若芽の萌し

それは、罪の無い悠人の一言が引金だった。

いつもの昼下がり。戦いの合間、第二詰所に遊びに来た悠人は、
いつものように広間に通され、いつものようにお茶を差し出され。
「はい~、熱いから、気をつけて下さいね~」
「ああさんきゅ……それにしてもハリオンって偉いよな。家事の殆どをこなしてるんだろ?」
「ええと~、そういえばそうですね~。でも、楽しいですし~」
「いや、凄いよ実際。この部屋だって細かいところまでちゃんと塵一つないじゃないか、ハリオンだろ?これ」
そういって、窓の桟を姑のように指で掬っても、全然汚れない。悠人は本気で感心していた。
「あらあらあらぁ~。もぅ、お姉さんをおだてても、何も出ませんよ~」
くねくねと身を捩じらせ、お盆を窮屈そうに胸に押し付け、悶える。
そんな事を言いながらもヨフアルを差し出すハリオンに、苦笑しながら悠人はお茶を啜った。
「……うん、旨い。佳織やエスペリアもだけどさ、こういうのって家庭的でいいよな、何か女の子って感じで」
「あらあらあらあら~。ユートさまお上手ですぅ~」
「お、おいおい……もうヨフアルはいいって」
どこから出したのか、机の上には山のようなヨフアル。だだ甘い匂いがそのままその場の雰囲気になっていた。

で、後日。
「という訳で。
 ハリオンに任せっぱなしだった第二詰所内の家事一般について、平等に役割分担しようと思います」

最早恒例となったラキオス詰所会議。最早恒例となった司会のヒミカが、その眼鏡の奥で視線を光らせた。
「…………何が“という訳”なのか、よく判らないんだけど」
一応挙手しないと五月蝿いので、ダルそうに右手を上げたままセリアが呟く。
「適材適所なんだし、今のままで問題があるとも思えないし。大体ハリオンは好きでやってるんでしょ?」
「はい~。皆さんのお世話をするのはぁ、戦うよりは楽しいですぅ~」
いきなり振られたハリオンが、湯飲みを抱えながら、夢見がちな表情のまま答える。
ちょっと呆れたセリアだったが、いつもの事だと思いなおし、続けた。
「……それもスピリットとしてどうかとは思うけど。ほら、ハリオンもこう言っ」
「却下しますっ!」
ばん、と激しく机を叩き、そのまま握り拳をぷるぷると震わすヒミカ。
余りの迫力に一瞬押し黙ったセリアは、やがて諦めたように冷ややかな視線のまま席についた。

「え~、ネリー、お料理なんて出来ないよ~。家事とかメンドくさいし……ね、シアー?」
お局様のお怒りを畏れてか、ぼそぼそと呟くネリー。シアーの服の裾を、くいくいと引っ張る。
振り向いたシアーの口元には何故かお菓子の屑があちらこちらについていた。
「ん~と……。シアーは、賛成かなぁ……えへへ」
「えーーっ!そうなのっ?」
「う、うん…………」
大量のお菓子を膝元に抱え込み、ネリーからは死角になるような体勢でぎこちなく答えるシアー。
逆方向からそれを見つけてしまったファーレーンは、兜の下から冷静に観察していた。
(買収されましたか…………)
「ん?お姉ちゃん、どうかした?」
姉の気配に何がしかを悟ったのか、不思議そうな顔でニムントールが囁いてくる。
ファーレーンは曖昧な笑顔を向けながら、逆に質問していた。
「ううん、何でもないのよ……ところでニム、最近ヒミカと何か接触はありましたか?」
「?接触って……そう言えば『お姉ちゃんと始める初めての炊事洗濯』って本貰ったけど」
「…………なるほど」
覆面の奥で、ロシアンブルーの瞳が妖しく光った。

ばきんっ。黒板に向かい、何かを必死に書き込んでいたヒミカは、いきなり白墨を折ってしまった。
こん、こん、ころころころ…………。欠片が軽い音を立てて教壇の隅にまで転がっていく。
それを目で追いながら、ヒミカは大量の汗をかいてその場から動けなくなっていた。
斬られた。それも、4度も。背中を割られ、肩から袈裟に。打突がそれぞれ心臓と後頭部を貫いていた。
「はぁっ、はぁ……っ」
もちろん、本当に斬られたのでは無い。飛んできたのはただの「殺意」、それだけだ。
しかしリアル過ぎる感覚は、避わす暇も無くヒミカを捉え、確実に致命傷を与えていた。失いかける意識。
息が、苦しい。両の拳を何度か握り直し、どうやらまだ生きているらしいとようやく実感する。
まだ衝撃が残像のように残り、錆び付いている首を無理矢理捻るとそこには。
「どうしました?ヒミカ」
首を傾げながら、にっこりと微笑み返すファーレーンの姿。爛々とその瞳に青白い炎を灯らせたままで。
「………………」
首筋に、冷たい刃を突きつけられているような幻覚。夜道には気をつけなさい、と言わんばかりの態度。
ヒミカは引き攣りながら、決心していた。二度とニムントールにちょっかいは出さない、と。

「あ、あの~、ところでですね……」
ヘリオンが遠慮がちに手を上げた。棘々しい雰囲気が一瞬緩み、ほっとしたヒミカが指揮棒を指す。
「はい、出席番号8番ヘリオンさん」
「(編成画面順?!)あ、あの、なんでここにコーインさまがいらっしゃるのですかぁ?」
「おいおい、そりゃないぜヘリオンちゃん。詰所の会議だろ?俺にも参加する権利と義務があるってもんだ」
椅子を後ろに傾け腕を頭の後ろに組んだまま、いかにもやる気のなさそうな態度で光陰は語っていた。
軽く欠伸をし、ん~と伸びをする姿からは、どうして参加しているのかがさっぱり判らない。
「コ、コーインさま、もう少し真面目に……すみません、普段はこんなじゃ無いんです」
ぺこぺこと頭を下げ、何故か代わりに謝っているのは稲妻のクォーリン。すっかり保護者のような態度である。
「クォーリンは真面目すぎるんだよなぁ、もうちょっと気楽にやろうぜ。どうせ今回も悠人絡みなんだし、な?」
途中から顎をしゃくり上げるように、教壇に立つヒミカを楽しそうに見つめる。
いきなり本質を突かれ、みるみるヒミカの顔が真っ赤になった。
「な、ななななな何を…………」
「先日、ユートさまをストーキングしていた事と何か関係ありますか?ヒミカ」
しどろもどろに慌てふためくヒミカに被る、今まで一言も発し無かったナナルゥの冷静な突っ込み。
ぴきっ。部屋に、そんな擬音が聴こえた。暴かれた新事実に、場が様々な思惑で塗り替えられていた。
「……説明して頂けますか?ヒミカ」
一同を代表してか、ファーレーンが静かな抑揚の無い口調でそう告げた。

「さて、ここからは俺の出番だな。まず各々の分担だが、これはヒミカがちゃんと考えてくれていた。
 実に見事な布陣だ。指揮官として、戦闘に於ける指揮能力がいかに秀でているかが窺えるというもんだ」
「……どうせ私なんて、ソレ位しか能がありませんし…………」
無理矢理フォローしながら進行しようとした光陰の横で、どっぷりと浸かってしまっているヒミカ。
窓際に机と椅子を持ち出し、窓の外を眺めながら退屈そうにぼそぼそと呟いてたり。
まるで学級会における担任教師のようなポジション取りで完全にイジけている姿に、光陰は苦笑しながら慰めた。
「だから更迭された位でそんな凹むなって……ん?なんだ、ナナルゥ」
「配置については理解しました。ただ、幾つか質問があるのですが……宜しいでしょうか?」
「珍しく多弁だな。いいぜ、何でも訊いてくれ」
「何故コーインさまが、仕切ってらっしゃるのですか?それもユートさまと、何か関係があるのでしょうか」
「大有りだ。そもそも家事は、全員で平等に振り分けられていたらしいじゃないか」
「…………うっ」
「確かに…………」
光陰の指摘に、セリアとファーレーンの二人が顔を見合わせ今までの所業を振り返る。
言われてみれば、戦いが激化するにつれ訓練を優先する余り、ついハリオンに任せっきりにしてしまいがちだった。
「まっ、そんな訳だからな、これじゃ俺以外誰が指摘してもかどが立つだろ?それにだ…………」
一度こほん、と堰をして黙り込む。両手を机に置きじっとしている光陰に、
それまでひそひそお喋りをしていた年少組が、周囲の静かな気配に気づいて前を見る。
タイミングを見計らって、光陰は少しトーンを落とした口調で再び話し始めた。
「……ここだけの話だけどな、悠人のやつは『餌付け』や『世話』に弱い。エヒグゥと同じだ。手をかければ懐く」
がたっ。一部の視線が一気に真剣になった。固唾を呑むような衆目が集まる。
「これが俺が仕切っている理由だ。…………どうだ、聞きたくはないか?俺の話を」
年少組(一部除く)が強烈に首を振った。光陰は完全にその場を「掴んだ」。

「で、とりあえずの配置だが、ネリーちゃんとシアーちゃん、
 ヘリオンちゃんとニムントールちゃんは厨房で修行、担当ハリオンな」
一部以外の反応を無視した形で光陰が続ける。強引だがこの場合は効果があった。
「わかったっ!ネリー、やるよっ!」
「シ、シアーもやるっ!」
「わわ、わたしもやりますっ!」
「ちゃん、っていうな……面倒くさい」
名指しされたネリーシアーヘリオンが一斉に立ち上がった。事情を悟り、皆一様にやる気満々である。
一人不貞腐れたニムントールも、(一見)渋々立ち上がった。
「よし、それじゃハリオン頼んだぜ。こいつらを立派な悠人専属シェフにしてやってくれ」
満足げに頷き、ハリオンに話を向ける光陰。ハリオンは快く承知した。
「わかりましたぁ~。…………でもぉ、しぇふ、ってなんでしょう~?」
首を傾げながら、厨房へと歩いていく。わいわいと、四人が後を追った。
「ああシェフっていうのはだな…………ま、いっか」
見送りながら、小○校の遠足と引率する教師を光陰は連想していた。
「さて、と……次だな。掃除の分担だ。これはヒミカとセリア、ナナルゥとファーレーンで手分けしてくれ」
「…………しょうがない、わね」
「今まで任せっぱなしだったのですから、頑張りましょうセリア」
溜息混じりに立ち上がるセリアを宥めながらファーレーンが背中を押す。
「オーケー、二人は二階だな…………ん?どうした、ヒミカ、ナナルゥ」
二人が出て行っても動かないヒミカとナナルゥに、光陰が不思議そうに声をかけた。
「……………………………………なんでもありません。では私は浴場を」
何かを言いたそうなナナルゥが、目を細めて暫く見つめた後、静かに立ち去る。
その後を追いかけようとしたヒミカが通りがかりにぼそっと囁いた。
「あまり無茶しないで下さいね」
「へ?何のことだ、ヒミカ」
「…………いえ。洗剤は物干し台の横にあります」
「…………」
ぱたぱたぱた…………。ヒミカの後ろ姿を見送ってしまうと、部屋は光陰とクォーリン、ただ二人だけになった。

「あ、あのコーインさま?それでは洗濯当番が」
「それじゃクォーリン、二人で洗濯でもするか」
二人きりになってやや気を緩めたクォーリンが、そろそろ自分も発言してもいいかと恐る恐る切り出しかける。
まだ会議の途中のつもりな彼女を遮って、光陰が爽やかな笑顔で告げた。
一瞬何のことか判らない、といった表情のクォーリンの顔が、みるみる赤くなっていく。
「え?え…………えーーーー!わわわ私とコーインさま、二人っきりでですかぁーーー!!!」
「ん?何だ、嫌か?まあ確かに凄い量だろうからなぁ……嫌なら俺一人でも」
「やりますっ!やらせて下さいっ!!」
「よっしまずは洗うっと……俺は洗剤を取ってくるから、クォーリンは洗い場で繊維ごとに纏めておいてくれ」
「了解しました!頑張りましょう!」
ぴっと敬礼して飛び出していくクォーリン。その足音が遠ざかるのを、光陰はにやっと笑いながら聞いていた。

のんびりとシーツを広げながら、光陰は鼻歌交じりに反対側で押さえるクォーリンに話しかけた。
「たまにはこういうのもいいだろ、クォーリン。何か天下太平って感じでさ」
「テンカタイ、ヘイですか……?よく判りませんけど、ええと…………」
「なんだよ、言ってみろ」
「はい。洗ってる時、白くなっていくシーツとか見てるとその……不思議な感じがしました。
 落ち着く、というか……しん、と澄んでいくような、綺麗になるのをもっと見ていたい気がしました」
「ふうん、なるほどな。お、その辺皺になってるぞ……まあ何だ、こういうトコから始めるのもいいんじゃないか?」
「あ、ここですね……んしょ……え?始めるって……何がですか?」
ひょこ、とシーツの横から顔を覗かせるクォーリン。不思議そうに見上げてくる。
「さ、これでシーツは終わったな。そこで横にでもなろうぜ。一休みだ」
「あ、は、はい…………???」
すっかり話を流し、ごろんと草の上に横になる光陰。慌ててクォーリンもそっとその横に座った。

ふう、と今干したばかりのシーツを眺める。真っ白に広げられたそれは風にゆっくりと波打ち、
ぱたぱたという小気味良い音と共に裾をはためかせている。
気持ちのいい風が頬を撫ぜ、慣れない事をした後の心地良い疲労感と共にじんわりと心に入ってくる。
バンドで分けている前髪を押さえながら、クォーリンは光陰の方を向いた。
「あの、コーインさま、先程のお話ですけど……」
「ん?ああどうだった?洗濯は」
既に後ろ手を頭に組み、目を閉じている光陰。質問の意図を勘違いしたのか見当違いな切り返しをされる。
それでも人差し指を顎に当て、懸命に振り返ってみた。大変だったけど、新鮮だったしなにより……
「え、あ、えっと楽しかったです。自分の手で汚れたものが綺麗になるのを確認できるのは」
「……そっか」
「こうして見ていると自分も洗われた気がしてさっぱりするというか……またやりたいです。少し大変ですけど」
ぺろっと小さな舌を出し、少しおどけてみせる。今まで見せた事の無い表情は、妙に子供っぽい歳相応のものだった。
「最初はそんなもんだ、すぐに慣れるさ。……でもな、ちゃんと聞こえただろ?『自分自身の声』が」
「え…………」
「さっぱりしたと感じたのは、剣の意思か?またやってみたいと思ったのは、剣の声か?」

さー、と心が凪いだ。
「…………」
言われて、傍らに置かれた神剣を見つめる。手元から離れているそれからは、何も感じてはいない。
当たり前だ。今は戦場にいるのでは無い。戦いに身を措いていないのだから、その必要も無いのだ。
「……いえ。私の心がそう感じています。また、こうしたい、と。…………そうか、これが『声』……わたしの……」
「ははっ、上出来だ。……クォーリンには世話になったからな、これで少しは返せたか…………」
「…………?コーイン、さま……?」
見ると光陰は、すうすうと穏かな寝息を立てていた。
クォーリンは少し考え、そしてそっとその頭を自分の膝の上に乗せる。
澄み切った青空の下、木の葉の影だけが、光陰の顔にゆらゆらと映えていた。
風が、森の匂いと、少しだけ混じった洗いたての石鹸の匂いを運んでくる。
レスティーナの所要で留守の今日子に、心の中で謝っておいた。
これが今、自分のしたい事だから。たった今教わった、大事な大事な事だから。
「大好きです…………コーインさま…………」
呟き、ゆっくりと唇を合わせる。感謝と、それから少しだけの想いを伝えるように。
温もりが、体全体を包んでいく。長く長く、追い求めてきたもの。ゆっくりと融かしていくように。

「…………宜しいんですか?キョーコさま」
「うんまぁ、宜しいか宜しくないかっていえば宜しいわけないんだけどね……なんつーかさ、ナナルゥ?」
「…………はい?」
「アタシ達ってさ、ほら……神剣に飲まれてたじゃない?でもさ、それって程度だと思うんだよね」
「……程度、ですか」
「うん、普段ちゃんと自分をしっかり保ってたって、それが戦いにしか向かないんじゃ同じじゃないかって。
 スピリットは戦いが仕事っていうのは仕方が無いけど、それだけじゃ変わらないというか…………う~ん」
建物の影で、今日子とナナルゥが話し込んでいる。二人とも買い物袋を抱えていた。
意外と早く任を終えた今日子が偶然買い物帰りのナナルゥと鉢合わせたのだ。
事情を知り、急いで帰って来た所に先程の場面、という訳である。
「だからさ、悠見てれば判るでしょ。まずはやってみないとダメなのよ。クォーリンは考えすぎるから」
「ユートさま…………。そうですね、はい、判ります」
「でしょ、それにアタシもクォーリンには何かと迷惑かけたしね……あのコにも見つけて欲しいから」
なんて柄じゃないけどね、とがしがし頭をかく今日子を、ナナルゥは見つめていた。少しだけ微笑みを浮かべて。

――――がしゃーん…………
詰所の奥で、ガラスが割れる音がした。
――ああ!セリアそれ、ハリオンのお気に入りのソーサー!
――くっ、また……どうしてこう、食器って割れやすいのよもうっ!
――言ってる場合じゃないでしょ!どうするのよこれ!
――ちょっと待ってええと、アセリア呼んで来る!
続けて微かに聞こえる、動転したヒミカとセリアの声。
今日子とナナルゥは一瞬お互いの顔を見合わせ、ぷっと吹き出してその場を駆け出した。

「あら?今日は第二ですか、悠人さま?」
「ああ、何かさっき今日子に絶対来なさいよっ、って凄い剣幕で迫られてさ……なんだろ?」
「キョーコさまが?……そうですか、判りました。行ってらっしゃいませ」
「悪いな。明日はこっちでちゃんと食べるからさ」
「ええ、ユートさまのお好きなポトフを用意してお待ちしますね。ふふ、リクェム入りの」
「うぇ……勘弁してくれよ。今度はもっと早く伝えるように頼んどくから」
「うふふ……冗談です。キョーコさまにも何かお考えがあるのでしょう。早く行ってあげて下さいまし」
「うん。それじゃ行ってくる。みんなにも宜しくな」
小さく手を振るエスペリアに見送られて第一詰所を出た悠人は、ふう、と一度空を見て、ゆっくり歩き出した。

「いらっしゃーい、ユートさまっ!」
がたっ。出迎えたネリーの姿に、悠人は一瞬後ずさりした。煤だらけの頬っぺた。所々変な色に染まるメイド服。
「な…………どうしたネリー!?」
自慢のポニーが重力に逆らい、有り得ない方向を向いている。そして何故か三つ指ついて正座していた。
悠人の動揺を別の意味に取ったのか、ぴょこん、と立ち上がり、飛びついて腕を絡めてくる。
「へへ~ユートさま、早く早くぅ~」
「お、おいおいなんだって…………」
服自体はオルファが炊事の時に使うものと同じだが、第二詰所で見るとちょっと新鮮だ。
しがみ付くように引っ張るネリーを眺めながら、ずるずると食堂の方に連れて行かれる悠人だった。

「お、来たわね悠。さあみんな、一名様ごあんな~い!」
「お前な、急に呼びつけておいて何だその変なシナは…………うっ」
さっきから考えないようにしていた事態が現出していた。ずらりと並ぶメイド服。机の上の料理。
「あ~、ユートさま来た~」
ぱたぱたと仔犬のように駆け寄ってくるシアー。俯き加減でもじもじとこちらを見つめるヘリオン。
ぷい、と不満そうに頬を膨らましながらちらちら窺ってるのはニムントール。みんなメイド服。
それ自体には何の問題も無い。むしろ可愛いとも思う。しかし、その全てが所々汚れていた。原色で。
そして大量に置かれている料理。この意味する所を、悠人はトラウマと共に思い出していた。
つぶらな瞳でじっと見つめていたアセリア。彼女達はあの時と同じ期待の眼差しでこっちを見ている。
「…………あ、俺ちょっと用事思い出した」
額の脂汗を悟られないよう、くるりと踵を返す。とたん、がしっと両脇を固められた。
「どこ行くのよ悠。アンタが今しなくちゃいけない事はこ・こ・にあるわよ」
「ユートさま~、ご飯はちゃんと食べないと、めっめっですよ~」
明らかに脅迫めいた今日子と、いつの間にか隣にいたハリオンのおっとり口調。
「ユ、ユートさま、こちらにどうぞっ!」
椅子を引いて待っているヘリオンにそう言われては、既にもう逃げ道は無かった。
がっくりと項垂れ、諦めて力無く席に付いた悠人は、ふと気になって周囲を見渡した。
「あれ?他のみんなは?居ないようだけど」
「今日は疲れたからいらないって。…………折角お姉ちゃんに食べて貰おうと頑張ったのに」
不貞腐れたニムントールが答える。逃げたな。悠人は確信し、天井を恨めしそうに見つめた。

「じゃ、頑張ってね悠。おっやすみ~」
自分の役目は終わった、といった感じの今日子が立ち去ろうとする。
「……待て。どこに行く今日子」
「へ?もう寝るわよ、夜更かしは美容の大敵だからね」
「一昔前の小学○かお前は!まだ日本時間じゃ8時前だっ!いいから食え。食ってから行ってくれ!」
「…………あのね悠。悪いけどアタシ今、ダイエット中なの。まったく駄目ねぇ、乙女にそんな事言わすなんて」
ぽん、と肩に手を置き、しょうがないなぁと言わんばかりに頭を振って溜息をつく今日子。
こいつわ……。悠人はぷるぷると机の下の拳を震わせながら、そのとぼけた態度に必死に耐えていた。

「……で、わたし達は一体いつまでこうしていれば良いのでしょう」
「知らないわよ……ハリオンを怒らすとこんなに面倒だとは思わなかったわ……」
「まぁご飯抜きはある意味助かったけどね……ユートさまお腹壊してなければいいけど」
セリアヒミカファーレーン。ラキオス屈指の剣士として名を馳せる彼女達は、今は無残にも廊下に立たされていた。
両手にバケツを持たされ項垂れる姿は、とても年少組には見せられない。当然内緒だった。
ぷ~ぴ~ぷぷ~♪
「………………」
「………………」
その隣で、両手が塞がっているのに器用にも咥えた草笛を鳴らしているナナルゥ。
何故彼女が罰ゲームに付き合っているのか、誰も訊こうとはしなかった。

「くしゅん!」
そろそろ肌寒くなってきた頃、クォーリンは小さく、くしゃみをしていた。
「いけない……コーインさまが起きちゃう」
慌てて口を押さえて様子を窺う。本来ならもう起こさなければならない時間なのだろう。
だけど、もう少しだけ手放したくは無かった。ささやかな、二人だけの時間。
「ん、しょ……と」
折角洗ったばかりの、さっき光陰にかけてあげたシーツに手を伸ばし、その首元まで引き上げる。
ついでに幸せそうにすーすーと寝息を立てる顔を覗きこんだ。
「ん~悠人ぉ、きょーこー……おまえらホントにバカだな…………」
どんな夢を見ているのだろう。昔の思い出だろうか。
「ふふ、子供みたい…………くしゅん!」
もう少しだけ。そうしたら、起こして差し上げよう。コーインさまが風邪を引かれないように。
そう思いながら呟いたクォーリンの目には、グリーンスピリット特有の穏かな緑が広がっていた。
「あ…………」
どこからか、綺麗な音色。澄んだ、静かな旋律が流れてくる。
クォーリンはそっと目を閉じ、耳を傾けた。天地にたった二人だけ。そんな世界を楽しむように。