騎士の心、柔隠

 まだまだ先が見えない大陸の情勢の中、いくら戦果をあげたとしても
のんびりしている暇など与えられることは無い。少しでも休む時間があるなら先に備えろと
戦術の講義やら、戦闘技術の訓練やらが待っている。
 そうした代わり映えの無い日の昼過ぎ、森の側の訓練所で俺は一人のスピリットと向かい合っていた。
「で、今日の訓練の相手はヒミカか」
「ええ。宜しくお願いします、ユート様」
 言いつつ距離を取って大型の双剣を油断無く構えるのは、俺が声に出したとおり
ラキオススピリット隊の切り込み隊長ヒミカ。とても訓練とは思えないその気迫に、
知らず『求め』を握る手にも力がこもる。実際に神剣を使った打ち込み稽古なんだから
それくらいでないとかえって危険なのだけれども、正直仲間相手に本気で向き合うのはどうも苦手だ。 
 ……まあ、本気で向かって来られるくらいには、俺も認められたってことだと思いたいけどな。
以前までは、俺の実力不足や実績不足がヒミカをはじめ何人かに不満というか、不信を抱かせてしまってたんだから。
 などと考えているうちにヒミカの準備は万端になったようだ。彼女の持つ『赤光』にマナの力が行き渡り、
その名が示すとおりに刀身が淡く輝き始めた。
「それではいきますっ!」
「おうっ!」
 存分に力を込められたダブルスイングが、張り巡らせた障壁に叩きつけられる。全ての勢いを殺しきれずに
衝撃が俺の身体を揺さぶった。とは言え、身体に傷をつけない程度の手加減がなされているのもヒミカの
実力のうちなのだろう。そして一度ヒミカは大きく下がり、俺が障壁を張りなおす猶予を取って、
再び剣に力を込めつつ跳び込んできた。もちろんこの攻撃も先ほどと同じように弾き返す。
「ふぅ、では次はユート様の攻撃です。どうぞ、ご遠慮なく仕掛けてきてください」
「ご遠慮なくって……ダメだろ、いくらヒミカが接近戦が得意だっていってもディフェンダーに
向いてるわけじゃないんだから。訓練用の全力でいってみるけれど、やばそうだったら言ってくれよ」
「無理をするつもりはありませんから心配いりません。それに、力を出し切るのがこの訓練の意義です、
いらない加減をして訓練になると思っているのですか。さぁ、どうぞ」

 障壁を張る準備を整えながら、ヒミカはその場に立ち続けている。一応、相手の防御能力を考えて
一番手加減ができる攻撃を仕掛けることにしよう。
「……いくぞ!」
「はいっ」
 一跳びにヒミカとの距離を詰めて、大上段から叩き下ろし、返す刀で胴を薙ぐ。
力を抜いたつもりでも、やはりエトランジェの力というのは大きいらしい。ヒミカの作った障壁を切り裂いた
感触に慌てて『求め』の速度を緩めて飛び退いた。とりあえずもう一度仕掛ける前にヒミカの様子を盗み見たところ、
まだこちらの攻撃を受ける余力は残っているように勝気に視線を送り返している。それなら。
「はぁぁぁっ!」
 俺の体が動く限りは攻撃をかけないと訓練にならない。普段どおりに二撃目を繰り出すために大きく飛び出して、
「く、ぅぅっ」
 ヒミカが障壁を張ろうと手のひらを盾にするように突き出すのを視界に収めたその時、
盾にするためのマナが霧散するのを空気の流れ方から本能的に感じ取った。
「な……危ないっ!」
 咄嗟に『求め』を掴む腕を身体の後方に流し、左肩からの体当たりに切り替える。
飛び込んだ勢いを消しきれずに、急に攻撃方法を変えられたために目を見開いたヒミカの表情を捉えた所で
自分の身体にも衝撃が走った。正面衝突した後ヒミカと一緒になって地面を転がっているのを自覚しながら、
少なくともヒミカに、できれば自分にも『求め』が刺さらないように気をつける。
 運良く、俺たちに『求め』や『赤光』が危害を及ぼすこともなく、俺が木の幹に背を打ちつけたところで
二人の身体の動きは止まった。俺の息も止まった。あまりの衝撃に呼吸ができない。
「く、はぁ……」
 ようやく身体が息の仕方を思い出した時には、ヒミカは既に衝撃から立ち直り俺の胸元の横の地面に手をついて
身体を起こそうとしている所だった。って、息の仕方を忘れてただけならともかく、
その直前のヒミカの体勢も記憶から飛んでるぞ。あぁ、勿体無い……じゃなくて。

「その、大丈夫か。ヒミカ」
「あ、は、はい。私に剣は当たっていませんし、今も、ユート様が庇ってくださいましたから」
「そっか。良かった」
 俺の言葉に、律儀に今の体勢のまま答えることを優先する。ただ、半ば覆い被さられているような感じで
声を返されても気恥ずかしさが先にたってしまう。少しぶっきらぼうになってしまった返事を聞いて、
俺が起き上がろうとする気配を感じ取ると、ヒミカもまた自分が俺の動きの邪魔になっていることを理解し、
ややぎこちなく身体を離した。
「でも、防御できるのが一回しかないなら先に言ってくれ。本当にびっくりしたんだからな」
 足を伸ばして座った姿勢のまま背中を木に預けなおす。無防備に背中を打ったダメージが抜け切るには
もう少し時間が必要らしい。一度立ち上がりかけたヒミカも、俺の状態を見てやや離れた位置に
腰を下ろしている。やはり上半身に痛みがあるのか、背中やわきの下、ちょっと目のやり場に困る
けれども、控えめな胸元を気にするように手をやり身体を捻っていたが、
俺の文句を耳にして、軽く俯きながら言葉を返してきた。
「す、すみません。ですが、もう少しでもう一段上の技能が掴めそうでしたので……」
「あれか、極限状態で新しい力が手に入るとか何とかいう」
「……はい。ユート様と、ユート様が振るう『求め』が相手なら力を引き出す原動力になると思いました。
ユート様が攻撃を切り替えなくても失敗のようでしたので、謝るしかないのですけれどね」
 なんてことを。熱血系主人公の特訓じゃあるまいし。もう少し気をつけて欲しいと文句を続けようと
思ったけれども、ヒミカのことだ、何が今の手段で悪かったか、何処が次の訓練のときに生かせるかを
自分で考えることができるだろう。背筋を伸ばして、深呼吸を一つ。よし、動くのに支障はない、と。
「まあ、たいした怪我が無かったならいいよ。それじゃまた攻守交代だな」
 すっくと立ち上がってヒミカのほうに歩み寄る。まだ一度ずつしか打ち込んでないんだから、
普段の量には全然足りてない。俺から打ち込むのはちょっとまずいだろうけど、ヒミカの攻撃に耐える
ことならまだまだいくらでも出来そうだし。

「え。ゆ、ユート様のお身体は、もう大丈夫なのですか」
「ああ。ちょっと打ったくらいなんだから心配しなくてもすぐ勝手に治る。ヒミカはどうかな」
「か、身体に支障はありません。ええ、訓練を続けても大丈夫です。心配いりません」
 慌てたように立ち上がって、『赤光』を掴む。そのまま小走りに俺たちが元いた場所に戻っていく。
どうやら、今の言葉に間違いは無いようでほっと胸をなでおろす。
 それはいいけど、何というか、妙に緊張したような挙動に俺も落ち着かなくなるような気がした。
確かにヒミカを庇ってる時には、片腕で身体を抱えてた覚えがあるし、木に衝突した直後はやっぱり
俺の上に乗っかってたんだと考えられる。
「ひょっとして、照れてるのか?……まさかな。ヒミカだし」
 誰に聞かせるわけにもいかない呟きを発したら、逆に俺のほうが恥ずかしくなってきた。
 咄嗟のこととは言ってもしばらくは密着状態だったんだから。

 先ほどとは異なった緊張に包まれた雰囲気を感じながら、再び俺とヒミカが対峙する。
『赤光』が淡く輝くのも同じ、『求め』を盾にして障壁を準備するのも同じ。だけど、それを持つ
俺たちがどうも同じようには向かい合えていないように思う。俺の場合はさっきの体勢のことに
意識がいくのを考えないようにしてのことだと思うのだけれど、ヒミカの場合はどうなんだろう。
「……いきますよ!」
「ああ!」
 攻撃する前に一度大きく深呼吸して、ヒミカは真っ直ぐに切り込んでくる。技も先ほどと同じダブルスイング。
だがしかし、その剣の振りの大きさも、スピードも斬撃の重さも、何か遠慮しているように加減が感じられた。
「俺なら大丈夫だから、もっと全力で来い!それじゃ訓練にならないって言ったのはヒミカだろ!」

気の抜けた一撃目を全力で弾き返した所で、聞こえるように大声で怒鳴る。跳び退るヒミカの顔色に朱がさしたことから
きっと耳に入っただろう。同時に微かに唇が動いたような気がしたけれど、その言葉の内容までは分からない。
「このぉぉ……てやぁぁぁぁぁっっ!!」
 距離を稼いで『赤光』に力を込めると、一撃目とは違う気合を発しながら半ばやけくそ気味に全速で突進してくる。
「え、何か力の入れ方が違うような……く、バカ剣!」
 慌てて障壁を張ろうと『求め』を構え直した時には、既に目の前にヒミカが迫っていた。
今日の一度目の攻防よりも遥かに力の入った動きで『赤光』を大きく振りかぶる。
 しかし、ヒミカがそれを力強く振り下ろす直前に、それは起こった。
 ヒミカが『赤光』を俺に向かって振り下ろす為に胸を大きく反らして剣を構えた瞬間ヒミカの表情が凍りつき、
その胸元が、何かから解放されるようにふっくらと持ち上がったのだ。まるで、パンの生地が膨らむのを
早送りで見ている様な感覚に陥って、思わずぽかんと口を開けてしまう。ぎりぎり掴めるかどうか……という
感じだったヒミカの胸は、最後には手のひらにちょっと余るくらいにまでその大きさを変化させていた。
「あ……あ……」
 その光景に目を奪われた俺を見て、ヒミカの動きも止まる。いや、赤くなっていた顔をさらに染めて、
恥ずかしさで薄く涙を浮かべかけながらふるふると身体を震わせていた。そんな風に動いているので、
押さえていた物がなくなったらしい胸元も一緒になって震えているのが目の当たりになってしまっている。
 馬鹿みたいに見続けている俺の頭の中に、『求め』からの警戒音が鳴り響く。はっと気付いた時には
ヒミカが『赤光』に、今まで訓練でも戦闘でも感じた事の無いような膨大なマナを注ぎ込んでいた。
「い……ぃやぁぁぁぁぁっっ!!」
 目を瞑り、目じりから涙の粒を飛ばしながら、防御が遅れた俺に渾身のダブルスイングが叩きつけられる。
狙いも何も無い一撃はかろうじて直撃することなく地面を抉り、俺が慌てて張った障壁を二撃目が打ち砕き、
残った衝撃が今度は俺だけを吹き飛ばしたのだった。

 またしても背中を強かに打ちつけ咳き込んでいる俺に、何とか落ち着きを取り戻したらしいヒミカが
駆け寄って来る。自分でやったことを反省してくれるのは嬉しいけれど、その動きはちょっと目の毒だ。
「すみませんっ、私としたことが我を忘れてしまって、本当にすみませんっ」
「あ、謝らなくっていいって。正直、何がどうなってるのか全然分からないけど、
ヒミカが怒るのも当然のことをしちまったのは確かなんだし。じろじろ見てた罰が当たっただけだ」
 膝をついて俺を覗き込むヒミカから軽く目をそらしながら返事をする。何故なら今も軽く四つん這いに
なっているヒミカの体勢のせいで、厚手の戦闘服の上からでも分かるくらいに重力に引かれている胸が
ちらついているんだから。
 自分でも、服の上からくらいならハリオンと比べれば、と考える部分はあるけれど、
予想外のインパクトにすっかりついていけていない。
「いいえ、確かに、ユート様のせいだという部分もあるのですが、訓練中にこのようになってしまったのは
私の手違いですから……あの、少しの間後ろを向いていただけますか」
 俺の言葉にまた慌て出したヒミカがそう言いながら自らも俺に背を向けてやや距離をとる。
もちろん言われたとおりに後ろを向くと、耳にしゅる、とか、ごそごそ、と衣擦れの音が。
 い、一体俺の背後で何が!?
「ゆ、ユート様、こちらを向いてくださって結構ですよ」
 何とも落ち着かない気分を引きずったまま振り返った俺の目に、やはり衣服の上からでも
判別できるふくよかな胸をもったヒミカが映った。正面に向かい合って腰を下ろし、その手には
脇に立て掛けられた『赤光』ではなく包帯のように巻き取られた一本の細長い布が握られている。
 あれは……包帯じゃなくて。
「さ、サラシ?」
「はい……直接、攻撃をかけるのに、ど、何処とは言いませんけど、邪魔でしたから、着けているんです。
それが、あの体当たりの時から、ゆ、ユート様が背中を掴むから、ほど、解け始めて、しまって。
いえ、助けて頂いたのは、ありがたいと思っていますから、お気になさらずに構いません」

 ヒミカは努めて冷静に事態を説明しようとしているつもりらしい。でも今の言葉を出すのにも顔を赤くして
俯きながらつっかえつっかえにしか喋れていなかった。もしかすると、こういう話は苦手なのかもしれない。
「どうにか、戻せないかと困っていても、ユート様は気付かずに話し掛けられるし、き、気付かれるのも、
それはそれで困りますし。私の気も知らないで、訓練を再開しようと言い出してしまわれるし。
注意を受けたところで、なんだかパニックになってしまって……」
 つまり、しきりに上半身を気にしてたのは怪我じゃなくてサラシを直せるかどうか弄ってたってことで、
妙に動きがぎこちなかったのはいつ完全に外れるか気が気じゃ無かったってことか。
「そ、それで、あの振りかぶった時に一気に外れるか何かしちゃった、と」
 そんな恥ずかしがる様子を長々と観察する趣味は俺には無いので、助け舟を出すつもりで
一気に結論まで引き継いで言う。ところが、自分で説明するよりも俺に言われてしまう方がヒミカの精神への
ダメージは大きかったらしい。再びあの瞬間を思い出したように耳まで血が行き渡って小さくなってしまった。
「……ごめん」
「いえ、本当のことですから。とは言え、あそこまで驚かれることは無いでしょう?」
 溜め息をついて、少しは動揺が収まったらしいヒミカが口を開く。
「いくら訓練中でも、あのように隙だらけでは困ります。戦場では何が起こるか分からないのですから
どんな時も平静でないといけないんです。ユート様が相手で動揺した私が言っても、説得力は無いですけれど」
 言葉を終えた後、ヒミカは再び何か恥ずかしそうに目をそらして押し黙ってしまった。
 どうにも気まずい。どうやらヒミカが苦手そうなこの話題をさっさと終わらせた方が良さそうだ。
「分かった、気をつける。でも、ヒミカが悪いと思うことは無いんだって。外したのは俺なんだろ、
そういう事をした奴がどんな目に会うのかは身に染みてるから、気にしないでいい」
 脳裏にハリセンと数珠を思い浮かべてしまい、二人がどうしているかに考えが飛びかける。
思わず歪んだ顔に、ヒミカが心配そうに言葉をかけてきた。

「当たりはしなかったと言っても、その、何も直接見られたわけでも無いのにやりすぎてしまったのは
確かですから。本当に、お怪我はありませんか」
「ああ、大丈夫だって。ヒミカが困ってるのにも気付かないで、体当たりした時の怪我が無くて
良かったって喜んでただけだったんだから、いい薬だ。それにさ、やりすぎたって言う
さっきの攻撃って今までに無いくらいの威力だったのは確かだろ。
あれくらいの攻撃がいつも出せたら結構凄いんじゃないか」
 喋っているうちにダメージも抜けていたらしく、特に問題なく立ち上がることが出来た。
俺に続くようにヒミカもそっと立ち上がって、空いているほうの手で『赤光』を掴む。
「あの時は殆ど無意識でしたからいつもいつも出来るとは限りません。
意識して乗せられるマナの量は試してみた所で……え、これは……」
 半ば冗談で、『赤光』に力を込めてみたのだろう。しかし、今ヒミカが持つ『赤光』からは、
今日訓練を始める前とは一味違う力が感じられた。
「どういう事、でしょうか。これは」
「うーん。これが、『極限状態で新しい力が手に入る』って奴なのか?」
 だとすると、ヒミカにとっての極限状態っていうのは……
 どうやらその考えにヒミカも思い当たったらしい。
「こ、こんな恥ずかしい思いをするのは二度と御免です!そうよ、日ごろの訓練の成果が出たに決まっているんだから!」
 きっと無意識に、ヒミカは他のみんなと話す口調に戻って力説する。
 まぁ、そう考えた方がヒミカの精神衛生上、良いに決まってるよな、うん。
「とにかく、これじゃあ今日は上がりかな」
「そう、ですね。そうして頂けると助かります。……すみませんがお先に失礼します、それでは」
 そう言うや否やほっと軽く息をついて、落ち着かない様子でやや早足に詰所方面へと進んでいく。
 でもな、視線をヒミカ自身の胸元にやって、揺れたり、服に擦れたりするのを気にしながら帰るのはよして欲しかった。
表情やら仕草が普段のきりりとしたものとは違って見えて、俺だって落ち着かなくなってしまうから。
 今日の訓練が色々と忘れられない物になってしまったと思いながら、俺もまた自分の部屋へと帰るのだった。