実りある日

かちゃり。
「では、皆さん行きましょうか」
「……面倒だけど、お仕事だもんね」
「ナナルゥ、第一詰所からは誰が来る予定だったかしら」
「アセリアと、エスペリアです。最適な編成は……」
ぱたん。

かちゃり。
「さてさて~、今日も良いお天気で、お客さんも多そうですね~」
「それじゃ行ってくるけど、後はよろしくね」
ぱたん。

がちゃっ。
「行ってきまーすっ。ほらほらシアー、置いてくよ~」
「あぁ~、ネリー待ってよぉ、待ってってばぁ~」
ばたん。

かちゃ。
「みなさん、行ってらっしゃい」
きぃ……

……
…………
………………

かちゃり、と小さな音を立てて第二詰所の扉が開く。入り口を通り抜けて姿を現した人物、
高嶺悠人はそのまま周りを見回して小さく首を傾げた。
街の巡回を終えてふらりと立ち寄った第二詰所の居間には、誰もいなかった。
第一詰所に戻ってもアセリア、エスペリアは哨戒に出かけて帰る時間はまだまだ先だ。
オルファリルには仕事が無かったけれども、出かけるつもりだと悠人は聞いている。
つまりは一人では暇だからこちらに来たわけなのだが、すっかり当てが外れた。
少なくとも二、三人はゆったりとくつろいでいるのが常なのだけれど。と思いながら、
一つの椅子を引いて腰掛ける。鍵が開いていたのだからたぶん無人では無いだろう。
しばらく待てば誰かがやって来るかもしれないと、軽く歩き疲れた身体で伸びをした。
誰も見ていないのをいいことに、ぶらぶらと椅子を傾かせながら頭の後ろで手を組む。
ところが普段なら、ごく自然にお茶が差し出されるほどの時間が経っても誰も姿を見せない。
ちょっとふざけた椅子遊びにも居心地が悪くなってきて、カタンと音を立てて体勢を戻した。
「もし開けっ放しでそのままって言うんなら無用心だよな」
そういえば、と悠人は出かける前に聞いたオルファリルの言葉を思い出した。
「ネリーとシアーと三人で遊びにいくって言ってたからな」
もしかしたら、ネリーに引っ張られるうちに、シアーまで鍵を忘れていたのかもしれない。
一度、軽く自身に言い聞かせるように頷いて、椅子を元に戻して立ち上がる。
例え開きっ放しだったとしても、ここに物盗りが現れるのかという疑問も浮かべず、
何となく用心棒気分の高揚を感じながら、悠人は点検のために各人の部屋へと続く廊下へと進んでいく。
しかしながら個人の部屋にはきちんと鍵がかかっているようで、やはり留守だと言うほかはなさそうだった。

「ホントに誰もいないのか? どうすりゃ良いのかな……」
独り言を洩らすのもなんだか変な心地がして、さらに一つ、一つと扉の前を通り過ぎる。
その内に、たった一つだけわずかに開いている扉があった。
「おーい、中に誰か居るのかー?」
一応、確認のために声を上げてみる。
「はっ、はい、今行きます……ひゃっ!?」
との言葉の後、途端に中から盛大に椅子が倒れたと思しき音が聞こえてきた。
「ど、どうしたんだ一体!?」
まるでたった今悠人の来訪に気付いたような慌てぶりを響かせる部屋への扉を、
勢い良く押し開ける。するとそこには。
「いたたたた……」
涙目で四つんばいになって、自分の腰を撫でさすっているヘリオンが居た。
一体何をしていたのかという疑問は一旦置いておいて、
「……大丈夫か?」
「あっ、ありがとうございます……」
扉をくぐって部屋に入り、歩み寄った悠人がヘリオンに手を貸す。
おずおずと手をとって立ち上がるヘリオンを確認すると、床に倒れていた椅子を見て、元に戻した。
目元を拭った後にスカートのお尻をぱたぱたと叩いていたヘリオンが、
椅子を立て直した音を耳にして、はたと来訪者に気付きなおす。
「え? え、ユートさま、どうしてこちらに居るんですかっ?」
「部屋に戻っても一人だから城下町の巡回の帰りに寄ってみたんだけど、鍵は開いてるのに誰も出てこないから
どうしたのかなと思ってさ。扉が開いてたから声を掛けたらいきなりすごい音がして」
ただ寄ってみただけ、という内容にほんの少し視線を落としてしまったけれども、
言葉の途中で先ほどの慌てぶりを思い出したのか、ヘリオンの顔にかっと朱がさした。

「すみませんっ、わたしったらお出迎えもしないで……」
小さな身体をさらに小さくするようにぺこぺこと頭を下げる。
悠人にしてみれば、急に上がりこんだだけなのだからそこまでされると逆に居心地が悪い。
「いや、俺が勝手に来ただけなんだから。えっと、それじゃ今はヘリオン一人だったんだな」
思わず苦笑いを浮かべながら、第二詰所の様子を尋ねてみると、
「そうです、後はアセリアさんたちと出かけた人と、城下町に出かけた人ばかりで」
今日はわたし一人でお留守番です。とヘリオンは静かに微笑みを浮かべた。
その微笑みに、悠人は軽く眼を閉じて一つ頷く。
「そっか。ところで、さっきまで一体何してたんだ?
声を掛けられるまで気付かないなんて、よっぽど集中してたんだろうけど」
「それは、その……」
離れた場所に居るまま、身体の前で手を組んでもじもじと視線をさまよわせる。
その内にちらちらと机の上に目が止まる瞬間を見定めて、悠人はヘリオンの見る方向へと顔を向ける。
「ん、これは……本?」
こくりと一度頷いたヘリオンに、ページを開いてもいいか目で尋ねる。
同じ動作で返事をしたのを確かめてから、悠人は適当な一ページを開いてみた。
ヨト語の文字が並ぶページに、悠人はそっと眉を寄せる。
まだ、文字は上手く読めないことを今更のように思い出したのだ。
ただ各ページに必ず数点の絵が描かれていることから中身に想像はついた。
「んーと、料理本か。そういや料理を勉強中って言ってたっけ」
「色々なお料理を紹介している内容だったんですけど、
美味しそうだなぁって思いながらついつい読みふけっちゃって……」
突然の呼び声に我に返って飛び出そうとしたら、足をもつれさせたという事らしい。
「それでも、本に集中できるってのはすごいよなぁ。
俺ならこの料理本だって絵を見るだけになっちまいそうだ」

「そんな、集中していても、読んでるだけでお料理が作れるわけじゃありませんから。
それに絵を見てるだけでも結構楽しいんですよ」
ヘリオンはぱたぱたと両手を振った後、悠人が持った本をさして口元をほころばせる。
そうなのか、と悠人はぱらぱらとページを捲りながら、完成した料理のイラストを順に見ていく。
確かに、実物を忠実に写したのだろうと思われる絵の数々は、どれもこれも食欲をそそりそうに描かれていて、
ひょっとしたら、実物よりも美味しそうに描いてるんじゃないか、などと思ってしまうほどだ。
「絵だけで何の材料が使われてるか何となく分かるし、面白いもんだな」
大きく頷いて本を閉じ、もう一度机の上に戻す。そうしたところで二人が二人とも、あ、と小さく声を洩らした。
悠人は、最初の勢いのままいつの間にかヘリオンの部屋にまで入りこんでいる事に気付いて。
ヘリオンはそれに加えて、せっかくの来客に対して何もしていない事に思い至って。
「あー、って事は。悪い、読書の邪魔をしちゃったな。……一旦出直そうか?」
「いえお構いなくっ! じゃなくて、邪魔なんかじゃないですっ。
わたしも一人でする事がないから本を読んでただけなんですからっ!」
一度そこで言葉を切って、ヘリオンは息を継ぐ。意を決するように唇を結んでから続けた。
「ゆ、ユートさまがよろしければ、こちらでごゆっくりなさってくださいっ」
勢いのある申し出に数度の瞬きを繰り返してから、悠人は首を縦に振る。
「そうか? それじゃあヘリオンがいいならこのままお邪魔させてもらうよ。
俺も一人で暇を持て余すところだったから、ちょうど居てくれて良かった」
心からほっとしたような悠人の笑みに、ヘリオンは声で返事をする事も忘れたように
ぱぁっと顔を輝かせて頷いて、先ほどまで自分が座っていた椅子を引き出して勧める。
不思議なもので、悠人の笑みを見ていると緊張していた身体がほぐされる様な心地がした。
「それじゃ、すぐにお茶をお持ちしますから待っててくださいね」
にこりと悠人に笑いかけた後に、ぱたぱたと台所に向かって駆け出していく。

「こちらでって……この部屋で、いいのか?」
そこまで厄介になって良いものなのかどうかと躊躇って、
勧められた椅子に座る前にすっかり舞い上がった感じで出て行ってしまったヘリオンの
後姿を見送り、悠人は部屋の中を見渡そうとして、止めた。
さっきから視界に入る範囲ではとてもきれいに片付けられているけれど、
それでもじろじろと見るのは気が引けるからだ。ただ、それまでに見た所で
もう何か特別なものがありそうな気配は無い。何となく寂しいような気もするが、
必要なものしか部屋にないというのは悠人自身の部屋にしてもそうだった。
それなら妙に意識しすぎる事も無い、と机の上に目をやる。
「俺の部屋には、本すら無いもんな」
いつまでも突っ立っていては気を使ってくれたヘリオンに悪い、と腰を下ろして、
本を手に取った。一人の部屋に一つ二つの私物。これがみんなの部屋の個性となるのだろう。
ページを繰って、文字の部分を読み取ろうと目で見たところを指で追う。
レシピ集や料理研究書ではなく、聞いたとおりにラキオスの伝統料理が載せられているだけの物だと
いう事が何とか読み取れた頃には、お茶を淹れるには十分な時間が経っていたようだ。
「ユートさまぁ、す、すみません、開けてください~」
閉じられた扉の向こうからヘリオンの慌て気味の声が聞こえてくる。
声色から、向こう側でどうなっているのかに想像がついて、悠人はそっと吹き出した。
一応、口を引き締めてから立ち上がってさっと扉を引くと、頭の中に描いていた通りにヘリオンの両手は
ティーセット一式を乗せたお盆でしっかりと塞がってしまっていた。
悠人が扉を開けた瞬間に、困ったように眉を寄せておろおろとする姿がさっと解けた。
扉を支えたまま引き下がって、ヘリオンを中へと通す。ぺこりと悠人に頭を下げてから、
見ている方が緊張してしまうような慎重さで机の上にお盆を置いて、ヘリオンはほう、と息をついた。

「途中で持ち替えようとしたら、落としそうになっちゃったんです。助かりました」
えへへ、と照れ笑いを浮かべてカップを並べ、ポットを手に取る。
決して慣れているとはいえない手つきだったけれど、
静かにお茶を注ぐ仕草は今までの練習の成果を出そうとしているようで、
何とも微笑ましいものだった。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ。じゃ、いただきます」
それを言うと、きっと自分が子どもっぽいんだと頬を膨らませてしまうんだろうなと思い、
悠人は平静を装って席に着く。机を挟んだ対面には、自分の分のお茶を注いだヘリオンが座った。
その動作に、悠人はちょっとした違和感を覚える。四角い机のそれぞれの辺に椅子が置かれているとき、
ヘリオンは大体、自然と隣の席にやってくるのだ。
カップをそっと持ち上げた悠人に、ヘリオンからのちらちらとした視線が注がれて、
何となくその原因に察しをつけることが出来た。
立ち上る湯気に混じる香りに軽く頷くと、こくんと唾を飲み込む動きが見える。
「うん、美味しい」
「ほんとうですかっ。よかったぁ……」
一口啜って、悠人の口から自然に漏れた呟きに安堵のため息をつく。
「この味は確か、身体の疲れが取れるお茶だっけ?」
「はい、町を歩いた後だって仰いましたから。お口にあって何よりです」
そう言って、ヘリオンも自分のカップに口をつける。
予想通りの味が出せていたようで、満足げな笑顔がこぼれ出た。
カップを傾ける合間に、悠人は再び机の上の本を手にとって机の上に広げる。
「それにしても、本当に料理を習う甲斐があるな。普段からこういう本を読んで勉強してるのか?」

「それがまだ、読み始めたばっかりなんです。それにその本、作り方を覚えるには向いて無かったですし。
どちらかと言うと、みなさんのお手伝いをしてるうちに教えてもらう方が多いです。
とは言っても、わたしがやったことがあるのは自分でお茶を淹れることくらいなんですけど」
普段の定位置に自然に座れるくらいには心配事も無くなったらしく、
机の上の本を読みやすくするために、ヘリオンがちょっと立ち上がって場所を変えた。
「確かにこの本よりもいい先生がここにはたくさん居るもんな」
本を少しだけヘリオンの方に押しやって、二人で読める距離に置く。
身体を寄せたそのとき、いつも座っている場所よりも悠人の近くに寄っているということに気付いて、
ヘリオンは知らず頬を染めながら、そっと本のページに手をかけた。
「ええ、でもいつかこういうお料理が作れるようになればなぁって思います」
ページを捲る音をたてながら、二人して料理本の絵を見続ける。
その内に、悠人がくすりとお腹をさすりながら笑い声を洩らした。
無言で目をぱちくりとさせて、ヘリオンがどうしたのかと問いかける。
「いや、これに載ってる絵が何の料理でも美味そうでさ。見てるだけでお腹が減ってきた」
今にもお腹が鳴りそうだ、と開いているページのイラストを指す。
つられてヘリオンも料理本を覗き込んだ後、悠人の顔と見比べて、くすくすと肩を震わせた。
「実は、わたしも……さっき読んでたときからそう思っちゃってました」
実際、太陽の傾きもちょうど午後のお茶の時間あたりになっている。
小腹が空いてきていてもおかしくは無かった。
「おいおいそれじゃヘリオンの方がお腹が減ってるんじゃないか。
……そうだな、ちょっと台所を見せてくれるか。あと、お茶も持っていこう」
悠人が少しの間考える仕草をして、立ち上がる。
へ、と目を丸くしたヘリオンが一緒に立って、
「えっと、いいですけど。ユートさま、何をするんですか?」
悠人が何をするつもりか分からないままに、先に立って台所へと案内した。

そして、台所に立つ悠人の目の前には。
「小麦粉、卵にミルク、砂糖。よし、これだけあれば大丈夫だな」
食材の他には、ふるいにボウルと泡だて器、それからフライパンとフライ返し。
「あの、ユートさまもしかして……」
「買いに行くんじゃ時間がかかっちまうだろ。簡単な物なら俺でも作れるからな」
言いながら、適当な量の小麦粉をふるいにかけてボウルに落とす。
「えぇっ、ゆ、ユートさまがする事無いですよぅ、簡単なら、言ってくださればわたしがしますからっ」
「大丈夫大丈夫、もう出来たし。それにな」
だいたいの覚えている割合で卵とミルク、砂糖を入れてかき混ぜれば出来上がり。
フライパンに油を引いて熱している間に生地の具合を確かめながら、
悠人はすぐ横で見ているヘリオンに笑いかける。
「お茶をご馳走になったお礼みたいなもんだ。だからちょっと待っててくれよ、な?」
そんな風にされてこれ以上悠人に何か言う事などヘリオンに出来るはずも無く、
ぽおっとしたままで頷くばかりだ。
その間に、生地をフライパンに円形に落として焼き上げる。
久しぶりの調理でも一応どうにか様にはなっていて、すぐに甘く焦げた匂いが台所にたちこめた。
こんがりときつね色に焼きあがった円形のスポンジ――ホットケーキを大皿に移して、
次々に焼けたケーキを重ねていく。その数、四枚。
ボウルの底に残った生地の少量を焼いてみて、悠人はその欠片を味見する。
何とか、失敗らしい失敗はしていない。
「ほら、出来上がり。簡単だったろ」
手順を食い入るように見つめていたヘリオンが、我に返ったようにぶんぶんと首を縦に振る。
皿に載ったホットケーキを受け取って、二人揃って居間へと運んで席に着いた。
「い、いただきますっ……」
一番上に乗った一枚をフォークで突き刺し、前に置いた小さい皿に取ってから切る。

一口大になったケーキを見つめているヘリオンを眺めて、
悠人は先ほどお茶を差し出していたヘリオンの気持ちがわかったような気がした。
大切そうにゆっくりと口に運んで、小さな口の中でもぐもぐと噛むのが分かる。
お菓子というほど甘みがあるわけでも、パンというほどそっけないわけでもない、
けれどほっとするような素朴な味わいがヘリオンの舌に広がる。
「……美味しいです、ユートさま」
飲み込むのもゆっくりと、口の中に残る後味を楽しみながら、ヘリオンはにこりと笑った。
続いて、ぱくぱくとフォークを進めていくのを見て、悠人にも笑みが浮かぶ。
「良かった。こっちの材料で作ったのは初めてだったからちょっと心配だったんだ。
それじゃ、俺も食べようか」
と、悠人がケーキの皿に手を伸ばしかけたそのとき、第二詰所の扉がけたたましく開かれた。
「ただいまーっ! ……あれ、ハリオン帰ってるのー? 何かお菓子のにおいがするよっ」
「ほんとだ~。甘くて、香ばしくって、いいにおい~。あ、ユートさまだ、こんにちは~」
「パパ、こっちに帰ってきてたんだぁ! あぁっ、ヘリオンちゃんが何か食べてるー!」
とたとたと居間に駆け込んできたのは、外に遊びに行っていたオルファリルたち。
きっと、お腹が空いたから帰ってきたのだろう。
突然の大騒ぎに口にフォークを咥えたまま眼を白黒させるヘリオンを羨ましそうに見て、
テーブルの上に置かれた見知らぬ食べ物に、きらきらと、もしくはじぃっと注目して眼を輝かせている。
悠人が伸ばしかけていた手はとっくに引かれていて、
残り三枚のホットケーキを改めて彼女たちに指し示した。
「三人とも、お帰り。ちゃんと手を洗ってからなら食べていいぞ」
途端にオルファリルとネリーが我先にと水場に駆け出し、シアーが一歩遅れて続く。
ようやく口の中を空にしたヘリオンが、自分が食べてしまったケーキに視線を落とした。

嬉しさと美味しさのあまり、もう一、二口分くらいしか残っていない。
後悔と申し訳なさを顔色ににじませて、声を洩らす。
「だったら、ユートさまの分がなくなっちゃいますよぅ」
何の事だと瞬きをして、悠人は安心させるように口の端を上げる。
「なに、一回作るのも二回作るのも同じだって。
それに、食べ盛りなんだから一枚ずつじゃ足りないだろ? 作り甲斐があるってもんだ」
立ち上がって台所に足を進めかける悠人に、はっと顔を上げたヘリオンが手早く残ったケーキを口に放り込む。
「ふぁっふぁら、ふぁらひふぁ……んく、わたしが作りますっ。
みんなのおかわりと、それから、ユートさまの分を、わたしに作らせてくださいっ。
材料の混ぜ方も焼き方も、しっかりと見て覚えましたから大丈夫です」
尋ねようとしたことへの回答を先に言われてしまって、その上、せっかくやる気に
なっているところに水を差すのも気が咎めて、悠人は頷くしかなくなる。
先ほどの言葉を思い出せばこれが初めての調理になるはずだけれど、
お茶の出来を考えれば任せても大丈夫だと思い直した。
そうして、ネリーとオルファががつがつと、シアーがもきゅもきゅとホットケーキを平らげている間に、
ヘリオンによる第二陣の焼ける香りが第二詰所から立ち上っていく。
真剣に泡だて器やフライ返しを握り締める表情から、ホットケーキ作りに対する気合が窺える。
しばらく調理から離れていた悠人との手際の差は微々たる物で、
初めてと言えども普段の手伝いの成果が存分に出ているらしい。
一枚目から既に色よく焼きあがっていて、二枚目以降は悠人が作った物とほとんど違いが無くなっていった。
最後の一枚を大皿に移して、ヘリオンは達成感あふれるため息をほっとした笑顔と共に表した。
「や、焼けましたぁ……」
「ああ。これだけできれば上等だよ。よーしみんな、おかわりが出来たぞー」

一回目よりも多い枚数を乗せた大皿を居間に運び込んで、二人も席に着く。
「えへへー、いっただき~!」
「オルファもおかわりー!」
思ったとおりお腹をすかしていたオルファリルとネリーが早速、とっくに空になっていた皿に一枚取り込んだ。
食べるのがゆっくりなシアーも、ついさっき食べ終わったばかりの皿におかわりを入れて、口にする。
一枚目との味の差にこだわっていないのか、それとも本当に違いは無かったのか、
美味しそうに食べている三人の姿は変わらない。
「ほら、ヘリオンの分。それから俺の分、と」
悠人が上から順にケーキを取っていき、自分のものとして、残った下から二番目と一番下の二枚を取った。
あ、とそれを見てヘリオンは小さく息を洩らした。悠人がそれを意識していたかどうかヘリオンには分からない。
けれど、悠人が取ったのは本当に初めて作った料理の、一枚目。
ヘリオン自身の一口サイズよりも大きめに切り取った一片を口に運ぶのを目に入れながら、
一緒に食べてみる。しかしヘリオンが自分で作ったホットケーキは、
見たとおりの割合で作ったはずなのに何だか違う味がすると思った。
上手く出来なかったからだろうと、肩を落としかけたヘリオンに、隣に座る悠人の声が届く。
「美味いよ、ヘリオン。やっぱり自分で作るのもいいけど、作ってもらう方が美味しく感じる」
耳から入ってきた言葉に顔をあげたヘリオンに対して、向かいのネリーたちからさらに言葉が続く。
「えっ、このお菓子ヘリオンが作ったの? 今まで見たことないお菓子なのに?」
「一枚目に皆が食べた奴は俺が作ったんだけど、二枚目のはヘリオンが作ってくれたんだ」
「じゃあ、一回食べただけで作れるようになったんだぁ。すごいね~」
「うん、パパが作ったのと変わらないよ! 両方美味しいもん!」

オルファリルの言葉に同意するように、ケーキを口にしながら首を縦に振るネリーと、
にこっとヘリオンに笑いかけるシアー。今度は、本当かどうか聞く必要も無かった。
ヘリオンは悠人の言葉の、作ってもらった方が美味しいと思うということに加えて
もう一つ、料理を作ったことによって改めて気がつく。
傍らに座る悠人にだけ聞こえるように、微かに囁いた。
「ねぇ、ユートさま。作った人は、美味しいって言ってもらえると、
自分の料理がもっと美味しく感じるんですね」
さっきの一口よりも、心が弾むような味が広がるのを感じながら、
ヘリオンは自分のホットケーキを食べていく。
自然に、ヘリオンに笑顔が浮かび上がるのを認めて、
悠人はそっと、ヘリオンの言葉が当たっているという風に頷いた。
いつの間にか最後の一口となった一片を悠人がフォークで突き刺す。
それを口に入れかけた瞬間。館の入り口に多くの気配が現れた。
もちろん、かちゃり、という音を小さく立てて中へと入ってくる。
館の中にも外にもすっかりと広がっている匂いの元へと、みんながみんな近寄ってきた。
急いで突き刺さったケーキを口へと運んで、悠人は苦笑いを浮かべて横を向く。
「んぐ、もぐ……なぁ、ヘリオン。今度は手伝ってくれるか? 一人でやってたんじゃ間に合いそうにない」
「は……はいっ、頑張りますっ!」
早々に立ち上がって、二人は三度台所へ足を運ぶ。

ボウル一つ分の材料を混ぜ終わって、一回目の分を焼いている間に、
次のボウルに入った材料をかき混ぜているヘリオンに向かって、悠人が頬を掻きながら近づいた。
「そういや、悪い、一つ言い忘れてた。お茶のときに言っとかなきゃダメだったんだけどな」
一旦手を止め、ヘリオンは悠人を見上げて小首を傾げる。
何か、至らないところでもあったのだろうか、と
思わず顔に不安がよぎったのを見て取り、悠人が慌てて手を振った。
「別に文句なんかじゃないって。ただ、その……ご馳走様ってな」
一瞬、何のことか分からない様子で悠人を見つめ返したヘリオンだったが、
「え……あ! いえ、わたしだって、言ってませんでしたよぅ。
えっと、ごちそうさまでした、ユートさま」
ぱっと頬を染めて頭を下げる。そう言った後で、ヘリオンは自分がまだ誰からも
「ごちそうさま」を言われた事がなかったことに気がついて、
じわじわと嬉しさがこみ上げてくる心地がした。
「うん、きっとこの後山ほど言われるだろうから、先に言えて良かった。
さて、そろそろみんなに行き渡るくらいの数が焼けたから持って行こうか」
胸の内を占める浮遊感に悠人の言葉を半ば陶然と聞いていたのだけれど、
皿に盛られたケーキから放たれる匂いに、ヘリオンはふと我に返る。
「はいっ。それなら、運びますねっ」

大皿を両手に持ったヘリオンが、台所を出ようとして、その足を止めた。
「ユートさま、今日はありがとうございましたっ」
振り返って、今回は頭を下げないまま悠人をまっすぐに見つめて。
「わたし、お留守番でこんなにたくさんのことが出来るなんて思ってませんでした。
今日は、ひとりなんだなぁって思ってた、のに」
そのまま徐々に顔を俯かせかけるヘリオンに歩み寄って。
「言ったろ? 俺も一人でいるのがつまらないんだって。
……一人で帰りを待つのは、何時になっても好きじゃないから」
だから、俺も今日は助けてもらったようなもんだし、楽しかった。と悠人は彼女の頭に手を置いた。
その手の重みと暖かさに顔を上げたヘリオンが見た、悠人の顔は笑っていてくれた。
それなら。

居間へと移動したヘリオンと悠人が、帰ってきていた皆に注目を浴びる。
それはもう良い事があったんだろうなと皆の顔に表れるくらいに、
ヘリオンは晴れ晴れとした笑顔を見せて両手に抱えた皿をテーブルの上に差し出した。

「――皆さん、お帰りなさいっ!」