒミカが俺に軽く頭を下げる。
「ありがとうございました、ユート様。私があれ以上いうと無理に泳がせるようになってしまって」
「いや、別に礼を言われるほどの事じゃないよ、
単にこの暑いのに泳がないのはきついだろうなって思っただけだし」
引き締まっているにもかかわらず柔らかそうな、全てが露わになっている太ももと、頭を下げた瞬間に水着の胸元から
ちらりと覗けた谷間から目をそらしきれずに、誤魔化そうとして思わず口調も固くなってしまう。
何とか視線をヒミカと同じ様にナナルゥの所に持っていったところでちょっと疑問が湧いた。
「ところで、ナナルゥの水着は誰が考えたんだ?確かに似合ってるけど……」
なんだかナナルゥらしくないと言うか。もっと実用一辺倒のか、訓練用の奴のまま来るような気がしてた。
俺の言う事を察したのか、ヒミカは妹の成長を見守る笑みを俺に向けた。
「いえ、あれはナナルゥが自分で。似合うと言ってくだされば喜ぶと思います」
戦いの時は凛々しく、こういう時には実に優しさに溢れるそのギャップにどきりとさせられる。
しかしヒミカはその笑顔を不意ににやりとしたものに変えて、
「ですが、あまりにじろじろと見ていると快くは思わない者も
いますでしょうし、ほどほどにしておいた方がいいですよ、ユート様」
くるりと踵を返してプールの中に入っていってしまった。
そりゃ、目線に気付かれない方がおかしいよな……
「ユート、顔が赤い」
「あ、暑いからだっ、ほら、もうそろそろスタートの合図をするぞっ」
「承知。アセリア殿、参りましょう」
それに。何となくだけど、ヒミカの言葉に二重の意味があるような気がするのを無視する事が出来なかった。

100m自由形の結果、健闘したナナルゥだったけど、体力の差からほぼ同着の三人からは少し遅れていた。
それでも、最後にプールから上がってきた時の雰囲気は満足そうだったのが印象的だった。


競泳を終えた後でも、流すように泳ぎ続けるアセリアたち。
今日子と一緒になって水のかけ合いをして遊んでるオルファたち。
その様子をプールサイドで眺めている光陰とエスペリア。……視線にこもる感情は別のような気もするけど。
三つの場所に分かれている風景を見ている所に、どうやら新しく入りにきた人物がいるようだ。
「二ムとファーレーンにセリアか。まだ空いてる場所はあるけど、何をするかで場所取りを考えないといけないぞ」
声をかけつつシャワーの栓を開けた。くぐり抜けるようにシャワーを浴び終えたセリアは、
俺が気付いたときには濡れた身体を隠すように、腿まで丈がある大きめの白い綿のTシャツを着込んでいた。
「あれ、セリアは泳がないのか?」
「泳ぐつもりはありませんから、どうぞお気遣いなく。水の側で涼みに来ただけです」
俺の目線に気付くと、セリアはそう言いながらキツイ視線を送ってくる。
どう控えめに解釈しても、「あなたが見てる前で水着姿になれると思っているのですか」という所だろう。
シャツの裾からはみ出している脚に目をやってしまえばさらに視線の温度が下がるに違いない。
「ユート、いつまでシャワー浴びてればいいの!もう入っていいんでしょ!」
「ああ、もう止めるよ。まあ、泳ぎたくなったらいつでも泳げばいいからな」
ぷい、と頷きも断りもせずに足を進めていくセリアの後姿を見ながら、シャワーを止める。
シャワーを終えたニムントールが近づいてきて、ポツリと呟いた。
「セリアのお尻見てるでしょ?言いつけてやるんだから」
「そんなことするかっ、命がいくつあっても足りやしないじゃないか」
慌てて声のした方に向き直り、その姿を確認する。
濃い緑色をした、フロントジップアップのワンピース。
ジッパーを下ろせばおへその辺りまでぱっかりと開いてしまいそうだ。
しかも、背中側は真ん中くらいまでが細いラインになっているため、肩甲骨が丸出しになっていて
ウェイトリフティングのユニフォームを想像させる。
「そうよ二ム、ユートさまがそんなことをするはずないでしょう」

ニムをたしなめながらやってきたのは、肩紐が無いワンピースに身を包んだファーレーン。
しかも、背中から見ればワンピースには見えない位に大きくバックの生地がカットされていた。
色は薄紫で、所々に藤のようなプリントが施されている。
ただ、たしなめると言うよりは、暗に俺が根性無しだと言うような含みがあったんだけど……
「でも、なんかお姉ちゃんを見る目つきがやらしい」
「え……」
目を細めて俺を睨みつけてくるニムに、頬を染めるファーレーン。
「だ、だから、そんなこと無いって!」
ぶんぶんと手を振って否定はしてみるが、自分でも説得力に欠けると思う。
何と言っても肩紐が無いんだ、つまりはその、
ワンピースなのに胸のふくらみの始まる所がばっちりと……
って、ダメだダメだ!見る見るうちにニムの表情が険悪になっていく。
「……お姉ちゃん、ユートなんか放っといて行こうっ」
「え、でもニム、あなたユートさまに見てもらうって……」
「いーのっ!ちょっとお姉ちゃんが大胆なのを着てるからって……知らないっ」
ぐいぐいとファーレーンを引っ張ってさっさとプールへと向かっていってしまう。
それを追って視線を動かした先に、じっとこちらを冷ややかに眺めているセリアの姿があった。
視線が合ったと理解した瞬間に、彼女からはまたしてもさっと目をそらされてしまう。
うわぁ……ほんとに注意しとかないと何を言われるか分かったもんじゃないな。
しかしその時、ニムとファーレーンを追うことを断念した俺の耳に入ってきた言葉は。
「大胆って、わたしの水着なんてキョーコさまたちに比べればまだ普通くらいでしょう」
……なんだって。
今の所、たしかに今日子の奴のが一番露出度が高いだろう。おへそも丸出しだし。
でも、キョーコさま『たち』ってことは、他にも……?
まだ来ていない人物に思いを馳せたその瞬間に。

「ユートさまっ、シャワーをお願いしますっ」
ぱたぱたぱたっと子犬のように駆けてくる人影が。声からしてもきっとヘリオ、ン……ッ!?
「な、何て格好をしてるんだよっ」
振り向いた俺の目に飛び込んできた映像は。
まだシャワーを浴びずに、洗体漕に浸かっただけなので、腰から下が濡れて光っている。
水分を含んでいるために上半身よりも下半身が濃い色に見える。
基本の形はワンピース。ほんの僅かに、腰の部分に存在するスカートのような布地。
大部分は濃紺。胸の所に白い長方形のあて布。……紛れも無い、旧式スクール水着だ。
ご丁寧に、たどたどしい平仮名で『へりおん』と名前まで書いてある。
「え、何て格好って……この水着、ユートさまがデザインをしたって聞きましたよっ!?」
途端に顔を不安に曇らせて自分の水着に手をあてるヘリオン。
慌てて、今日子の方に顔を向けて確認を求めると、目を丸くして首を横に振っていた。
「な、なあヘリオン、今日子からそれを止めて別なのにしろとか何とか言われなかったのか?」
「だって、キョーコさまが自分の好きなようにしなさいって仰ったんですから、
わたしの好きなようにするならユートさまが作ってくれたのが良かったんですよぅ」
胸元で腕を縦に振りながら力説するヘリオン。
ピコピコと揺れるツインテールと、幼さが残る身体とが相まって、
可哀相なくらいに似合いすぎていた。今さら着替えろなんて俺に言えるはずも無い。
たとえ向こうで、企みが的中して小躍りしそうなほどにを鼻の下を伸ばしてる野郎がいたとしても、
……似合っているのは、事実なんだから。
初めに言われたとおりにシャワーを出して、ヘリオンがそこを潜り抜けると、
「それで、ユートさま。その……に、似合ってますか……?」
足を軽く交差させて立ち、手を後ろに組んでささやかな胸を張り、上目遣いで尋ねてくる。

ただ似合ってると言うことは簡単だけれど、そんな風に言えば今日子からきつい一発を貰いそうで危険だ。
再び返答に困り、助けを求めて周囲を見回してはみたものの、毎度毎度そう都合よくいく訳もなかった。
何しろこの水着が『そういうもの』だって考えられるのは俺と光陰と今日子くらいなもので、
他のみんなにとってはただの露出度の低い厚ぼったい水着なだけなんだから、
何も感想を言わない俺が悪いと言うような雰囲気まで出てしまっている。
「……やっぱり、ダメなんでしょうか……」
あぁ、まずいっ、俺が何も言わないもんだからヘリオンの顔が落ち込んでいく。
何か、かけるべき言葉は無いのかっ!?……あぁ、だんだんと俺もパニックを起こしている。
この状況をどうにかしてくれるなら誰だっていい、
そう思いかけたときにまた一人の声が新たに聞こえてきた。
「ユートさま、お邪魔しまぁす」
この、ゆったりとした響きは。俺は縋るようにその声の方向に顔を向けた。
「ああ、ハリオンか。そうだっ、ハリオンはヘリオンのこの格好をどう……」
……
…………
………………なんだ、コレは。
目が捉えたものをすぐに認識できない。自分の記憶を思い返して、自らの間違いを理解した。
何が、競泳水着で身体の線が出ている、だ。あれでは水着という檻に自らの肉を押込めたに過ぎない。
身を束縛する牢獄の代わりに今の彼女を包む物は、黒の三角ビキニだった。
首と背中を紐で留めるだけのトップに、ボトムも紐で留めるタイプのもの。
普段着の上からでもわかる豊満な身体を申し訳程度に隠して、一見恥ずかしがる風も無く歩いてくる。
目の前にある光景は、衣服という檻からの解放に歓ぶ肉体のダンス。
ハリオンが一歩足を進めるたびに、たゆんたゆんと豊かな双丘が震えているのが目に映る。


「えっとぉ、それじゃ失礼しますねぇ」
すたすたと俺の横を通ってシャワーを出して、同じように戻って水を浴び、
再びハリオンが栓を捻ってシャワーを止めるまで、俺は馬鹿みたいに固まっていた。
とは言え、それはどうやら俺に限った事ではなくてハリオンの姿を視界に収めた全員が、
そのあまりと言えばあまりな出で立ちに思考を中断させているようだ。
「あの、ハリオンさん?」
何とか真っ先に気を取り直したはいいけれど、思わずさん付けで、しかも裏返った声で名前を呼んでしまう。
咳払いをしてどうにか声の調子を戻した俺の目の前に、首をかしげるハリオンが近づいてきた。
「一体何でまた、どう言ったらいいのか困るようなものを……」
なるたけ彼女の顔だけを視界に収めるように努めながら話し続ける。
その努力を分かっているのかいないのか、
全く気にした様子も無くにこにこと微笑みながらハリオンはパタパタと手を振った。
「いえ、それがですねぇ、ユートさま。訓練をするときの服だとどうしても、
色ぉんなところが窮屈でして~。ですから、もうできるだけ楽に着けられる物にしちゃったんですぅ」
あっけらかんと言ってしまうハリオンに、その場にいた全員からのさまざまな視線が向けられる。
「そりゃ確かに……涼しそうだし、楽そうだなぁ」
思わず目線を下に向けて呟いてしまう。
ハリオンの動きに同期する身体の一部分から目を離せないまま見続けること数秒。
はっと気付いた時には、視線の矛先は全て俺に向いていた。
「い、いや、コレは単に涼しそうでいいなあと思っちまっただけで、
特にやましい意味なんか無いんだからなっ!?」
何とか誤魔化すようにそう口にした後、視界の端に、
光陰が呆れたように口元をゆがめるのが映ってしまった。
いつもは、俺が光陰の自爆を目の当たりにした時に浮かべる表情だ。
つまり、今のは自爆ってことなのか光陰!?

全身から血の気が引くのを自覚しながら、いやそれでも一部分には集中しているような気が……じゃなくてっ!
更なる弁解の為にハリオンの方に顔を向けた瞬間。
「やんっ、ユートさまったらぁ、そんな目で見ちゃ、めっですぅ」
ぐきっ
ハリオンは既に聞く耳持たないって感じに照れながら頬に手を当て、
もじもじと身体をくねらせながらもう片方の手で俺の顔面を力いっぱいあさっての方向へと捻じ曲げた。
痛みに悲鳴を上げる間もあればこそ。無理やり顔の向きを変えられた先では非常にまずい事態が進行中だった。
「あ……ヘリオン……」
忘れてたという事になっちまうよな、これは。
地面を見つめ、涙をこらえながらぼそぼそと何事かを呟いている。
「ど、どうしたんだ、一体」
「似合うとか似合わないとかじゃないですね……
わたしがちっちゃいから、スタイルよくないから……」
唇を軽く噛み締めながらの恨めしそうな視線を向けられてしまい、
首の痛みとヘリオンの視線と周囲からの圧力が俺から正常な思考力を奪っていく。
「そ、そんなこと無いぞ、ヘリオンっ」
「へ?」
体ごとヘリオンのほうに向き直り声を上げると、
目の前のヘリオンの顔が、きょとんとした物に変わった。
「その水着をしっかり着こなすのはハリオンには無理なんだから、
人それぞれってことで良いんじゃないかなっ」
一瞬、俺の言葉の中身を考える仕草を見せるヘリオン。何とかもう一息でフォローしきれるか……?
息を継ぎ、さらに一言を続ける。
「ヘ リ オ ン に は そ の 水 着 が ピ ッ タ リ だ」

後で、今日子にどれだけ突っ込みを入れられて、光陰に仲間を見るような目で見られても仕方が無い。
半ばヤケになって言い放った言葉はしかし、今のヘリオンには逆効果だった。
「それってつまりは、わたしの体型じゃ色っぽい水着は無理だってことなんじゃないんですか……?」
あ、バレてる、……という顔をしてしまったのだろう。
「ふ、ぇ」
瞳を潤ませるくらいだった涙はあっという間にヘリオンの目から溢れ出し、
「ふえぇぇ~~~~ん」
水を含んだツインテールをなびかせながら、ヘリオンは俺に背を向けてプールの方に走っていってしまった。
「いや、待った!周りも見ないままプールサイドの端っこを走っちゃ危ないっ!」
慌てて彼女を止めるために後を追おうとする。けれども、プールの縁ギリギリを駆けているヘリオンは、
「えっ……きゃぁ!?」
俺たちの見ている前でつるりと足を滑らせて、勢いよく水しぶきをあげながらプールの中に落下した。
すぐに、水面でばしゃばしゃともがくヘリオンが浮かび上がる。
「まずい、ヘリオンってまだ泳げないのか!?」
座っていた場所から立ち上がってプールサイドを早足で歩むエスペリアに確認を求める。
返事は、無言ままの頷き。突然の事にエスペリアも慌てているようだ。
「万が一に備えて、神剣を取りに行ってくれ。もしかしたら回復魔法がいるかもしれない」
再び頷いて、プールの外へと急ぐエスペリア。同時に光陰に何か言われたらしい今日子も出て行った。
ヘリオンの様子を見る限り大変な事になりそうだ。
泳げない者が恐慌状態に陥ると、はたから見ていると信じられない事をする場合が多い。
例えば、膝までの高さしかない水場で溺れてしまったり、
今の場合だと、近くにプールの縁があるのに手が伸ばせなかったり。
俺も急いでプールに飛び込み、また他のみんなも一斉に泳げる奴からヘリオンの元に近づいていく。
一番ヘリオンの位置に近いのは……セリア!?

プールサイドで座っていた彼女は、世話が焼けるといった表情を少しだけ混ぜてはいたものの、
シャツを着たままで飛び込み、仲間を案ずる態度と迅速さをもってヘリオンの所に辿り着いた。
しかし、その近づき方は致命的だった。プールサイドの向こうから来る光陰の表情もそれを物語っている。
「セリア、正面から行っちゃダメだ!」
「何を、暴れるのを止めないと危険でしょう!ヘリオン、あなたも早く落ちつ……ッ!?」
遅かった。溺れかけてパニック状態の者にしがみつかれては、少しくらい体格の差があったって役に立たない。
セリアにしたって、まさかヘリオンに水の中に引きずり込まれるとは思ってもみなかったのだろう。
ヘリオンのパニックが伝染したように二人がもがいているのに気付いて、他のみんなも半ば呆然としてしまっている。
俺がその場に後ろから近づいた時には体力を消耗してしまっていたのか、
二人があげる水しぶきは小さくなってしまった上に、立ち上がる様子も見えない。
腕の中に二人を一度に抱え込んだ瞬間、セリアがびくりと我にかえったように震えるのを感じたけれど、
今は無視してすぐ側のプールの縁に手を伸ばす。
「よっ……と。大丈夫か、悠人」
「ああ、何とか。ヘリオンはどうなってる」
身体をプールサイドに引き寄せ、力の抜けているヘリオンを光陰に引き上げてもらった。
「んーむ。とりあえず、呼吸も止まってない。
ちょいと水飲んで、気を失ってるだけだ。それで、そっちはどうなんだ」
光陰の言葉に胸をなでおろしたのもつかの間、いまだ俺の腕の中に抱えられたままのセリアに光陰が視線をやった。
「ああ、意識もあるし、水の中に引きずり込まれて驚いただけだと思う。……だよな、セリア」
そっと顔を向けたけれども、セリアは俯いたままで何も反応が無い。
「セリア、大丈夫か」
心配になって、ちょっと強めに声をかける。一瞬体を震わせるとセリアはゆっくりと顔をあげた。
「ええ、もう平気です。……その、すみません」
えっと、一体どうしたんだろう。
先ほどまでの睨むような雰囲気が消えて、目をそらしながら呟くようにそう口にする。

何か謝られるような事をしてしまっただろうか。
「あ、悪い、いつまでも抱え込んでて。大丈夫ならすぐ離すから」
確かに長い間抱きかかえているのはセリアにとっては問題だろう。
しかし、離れられるように腕の力を抜いたにもかかわらず、彼女は抜けだそうとはしなかった。
「いえ、そうではなくて。確かに今回は私の判断が間違っていました。
よけいな手間を取らせてしまって申し訳なかったです」
「何だそんなこと、二人とも無事だったんだから気にしないでいい。
真っ先に助けに行ってくれたことに礼を言う事はあっても、叱ることなんかしないって。
それで、ほんとに身体は大丈夫なんだな」
静かに頷いたのを見て、セリアにプールの縁を掴ませる。
俺は一足先にプールサイドに上がり、セリアに向かって右手を差し出した。
一度、硬直した視線を俺に向けると、そっと自分の手を見た後にセリアはおずおずと手のひらを重ねてきてくれた。
「お、お借りします……」
「だから気にしなくって良いんだって。よっと」
ぐい、と彼女を引き上げて救出完了。
後はヘリオンが目を覚ませば一件落着だ、と思ったところでふと目に入った。
「な、な!?」
何故か、白いシャツの下にあるはずのものが無かった。
いや、本来あるべきものは恐らくヘリオンにしがみつかれた拍子にずれたらしく、
ノンストラップで、胸に巻きつけ背中で結ぶタイプの水着がお腹のあたりに場所を変えているのに気がつく。
……冷静に分析してる場合じゃない、つまりどういう事になっちまってるかというと、
ピッチリと肌に張り付いた布地に透けて、淡く色づいた胸の先端が見えてしまっていた。
「……え?」
その視線に気付いて、セリアは自らの胸元へと目をやる。
さっとセリアの顔に朱が走ったと思ったら、次には震えながら唇を引き結ぶ。

ヤバイ、マズイ、キケンの三つの単語が頭の中をぐるぐると巡る。
何か、何か隠すものはっ?
先ほどからの事故、ハプニングの連続で俺の脳内もパンク寸前だったらしい。
何を思ったか気がついた時には、俺は自分の着ている濡れたTシャツを勢いよく脱ぎ去っていた。
もちろん、それをセリアに渡そうとしてしたことなのだが、そう受け取ってくれる筈も無い。
ひっと短く悲鳴をあげて右手を振りかぶる。
「こ、のぉ……ケダモノぉっ!」
「いや、これはち、違……かはぁっ」
左手で胸元を隠しながら、空いた手で腰を入れたフルスイング。
平手ではなくて握り拳、頬をめがけてではなくてあご狙い。
プールに高く打撃音が響き、本気で放たれた一撃は俺をプールの中に放り込んでいた。
殴られた痛みと、鼻と気管に入った水の痛みをこらえて浮かび上がった所に、再びセリアの視線が突き刺さる。
その上セリアの上げた悲鳴によって、俺には色々な所から痛い視線が送られ続けている。
しかも、クリーンヒットした打撃はじわじわと俺の意識を刈り取り始めた。
「先ほどから周囲に邪な目線を振り撒いていると思っていたらこんな時にまで……
その上、いきなり状況もわきまえずに何をするつもりだったのか……
これじゃ、少しでも感謝していたのが……」
上手く全ての言葉を聞き取れずにいるうちに、セリアはシャツの肌に張り付いていた部分を引き剥がし、
組んだ腕で身体を隠しながら早々に引き上げようと歩き出した。
「げほっ、待って……これで隠せって言おう……と……」
力強く投げたはずのシャツはへろへろと飛び、びちゃ、とセリアの足元に落ちてしまう。
聞こえていたのかそうでないのかも曖昧な中で、
はたとセリアの足が止まるのを暗くなり始めた視界の内に確かめる。
最後に、エスペリアが『献身』を持ち、今日子がヨーティアとイオを連れて
プールサイドに現れかけたのを見たところで俺の意識も身体も、水の中へと沈んでいった。


「で、救護班代わりにあたしらを呼び出したのはいいんだけど、
どうしてヘリオンじゃなくってこのボンクラがくたばってるんだい」
「いやぁ、ま、何というか色々あったとしか言いようがないっつーことで」
「色々ねぇ、どうせカッコつけようとして失敗したって所なんじゃないの悠の事だから」
回復魔法の光に包まれた感覚がして気がついた時には、俺はプールサイドに寝ころがされて周りを取り囲まれていた。
「やれやれ、しかも単に気絶してるだけか、ユートだから言えるが面白くない」
ちょっと待てよヨーティア、人が気を失ってたのに面白い面白くないって何だよ。
何か、このまま黙って待ってたら色々と聞き出す事が出来そうなのでもう少し目を閉じていることにしよう。
「ヨーティアさま、ユートさまが倒れているのにそういう事をおっしゃるのはどうかと思うのですが……」
ありがとう、エスペリア。
「だって考えてもみろ、この訓練の前にひとつコウインたちから習った事があったろう。
確か……人工呼吸だっけか、あれを見物する機会になったかもしれない。
いや、ひょっとしたら実践することになるかもしれなかったのにな」
「た、……確かに」
前言撤回。そんなにあっさり丸め込まれないでくれ……
しかし、人工呼吸か……と、頭にちょっとした妄想が浮かびかけた所で全て霧散する。
どうせ今日子がいる限り相手は光陰に決まっちまうんだからそれを思い浮かべるのはゴメンだ。
その萎えた気持ちを表に出すのは、今気がついてまだ気分が悪いという風に目を開けるのに役立った。
鈍く痛むあごをさすりながら上半身を起こすと、身体に俺の着ていたTシャツがかけられている。

「何かよくない提案が出されたような気がする……」
「あん、もうお目覚めかい。ほんっとうにしょうもない所で目を開けるんだなお前は。
これからが面白くなる所だったのに」
「面白い事って、俺を実験台に何しようって言うんだよ」
「いやぁ、せっかくだから呼吸のある相手でもいいから人工呼吸の練習台にでもなってもらおうかと。
それに、そうすりゃ一発で目が覚めるだろうとも思ったんだが……どうした、ユート、コウイン」
光陰も俺も、今日子に同時に目線をやった後に青くなった顔を見合わせた。
いや、本当に目が覚めてよかった。あぐらをかいた膝の上に落ちたTシャツを手にとって着る。
絞られていたけれども、まだ濡れているためちょっと気持ち悪いかもしれない。
ふと気になってこれを渡した相手の姿を探すと、びしょ濡れで役に立たなくなったシャツを脱いで、
透けているのを覗いた通りの巻きつけて結ぶトップに、ビキニのボトムを着けたセリアは
俺を取り囲む輪の一番外で軽く腕組みしながら時おりこっちに目をやっていた。
その隣には心から申し訳無さそうな顔で目を伏せているヘリオン。
「もう身体は平気みたいだな、ヘリオン」
「は、はいっ、えと、その、ごめんなさいっ」
「謝ること無いわ、じろじろといやらしい目線を振り撒いてた罰なんですから」
「そうだぞ、最初にいらない事言って泣かせちまったのは俺なんだから気にしないでいい……って、
セ、セリアのは、あれは事故というか、不可抗力じゃないかっ」
「お姉ちゃんの胸ばっかり見てたクセに」
「わたしの注意を忘れた、という事になるんじゃないんですか」
「もしかして、ネリーたちに似合うって言ってくれた時も見てたのかなぁ」
「え、えぇ~!?」
「あらあらぁ、みなさんもだったんですか~。ユートさまはいけない人ですねぇ~」
「なによ、結局悠の自業自得じゃないの」

ここぞとばかりに、本気で睨んできたり呆れていたり、ノリで話に参加したり煽ったり。
どんどん立場を追いやられている俺を見て、今にも泣き出しそうだったヘリオンが
きょとんとしてしまった後でも、勢いは衰えずにみんなは俺を責め続ける。
「はいはいそこまで。さて、ユートも気がついたところで言いたい事がある」
大きく溜め息をついてヨーティアがそう切り出す。
さっきまでのからかう様子がさっぱりと消えた声の調子は、みんなの動きを止めるのに抜群の効果を発揮した。
「いくら自由時間だからって羽目を外しすぎちゃいけないって事くらい分かるはずだろう。
風呂の時でも水の側が危険だってのはよくあるのに何をやっているんだか」
うわ、なんというかまた、生活指導の教師のようなことを……
とはいっても言われている事が正しいために何も言い返せずにしゅんとするしか無いのだけれど。
「で、だ。残念ながら今回は呼ばれてみたわりに出番が無かったんだけれども。
次からの自主訓練の時間には万が一のことを考えて、あたしとイオが正式に救護班として参加することにする」
……は?
確かに、イオは訓練士も兼ねてる訳だから居ることに違和感は無いけれど、一体どうしてヨーティアが。
俺だけでなく、アセリアやナナルゥまでがきょとんとした雰囲気を見せている。
「施設を作ったのはあたしなんだから、手違いによる事故の可能性は無いけれども、
お子様たちだけに任せっきりってのも何だからねぇ」
などと続けている内に、ほとんどみんながヨーティアの思惑に察しがついた。

つまり、適当に息抜きできる場所が欲しいだけなのだ、と。
特に断る理由も無い、それにヨーティアたちなら少々の事ならうるさくされることも無いだろう。
さっと辺りを見回して、それぞれ軽く頷くのを確認してから、
「うん、そうだな。ヨーティア、イオ、それじゃ悪いけど頼まれてもらえるかな。
俺たちも、次からはあんまり危ない事はしないようにするからさ」
ヨーティアとイオに向かって頭を下げる。
イオはそっと微笑んで会釈を返し、ヨーティアは口の端をにぃ、と吊り上げた。
「あぁ、任せろ。いやぁ、せっかく作った物が無駄にならなくて済んだ。なぁイオ」
「はい、これで私も訓練時以外にも涼をとる事が出来ます」
あ、そうか。イオもスピリットの一員だ。
光陰の引き起こした事態の影響を浴びてまいっちまってるに決まってるじゃないか。
「そっか、だったら今からでも参加すればいいじゃないか、まだ終わるには早いくらいなんだし」
「そうかい、それじゃお言葉に甘えて。イオ、準備を頼んだ、後はユート、コウイン、ちょいと手伝いな」
「すみませんユート様、コウイン様、他の方はどうぞ危険が無いように続きをお楽しみください」
どうやら、俺がそう答えるのさえ予想のうちだったようだ。
有無を言う暇もないうちに、ヨーティアの言葉とイオの笑みに促されて他のみんなは
めいめいプールの中へと戻っていってしまった。

さて、一体何を手伝わされるのかというと。
プールの外には幾本かの金属製の支柱と、布の幕が用意されていたのだった。
俺の記憶に間違いがなければ、組み上げた時には簡易テラスが出来上がるのだろう。
幕の表にはもちろん大きく「救護班」の文字の一部が見えている。光陰の筆跡でかなりの達筆だ。
「光陰、お前こんなもんまで説明したんだな……」
「うむ、俺もまさかここまで乗りのいい姉ちゃんだとは思ってなかった」
「くっちゃべって無いでさっさと運んでおくれ、ユートが言ったんだから今日中に仕上げてもらうよ!」
何を言っても手伝わされる事には変わりないので、機嫌が悪くならないうちに済ませちまうに限る。
第一、イオにだけこんなことをさせるわけにもいかないし、実際に作業が始まれば何人かは手伝ってくれるだろう。
「わかったよっ、ここまでやるんだから救護班らしい事もしてもらえるんだろうな!」
手始めに金属柱を光陰と手分けして持つ。しかし、地球じゃ二、三人で運んでたような物を
一人で運べるのは便利になったというか何というか、複雑な気分だ。
城の中から持ってきたらしい木製の椅子を運びながら、イオが静かに歩み寄ってくる。
「ええ、泳ぎ疲れて気分が悪くなられる場合があるとお聞きしました。
他にもプールの壁に頭をぶつけてしまわれたり、
プールサイドで転んでしまわれたりした時の対処も把握しています」
「後、喉が渇いたときの飲み物もな。さすがにプールの水を飲む馬鹿は居ないだろうけどねぇ」
……悪い、俺はやった事がある。
情けなさを感じて溜め息をついたところで、何時の間にか俺の側にまで来ていたイオに気付く。
どうしたのだろうと考える時間さえ取らせないまま、
「それから、もしも溺れてしまわれた時にはお任せください」
耳元で囁くように口にした後、近づいた時と同様の静けさで離れ、唇をすっと笑みの形にほころばせた。
「ま、任せろって、何をだよ!?」
視線をやっても静かに微笑みを浮かべるだけで、ハリオンとはまた別種の不思議さをかもし出していた。

きっと赤くなっている顔を、重いものを運んでいるせいだという事にしてプールサイドへと辿り着く。
物珍しさに早速駆け寄ってくるオルファたち。
俺たちが運び込んだ物の組み立てに力を貸してくれるウルカやヒミカたち。
必死に作業を進める俺を遠くから眺めるニムにセリア。
早速、救護テラスに用意されたティーセットを使い始めるエスペリアにハリオン。
今日だけで何だか色々な事があったけれど、また明日からもさらにさまざまな出来事があるだろう。
まぁでも、みんなが楽しめるならそれで良いと思うので問題無しだ。
後は明日にイオがどんな格好でプールに現れるのかを心の内で期待する事にして……
「ユート、何か鼻の下が伸びてる」
「まだ懲りていないのですか、あなたは」
「何か酷くバカにされたような気がするぞ、このボンクラに」
いると、色々と突っ込まれる事請け合いなのでやめにして。
「それじゃ、救護テラスも建ったってことで、また自由時間だ。
上がる奴はちゃんとシャワーを浴びて帰ること。
それと、夕食の用意をする奴は早めに切り上げることを守るように!」
歓声を上げたり上げなかったりするみんなを見送っていたらところに、
「悠、そろそろ交代しよっか」
今日子がそう言いつつ監視台の上に昇っていった。
プールの方を見れば期待が宿った目で俺を見るオルファやネリーたち。
「ああ、サンキュ。じゃ、行ってくる」
彼女達に手を振りながら俺はプールに向かっていき、同じく、今日子に交代を許された光陰の所にそっと泳いでいく。

一つだけ気になる事が残っていたからだ。今日子の目があるために他のみんなから離れるようにしているらしく、
光陰の他には特に誰もいないから尋ねられる。
「ところで、沈んじまった俺を引き上げたのはやっぱり光陰か?
ちょうどその辺だけ完全に気絶しちまっててよく分からないんだ」
ほう、と呆れたように声をあげ、やれやれとかぶりを振る。
「さて、俺に言えるのは、ヘリオンちゃんの様子を見てたのは俺だってことと、
泳がないで『監視員の真似事をしてる俺たちの真似』をしてる娘がいたってことくらいだな」
「……そうか、だからTシャツか」
待てよ、という事は彼女は水着を着け直す前に……
「顔に出すぎだ悠人。明日からはもっと大変になりそうなんだからもうちょっと周りの事も考えてくれ」
「お前に言われたくは無いけどな、って、明日からってどういう事だよ」
「テラスに運び込まれる椅子の数を数えたか?あの姉ちゃんの他にも息抜きをしたがる人が居るだろうが」
「あ」
そうだ、ヨーティアがこうやってサボ、もとい息抜きに来るというのなら、
彼女もきっと視察だ何だと理由をつけて足を運ぶのだろう。
明日からのことに思いが飛んで、軽い疲れを感じる。しかし、そのどこかで楽しみを覚えているのも確かだ。

「光陰」
「あん」
「明日も、暑くなりそうだな」
「施設が建ってる間はな」
それもそうだ、この夏は光陰のバカらしい提案で作り上げた物に過ぎない。でも。
「その間くらいは、みんなに楽しんでもらうか」
「だからその為に俺が言い出したんだっつーの。
『みんな』の中にゃお前も入ってんだから楽しめるだけ楽しんどけって」
ばし、と音を立てて俺の背中を叩く光陰を軽く睨みかけたけれど、その言葉に毒気を抜かれた。
とても最初からそう考えて提案したこととは思えないけど、こいつの事だからそうなのかもしれないと納得させられる雰囲気がある。
「それにな、お前が楽しんでると、俺にもご利益があるんだよ」
「は?」
ニヤリと笑う光陰の横で意味がわからずに目を丸くしていると、ちょうどそこにオルファたちの声がかかる。
「パパ、もうちょっとで今日の自由時間が終わっちゃうよ!」
「ユートさまも、ついでにコウインも一緒に遊ぼうよー!」
「な?いやぁ、呼ばれちまったら行かない訳にはいかないなぁ。おら、行くぞ悠人、オルファちゃんたちを待たせるんじゃねえよ」
なるほど……けど、「ついで」で満足なのか、光陰?
いそいそと、今日子の顔色をうかがいながらオルファやネリーのところへ向かう光陰の背中に哀愁を感じながら、
これから先の暑い日々に思いを馳せて俺も光陰を追い、ざばざばと水を掻き分けて進むのだった。