ふたりはお菓子屋

「はい、ヨフアル二つですね~?それじゃあお代はこちらに。熱いので、ふ~ふ~して食べてくださいね~」
「うん、お姉ちゃんありがとー!」
 町の一角にあるお菓子屋さんの、通りに面した窓から柔らかな声が響く。
ありがとうございました~、と袋を抱えた子どもを見送る姿は、見る者の心まで本人と同じような
春の野原の雰囲気に染めるほんわかとした笑顔。深々と下げた頭をゆったりとしたペースで上げて、
その笑顔の主、ハリオンは店の中を見回した。
 小ぢんまりとした店舗の中にはヨフアルの他にも色とりどり、種類も様々なケーキ類やクッキー、
ビスケットなどが並んでいる。気を抜くと甘い匂いに誘惑されてふらふらと手を伸ばしそうに
なっているけれど、さすがに商品に手をつける事はしていない。
「今日のお仕事が終わったら、おみやげに頂きましょうかね~」
 名残惜しそうにケーキの棚から視線を戻し、買い食いのお客さん用の窓に身体を向けた。
 時刻はお昼のピークを過ぎたあたり。店の中にも通りにも、ほとんど客の出入りは無く、
ぽかぽかと降り注ぐ柔らかな日差しを浴び、行き過ぎる爽やかな風に吹かれて、ハリオンはそっと目を閉じる……

 そのまぶたの裏に映る光景は、レスティーナが女王に即位し、現金による取引が出来るようになった頃のこと。
悠人の提案により金銭管理を学ぶと言う名目で部隊全員にお小遣いが支給され、
手続きのことを考えると訪れることは決して認められ無かったお菓子屋さんに
ちょくちょくと足を運ぶうちに店主に顔を覚えられてしまったのだった。
 ハリオンも、店の菓子の味に惚れこみ、買って帰っては自身のレシピを強化すべく研究する日々を送った。
 そんなことを続けていれば、困ったことになるのも当然のことで。

「ねぇヒミカ~。ちょっと、お願いがあるんですけど~」
「お願い?ハリオンが、私に?」
 少しお茶でもどうですか~、と誘われた先でヒミカはこの発言を聞いた。
珍しいこともあるものだとヒミカは目を丸くしてハリオンに向き直る。目はいつものように笑みの形を整えているが、
眉を申し訳無さそうに寄せて両の手のひらを口元で合わせるポーズは、悠人が広めたハイペリアの「お願い」の
仕草だった。ヒミカからちょっとした手伝いを頼む事はままあるが、大抵を驚異的な速度と出来で仕上げてしまう彼女が
何を頼むというのか。私にできることならいいけれど、とヒミカは覚悟しながら次の言葉を待つ。
「あの、ですねぇ……お金を、貸してください~」
「……はい?」
「だから、お金を~」
「待ちなさい。頼みごとの中身は分かったから、どうしてお金がいるのか聞かせてちょうだい」
 ハリオンがかなりの頻度で町に出かけていることは周知のことだった。そして帰ってきては厨房に引っ込み、
食卓にデザートが追加されている。材料なり何なりを仕入れているのなら食材費で済ますことも
彼女なら可能だろうから、他にはどんな使い方をしてしまっているのやら。
「えぇっとですねぇ、城下町に、とぉってもおいしいお菓子屋さんがありましてぇ~……」
 ゆったりとしたペースの語り口に、ヒミカは思わず言葉の切れ目のたびにうん、うん、と相づちをいれてしまう。
初めてその店のお菓子を食べたときの感動、店のたたずまい、品揃えなど、恐らく本題に関係無さそうなことまで
飛んでいく話を、いつものことだからと根気良く聞き続ける。下手に修正しようとするとまた最初から始まってしまう
ことは経験から分かっているので、こうするのが一番早い。はたから見れば舟をこいでいるような間隔で頭を
上下していると見えるのは、かなり恥ずかしいのだけれど。

「それでですねぇ、真似をしようと研究の為に食べ続けているうちに、ついつい使い込んでしまって~」
「うん」
「そこで、申し訳ないんですけどぉ、次の研究のために少し融通してもらえないかなぁ~、と」
「う……ん、じゃないっ!ダメに決まってるでしょっ」
 危うくつられて頷いてしまうところを、ヒミカはすんでのところで首を左右に振りなおす。
「えぇ~そんなぁ~」
「あのね、無駄遣いをしちゃだめだって、ユート様も仰ってたでしょう。
オルファやネリーだってそんなにぽんぽん買い食いばっかりしてないわよ、
それなのにあなたって人は……はぁ」
「無駄じゃありませんよぉ、私がそのお店の味を再現できたら、
みんなももっと美味しいお菓子を食べられるんですから~」
 うっすらと涙までためながら、合わせていた手の指を組んでハリオンはさらに「お願い」を続ける。
ずいっと詰め寄ってこられて、潤んだ瞳を向けられるのは誰であろうと苦手であろう。
「ダメ、そんなことに使うためには貸せません」
 ふいと身体をハリオンの正面から背けて、冷めてしまったお茶を一口。確かに、お菓子を専門店で買える位の
蓄えなら十分にある。けれど、今まで手伝ってもらった分の借りを返すのなら、お金よりも同等の労力でないと
筋が通らないとヒミカは思う。それに何より、ヒミカにも貯金をする理由があった。

「ど~しても~?」
 何時の間にかハリオンは向かいの椅子から立ち上がり、再び目の前で瞳を潤ませている。
「ど……どうしても!」
 町に出かけて通りかかった先で見かけた雑貨店。そのショーウインドウの中に納められたおしゃれな万年筆。
「うう~」
「唸っても、ダメな物はダメだったら……」
 ヒミカたちが貰っている金額を考えれば、あと数ヶ月分の値段がついていた。
「しょんぼりですぅ~」
「……あぁ、もう……」
 だけれども。やはり目の前でこれ見よがしに落ち込まれては気が重い。甘やかしてはいけないと思いはするが、
普段はどちらかと言えば頼りにしているのはヒミカの方だ。気取られないようにそっと溜め息をついて、
ヒミカは出来るだけ突き放した調子で呟いた。
「で、そのお店はどこにあるの?」
「え……?」
「そんなに美味しいお菓子を、あなたったら一人で食べちゃったんでしょ。私たちにはその物まねを出しておいて。
いい?私が食べたいから買いに行くの。話につられてつい買いすぎちゃうかもしれないけど、ね」
「ひ、ヒミカ~ありがとう~」
 落ち込みの底から幸福の頂点まで駆け上ったらしいハリオンは、感極まった様子でヒミカに跳びついた。
頭にくるくらい豊かな胸に抱えられながら、ヒミカは静かに万年筆を持つ自分のイメージを少し先に遠ざける。
 この行いがどのような結果を生むのか、この時点ではヒミカには知る由も無かった。

 そして、再び現在。
「ハリオン!店番の最中に居眠りしちゃダメだって何回言えば分かるの!」
 厨房から、追加のヨフアルを箱一杯に入れて運んできたヒミカがハリオンの肩を小突く。
その刺激よりも、鼻腔に届く焼き立てのヨフアルの香りに反応してゆっくりと目を開いた。
「えぇ~、わたし、寝てませんよぉ~?」
 しょぼしょぼと瞬きを繰り返しながら言っていても、説得力は無い。
「あのね、それじゃ今どのくらいの時間か分かってる?」
「はい~。えっとぉ、お昼の休憩が終わって、ついさっき、男の子にヨフアルを二つ買って頂いてぇ……」
「そう、その頃からうつらうつらとし始めてたわけね」
「え、それじゃあ、今はぁ……?」
 答える代わりに、ヒミカは店の前に出来上がりつつある行列に視線を移す。
つられて顔を動かしたハリオンにも、おやつ時を見計らって焼きあがるヨフアルを求めて
やって来た客たちの姿が見えた。
「あらあら~?」
 既にこのやり取りにすら慣れが生じ始めている客たちにも、ヒミカと同じく呆れ半分、諦め半分の笑みが浮かぶ。
「それじゃ、ハリオン。居眠りしていた時間分はお給金から引くように言っておくから」
 ヒミカが懐からメモ帳、あるいは閻魔帳を取り出し、さらさらと書き込んでいく。
眉を寄せて落ち込むハリオンに、ヒミカはにやりと笑みを深くしながら、
まだ新しいと見て取れる万年筆をポケットにしまい込んだ。
「それが嫌なら、今からしっかりと仕事をしないとね。さ、忙しくなるわよ」
「分かってますよぉ、ご主人とヒミカのヨフアルは大人気ですからね~」
「一足先に、免許皆伝を貰ったあなたに言われてもね……」
 ぽつりとこぼしながらも、ヒミカが自信作となった手製のヨフアルを見て満足げに口元を緩める。
 何時の間にやらずらりと整列した客たちを視界に収めながら、ふたりはとびきりの笑顔で客を出迎えた。