物語の裏で

 レスティーナはソーマ・ル・ソーマを打倒すべく、ヒミカ、セリア、ファーレーンの3人に指示を与えた。
 過去に因縁のあるソーマに出会って、エスペリアが冷静を保てるとも思えない。
 かつてウルカの部下だったものを指示しているとの報告を受けている以上、ウルカを出すのも憚られる。
 戦略に長けている相手に、比較的経験の浅い年少組、そして直情的な悠人や今日子を出すのもいまいち不安が残る。
 性格の素直なアセリアやナナルゥは格好の罠の標的になる可能性がある。
 光陰が適任な気もするが、サーギオスとぶつかっている今、防御の要となっている彼が抜けるのは痛い。
 同様の理由で、緑スピリットのハリオンとニムントールも使えない。
 それらを踏まえた上でのレスティーナの人選である。

 サーギオス領にて、3人はソーマを追い詰めた。
 しかしソーマは3人を嘲笑うかのように罠にはめる。
 全員がソーマズフェアリーに囲まれたかと思ったが、その囲いから逃れていた者が一人。ファーレーンである。
 自らの仕掛けた罠に絶対の自信を持つ者は、それを破られた時に意外な脆さを見せる。
 その罠も又同様。僅かな綻びからあっさりと瓦解する。
 余裕を見せて既に背を向け、その場を離れていたソーマは、その罠が食い破られている事に気付く事が無かった。
 3人を囲んでいたソーマズフェアリー、その6体の内4体が金色の霧となったところで、ファーレーンは戦線を離脱する。
 それはソーマを追う為。
 十分にソーマが仲間の戦うこの場から離れたと判断した為。
「私は目標を追いますね」
「ああ!! 頼んだ、ファーレーン!!」
「気をつけて!!」
 仲間の言葉を背に受けて、ファーレーンは闇に紛れて、消えた。

 ソーマは薄暗い森の中を悠々と歩いていた。
 愚かで単純なスピリットをまた狙い違わず罠にはめた事に、昏い優越感に浸りながら。
 そう、思っていたから。 
 ひゅうっとひとつ、風が吹いた。
 ソーマの隣にいた護衛の2体のスピリットが不意に倒れる。
「? どうしまし……ひいっ!?」
 2体のスピリットは首を切り裂かれ、ぱくぱくと声にならない叫びを上げていた。
 喉からひゅうひゅうと漏れる息もやがて無くなり、スピリットは苦悶の表情で金色のマナに返る。
 ソーマは動けない。逃げ出そうにも、どちらに逃げていいのかすら解らない。
 恐怖に慄きながら辺りを見る。そして視界に入る微かな違和感。よく見れば、真後ろに黒いスピリットが立っていた。
「ひ、ひいっ!?」
 彼女はいつからその場所に立っていたのか。一切の音も気配も無く。ただ、在った。
「お、おお、おま、お前は!?」
「月光のファーレーン」
 ファーレーンが感情の篭らない平坦な言葉で問いに答える。
 その冷たい声にソーマは戦慄する。質問をぶつけた事を後悔する。その名乗りは、ソーマの耳に死刑宣告と響いたから。
 ファーレーンの真価は、正面からぶつかる戦闘では無く闇に紛れた暗殺でこそ発揮される。
 スピリット隊の中でその姿を見せる事はしない、ファーレーンの暗殺者としての姿。
 そのファーレーンがソーマにこの場であえて姿を見せ、名を名乗ったのにはいかなる理由があったのか。

「他者を見下し貶める者は、下しか見ていないがゆえに自分より上にいる存在に気付かない」
 怯え後ずさるソーマと、ファーレーンの距離はまるで離れない。それは本当に影の如く。
「自身が他者に見下ろされている事に気付かない」
 ソーマが背を大木にぶつける。ひいっ!? という声と共に、ソーマが腰を抜かしてへたり込む。
 ファーレーンは、ソーマに近づくペースを、緩めなかった。
 ゆっくり、ゆっくりと距離が詰まる。
「わ、私は人間ですよ!! スピリットが人間を殺してもいいと思っているのですか!?」
 ソーマが叫ぶ。
 ソーマ率いる帝国の妖精がソーマズフェアリーと呼ばれ、大陸の恐怖の的となったのはこの一点。人を殺せるスピリットであるという事。
 それまでのスピリットは、人にとって安全な兵器だった。人はそれゆえに、これ以前の戦争を深く考える事すら無かったくらいだ。人間達に直接の被害は来ないのだから。
 スピリットは人を殺せない。それがこの世界の常識だった筈。
 そんなソーマの淡い期待をファーレーンはあっさりと斬り捨てる。
「人の命もスピリットの命も関係ありませんね。私にとって価値があるか否か。それが私の判断基準の全てですから」
 ファーレーンは実のところ今のラキオスにあって唯一、人を迷わず殺せるスピリット。
 それは仲間には決して見せない負の面、裏の顔。
 ファーレーンはラキオスの勝利にも、スピリットと人との共存にもさしたる興味は無い。二次的な興味しか無いと言った方が正しいか。
 全てはニムントールや悠人、そして友人達の為。彼彼女らがそれを望んでいるからこそ、ファーレーンは刀を振るう。
 ニムントール達の笑顔の為ならば、スピリットを殺す事も、人を殺す事も厭わない。

「私とあなたは似た者同士です。だからこそあなたの作戦が私には手に取るように解った」
 一歩。また一歩。ソーマに近づいていく。
「自分の大切な者には優しく、そうでない者には限り無く残酷になれる」
 迷いの無い足取りは、しかし僅かな足音も、一切の衣擦れの音も無く。
 それをソーマが意識して気付く事は無かったけれど、無意識下でソーマの本能に恐怖を刻む。
 ソーマの全身は傍目にも判る位にがたがたと震え、冷たい汗を噴き出している。
「世界はその大切な者の為だけにあり、その為ならば何でも出来る。どんな手段をも躊躇い無く使える」
 ファーレーンの言葉は、ソーマに対して喋っているのでは無く最早一人語り。
「大切な者の為ならば何でも手に入れるし、何でも捨てる。例えそれが地位であっても名誉であっても財産であっても、大切な者以外の一切、世界のあらゆる物その全てを道具とする事に迷いは無い」
 なぜなら、ソーマの声はファーレーンの耳に入っていない。全く興味が無いから。
「ただ一点だけ、私とあなたが違う事は……」
 ソーマの必死の命乞いも、虫の音ほどの興味すらファーレーンには与えない。
「あなたは自分自身しか好きになれなかった事。私は好きになれた仲間達がいる事。かけがえの無い存在のいる事。それだけの、でも決定的な違いです」
 ソーマを見るファーレーンの瞳には、何の感情も篭っていない。
「私とあなたは似た者同士。あなたも少し考えれば判るんじゃないですか? 私があなたをどう見ているか」
 這いつくばり必死に助けを請うソーマを映しながら、哀れみも怒りも、一切の感情が篭らないガラスの瞳。
「私にとって、あなたは無価値」
 ファーレーンは無造作に『月光』を突き出し、命乞いをするソーマの心臓を一突きにした。
 訳が解らないといった表情で、ソーマは最後の言葉を吐き出し、倒れる。
「こんな……筈では……」
 それがソーマ・ル・ソーマの最期の言葉。
 そこで初めて、ファーレーンはソーマの声に反応して表情を僅かに、ほんの僅かに変えた。
「『こんな筈では……』ですか。自分以外の一切を信じられず、最期には唯一信じていた自分にすら裏切られる。
 愚かで無様で醜く惨め。どこまでもあなたらしい辞世の句です。最期の言葉だけは分相応だったと認めざるを得ませんね」

 それから少しして、ソーマズフェアリーを倒したヒミカとセリアもファーレーンと合流した。
「やったわね」
「よし、作戦成功。さっさと帰ってシャワーでも浴びよう。結構疲れちゃったよ」
「ええ。そうしましょうか」
「それにしても、今回もファーレーンのおかげで助かったな」
「そうね。ファーレーンだけは敵に回したくないわ」
「ふふっ。おだてても何も出ませんよ。さて、帰りましょうか。皆が心配してくれているでしょうから」
 ファーレーンの笑顔。
 それは偽りでは無い、心からの笑顔。
 こうして笑っていられるように、ファーレーンは刃を血に染める。