天才さまのアヤマチ

「ユート、悪いがちょっと部屋に来てくれ。少し人手が要るんだ」
 廊下で出くわした途端に、少しも悪いと思っていない顔で大天才さまから呼び出しを喰らった。
 人手が必要なら他のみんなが居る時にすればいいだろうに、
今日に限って自由に動けるのは俺一人だけ。何とも間が悪いと思い、大げさに溜め息をつく。
それをあからさまに無視して先を行くヨーティアに導かれ、久々に研究室へと足を運ぶこととなった。

「うわ、いつもに増して酷いなこりゃあ」
 普段から書物やら実験器具やらでとっ散らかっている部屋だったけれど、しばらく見ないうちにその混沌振りに
拍車がかかっている。下手したら、夜食の食いかすや酒の飲み残しまで残っているんじゃないか。
「五月蝿い、いくらなんでも其処まで汚くするはずが無いだろ。本まで汚れちまうじゃないか」
「それで、この惨状を俺に見せてどうしようって言うんだ」
 待った、そんな察しが悪いと蔑むような目線をくれるな。部屋に入ってすぐに、エプロンに三角巾、
はたきに箒、ちりとりまで完全武装したイオが待ち構えていたことから何をやらされるのかは一目瞭然だ。
「申し訳ありません、ユート様。このようになってしまってはもはや私一人では手におえないのです」
 差し出されたゴミ袋を受け取り、神妙に頷く。さすがにこの混沌の海へとイオ一人を送り出すわけにも行かない。
「全く、どこに何があるかが分かってるんだからまだ大丈夫だって言ったのに」
「お言葉ですが、ヨーティア様がご自分で書物や器具をお探しになった事は久しくありません。
『ソコにあるアレ』で出てくるのは私が場所を覚えているからです。この状態ではもうそれもままなりませんので、
今日という今日は徹底的に整理整頓させていただきます」
 涼しげに、かつ有無を言わせぬ迫力を以ってはたきを握り締めるイオ。その静かな迫力に圧されては、
いかなヨーティアといえど頬を引きつらせて、
「ま、程ほどにしといてくれ」
と呟き、外へと避難するしかなくなったのだ。
 ……手伝うなんて選択肢を彼女に期待するのは間違いだろうな、きっと。

 必要な物はイオにしか分からないため、俺の作業は必然的に完全なゴミの掃除に留まるのだった。
先ほどのヨーティアの言い訳は何だったのか、本の下敷きになっている空瓶。器具の一部かと思うほど昔から
あるように見えた皿。ある程度は文字も理解できるようになってきた今でさえ意味不明な計算式らしいものが
びっしりと書き込まれている丸まった紙。イオが仕分けしている間に出て来たそれらを分別し、
それぞれ一まとめにして袋に詰める。それを片っ端から廊下へと運び出すのだが、どんどん袋が
廊下に溜まっていく。ひょっとしたら、四分の一位はゴミだったんじゃないだろうか。
 徐々に整理されていくに従って、部屋本来の形が明らかになるような心地がする。
重なりに重なった本を退かせばその下からさらに本が出るわ、器材が出るわ、木箱が出るわ。
本当に今日だけで終わるのかと思ったりもしたのだけれど、一度やる気になったイオの
作業スピードはとんでもなく、足の踏み場も無かった床が、跳び石状に歩けるようになり、
さらに片していくうちに入り口からの通路が出来て、寝室へと繋がる道が完成した。
蔵書量が半端でないため、結局床から書物がなくなる事は無いのだけれど、少なくとも貴重であろう本などを
踏んづけてしまう心配が無くなるのは良い事だ。
「何か、あっという間に終わったような気がするなぁ、ほとんどイオがやったようなもんだけど」
「いいえ、あの量の不要物を運ぶのは私では時間がかかりすぎてしまいますので本当に助かりました」
 まあ、そりゃ力仕事は俺のほうが向いてるからな。すぅ、と目を細めて微笑むイオから照れ隠しにそんなことを
考えながら目を逸らした。その拍子に、ふと掃除の最中に発掘された木箱が目に入る。外から見ても
結構丈夫そうなつくりになっていて、どうやら釘か何かで打ち付けられていた跡がある。あれはもしかして。
「どうかなされましたか?」
「うん、あの木箱なんだけどさ、俺の記憶が確かなら結構いいものが入ってたはずなんだ、
ヨーティアもいないことだしちょっと頂いて楽しもう」

 あんな所に埋もれていたんじゃ、ヨーティアだって忘れてるだろう。手伝いもせずにどっかへ
行っちまったんだから、ちょっとくらい彼女の取り分がなくなってもバチは当たるまい。
水割りくらいにしておけば、イオだって楽しめるだろう。
「よろしいのですか、勝手にヨーティア様の物を……」
「まあ、ひょっとしたら中身が無いから無造作にほっぽってたのかもしれないし、そうならゴミ袋行きが増えるだけだろ。
中身があれば、そうだな、掃除のご褒美ってことにしちまっていいんじゃないか」
 言いながら持ち上げてみれば、中身があると確信できる重さがあった。
既に釘も外されているため、すぐに開ける事が出来るだろう。机のあいているスペースに乗せて、
イオと共に軽く覗き込みながら蓋になっている部分を外した。中から出てきたものは果たして。
 先ずは一本のガラス瓶。予想通りのものだと思ったのもつかの間、引っ張り出してみると
中身の液体は琥珀の色ではなく、怪しげな桃色、さらに奥にあるものは。
「……こ、これは……!?」
 口を開いて硬直してしまった状態から抜け出せないうちに、廊下からどたどたと足音が聞こえ、
ばたんっ!と扉が開く。
「イオ、ボンクラ!本の下の器材の下敷きの木箱は掃除しなくていいぞ!ああそうだ、
そこに何があるかは分かっていたんだ、ただ、注意しておくのを忘れていただけで…………」
『……』
「……あ」
 もしも。もしも木箱から出てきたのがこの瓶一本ならその効果を知るのはヨーティアのみの
怪しげな液体ということで済んだだろう。だけれども、恐らく怪しげな物を隠すには怪しげに散らかった物の中、
というコンセプトの元に仕込まれたこの秘密の木箱に封じられた物はそれだけではなかった。

 どう名状した物か、その、アレ。男のモノを象った器具に、紐付きの球体、
さらには書き物には全く向いて無さそうな羽ペン状の物体などいわゆる「おとなのおもちゃ」の数々。
驚くべきことには、その大概に小型のエーテル動力装置が仕込まれているようだ。
 ……分かるさ。だって、掴んでしまった張り型が震えているんだ……
 正直、勘弁してくださいという他無いラインナップの中にこの液体。
まだ記憶に残る、あのとんでもない薬であることに間違いは無い。
「……これが、結構いいものですか……どのように楽しむのか聞かせていただきたいのですが」
「いや、違う!ほら、やっぱり俺の記憶なんて当てにならないから!」
 先ほどとは違った意味で細められた視線がチクチクと突き刺さる。
「く、くくく、そうか、見てしまったか……」
 ひやり、と背筋が凍る声色でヨーティアが死の宣告とも取れる音――後ろ手に鍵を閉めた――を響かせる。
いつの間にやら、イオまでがはたきを剣のように構えてこちらに相対している。
つられてこちらまで手にしている物を構えては最悪の事態だ。すぐに放り出したけれども、
偶然入ったスイッチの切り方もわからず、机の上で気まずい雰囲気を増加させる重い音が響き続ける。
「なに、帝国時代の若気の至りという奴だ。
使った事があるのはその薬だけだが……そういえば他のモノの使用実験をしていなかったな……」
 聞かれてもいないのにすらすらと説明がヨーティアの口からなされて行く。
本当かどうかなんて俺には分からない、ただ本当だと思っておいた方が良いという類の話であることには違いない。
 どちらにしても、これから俺の身に起こることが変わる訳ではなさそうだ。ひた、ひたとヨーティアが近寄り、
机の上の物体を手にとり、振動を止める。じりじりと追い詰められるように後ずさるしかない俺だが、
すっかりと自分が今まで何をしていたのかを忘れていた。足を運びやすい方向へと進んでくという事は、
それすなわち出来上がった通路を部屋の入り口とは反対方向へと、つまりは寝室方面へと
入り込んでいくことになってしまっている。それに気付いたのは、まだエーテル灯の点いていない
薄暗い部屋の中に足を踏み入れてからだった。

「いい子だ。自分から実験に志願するなんてねぇ。……イオ、その木箱を」
「はい」
 うわ、そんな興味津々に目を輝かさなくても。
 さらに一歩、一歩と足は後ろに。その途端、予想しなかった物が俺の足を取った。
研究室はきれいさっぱり整理されている、けれども私室の中は未だ未整理。
「あ、れ?」
 ぼすん、と腰を落とした先にはいつぞやのベッド。明かりの灯っていない天井を見上げていた
視線を入り口に向ける。向こうの部屋から入ってきている光が、二人の姿をシルエットに見せている。
その僅かな光が閉じられた扉によって遮られた。慣れない暗闇の中で、影になっている片方から機械音が発される。
「ふ、ふふふふふふ……何も怖がることは無い。悪いようにはしやしないさ」
 かちかちと鳴る歯の音を他人事のように聞きながら、俺に出来るのはただ無様にズボンの尻を押さえるだけ。
 徐々に形をはっきりとさせる二人の影を呆然と眺めながら、頭の中では現実逃避のように、
みだりに女性の部屋を物色するのはイケナイことだという、今さらな後悔が湧いては消えていった……