「マナ構成...?」
「そうだよ。ユート達の体は純粋にマナで形づくられているって事だ。」
「それがこの装置とどう関係するんだ?」
突然呼び出されたラキオスのエーテル中枢部で、悠人に向かって、賢者がまるで口頭諮問のように解説する。
―――ヨーティア・リカリオン。
風貌のさえない白衣姿の彼女こそ、稀代の大天才と謳われたエーテル理論研究者であった。
「まあ、話を急ぐな。…そうだな、ユートがユートであるために必須のものと言えば、何だと思う?」
「俺が俺であるために……心とか、そういうものか?」
馬鹿にされるのを覚悟で答えた悠人の言に、意外にもヨーティアは目を細めて頷いた。
「そう。まさにそれだよ、勇者殿。この装置は心だけを飛ばして、クライアント部に存在するマナを使って、
瞬間的にユート達を再構成するスグレモノってわけだ。」
「へえ、これがねえ...。ヨーティアって、本当に大天才だったんだな。」
「疑ってたのか、失礼なやつめ。」
二人のやり取りをハラハラした目付きで見守るレスティーナをよそに、
気さくな賢者は特別気分を害した風もなく、苦笑して見せた。
―――聖ヨト暦331年、エクの月、黒ひとつの日。
マロリガン共和国とラキオス王国が互いに宣戦を布告して、約3ヶ月。
お互い決め手を欠き、睨み合いを続けていた両者であったが、所詮それはいっときの静穏に過ぎない。
いよいよ初のエーテルジャンプを明日に控え、ラキオスの部隊の中にも、ピリピリとした緊張感が漂っていた。
「あれ...?おい、ヒミカ、どうしたんだ、こんな所で?」
出陣を前にして、なかなか寝付けぬ悠人が城内の中庭にぶらりと出て来たとき、
長身の少女が月光を浴びて独り、佇んでいるのが目にとまった。
「あ...ユートさま。」振り返った少女の紅い瞳は、憂いを含んでいた。
「―――ヒミカでも緊張するんだな。」ゆっくりと近付いた悠人は、赤い妖精に並び立った。
「そういう訳でも無いのですが...。」そう言ってヒミカがうつむく。。
「いよいよ...だな。」悠人は気を紛らせるように、夜空を見上げながら言った。
「はい、――いよいよ、です。」
――二人とも無言のまま時が過ぎる。
ややあってヒミカが口を開いた。
「ユートさまは...怖くはないのですか?」
ヒミカの、その弱気とも取れる言葉に驚きを感じつつも、悠人は答えた。
「怖くない、って言えば嘘になる。今度の敵は相当強いらしいからな。」
これまでどの国も攻めあぐねていたデオドガンを電撃的に制圧し、マロリガンの国力は、
今やサーギオス帝国にも迫ろうかという勢いであった。
噂では強力なエトランジェが部隊の中心となって、采配を振るっているらしい。
「敵の国力もそうなのですが...ヨーティアさまがお造りになられた装置の事です。」
「エーテルジャンプ装置、―――か。」
「はい。」
いかにもヒミカらしい、と悠人は思った。ヨーティアの腕を信頼していない訳ではないが、
心だけを飛ばす、と簡単に言われても、にわかには信じ難い。
「本当は、こんな事で悩むなど、我々スピリットには許される事では無いのかも知れません。
―――なのに、どうしても考えてしまうのです。かの地に降り立った時、私の心は本当に私のものなのか。
その時、私は私でいられるのだろうか―――と。」
うつむいたまま、ヒミカは何かの呪縛から逃れようとするように言葉を紡いだ。
思いつめたようなその横顔を悠人はじっと見つめた。その少女は、あるいは悠人に、
叱咤されるのを待っているのかも知れなかった。
「―――わかるよ。」
だが、返って来た悠人の言葉の、意外にも優しい声音に、ハッとしたようにヒミカが悠人を見つめ返した。
「俺だって怖いさ。明日、ランサにいる俺は本当に自分なのか、
ひょっとしたら全く違う俺じゃないのか...って。」
「―――ユートさま...」
「何かひとつ便利になるたびに、人は何かを失ってきたんだ、きっと。」
悠人はハイペリアの生活に思いを馳せた。向こうでは当たり前のように享受していた文明。
しかし、それが圧倒的に立ち遅れているこの世界の生活が、いかに自分達の心を豊かにする事か。
「も、申し訳ありませんでした、ユートさま!」
ヒミカが突然深々と頭を下げた。「私の言った事、世迷い言とお思い下さい。」
そう、自分は国のため、仲間のため、そして、この心優しき隊長を守るために戦い続ける、
そう誓った筈ではないか。ヒミカは自らに言い聞かせる。
そして、その思いの前には今、自分が悩んでいる事など、ほんのちっぽけなものに過ぎない。
再び緩やかに時が過ぎた。
「―――ヒミカ。」突然、悠人が真剣な口調で呼びかけた。
「はい。」凛とした表情を取り戻し、ヒミカが応ずる。
「明日は、一緒に飛ぼう。そして、向こうに着いたら俺に尋ねてくれ。――ヒミカの事を、憶えているかどうか。」
「え―――?私の事を...?」
「ああ。心は自分の中だけじゃない。俺の中にいるヒミカも、きっとヒミカの心なんだ。
だから、それを確かめてくれ。」
「あ―――!」
ヒミカは絶句した。そうだ、自分の心は、独りではない。セリア、ハリオン、ナナルゥ、そして他の仲間たち。
みんなの心の中にも、自分は居るはずだ。―――自分の胸の中に、彼女達が住んでいるように。
そしてそれらは、紛れもなく己が分身である筈だった。
「――はい。必ず...お尋ねします。ユートさまがきっと、きっと『憶えている』とお答えしてくださると、
信じております。」不意に目頭が熱くなるのを感じながら、ヒミカは言った。
二人は柔らかに輝く月を見上げた。暖かな風が木立を揺らし、生い茂った葉をかき鳴らす。
ざぁざぁと、海鳴りにも似た。
―――翌日。
「はぁ...。」
重い気分で、ヒミカはエーテル中枢施設のドアを押した、全裸で。
「よりによって、ハリオンとはね...。」
エーテルジャンプで飛ばされるのはマナ構成である自分の肉体と、神剣のみであるはずだ。
多分、スピリット服は、転送先で新たに支給されるのであろう。
戦いを前に、今さら私情を差し挟むつもりは無いが、さすがに悠人に裸体を晒すのは気が引ける。
加えて、部隊ごとの転送のためとはいえ、もう一人がハリオンというのは
何かの嫌味だろうか、とすら考えてしまう。
「あらあら~?ヒミカ、風呂上りですか~?」室内から間延びした声が掛かった。
ひと足先に入室していたのは部隊屈指のプロポーションを誇る『大樹』のハリオンである。
……しかし、そのハリオンはいつも通り、スピリット服をしっかりと着用していた。
「ハリオン、もう来てたの?貴女こそどうして服着てるのよ?」
ヒミカはいぶかしげに眉根に皺を寄せた。
「これが私のいつもの格好ですから~。」
にっこりと笑ってハリオンが応える。
「でも、エーテルジャンプで転送できるのは、マナ構成のものに限られるって...」
「貴女もまだまだお約束が分かってないようですね~。めっ、ですよぉ~。」
ハリオンの自信に満ちあふれたその返答に、
ヒミカはくらくらとめまいを感じずにはいられなかった。
…決して深い追求を許さぬ『オヤクソク』。
この世界にもしっかと根を下ろしているそれを充分把握しているのは、
どうやらハリオンの方であるようだ。
「私は別に裸でもよかったんですけどぉ。ヒミカ~、細かい事ばかり言ってるとぉ、
殿方に嫌われちゃいますよ~。」
あんたにだけは言われたくないわ、と思いつつも、返す言葉を失い、がっくりと肩を落とすヒミカ。
その時、彼女の背後からドアの開けられる音がした。
「お、もう来てたのか二人とも...って、あれ?ハリオン、何で服着てるんだ?」
入口に立つエトランジェが間抜けな声を上げた。
――果たして、悠人もまた、生まれたままの姿であった。
「ふふふ~、ユートさまも、自信満々ですね~。」呆れ笑いを浮かべつつ、ハリオンが言った。
「ユ゛……ユ゛ードざま゛~~」
『赤光』を握りしめたスレンダーな妖精の紅い双眸から、はらはらと涙がこぼれ落ちた。
裸を見られた羞恥のためか、それともお馬鹿な仲間がいた、という安堵の涙か、
もはやヒミカ自身にもよく分からなかった。
「じゃ、運転開始だ。準備はいいか、露出狂のぼんくらども?」
着替えを終えて再び入室した悠人達をにやにや笑いで迎えたヨーティアが、
装置の配電盤を操作し始めた。
ヨーティアのいつもの毒舌に慣れている悠人は白衣姿のその背中を
キッと睨み返しただけであったが、免疫のないヒミカは彼の横で真っ赤になって恥じ入っている。
...やがて、ブウン、という唸りにも似た音とともに、三人は一瞬にしてランサへと転送された。
「―――ユートさま。」
閉じていた目を開けて、ヒミカが傍に立っている男に、口ごもりながら呼びかける。
「あ...あの、憶えてます?私の事...」
「―――残念ながら...全部。」
返って来た答えが、ヒミカの一縷の望みを打ち砕く。
ヒミカと悠人は顔を見合わせた後、二人揃って、はあ、と大きな溜息をつき、うなだれた。
――出来れば、何もかも無かった事にして新しい自分になりたかった、強くそう思う二人であった。