蒼く青い妖精

「いったい何のようですか? こんな夜中に、しかもこそこそと」
めずらしく覆面を外しているファーレーンが、苦悩の表情を浮かべているセリアへと問いかける。
ごめん、と短く返答した彼女は、くしゃり、と髪を掻き揚げた。
「もしかして、寝てた?」
「いえ、……寝よう、とは思っていましたけど。
机の上に手紙が置いてあるのに、私が気づかなかったら、一晩中待っているつもりだったんですか?」
声に非難を乗せてファーレーンが言う。
「来ないなら来ないでよかったのよ。その時はその時。――ただ、わたしが納得できる答えが欲しくて」
セリアが夜空を見上げる。リュケイレムの森。ファーレーンの視界に映る木々はそうゆう名だ。
どこからどこまでが木で、森なのかファーレーンはふと疑問に感じ、けれどセリアとの話には関係ないな、と自らの思考を切り捨てた。
「答え?」
「そう、――答え」
背後に木の感触を確かめながら、セリアが寄りかかる。ファーレーンには少し申し訳ないな、と思いつつ。
「曖昧すぎますね。……全ての事柄に答えがあるのなら、私たちスピリットは――――いえ、忘れてください」
ファーレーンがかぶりを振る。その様子を見て、
「失言ね。珍しい」
おかしそうにセリアが笑う。
ばつの悪そうな顔でファーレーンがセリアを見る。それもまたセリアを笑わせる一因となった。
「……ごめんごめん。あなたって変なところで子供っぽいわよね。
ニムの手前お姉さん風吹かしてるけど、妹になったほうが相応しいんじゃない?」
「ハリオンですか?」
「ええ、ハリオンの」

セリアが答えるやいなや、今度はファーレーンが笑い出した。
ハリオンの前ではみんな妹ですよ、とファーレーンが目尻に涙を浮かべて答え、全くもって同感だわ、とセリアが答えた。
「はー、久しぶりにここまで笑った気がします。笑いがカンフル剤っていうの、なんとなく理解できますね」
何の? とはセリアは尋ねなかった。そんな分かりきった事。
「そうね」
だから、セリアは短く返答した。敏感にセリアの雰囲気を察したファーレーンは、目尻に浮かんだ涙を拭い、
「そろそろ、本題にはいりましょうか」
そう、切り出した。

「ファーレーンはさ。恋っていうの、どう思う?」
ファーレーンの脳内に一人の男性が浮かぶ。動揺を悟られないように、ゆっくりと息を吐いてから言った。
「どう思う、と言われても。……素敵なことでしょう?」
「そんなことじゃなくて、私たちはスピリットでしょう? 他に悩むべきことがあると思うのだけれど」
妖精趣味。いや、違う、とファーレーンは思った。妖精趣味は、人間が妖精を性の対象として見るときに使う言葉だ。
じゃあ、この場合はどう言うのだろう?
ふと、昔のことを思い出した。エスペリア。彼女もまた、ラスクという人間に惹かれたスピリット。
知っているのは、古株のハリオンと自分くらいなものだろう。あの時のことは、一種の禁忌じみていて、誰も触れようとしないのだから。
「――どうかしたの?」
なにやら考え込んでしまったファーレーンを不審そうな目でセリアが見つめる。
なんでもありませんよ、と答えようとしてファーレーンは思いとどまった。彼女は、どう思うのだろうか?

「そう、とても、――ではありませんが、昔のことです。……一人のスピリットが居ました」
独白のような声色。セリアは不審そうな目つきのままだったが、ファーレーンの表情の前に割り込めなかった。
「彼女はとても幼くて、自分をしっかりと見てくれる彼に惹かれていきました。
彼にとって彼女は、――妹、……みたいなものだったのだと思います。
それはある意味皮肉で、とても悲しいことです。彼にとって妹とは、守るべきものです。
――――ええ、どうしようもありませんでした! 妹とはいえ、彼女はスピリット! 彼女を守るために彼は命をかけました!
結果は彼の勝ちです。ですが、それはあくまで結果論。結局、彼女は彼を失ってしまいました」
ぼろぼろと、涙を流しながらファーレーンが叫ぶように言った。
セリアには全然意味が分からなかった。あまりにも断片すぎる。
彼というのがもしかしたら――、とは思ったけれど彼の妹はスピリットではないし、そもそも彼は死んでいない。
ファーレーンが、何度か深呼吸し、
「――――すみません」
と、言った。
それは、何に対する謝罪なのか。少なくとも、セリアに対するものでは無いことは、雰囲気で理解できた。
ぐ、と涙を拭ったファーレーンは、
「感情的に成りすぎました。――例え話です」
「そう」
「急に変なことを言い出しちゃいましたね。――セリアが言いたいことは、ある程度ですけれど分かります。妖精趣味……ですね?」
あからさまに話を逸らしている。
けど、セリアはファーレーンの『例え話』にこれ以上踏み込むべきじゃない、と判断した。
彼女は、強い。肉体的にも、精神的にも。なら、彼女は自分自身の力で解決できるはずだ。
それに比べて、なんて自分は弱いのか。
――仕方ないじゃないか。好きになってしまったのだから。惹かれてしまったのだから。愛おしいのだから。

「…………」
無言は肯定。
「――やっぱり、ね」
溜息を一つ。なんて置き土産をしてくれるのだろう。ファーレーンは心の中であの男を百回くらい殺した。
あの男、ソーマ・ル・ソーマを。
ファーレーンは妖精趣味、というのをそれほど忌避していない。
まぁ、勝手に性欲の対象として見られることには嫌悪感を抱くけれど、それは人間とて同じだと思う。
思いあって結ばれるのなら、素晴らしいことで素敵なことだと思う。
けれど、セリアは別だろう。
ソーマ・ル・ソーマがラキオススピリット隊を滅茶苦茶にした際に、ラキオス王はスピリットに妖精趣味の異常性を学ばせることを徹底した。当然と言える。そうすれば、ソーマ・ル・ソーマは何も出来なかったはずなのだから。
尤も、アセリアはあんな風だし、年少組は幼すぎる。エスペリアは言うまでも無く、ハリオンに至っては暖簾に腕押しだ。
――セリアを除いては。
真面目すぎるのですよ貴方は、と胸中で呟く、
「どうしたいんですか?」
ひ、と息を呑む音。ああ、全くもってラキオス王が施した教育は見事だ。
「……わたしは、ユートと、結ばれ、……たい」
「――なら、そうすれば良いじゃないですか。誰も貴方を責めたりしません」
「で、でも! こんなのおかしいじゃない! スピリットが――その、……」
セリアが口ごもる。余りにも真っ赤な顔は、恥ずかしさの為ではない様に見受けられた。
「おかしいのは、ユート様のほうですよ」
「え?」
「私たちを死なせたくない。なんて大口を叩いておきながら、実力が伴ってなくて。
スピリットは人間と変わりないってことを言葉だけじゃなく、行動で示してくれて。
……そうですよ。貴方がおかしいというのなら、おかしいままで十分じゃないですか。二人ともおかしいんです。ぴったりですよ」

ふふ、と微笑みながら、ファーレーンが言う。
「それとも、ユート様が他の人に盗られても良いんですか?」
「だ、だめよそんなの! ユートを一番好きなのは私なんだから! 誰にも渡さない!」
「なら、いいじゃないですか。……もう結論はとっくに出てるはずですよ?
ただ一歩が踏み出せなくて、その手伝いが欲しかっただけなんでしょう?」
「――ありがとう」
「感謝はまだ早いと思いますよ? セリアがどんなに想っても、ユート様は分かってないでしょうしね。しっかり伝えないと」
ええ、鈍感ですから、とセリアが答える。何処となく晴やかに感じる表情は、未来を感じさせるのに十分過ぎる。
「今から、告白します」
「今から!?」
流石にファーレーンも驚いた。いやだって、真っ暗ですよ?
「ユートにはちょっと申し訳ないけど、もう抑えられないし」
少女ような無垢な微笑み。それは、同姓であるファーレーンさえもドキリ、とさせて。
だからか分からないけれど、ファーレーンにはセリアを振るユート様を想像することができなかった。
「本当にありがとう。一歩踏み出す勇気の無いわたしを助けてくれて」
ぺこり、と頭を下げたセリアは、既にウイングハイロゥを展開し終わっていた。
どういたしまして、というファーレーンの答えはセリアの背中に吸い込まれる。
あっという間にいなくなったセリア。その彼女が向かった方角を見つめたまま、
「わたしは、これで失恋二回目ですよ」
零れる涙に気づかぬまま、ファーレーンは誰も居ぬ木々を背中に立っていた。