『温もりの起源』

リンリンリン、と優しい虫の音が夜の世界にBGMを奏でる。

雲ひとつない夜空に浮かぶ真っ白な満月。煌々と輝く星々は緩やかに、ゆっく
りと動いていく。青々とした草花の月光浴。月の光を浴びてなお鬱蒼と茂る森林地帯。

その中心にある僅かばかりに拓けた草地で―――……少女は舞っていた。

キンッ―――…一度―――キンッ―――…二度―――キンッ―――…三度。
鋼と鋼を打ち付けたような甲高い金属音。鳴り止まぬ剣戟。
一振り、二振り、三振り……。少女は舞い続ける。後ろで一括りに縛ったその
美しい空色の髪が少女の動きに合わせてゆらり、ゆらりと揺れる。
草を踏み締める音、甲高い剣戟、吐息の音、血の舞う音。
全てを舞台演出に少女はただ舞っていた。

少女の舞いの相手はやや小柄な少女。その緑色の髪と同じ戦闘服に身を包み、
手に持つは少女の背丈以上はあろうかという長く、鋭い―――槍。
それを少女は何の苦もなく、まるで自らの手足のように振るい、突き、叩きつける。
けれど、その剣戟には殺気も勝負に対する感情も……一切含まれていない。

少女の瞳には光がなかった。

少女の持つ槍が、一瞬煌き……怒涛の突きが放たれる。けれど、青の少女は手に
持ったやや小振りな刀剣を翻し、それら全てを防いでいく。あるときは刀の刀身を相
手の槍に合わせ、またあるときは突きの威力を殺さずに刀で流したり、そして少女は
徐々に踏み込む。

槍のリーチは刀剣のそれを遥かに上回る。
もしも刀剣が槍に勝とうとするならば刀剣の使い手は槍の使い手よりも三倍は強くならないといけない。

しかし、青の少女は全てを見切り、流し、受け止め……緑の少女を間合いに捉える。

―――――一閃

ピタリと剣戟の音が止んだ。静寂が辺りをゆっくりと包み込む。青の少女の剣に返り血はない。
緑の少女の槍は何もない虚空を貫いて停止している。

一分か一秒か、それとも……けれど確かに今、この場の時は完全に止まっていた。
やがて、ゆっくりと時は流れ始める。
リンリンリン、とまた虫の音が辺りに響き渡り、木々のざわめきがオーケストラとなる。
青の少女はゆっくりとしたバックステップで緑の少女の懐から飛びのいた。

それと時を同じくして緑の少女の頭部が―――ズレた。

首の左から右へ抜けるように入った一本の線。それに沿うようにゆっくりと緑の少女の頭
部が流れていく。やがて、ドスッという重々しい音と共に緑の少女の精気のない顔が草む
らに転がった。首の傷口からは消失した頭部を求めるかのようにゆっくりと金色の霧が立
ち上り始める。徐々にそれは首、胸、手、腰、足と広がり、その手にあった槍をも包み込
み消えていく。

サアッと緩やかな風が流れた後には緑の少女の姿はどこにもなかった。

青の少女は眉一つ動かさずにそれを見届け、また剣を構えなおす。
ザザッと木々のざわめきが少し大きくなる。

と、同時に青の少女の周りに都合六つの影が降り立った。

――――少女の舞いはまだ終わらない。

少女は思う。

「つまらない……」

と。

戦いこそスピリットの意味、殺し合いこそスピリットの存在価値。
そして、私はただの戦闘機械。

右斜め後方から音もなく駆けてくる影。同じ青色の髪が視界に広がる、と襲い来る銀の煌き。
それを剣で受けると、体重を掛けた右足で相手を蹴り飛ばす。ほぼカウンター気味の一撃に
相手は後方へと吹き飛ばされる。それを視界に納め、身を屈めると―――剣を後方に振り抜いた。
ピチャッと生暖かい血飛沫、上空から斬りかかろうとしていた影が真っ二つに両断され、地面に転がる。
それには目も向けず、純白のウィングハイロゥを展開、空へと舞う。
一瞬前までいた地面で幾つもの剣戟が重なり合った。

空中で半回転、地面を視界に加えると、空を蹴るようにして加速。目の前に爆発的な勢いで迫ってくる青々とした地面。

―――一閃、二閃

ウィングハイロゥを最大限に利用し、着地。ドサリと二つの影が草地に沈む。

「残り、三」

呟きと共に、地面を蹴りつける。後ろから槍を突き出した影の頭上を越えるように空中で回転、
着地すると同時に視界に入った無防備な背中に剣を突き立てる。
断末魔の叫びすらなしに影は崩れ落ちた。

そこに迫る二つの影。

突き刺した剣は抜けない。僅かばかりに舌打ちすると、何の躊躇もなく自らの剣を手放し、
目の前の死体から今にも霧になりそうな槍を奪い取り、投擲。

予想外の攻撃に影は体勢を崩し、地面を転がる。が、もう一方の影が迫る。
闇の中で尚暗い、漆黒の髪。鞘に納めた自らの刀に手を添えながら影が走る。

チンッと一度だけ鯉口を切る音がした。

ズルッと上半身と下半身が分かれ、霧とかえる少女。
それは緑の戦闘服を着た少女―――。

ヒュッと風を切る音がした。

居合いの影は自らの過ちに気付く暇もなく金色の霧へと変わっていた。
ゆっくりと立ちあがった青の少女は最後の影の下へと歩き始める。

最早、最後の―――少女と同じブルースピリットは虫の息であった。
先程投擲した槍が少女の腹部を貫通、大きな風穴を開けている。
しかし、それでも少女は立とうとし、けれど崩れ落ちて残り少ない生を消費していっている。
ゆっくりと歩み寄った青の少女は倒れた少女の喉元に自らの剣を突きつける。

「死にたい?」

彼女は問う。
けれど、倒れ付した少女は荒い息を突きながら澱んだ瞳でこちらを見るだけだ。
その瞳には何も浮かんではいない。

「そう……」
けれど彼女は何かを理解したかのように頷く。

「貴女も……人形なのね」
少女に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で呟くと突きつけていた切っ先を心臓へと移動させる。
ゆっくりと切っ先が血に塗れた戦闘服へと潜り込んでいく。

一瞬だけ少女の澱んだ瞳に光が戻った。
それは、憐憫か、憎悪か、次の瞬間には身体に侵入してきた異物によって消え去った。
ゆっくりと金色のマナの霧へと返っていく少女を見てセリアはただ無表情だった。

トスンッと軽やかな音を立てて『熱病』が力なく地面に突き刺さる。
木の幹に背をあずけ、ずるずると滑り落ちるように木の根元に腰をついた。
ただひたすらに心が………寒かった。
ギュッと自らを守るように、僅かな体温すら逃さないように膝を抱え、身体を丸める。

もうすぐ、夜が明ける。

日の日差しを浴びれば多少は温もるか、と思ってみたがすぐその考えを嘲笑う。

「何を今更……」

彼女が寒さを感じ始めたのは、他人を拒絶し……彼女が一人になった時から。
思い出したくもない過去、関わりたくない未来、その全てが彼女を締め付ける。
人の温もりはいつも優しく、包み込んでくれ、癒してくれる。

けれど……失ったときの悲しみ、痛みは信じられないほどだ。

幾度となく経験し、傷つき、疲れ果て、もう他人はいらないと思ってしまった。
どこでも、冷たく、他人を拒絶していればあの痛みを感じずに済むから……。

けれど、他人と連携を取れないモノはどこでだって邪魔者になる。
そうやって、幾つもの場所をタライ回しにされて今の場所にたどり着いた。
結局、どこにいったとしても他人を拒絶することに変わりないはずなのに……。

「その……はずなのに」

温もりはいらなかった……信頼はいらなかった。
まだ、寒さのほうが痛みよりも耐えていけるから。

「あら?セリア、こんなところにいたの?」

けれど、今は………。

「全く、斥候に出たっきり帰ってこないから皆、心配―――って、きゃ!!」

朝日に煌くレッドワイン色に輝く髪、心配げに歪められたその顔。
知らず知らずのうちにヒミカへと身を投げ出していた。

「えっ?ちょっと!?セリア!?」
「ごめんなさい……でも、ヒミカ、もう少しだけ…このままで」

まるで何かに怯えているようなセリアの声に困惑気味なヒミカが溜息をつく。

「はぁ……はい、ヨシヨシ」

まるで赤子をあやすようにポンポンと背中を叩いてくれるヒミカ。
ゆっくりとその体温がこちらを暖めてくれる。
その振動に身を任せて少しだけ目を閉じる。


けれど、今は………この温もりに溺れてしまいそう。