光陰が死んだ。
享年35歳。早すぎる死ではあったけど、アイツは十分満足してたと思う。
心残りがあるとすれば、それは情けない私の事だろう。
世界を救った英雄の死に、国葬が行われた。
私は出なかった。
光陰が、そんな事望むとは思えなかったから。もう別れは済ませていたから。
なのに、その日から私の中にはぽっかりと穴が空いて、何をしていいのか、何をすべきなのか、全然判らなくなった。
今まで光陰に頼りっきりだったのがよく判る。情けない事この上無い。
昔の戦友達が会いに来てくれた。
女王陛下の秘書をしている者。軍で戦術を教えている者。天才学者の手伝いをしている者。
作家になった者。花屋になった者。配送業をしている者もいた。
みんな自分の道を歩んでいる。
そんな彼女達と会う度に、息が詰まるような思いに囚われた。
私だけ、自分のすべき事が見つけられていない。英雄と呼ばれても、平和な世の中じゃ何も出来無い。
そんな私の思いを見透かしたのだろうか。作家になった彼女が、一枚の紙を渡してくれた。
それにはある住所が書いてあった。
街の外れ。戦争で破壊され、もう誰も住んでいないような区画。
何をすべきかも判らなかった私は、まるで導かれるようにふらふらとそこへ向かった。
そこには闘技場が在った。
薄汚れたその闘技場の真ん中に彼女はいた。
彼女の対戦相手だろう男に一発拳でお願いして、役目を代わってもらう。
こんな拳の一発で沈むような奴が、スピリット相手に戦える訳も無いだろうに。
闘技場に上がる。
彼女は驚いたふうも無く、軽く私に微笑んで見せた。
『空虚』を取り出す。
彼女も自分の荷物から、『月光』を取り出した。
客席がざわめく。それはそうだろう。
挑戦者が一人の女に叩きのめされ、格闘ではなく剣での、それも永遠神剣での戦いが始まろうというのだから。
永遠神剣を用いての戦いは、軍以外には許可されていない。永遠神剣の力を考えれば当然だ。
でも、そんなこと今は知った事じゃない。
すぅっと世界から音が消える。
彼女の恐ろしいほどのマナを感じる。
刺すような剣気。そして久しぶりに、本当に久しぶりに感じる純然たる殺気。
刹那。
何メートルも離れていた私達は、闘技場の中心でぶつかっていた。
弾けるマナの火花。認識しきれない速さで奏でられる金属音のスタッカート。
避け、弾き、斬る、突く、刺す。
『月光』が円月の軌道を描き、『空虚』が跳ね上げられる。
腹に激痛。蹴りがまともにめり込んでいる。
体がくの字に曲がり、吐瀉物が胃から逆流する。
倒れた私を彼女は一片の容赦も無く蹴る。蹴り続ける。
あまりの痛みに頭がスパークする。
まるであの頃の様。戦争をし、命のやり取りをしていたあの頃。
思い出す。昔の自分を。
……ああ、そうだよ。忘れてた。本当に、完全に、完膚なきまでに忘れてた。
私達は大陸を統一した勇者なんかじゃない。
平和を導いた英雄なんかじゃない。
私達は、スピリットを殺し、人を殺していただけの……
ただの殺人鬼じゃないか!!
止めとばかりに振り下ろされる踵を転がって避け、素早く立ち上がる。
『空虚』を構えなおす。彼女も『月光』を構える。
優しいな。『月光』で私を貫いていれば、勝負はついていたのに。
私が目を覚ますのを待っていてくれたのか。
大丈夫。もう目は覚めた。もう遠慮はいらない。存分に全力で殺し合おう!!
『月光』が煌き、空気が裂ける。光にしか見えない剣筋を読み、避ける。
そうだよ。剣筋が見える訳が無い。相手の動作から、武器の形状から判断して回避するしかない。
全部思い出したよ。だからもう手加減しなくていい。
『月光』が再び煌く。さっきとは比べ物にならない剣閃。
読み、避ける。首が軽く斬れる。問題無い。かすっただけ。
でも、判断が一瞬でも遅れていたら、首と胴はお別れしていた。
これだ。これが戦い。殺し合い。私達がしてきた事!!
『空虚』で突く。刺す。突く。刺す。攻撃がかすり、彼女の二の腕から僅かに煙が上がる。
まともに当たれば黒焦げになる『空虚』での攻撃。
私はこれでどれだけの消し炭を作ってきたのか。
避け、弾き、斬る、突く、刺す。
血飛沫の中、狂気の笑いを浮かべながら私達はただひたすらに斬り合った。
壮絶で、無慈悲で、凄惨で、容赦無い戦い。
……最後に立っていたのは、私だった。
倒れている彼女に息はある。良かったと思う。
でもそれは勝負がついたからこそ思う事。さっきまでの私は、純粋に彼女を殺す為に神剣を振るっていた。
ありがとう。私が何者なのか思い出した。
世界を救った英雄? 平和を導いた勇者?
馬鹿馬鹿しい。私達はただの殺人鬼。戦争というただの殺し合いをし、命を奪いとっただけ。
目が覚めた。
私にはまだしなければいけない事がたくさんある。
罪を償う為に。
光陰が目を背けさせてくれていた。それに気付かずにただ幸せな毎日を過ごしてた。平和で間抜けな私の頭。
倒れたままの彼女を見る。彼女は笑っていた。
見れば彼女の全身には傷痕がある。それらは剣の傷痕だったり火傷痕だったり。
彼女が人間に不覚を取る訳は無い。
だとすれば、彼女はどれだけのスピリットを、こうして導いてきたんだろう。
彼女は光の後ろの影として生き続けている。
凄い女性だと思う。強い女性だと思う。
だからこそ、私は何も言わず、感謝の気持ちを込めて一礼だけして、彼女に背を向けた。
影を確認し、光の方向を確認したら、後は光に向かって進むべきだから。そう、たった今教えてもらったから。
「進め」
背中に声がかけられた。
強くて優しい言葉。
「英雄に、なれ」
「ええ。約束する」
それが私と彼女の交わした最後の言葉。
恐らく、もう二度と会う事も無いだろう。
大丈夫。もう迷わない。
私は光に向かって進んでみせる。