紅(くれない)

陽炎のように揺らめく景色の中、流れる影を確実に捉える。
射止められた鳥が堕ちるのは、飛ぶ力を失うから。ならば。
叩きつけられた地面の上で這い蹲り、もがき足掻くものは。
神剣を杖にして、尚立ち向かおうとしてくる敵は。
「……マナよ、炎雷となりて敵を撃て」
……射止めなければならない。嘴も爪も、およそ全てを沈黙させる程に。

血塗れになりながら、それでも踏み出そうとする一歩。
まず、その肢が吹き飛んだ。支えを失った躯を第二撃が捉える。
木の葉のようにきりきりと舞う頭が、止めの一撃で消滅した。
今度こそ鳥は羽根を失い、粒子だけが空に還っていった。

連戦だった。主力が不在のタイミングを狙っての、敵の波状攻撃。
サルドバルトを目前にしたミスル平原。マナの変動が肌で判るほど極端なこの土地。
ここを迎撃の地に採った敵の思惑は、功罪が半ばといった所か。
確かに神剣魔法が増幅される事により、自分達を一気に殲滅させるのには適しているのだろう。
実際に大きな損傷を負った我が軍は、今殆どがバートバルトまで後退している。
残って踏み留まっているのは私とシアー、それにニムントールだけだ。
しかし、敵の損害も大きい。
特にブルースピリットを失った彼女らは、既に神剣魔法を防ぐ手段を持たない。
故に先程からは伏兵による突撃が繰り返されている。
それはこちらとしては時間を稼ぐには好都合だった。
ただ、それにも限界がある。特に常に斬り込んでいるシアーの疲労が目立った。

日が沈もうとしている。辺りが橙から薄紫に染め変わる時間。
闇が降りてくれば、ブラックスピリットの力が増大する。
通常でも危険な状態。それをこの地で受ける訳にはいかない。
もう半刻味方を待ち後退しようと考えた時、微弱な気配を感じた。

「……散開」
左右で警戒していた二人が俊敏に反応し、横に開く。
うんざりするほど繰り返された動作に澱みはない。
『消沈』に潜り込むように意識を集中し、両脇で浮き上がる緑の光球をその先に収束させる。
「マナよ、疾く進め 破壊となりて、彼の者どもを包め――――」
弾ける寸前の膨らみごと振るった神剣の先から迸る紅蓮の炎。
「――――イグニッションッ!!」
爆発しながら飛散する赫は槍となって的確に気配に向かう。
貫き、燃やし尽くす顎(あぎと)を獰猛な獣のように開いて。

――――氷となりて、力を無に……

「……ちっ!」
一瞬にして、霧散した。まるで何も無かったかのように。
迂闊だった。まだブルースピリットがいたのだ。可能性を考慮に入れなかった自分に舌打ちが走る。
直後、意外な方向から別の気配。振り向いた瞬間聞こえた叫びが恐れを現実にさせる。
「はぐっ!」
「シアー!?」
ニムントールの悲鳴。鮮血を迸らせながらゆっくりと倒れていくシアー。
肩から切り落とされた腕に握り締められたままの『孤独』。
独楽鼠のようにきりきりと舞いあがる蒼く光る刀身が目に焼きついた時、何かが心で蠢動した。
「死ねぇっ!」
刃(やいば)に血を滴らせたまま迫るブラックスピリット。
活き活きとした殺意を向ける爛々と輝く赤い瞳。輝き羽ばたく白い翼。
生きている。この敵は、「まだ飛んでいる」。……飛ぶ鳥は落とさなければ。
がっ。受け止めた『消沈』と敵の神剣が鈍い音と火花を散らす。
同時に掴んだ『孤独』から流れる苦しみ、痛み、哀しみ。あらゆる昏い感情が、『消沈』とリンクした。
浮かび上がるスフィアリング。凝縮した時間は、一瞬で敵の心臓に『孤独』の剣先を吸い込ませた。
「ぐ、がはっ!」
苦悶の声を絞り出す喉元まで、胸部から一気に切り裂く。消滅する白いウイングハイロゥ。
大量の鮮血をまき散らし、鳥はあっけなく動かなくなった。

「……………………」
向こうでニムントールの『曙光』に頭部を吹き飛ばされたブルースピリットが金色に輝いている。
手元の『孤独』からも同様の光が舞い上がり、ハイペリアに還っていく。
倒れたシアーは動かない。薄く透き通っていくウイングハイロゥ。シアーは、もう飛べない。
…………不思議な感覚が湧き起こる。久しく忘れていた、懐かしく、酷く苦々しい感覚。
心の一点で生じた「それ」は、水面に落とされた一滴の血のようにやがて全体へと波紋を広げて。
それでもその赫はあまりにも鮮明過ぎて、その匂いはあまりにも生々しくて。
全てが黄昏に満ちた世界の中。感情が沈んでいく。暗く深く、独り静かな場所へと――――

――――神剣の主が命じる マナよ、倒れし者に再び戦う力を与えよ……

何かが抜け落ちたような欠落感から私を引き上げる、ニムントールの詠唱。
それはきらきらと周囲を輝かす、グリーンスピリット特有の緑色のマナ。
細かい粒子が慈しむようにシアーを包み込む。ゆっくりと再構成されていくシアーの体。
時間を遡行していくような光景を目にしながら、私は初めて祈りというものを行っていた。
やがて一際眩しい閃光が走り、シアーの瞼がぴくりと動く。
「間に合った……? ……良かった」
額の汗を拭いながらニムントールが囁いた。
その声に我に返り、今更のように持ったままだった『孤独』をシアーに握らせる。
触れた指先の温かさに、心の緊張が融けてゆく。ぽたり、と何かが掌に落ちた。
透明な、熱い液体。そっと頬に手を当てる。いつの間にか、私は涙というものを流していた。

「……で、この後の指示は?ナナルゥ」
腰に手を当てながら、何故か微笑んでいるニムントール。
私はぐいっと一度頬を拭い、それからシアーを抱き抱えた。軽い、羽根のような体だった。
「一度、退却します。……シアーは私が運びましょう」
そうね、宜しくと先に立って歩き出すニムントール。その背中にかけた呟きは聞こえただろうか。

――――ありがとう、感謝します。

自然に口から出る言葉。リヴァイブに浸された心は、もう違和感を訴えてはいなかった。