石造りの天井から僅かに差し込む日差し。
重厚な肘掛を強く握り締め、赤い絨毯を睨みつける。
幾重にも重なる眉間の皺を一層深くした苦渋の表情。
話しかけられる者は誰一人としていない重圧。
その沈黙は、強大にして無比。周囲はただ耐えるのみ。
顎まで覆う自慢の白髭が微かでも動くのを待つ。
やがてその時は来る。
ややしわがれた、それでいて良く通る声に一同は注目した。
「…………家庭の危機である」
ラキオス王は悩んでいた。
娘であるレスティーナが、最近冷たいのである。
少し前までは喜んでだっこされたり一緒にお風呂に入ったり
パパのお嫁さんになる~とか言ってきて思わず頬が緩んだものだったが
年頃になったせいか、どうも最近コミュニケーションが上手く取れていない。
うかつにノックもせずに部屋に入って着替えとはち合わせば烈火のごとく怒り出すし、
この間もちょっと茶目っ気でバーンライトに宣戦布告しただけで端正な眉を顰め、
無言で睨みつけてきた。あの時は不覚にも膝をがくがくいわせてしまったものだ。
后に到ってはすっかり自分の世界に閉じこもり、立ち絵どころか顔グラさえも無い始末。
レスティーナが生まれてから欠かさず続けてきた三人だけの食事も、
冷え切った家族関係に会話も無く虚しく食器の音だけが響き渡るものになっていた。
思い当たる節が、無いでもない。
この頃少し加齢臭が酷くなってきた事とか若者のファッションセンスに追いつけてないとか
酒の勢いで守護龍を退治しちゃった事とかひょっとして髭がいけないのかなぁとか。
「……いや、わしは悪くない」
しかしそこは王の威厳。
沽券に関わるような事はあっさり忘れてしまおう。
都合の悪い事をもみ消すのはどの時代でもむしろ貴族としての嗜みだし。
――――そうだ、アレだ。全てはアレが原因に違いない。
最近こっそりと町娘なぞに変装してすっかり色気づいてきたと思えば、そういう事か。
「おのれ……エトランジェめ…………」
先日物珍しさで保護した、どうやらこの世界の住人ではないと言い張っている男。
本気で信じたわけではないが、その道化っぷりに思わず付き合ってしまった。
古くから王家に伝わる骨董品の様な剣を振り回して急に切れたりする忙しい奴だ。
妹がいたのでレスティーナに預け、母性本能をくすぐらせて
少しは人当たりを柔らかくさせようとしてみたのだが、
まさかあの男の方に誑かされてしまっていたとは。
いや待て、我が娘ともあろうものがあんなヘタレに靡く筈が無い。
もっと子供を信用しよう。某国政府の広報でもそういってるし。
そうか、いやそうに違いない。レスティーナはあの男に騙されているのだ。
そういえば、蝶よ花よと少々篭の鳥にし過ぎたかもしれんな。
男というものがいかに下半身でものを考える生き物かをもっと躾けておくべきだった。
「その純粋さにつけこんだという訳か……くっ……卑劣な……下賎の者が考えそうな事だ……」
ううむ、しかしこれはまずい、まずいぞ。
下手に頭ごなしに指摘しても、『お父さんには関係ないでしょっ!』などと
どこぞの国の分らず屋の父親と理解されない子供の図式を強制的に展開させられる事になりかねん。
第一恋は盲目という。父親とは寂しいものだな。
いやしかし、それはともかく取り合えず冷静になってもらわねば話にならん。
…………そうだ。さっき、情報部の奴らが面白い事を報告していたな。
確か、サルドバルトがイースペリアに攻め込んだとかなんとか。それだ。
あの男はいまダーツィに攻め込んでいるはず。奴を救援に向かわせよう。
アズマリアに恩を売っておけば、後々色々と楽しみもふえるであろうし。ふぉっふぉっ。
「ただちにスピリット隊に伝えよ。至急イースペリアに救援に向かえ、と」
顔中に笑みを湛えたルーグゥ・ダイ・ラキオスの声が朗々と響く。
その深い眼差しの先、勅命を受けた兵士が殆ど平伏すように一礼をして去っていった。
その果断。その聡明さ。流石は伝統ある歴史を誇る、ラキオスの王。
重臣達は、今自分が仕えている真(まこと)の王に改めて感服する。
さざ波のような溜息が自然に収まるのを待って、王は再び口を開いた。
「これであの男が無事帰還すれば、妹との再会を認めよう」
おおーと再び歓声が上がる。なんという、慈悲。なんという、度量。
その荘厳な雰囲気の中には涙を流す者もいたという。
これで、あ奴をレスティーナから引き離す事が出来る。
娘があんなハリガネ頭にうつつを抜かしているとは万々有り得ないとは思うが、
なに、石橋を叩いて歩くと某国の諺にもあることだし、手を回しておくに越した事はない。
我ながら、名案だ。この勢いで、その内政略縁談の一つも用意することにしよう。
ばたん!
「イースペリアに兵を送るというのは、本当ですか?」
おお、レスティーナ。お父さんはやったよ。お前にとっての害虫は取り除いた。
私はいつでもお前の味方だ。家族の平和、これからも守ってみせよう。
「イースペリアに各国のスピリットが集結する、それが重要なのだ」
「…………我が国のスピリットやエトランジェもいるのですよ?」
「代わりなら、もう一人いるではないか。これこそ天佑というものだ」
そう、天佑だ。あの娘がいれば、レスティーナの心もいつか開くに違いない。
「………………人のやることではありません」
ぴしっ、と凍りついた音がする。冷ややかな、どこか憐れむような視線を投げ、
一瞥したレスティーナはそのまますたすたと王座の間を立ち去った。
愛娘に引導を渡されたラキオス王は、微動だにしなかった。
やがて老体が全身を震わせる。わなわなと、唸るように声を荒げて呟いた。
「おのれエトランジェめぇ……イースペリアと吹き飛ぶがいい…………」
呪詛のように唸り、側近にスピリット隊へ間違った解除法を伝えるように指示を出す。
血迷った親爺は見境が無かった。