穏やかな移ろいの中で

カランカラ~ン
「あっ、いらっしゃいませ~ぇ」
なぜかカウベルが備わっている扉を開くとそこは喫茶店だった。
「ってなんでやねんっ!」
思わず突っ込む。なんかいい匂いがしたから寄ってみたのだがまさか第二詰め所を訪ねたらカウンターがあるとは思わなかった。
「あら~ユートさま~、今日初めてのお客さまですね~」
そしてそのカウンター越しにはにこにこ顔のハリオンがコップを拭いている。
「いや看板もないんじゃ客もこないだろ…………ってそうじゃなくて!なんだこれはどうしてこうなるなにをやってるんだーっ!!……はぁはぁ」
「そんないっぺんに答えられませんよ~、ふふ、とりあえず座ってくださいな~」
「………………」
釈然としないものを色々と抱えながらも取りあえず落ち着こうとカウンターチェアーに腰を下ろす。
改装されて随分と狭くなった詰め所をきょろきょろと見渡すと部屋のあちこちに常緑の樹が配置されて懐古的な感じを醸し出していた。
高い天井にはご丁寧にも巨大なシーリングファンが回っている。どうやって回しているのかは深く考えないことにした。だってハリオンだし。
テーブル席は見当たらない。奥の片隅にジュークボックスがぽつんとあるだけだ。…………ジュークボックス?いや、考えるな、ハリオンだ。
大体BGMが聞こえてくるわけじゃないしきっとなにかよく似たものを置いているだけだろう……たぶん。
世界の不条理性と必死に格闘しているとことりと目の前にコップが置かれる。
「それで~今日は、なにになさいます~?」
呑気な声は先程の俺の質問を完全に無視していた。

「なぁ、みんなはどうしたんだ?」
俺は努めて冷静にもう一度同じ質問を繰り返した。するとハリオンはむ~と頬を膨らませ、目の前に指を立てて身を乗り出す。
「駄目ですよユートさま、お客さまはまずご注文をしないとめっです~」
急に迫ったハリオンはよく見るとメイド服だった。思わず胸の方に目がいってしまう。豊満過ぎるそれはカウンターの上にぷよんと置かれて揺れていた。
(う……)
慌てて目を背ける。いかん。なんか知らんがこの喫茶店は色々と危険な匂いがする。
「あ、ああ……じゃ、コーヒーを」
「はい~、しばらくお待ち下さいね~」
俺の答えに満足したのかハリオンは微笑んで後ろでミルを挽き始めた。っていうかコーヒーあるのか?
(まさかメーカーまであるんじゃないだろうな…………)
考えるのを諦めてハリオンの後姿をぼんやりと眺めてみた。エスペリアに借りたのだろうか、濃緑のレーススカートがお尻の動きに合わせてひらひらと舞っている。
「んしょ、んしょ…………」
「………………」
はっ!しまった、ついお尻に視線が釘付けになってしまった!これじゃまるで変態じゃないか。
……でもハリオンってスタイルいいよなぁ…………胸もふかふかだし一緒にいて安心できるし…………ってそうじゃなくてっ!
「な、なあハリオン、みんなどこ行ったんだ?」
俺は妄想を振り払うようにハリオンに話しかけてみる。
「さあ~、みなさんまだ眠ってらっしゃるようですよ~」
「ふ~ん珍しいなこんな時間まで……で、これはハリオン一人で準備したの?」
「いいえ~まさか~。ヨーティアさまが手伝って下さいまして~。前から一度やってみたかったんですよ~」
なるほど、それなら納得がいく。あの自称天才ならこのくらいこなすかもしれない。俺は片肘を付きながらそんな事を徒然と考えていた。

「はい~お待たせしました~」
やがてことり、と少し大きめのカップが目の前に置かれる。黒いその液体からは確かに芳醇なコーヒーの香りがした。地獄の様に……だったっけ。
「おっ、本当にコーヒーみたいだな。どうやって作ったんだ?」
「それは~ひ・み・つ・です~」
イタズラっ娘のように片目を閉じてハリオンが答えた。俺は苦笑いを返してカップに口を付ける。
「……おお、旨い。これなら本当に喫茶店開いても成功するかもな」
「いやですわ~お世辞を言ってもなにも出ませんよ~」
そう言いながらまんざらでもないのだろう、ハリオンが嬉しそうに両手を頬に当ててくねくねと身をよじらせる。俺は調子に乗って続けた。
「いや、ホントに。中々この味は出せないもんだぜ…………ってアレ?アレレ?」
「どうしましたかユートさま~?」
「あ、ああ…………いや、なんだか体が…………」
「ふふ、効いてきましたね~」
なんか視界がおかしい。ぼやけるような回るような…………効く?
「おい……まさかハリオン…………」
「はい~、これでユートさまはわたしのものです~」
にこやかに笑うハリオンの妖絶な表情がぐるぐる回る。そこで俺はやっと悟った。みんながいない訳。そして配置されている常緑の樹。
「そうか…………食虫植物か…………」
その呟きを最後に俺の意識は深い闇へと落ちて行った。

見上げると眩しい陽光。大きく傘を広げた大樹の葉の影がちらちらと顔を撫でている感覚。まだボンヤリとしたままそっと目を開ける。
「おはようございます~よくお眠りになりましたか~」
「うわっ!ハリオンっ!!」
目の前にハリオンの顔……じゃなくて胸があった。慌てて起き上がろうとすると顔を温かい太腿に押さえつけられる。
「あん、だめですよ~、そんなに暴れないで下さいね~」
拍子に挟まれた上下のぷよぷよな柔らかさに動けなくなる。大人しくなった俺にハリオンの優しい声が続けた。
「ユートさん~、気持ちのいい日差しです~」
またぼんやりと昔のことを思い出しているのだろう。第二詰め所の仲間達。激しかったファンタズマゴリアでの戦い。今は遠い、懐かしい想い出。
「…………ああ、たまにはいいよな、こんな穏やかなのも」
「はい~…………ふふっ…………」
見えなくても判る。きっといつもの様に柔らかく微笑んでいるのだろう。全てを包み込むような、そんな笑顔で。
先程の夢を思い出す。そうだ、俺はずっとこの笑顔に捉えられたままなんだ。これまでも、そしてこれからもきっと…………
「この任務が終わったら、時深にちょっと休暇を貰ってさ」
「え~、なんですか、ユートさん~?」
俺は手を伸ばしてハリオンの頬をそっと撫ぜる。そしてくすぐったそうに、でも嬉しそうに目を細める最愛の妖精に囁いた。

 
 ―――――喫茶店でもやってみようか…………