忘れられた名前

「ふう……ここか、例の技術者のいる研究所は」
ラースに到着した俺は、無機質で飾り気の無い、いかにも実用的な構造をしたその白い建物を見上げた。
「…………」
「なぁいいかげん機嫌直せよセリア」
「わ、わたしは……別になんでもありませんっ!」
そう言いつつ、ぷい、と横を向いて頬を膨らませている。明らかになんでもある態度だった。
判らないでもないが、付き添いに決まった時からずっとこの調子なのは辛い。
「まあ俺も驚いたけどな。セリア・バトリ、か。まさかセリアと同じ名前の技術者がいるなんて」

先日の事。ヨーティアに呼び出されて初めて俺はその名前に気づいた。
情けない話だが、普段「技術者一覧」など開かないので今じゃ誰がいるのかさえ掴めていない。
『最近忙しくてな。お前さんには一人技術者を呼んできて欲しい。な~にラースなんてすぐそこだ』
『は?……まあいいけど』
丁度戦いの合間でもあり、二つ返事で了解したのが拙かった。
『セリアを連れてってくれ。くく…………あ、いやナンデモナイ』
『…………?』
不気味な含み笑いにやや不審を抱いたものの、戦時中の単独行動は控えるべきだし、特に疑問にも思わなかった。
そう、技術者の名前を知るまでは。
『で、何て名前の人なんだ?呼んでくるのは』
『ああ、それは…………』
『…………は?』

で、今に至る。
「だからイヤなのよ……あの人苦手だし」
口調が素に戻っている。こりゃ相当機嫌悪いな。それにしても“あの人”って、知り合いなんだろうか。
てっきり同名をからかわれるんじゃないかといぶかしんで不機嫌なのかと思ってたんだが。
「そりゃ同じ名前じゃ混乱もするだろうけどさ。そんな事で嫌がんなくても」
「ユートさまは知らないからそんな事が言えるんですっ!」
「おわっ……と、とにかく入ろう。任務は任務だ」
「うっ……りょ、了解しました……」
ずずい、と凄い剣幕で詰め寄ってきたセリアだが、思ったとおり『任務』の二文字に反応した。
すごすごと畏まり、青菜に塩といった感じででしぶしぶ承諾する。……最近セリアの扱い方が大分判ってきた。
「よし、じゃあ行くか」
俺は目の前の重い扉を押し開けた。

薄暗い通路の先に、目的の部屋はあった。プレートに、住人の名前がヨト語で書かれている。
『セリア・バトリ♪』
「………………」
「………………」
「ま、まぁ、取りあえずノックしてみるか……」
頭痛でもするのかコメカミを押さえたセリアは見なかった事にして、気を取り直す。
拳を軽く握り、こんこんとノックを

ずんっ!

「ぐぉっ!」
「ユ、ユートさまっ!?」
俺は、吹き飛んできた扉と廊下の反対側の壁とにサンドイッチされていた。強烈な爆風にプレスされて。
「けほ、けほ……あ~あ、また失敗…………あら?リア」
「わ た し は セ リ ア で す」
「た、助け……」
遠くなる意識の中、呑気そうな声と怒りに震えるセリアの声が微かに聞こえた。

「ごめんねぇ~。まさかお客さんが来てるなんて思わなかったからぁ~。はい、お茶♪」
ことりと置かれたカップはビーカー。
「…………」
「…………」

数刻後。お花畑から帰還した俺は、ずだぼろに破けた白衣に身を包んだ女性に接待を受けていた。
「それにしてもエトランジェ~?もっと神剣を使いこなさないと。あの程度の衝撃で気絶してちゃダメじゃない♪」
けらけらと笑っていたかと思うと、急にお姉さん臭く説教を始める。しかもどこから突っ込んでいいか判らない。
俺はそっと横のセリアに疑問をぶつけてみた。
(なぁ、考えたくないんだけど、この人本当に技術者なのか?)
(ユートさまの疑問はもっともだと思います。が、甚だ遺憾ながらその答えはイエスです)
(嘘だろ?このいかにも軽そうな、何ていうか……)
(……判ります。それ以上はおっしゃらないで下さい)
「なになに~?二人っきりで内緒話~?」
「うわっ!」
「きゃっ!」
いつの間にかすぐ側で聞き耳を立てられていた。

「あの、それでですね、至急バトリさんにはラキオスに来て欲しいんですが……」
「ちっちっちっ♪」
一応年上と思われる女性に対して精一杯の敬語で用件を伝える。
が、何故か彼女は立てた指を目の前で横に振りながら
「だ~め。セ・リ・ア♪」
「……は?」
「だ、か、ら、セリアよ、そう呼んで♪」
「なっ…………」
がたっと立ち上がったのはセリアだった。いや、ブルーの方の。
「な、な、な…………」
「あらどうしたの~?、リアちゃん」
「だからわたしはセリアですっ!わざとやってるでしょっ!」
「…………さっきから気になってたんだけど、何でセリアをリアって呼ぶんだ?」
俺の呟きに、セリア(ブルー)の背中がぎくっと激しい擬音を鳴らした。
「あ、あ……それはその…………」
「ふっ……」
動揺するセリアと何故か遠い目で鼻を鳴らすバトリ。何か拙い事でも言ったのだろうか。
「実は、ね…………」
「だ、だめ……」
急に声をひそめたバトリさんが顔を寄せてきた。両手で頬を押さえたセリアが何故かふるふると首を振る。
そうして語られたのは、驚愕の事実だった。

「以前ラキオスに、リアってスピリットがいたのよ~。で、この娘が転送されてきた時」
「ユ、ユートさま聞かないで下さい耳が腐りますだめだめだめだめ」
「面倒臭いからって、私と一緒のセリアって名付けられちゃったのよね~♪」
「…………へ?」
「嘘です虚言です何かの間違いです!!!」
「傑作よね~、しかもその直後に転送されてきたブルースピリットがア」
「いやーーーーー!!!」
つんざく悲鳴が研究所中に響き渡った。

「な、なるほど……」
「ね~、でも普段紛らわしいったらありゃしないでしょ~?」
「しくしくしくしく……」
「いや、だけどそれは半分自業自得だろ?」
「まぁそんな訳でこの娘と会った時は区別の意味で今いないリアって呼んでるのよ~♪」
「アンタ人の話聞いてないだろ……」
「しくしくしくしく……」
「っていつまで泣いてるのよこの娘はぁ」
丸めた背中をこちらに向け、いじいじと部屋の隅でしゃがみ込んでいるセリア。
こんな彼女を見るのは初めてだった。思わず保護欲を駆り立てられ、弁護してみる。
「そりゃしょうがないだろ。そんな連想ゲームみたいな名前の由来じゃ…………あ」
「ばかーーー!!!」
「ごっ!」
いらん事を口にした俺は、その体勢のまま壁にめり込んでいた。
『熱病』が鞘ごと俺の背中に食い込む。
「や~ね~。開発したばっかりのシールドが粉々じゃない~」
爆風を咄嗟に防いだらしい、呑気そうなお姉さんの声は何故か迷惑そうだった。

「……だからイヤだったのよ、ここにくるのは……」
理不尽な攻撃を二度も受け、既にぼろぼろの俺は三度(みたび)バトリお姉さんと向かい合っていた。
最早臍を完全斜めに曲げてしまったセリアが頬を膨らませたまま隣に座っている。
「まぁまぁ……名前の由来なんてそんなに気に」
「ユートさま、その話題は二度となさらないで下さい」
「…………はい」
機嫌を直して貰おうと思ったが、ぴしゃりと言い切られて思わず謝る。
涙目で真っ赤な頬のまま睨まれては従うしかない。こんなに自分を見失ったセリアは初めてだ。
…………なんだか今日は色々な「セリアの初めて」を見る日だな。
そんな事を考えていると、置き去りにされてつまらなさそうに髪を弄っていたお姉さんが呟いた。
「それでぇ~?何か用があったんでしょう~。コレじゃいつまでたっても本題に入れないじゃない~」
「「アンタのせいだ(でしょう)!!!」」
俺とセリアの突っ込みがものの見事に被った。

研究所を出た頃、既に辺りは夕暮れ時だった。
「ああ……夕日が目に沁みるなぁ…………」
「え、ええ…………」
ふらふらと踏み出す一歩に力が入らない。光陰や今日子と戦った後にもこんな疲労感はなかった。
隣を歩いているセリアも同様らしく、所々乱れた髪が痛々しい。
「ラキオスの技術者って……みんなああなのか……」
思わず重い溜息が漏れる。先日作戦の失敗を招いて更迭された老人や自称天才科学者。
ラキオス陣営が本当に充実してきているのか、疑わしくなってしまう。
「あっ…………」
「おっ……と」
突風も受けきれずにふらついたセリアを咄嗟に支えた。
抵抗もなく腕の中でじっとしている姿には、いつもの強気な面影が欠片も見られない。
「す、すみませんユートさま……あ…………」
「ははっ。セリアでも、素直な時があるんだな」
「どういう意味ですか……もう……」
苦笑いする俺に、文句を言いながらも身を預けてくる。
心地良い温かさを感じながら、俺はまた少しだけセリアに近づけたようでなんだか嬉しかった。

「もおぅ~。じれったいわねぇ~」
研究所の一室。窓の外を眺めながら、呟く声。その手には、開発したばかりの『蒼の水玉』。
水を司るそれで起こした風が、まだ微かにその余韻を残しながらそよそよと周囲を揺らしていた。