純白の翼 

 ラースが襲われた。
 ラキオスに所属するスピリットの数は多くなく、スピリット隊の殆どの者は前線に出払っていた。
 その隙を突いての奇襲だった。
 ラキオスで休息を取っていたネリーとシアーに出撃命令が出た。
 是非も無かった。
 いかに敵との数の差があろうと、いかに二人が幼かろうと、ネリーとシアーはスピリットだから。

 …………。

 敵は何とか撃退した。
 だが、戦いの中でシアーは重傷を負った。
 左の肩口から胸にかけて大きく切り裂かれ、どくり、どくりと、心臓の鼓動に合わせて血が溢れ出ていた。
 まだ生きているのが不思議な程の大怪我だった。
「痛いよぅ……ネリー……痛いよぅ……」
「誰かっ!! シアーを助けてっ!! 助けてよぉっ!!」
 ネリーが半狂乱になって叫ぶ。
 必死の形相で叫ぶネリーに、しかしそれを見るラースの人間の視線は冷めたものだった。
「来るのが遅いんだよ……ったく」
「死んじまえ。役立たずのスピリットが。うちの庭が荒れたじゃねぇか」
「使えねぇ奴」
 罵声に、やがて石つぶてが交じる。
 この世界での正常な対応。
 スピリットは戦いの道具であり、役に立たない道具に価値は無い。
 ネリーは、投げつけられる石から瀕死のシアーを庇って覆いかぶさる。
 背中に、頭に、石がぶつけられる。
 額から血を流しながら、それでもネリーはシアーを庇う。
「ネリー……どこ……見えなぃ……どこ……ぉ……」
 シアーの声が小さくなっていく。
 やがて声は、しなくなった。
 思わずネリーが体を上げたところに、ちょうど飛んできた石がシアーの頭にぶつかった。
 力無く、かくんとシアーの首が傾く。
 シアーの体が、マナの霧に変わっていく。

―――何の為に、シアーは戦ったのよ。
  私は、何の為に戦ってるのよ。

 半ば金色の霧と化していたシアーの亡骸に、ネリーは静寂を突き立てた。
 孤独が砕け、シアーの形が無くなり、マナの霧は静寂に飲み込まれた。
 ネリーは人間達の方に向き直った。
 形の良い唇が、呪いを紡ぐ。

―――いらない。こんな世界いらない。
  消えて。全部無くなって。

 …………。

 数十分後、セリアが息を切らせてラースに到着した時、朱色の静寂がラースを支配していた。
「何……これ……」
 思わず口を押さえ、息を止める。
 スピリットは死ぬとマナの霧と化し、死体を残さない。
 それは残酷な事なのか、慈悲深い事なのか。
 いずれにせよセリアは、多くのスピリットの死に触れてきてはいても、死体には慣れていない。
 粘性の朱い水溜りの臭いと、あちこちに転がる断末魔の表情に、胃の中のものを戻しそうになる。
 突如、ばたん! と民家の戸が開いて、右腕の肘から先を失った男の子が飛び出してくる。
 男の子はセリアを見、目を大きく見開くと「ひっ」と小さく息を呑んだ。
 立ち竦んだ男の子の胸から刃が生えた。
 小さく呻き、崩れ落ちる男の子の後ろに立っていたのがネリーだと、セリアにはすぐには判らなかった。
 ネリーは全身を朱く染め、瞳に固い意志を漲らせていた。
 翼だけが、一滴の染みも無い純白の光を返していた。
 セリアはその穢れの無い純白の翼を見て理解した。
 ネリーは白過ぎたから、世界の灰色に耐え切れなかったのだと。

 …………。

 流す雫が、抱いたネリーの顔に零れ落ちる。
 まるで、ネリーも泣いているかの様に、雫がネリーの頬を伝って、落ちた。
 ネリーの首が金色に霞み、形を失っていく。
 マナの霧が熱病に飲み込まれる。
 残ったのは、静寂を濁す静かな泣き声だけだった。