赤で緑で憂鬱

「♪ふんふんふふ~ん……オルファの♪ファ~は♪」
「ちょっと」
「わきゃあ!」
気持ちよく鼻歌を唄いつつ夕食の下準備をしていたオルファこと『理念』のオルファリルは、
いきなり後ろから声を掛けられて危うく鍋の中に包丁を落としそうになった。
「あ、あっぶな~……って、え?ニ、……ニム?」
「……なによ、その最後の疑問形は?」
「あ、あはは~~。どうしたの~、こんな所で~?」
「…………いちゃ、悪い?」
「そそそ、そんなことはないよ!うん、ぜんっぜん!」
最初っから不機嫌モード全開のニムントール。
オルファリルは大粒の汗をかきながらぶんぶんと首を振った。

だって、しょうがない。
まさか台所に面倒臭がりのニムントールが訪れるなんて、
『再生』もびっくりなマナの導きだ。……何言ってるか良く判らないけど。

――とりあえずニムントールとは、決して仲が良い訳じゃない。
同年代だが、極端に無口で人見知りの激しいニムントールはいつもファーレーンの側を離れないし、
ネリーと喧嘩したりシアーと遊んだりしている時も、加わってくる気配も無い。
一度面白半分に誘いに行ったネリーが、後に彼女曰く『口頭による物凄い精神反撃』を受けて、
衝撃のあまり部屋に篭って暫く出てこなかったことがある。
部屋に入れて貰えなかったシアーはその間、ずっとオルファの部屋に泊まるはめになった。
あのネリーでさえ、その時の事を思い出すと体の震えが止まらなくなるそうだ。
それ以来、オルファリルは必要最低限の会話以外で彼女に接触しない事を心がけている。

「ちょっと、聞いてる?」
「え、あ、は、ははは……」
そんな訳で、つい先に防御反応が出てしまう。
思わず後ずさりながら、手にした包丁を構えてしまっている自分に気がついた。
ふ~ん、とあからさまに不審そうな目つきでその様子を睨むニムントールは、
どうやら腰に手を当てたまま何かを考えている様子である。そのまましばし。
「……………………」
「え、えへへ…………」
「…………………………」
「…………………………(汗」
オルファリルは、挫けそうになった。元々沈黙にはまるで耐性が無いのだ。
何か無いか何か無いか何か無いか話題話題そうだ共通の話題。必死に考える。
(………………そんなの無いよぅ)
なにせ、ニムと二人っきりなんて初めてなのだ。ぐるぐると頭が空回り。焦って舌も上手く動かない。
泣きそうになった。もしかして新手のいじめだろうか。
そう疑いたくなったとき、ずい、と身を乗り上げるように近づいたニムントールがようやく、

「だから、料理教えて」

そんな、一瞬聞き間違えたか、と錯覚する位、恐ろしい事を呟いた。

「…………へ?」
ぽろりと手放した包丁が、とすっとやけに軽い音を立てて二人の間の床に突き立った。


――――こうして、オルファリル“と”ニムントールにとって、忘れられない一日は始まった。

とんとんとん……とんとんとん…………

と、とん、と、ととん……

日頃鍛えた技からか、心の動揺はオルファリルの刃先にまでは響いていない。
隣の不協和音にも全く動じない。大事なのは、継続なのである。
「……………………」
しかしそれでも横に並んで立つ少女の視線や手元はひじょ~に気になる。
包丁を持ちながら、こちらの手元をじっと観察しているニムントール。
暫くすると、うん、と一人頷いてはぎこちなさの残る包丁を慎重に下ろす。
その繰り返し。…………まぁ、一生懸命さは伝わってくるのだけど。

……ところで一体何が彼女をその気にさせているのかが判らない。
自分が言うのもなんだが、その集中力は、どうやら冷やかしなどでは無い筈だ。

ただ。
無言のままのキマズイ雰囲気だけは、どうにも耐えられない。
こうやってラナハナを刻んでいるだけなのに、この滲み出る緊張感はなんなんだろう。
お料理は、もっと楽しくしなきゃダメなんだよ。うん、きっとそうだよ。
オルファリル自分に頷き、思い切って会話を振ってみることにした。

「えっとぉ~……どうして、いまさらお料理なの?」
「…………っ」
ぴくっ。
何気ない一言は、しかしどうやら失敗だったようだ。
動きの止まった包丁がざくりと切り付けたのはラナハナじゃなくてまな板だった。
だー、と背中に大量の冷や汗が流れるのを感じる。と、とりあえず今のセリフを思い返してみて。
……………………
………………
――あ。『いまさら』、だ。
どうやら緊張からくる焦りの為に、思いっきりNGワードを口にしていたらしい。

「…………なに?」
発声練習のように口を開けたままのオルファリルをじろっと睨んだニムントールが、
断ち切った口調でぶっきらぼうに問いかける。
やや釣り目がちな目をすっと細められると迫力のあることこの上ない。
思わずあうあうと口をぱくぱくさせたまま硬直してしまう。
その様子をじっと見ていたニムントールだが、やがてぷい、とラナハナを見下ろし、

「…………食べないと、イライラするから」

そして何故かほんのりと頬を染めてぼそっとそう小さく呟いた。

「へ?」
目を丸くしたオルファリルから、間抜けな声が漏れた。

(えっとまさか、「ニムントールがもっとラナハナを食べないとイライラする」訳じゃないよね、
 野菜の足りないゲンダイジンじゃあるまいし。……………………ゲンダイジンってなんだろう。
 えっとつまり他に誰か、食べて欲しいけど、食べてくれない人がいるんだ。
 でも、スピリットの中でラナハナが苦手なのは自慢じゃないけど、オルファだけだったと思うし。
 ……………………じゃあひょっとして、「食べない」人って。)

「えっと、…………パパ?」
「~~~~~~」
頭をフル回転させて得た結論を、ストレートにぶつけてみるオルファリル。
とたん、俯いたままのニムントールの頬がぱっ、と桜色に染まった。
「へぇ~…………」
「な、なによ…………」
「う、ううん、別にぃ!」
ビックリした、とは言えずに言葉を濁し、首を振って見せる。
その為に料理を覚えようとしているなんて、ギャップがあり過ぎる、とはとても口には出来ない。
じろっと一瞬睨んで残りのラナハナに取り掛かるニムントールの横顔を、
オルファリルは思わずしげしげと眺めてしまった。

(ビックリしたけど、でもまさか、ニムントールがパパに興味があるなんて。
 それも、苦手を克服させたくて、お料理まで覚えようなんて。…………へへ、なんか可愛い。)

思わぬ所で共通の「趣味」を見つけてしまったオルファリルは、だんだん嬉しくなってきた。
既に耳まで真っ赤になってラナハナと格闘しているニムントールの手を取り、
驚いて顔を上げた彼女ごと、明るい声でぶんぶんと振リまわす。
「ちょ、ちょっと……」
「わかったよ、二人で頑張ってパパにラナハナを食べさせようねっ!」
にぱっと笑うオルファリルに一瞬目を大きく開いたニムントールは、やがて微かにこくっと頷いた。

さて。

「ち~が~う~っ!そこはもっと刃を伏せないと危ないよ~!」
「こ……こう?」
「あ、あっ、リクェムは種まで使わないで~!」
「そうなの?」
「それは焼くんじゃなくて、茹でるんだよ~!」
「……はぁ、面倒」
「うわわっ、お米を洗剤で洗わないで~!」
「…………お米って?」

………………………………
…………………………
……………………

「で、出来た……のかなぁ?」
数刻後。完成した料理を手に満足げなニムントールを前に、オルファリルはぐったりと座り込んだ。
ニムントールの手際は、恐ろしいほど悪かった。初心者なのだからしょうがないといえばそれまでだが。
それでも以前教えたアセリアやウルカの豪快っぷりに匹敵する位、ある意味見事な大胆さだった。
……グリーンスピリットなのに回復魔法を憶えない異端さと、何か関係でもあるのだろうか。
疲れた頭でぼんやりと周囲を眺め回すと、エスペリアお姉ちゃんが見たら卒倒しかねない惨状である。
所々、天井にまで飛び散った何かの汁。壁に突き刺さったまま今だ振動している包丁の柄。
引っくり返った鍋には何故か底に穴が開き、一週間分はあった食材は消滅してゴミと化した。
焦げ付いた四角かったまな板はすっかり角が取れ、その欠片の行方がわからない。
なんか上機嫌でニムントールが抱える鍋からその頭のようなものが見えるが、気にしない方がいいだろう。
嗅いだ事の無かった刺激臭にはすっかり鼻が慣れたが、あまりの匂いに流れていた涙の跡が、頬に痛い。
つまり、一刻も早くここを脱出したかった。台所を逃げ出したいなんて、生まれて初めてだった。

それでも。

「ありがと、オルファ」
「え、う、うん☆」
嬉しそうに、本当に初めてみる嬉しそうな笑顔。ニムントールと、少し仲良くなれた気がする。
差し出す手を握り返しながら、まぁいいや、と思うオルファリルだった。
…………ただ、完成した料理を近づけてくるのは勘弁して欲しい、とは思ったけれども。

立ち去るニムントールを見送りながら、オルファリルはたった一言、パパ頑張れと呟くのを忘れなかった。

ぱたぱたぱた…………
「…………ん?」
たまの休みをごろ寝で満喫していた悠人は、自室前に近づいてくる足音に目が覚めた。
「なんだろ…………ぐぁっ!な、なんだこの匂いっ!」
思わず顔を顰めた悠人の部屋に、直後ばたん、と勢い良くニムントールが飛び込んでくる。
「ヒ、ヒム?」
「~~~~~~~~」
鼻を摘んだまま間抜けな声を出した悠人に、やや赤い顔のニムントールがずかずかと迫ってくる。
必死な眼差しは一見睨んでいるようにも見え。実際悠人にはその表情に言い知れぬ殺気まで感じられた。
「ひょ、ひょっと待て、はんだほれ?」
なんだそれ、と指差しながら、腰が抜けたようにベッドを後退する。
ぴりぴりとした刺激が何故か目にまで来て、視界がぼやけてきた。非常事態である。
助けを求めるようにベッドの脇を目で追うと、いつの間にか自分だけ部屋の隅に退避している『求め』。
リンリンリン!間延びしない干渉音が警報機の様に頭に響き、なにやら危機感を煽り立てる。
…………何か知らないが、きっと絶体絶命だ。
悠人は迫るニムントールに、知らずふるふると首を振っていた。

そして、そんな悠人を気にした風も無いニムントールが、どん、と「それ」を目の前に置く。
「~~~~食べなさいよ」
「……ふぇ?」
今だ鼻を抑えたまま涙目の悠人に、何故か窓の方を向いたままのニムントールが頷く。
食べるって、コレの事だろうか。コレの事なんだろうな。コレじゃなければいいなぁ。

一応確認。
「へっと……ほれ?」
こく。即答だった。そっぽを向いたまま、再び小さく頷くニムントール。
悠人は恐る恐る鍋の蓋を開けてみて、
グツグツグツグツ。
「……………………」
慌てて閉じた。
マグマみたいに煮えたぎっているヘドロの様なイタリアンカラーの物体に驚いた訳ではない。
痛くてこれ以上、見ていられなかったのだ。あまりに鋭い刺激臭が、目に突き刺さって。
持ってきたニムントールが何故平気なのかがさっぱりわからなかったが、
とりあえずさっきから疑問に思っていた事を聞いてみる。

「えっと…………コレ、料理、だよな…………」
こく。ニムントールの頬がぱっと染まった。

「そっか、大変だったろ、どうせアセリア辺りが失敗したんだろうけど、これは酷いよな」
「え……」
「匂いが凄いし……あ、火傷しなかったか、ニム」
ぴくっ。ニムントールの頬が少し引き攣る。

「…………アセリアじゃ、ない」
「大体これじゃ食べられないだろう、まったく…………え?アセリアじゃないのか?じゃあ……」
「…………オルファ」
「え?嘘だろ?オルファがこんな、人の食えないようなものを作るわけが」
ぷちっ。ニムントールの顔がくしゃっと歪んだ。

「~~~っ!オルファ“と”ニムよっっ!!悪い?ユートのバカッ!死ねっ!!潰すっっ!!!」
「え、えっ?ぐわっ!まさか、がっ!はぐっ!」

猛然と『曙光』を振り回すニムントールを前に、『求め』を持たない悠人はあまりにも無力だった。

「なによっ!エスペリアやアセリアやウルカやハリオンやセリアやナナルゥや
 カオリさまやレスティーナ@レムリアさまやトキミさまのは食べるくせにぃっ!!!」

ばたんっ!ぱたぱたぱた………………
激しく扉を鳴らすニムントールが立ち去った後、沈黙と異臭の支配する部屋の中。
「よ、よく見てるな、ニム……というかレムリアの正体知ってるのか………………がくり」
ただ一人、頭から鍋を被って悶絶している悠人だけが取り残されていた。

リ、リィィィン――――
激しく怯えた『求め』が部屋の隅でかたかたと震えていた。


………………………………
…………………………
……………………


夕食時。
ささやかな友情の代償として台所の復旧活動に精を出したオルファリルは、すっかりお腹が鳴っていた。

後片付けを終え、晩御飯を完成させたのが、ついさっき。
ニムントールに触発されて、今日はパパの苦手を克服しちゃお~とか、張り切った。
そのせいか、今日の料理はかなりエスペリアお姉ちゃんに近づいたと思う。
ラナハナとリクェムを使っているとは思えない自然さは、我ながら上出来だ。
これならパパも気づかないで食べてくれるよね。そしたら教えてあげて驚かすんだ。
さて、運んじゃおっと。

ばたんっと勢い良く自室に飛び込んできたニムントールを見て、ファーレーンは驚いた。
「ニ、ニムどうしたの、そんなに慌てて……」
「お、お姉ちゃ~ん…………」
みるみる大粒の涙を浮かべるニムントール。
ぼすっ。
「きゃっ…………ど、どうしたの?…………よしよし」
胸に飛び込んできた妹の背中をそっと擦り、落ち着かせる。
やがて鼻を啜り上げながら、ニムントールはぽつぽつと話し始めた。

「……そう、よかったわね」
全てを聞き終えたファーレーンは意外な事を囁いた。
「え…………」
不思議そうなニムントールに、にっこりと微笑みながら続ける。
「……だって、オルファリルとお話が出来たのでしょう?……頑張ったわね」
「あ…………」
ファーレーンは知っていた。
素直じゃないニムントールが、ふざけ合うネリーやオルファリルをいつも羨ましそうに見つめていた事を。
不器用で誤解されやすいが、まだ幼いニムントールだって、同年代の娘と遊びたい年頃なのだ。
しかし中々溶け込むタイミングが掴めず、今まではファーレーンの側でそれを眺めているだけだった。
今日、初めてニムントールは勇気を持ってオルファリルの所へ行けた。
ニムントールにもそういう事が必要だと感じていただけに、それがファーレーンには嬉しかった。
その勇気があれば、これからはきっとうまくいくだろう。
「う、うん…………」
こくり、と小さく頷くニムントールの髪を優しく撫ぜながら、
これがきっかけになって仲良くなれればいいですね、とファーレーンは思っていた。

ところで。

(……ふふふユートさま、ニムントールの好意を踏みにじった報いは受けてもらいますからね…………)

妹の事になると見境が無い一面を見せる事も決して忘れないファーレーンだった。

「あらオルファ、これ……」
先に食堂に来て席についたエスペリアが不思議そうな顔で鍋を覗き込む。
「へへ~、凄いでしょ~」
「ふふ、ユートさま、気づくかしらね?」
「あ、ダメだよ、食べる前に教えちゃ~」
「はいはい…………あら、アセリア」
「ん。お腹すいた」
「あ、アセリアお姉ちゃん、もうちょっと待って。パパが来てから、ね?」
「…………ん、わかった」
「さ、それじゃ席につきましょうか」
「ほう、今日はオルファ殿が作られたのですか?」
「うん、ウルカお姉ちゃんも座って。今お皿持ってくるね」
「かたじけない……おや?ユート殿は?」
「おかしいですね、もうそろそろ…………あ、ユートさま」
「……………………」
「ん?どうかなされましたかユート殿。足元がふらついていますが」
「ユート、顔色悪い」
「あ、ああ、ちょっと……あれ?これもしかして…………」
「ふふユートさま、どうぞ覚悟なさってくださいましね」
「あ、パパ、いらっしゃ~い!」
「…………これ、オルファが作ったのか……?」
「え……う、うん!今日は腕によりをかけたんだよ!」
「…………ご」
「え?なにか仰いましたか、ユートさま」
「ごめんっ!オルファの料理だけは勘弁してくれーー!!!!」
「あっ?パパ?!」
どかんっ!ばたばたばたばた…………
「「……………………???」」
「えっと…………へへ、オルファ、そんなにド下手だったかなぁ~?」
訳も判らず、だばだばと涙を流して立ち尽くすオルファリルに、一同は声をかける事も出来なかった。