祭会場の片隅に建てられた小屋のそばに、白い装束を左前に着て天冠をつけ長い黒髪を下ろした少女の姿があった…… 
「ほ~らほら、怖いでしょう~? ……はぅ、練習も飽きちゃいますよぅ…… 
お客さんは来ないし、蚊には咬まれちゃうし……もうヤダぁ……」 
小屋の壁には『お化け小屋』の文字があったのだが、いかんせん目立たなさ過ぎた。 
少女、ヘリオンがちょっと向こうに目をやれば、堤燈が風情ある様子で辺りを照らし、太鼓の拍子に露店の喧騒が胸を打つ。 
「楽しんでもらおうって、出店参加にしたのに……」 
人を驚かせるなんて悪い事だから罰が当たったんだろうか。 
お化けの変装をした雰囲気そのままに、ぽつねんとその場に俯いて佇む。 
時間からすると、そろそろ最大の盛り上がりを見せる花火が始まってしまう。 
そうなればもうこんな所に寄ってくれる人も居なくなってしまうだろう。 
じわじわと胸が締め付けられる心地がして、耐え切れなくなったように目に涙が浮かんできた。 
いけない、と目を袖で拭おうとしたその時、背後で草が踏み分けられる音が響く。 
反射的に振り向いた瞬間にすぅっと一筋の水滴が零れ落ちるのが分かったが、 
すぐにそんな事は頭から吹き飛んだ。近づいてきていた見知った人物が、 
まるで幽霊でも見たように目を見開いて硬直していたからだ。 
紙袋を片手に持って、もう片方の手は微妙に開かれたまま体の横に下がっている。 
「ゆ、ユートさまっ? えと、あの、な、何でもないんです、目にごみが入っちゃっただけでっ」 
ぐしぐしと目元を擦った後ぱたぱたと小走りに悠人の元に近づいた所で、ようやく悠人がほっと息をついた。 
「ヘリオンだったのか……薄暗かったから分かりにくくてめちゃくちゃ驚いたぞ。 
白装束に髪まで下ろしてただでさえ雰囲気が出てるのに、 
振り向きざまに涙まで流すなんて反則だって。何か、怖いだけじゃなくって心臓が飛び出るかと思った」 
恐怖にしては赤らみかけた顔を誤魔化すようにまくし立てる。 
「驚いて下さったんなら大成功なんですけど、思ってた驚かせ方じゃなかったんで複雑です……」 
「大成功って、どう言うことだ? あ、そうかこれか」 
小屋の文字を見て、申し訳なさそうに頬を掻きながら続けた。 
「何処で店を出してたのか探してたんだけど分からなくってさ。 
ヘリオンが居るのが分かって、ここがそうだったんだって今思った」 
店を探してくれていたという言葉に、一瞬にして落ちこんだ気分を吹き飛ばされはしたのだけれど、 
いくら悠人が鈍いとは言え、探していたこの場所が見つからなかったというのなら、 
やはり普通のお客さんは来そうにも無かったのだろう。店の場所を決める眼が足りなかった事に、 
ヘリオンはかくんとうなだれて溜息をつく。ところが、そこで何かに気付いたようにあれ、と首を傾げた。 
「あの、それじゃどうしてユートさまはこちらに来られたんですか?」 
ああ、と頷きながら周りを見回して、空へ向かって指差す。 
「花火を見るのに、ちょうどこの辺が穴場なんだよ。 
明るすぎないから良く見えるし、まぁその、人もあんまり気付かない所だし」 
ヘリオンを気遣うように言葉が濁されたものの、少しばかり苦笑いが滲んでいた声に気付いて、 
「そうですよね、こんなところには幽霊くらいしか居ませんよぅ」 
と、唇を軽く尖らせながら頬を膨らませた。自分の間違いを訂正するように首を振って、 
空を指したのとは逆の手に持った紙袋を悠人はヘリオンに向かって差し出す。 
「あー、そんなつもりで言ったんじゃないって。ほら、これでも食べて休憩にしないか? 
もうすぐ花火も始まるし、せっかく会ったんだからヘリオンも特等席で見よう」 
「え……」 
受け取った紙袋の中身は、ハリオンの屋台のヨフアルだった。 
ぱちくりと瞬いている間に、悠人はさっさと良さそうな場所に座り込んでしまっている。 
一時的に混乱していた頭が落ち着いてきた所で、再び状況を把握するにつれてかぁっと顔が火照っていく。 
そんなヘリオンの様子も知らずに悠人は軽く振り向いて、こっちだと手招きまでやりだした。 
「いいからいいから、頑張ってたご褒美だと思って来たらいいよ」 
「は、はいっ。今行きますっ」 
ちょこちょこと傍まで足を進めてヘリオンは同じように腰を下ろす。 
「失礼します、えと、ユートさまも召し上がって下さいね」 
「ん、さんきゅ。幽霊役お疲れさん」 
かさかさと袋からヨフアルを取り出して、一つを悠人に手渡し、もう一つを取って口に運んだ。 
味が分かるような分からないようなという緊張感を抱いたまま二口目を食べようとした時に、 
悠人がそっと空を指差すと、地上から上っていく光がヘリオンの眼に入った。 
距離が近いために、ぱぁっと広がる光と同時にどーんとお腹に響く音がやってくる。 
「ふわぁ……」 
光と音に呆然としているヘリオンの隣から、それでも耳に心地よい声が届く。 
「たーまやー」 
「……?」 
花火が上がったときの掛け声なんだと、にやりと笑ってもう一度地上から上る光を指差す。 
「せーの、でな」 
「はい……」 
二度目に重なった掛け声は連発で上げられた花火の音にも重なって、 
互いの耳に届いたところで静かにかき消えた……