お祭りとある屋台

「あらあら~、ユートさまちょうど良いところに~。ちょっとこちらに回ってきてくださいな~」
砂糖の甘く焦げる匂いが漂う小ぶりな屋台に出来た黒山の人だかりの向こう側で、
行列に圧倒されるように呆然と立っている針金頭を発見したらしいハリオンの声が響いた。
何だか普段よりは慌てたように聞こえなくも無い響きを持った呼び声に、
正面の人ごみを避けて悠人は急いで屋台の脇から売り子側へと潜り込む。
すぐに、この大量のお客をたった一人で捌きながらヨフアルを焼いている浴衣姿のハリオンの背中が見えた。
「うわ、大丈夫か……いや、そうじゃないから呼んだんだよな」
「ええ~。お手伝いをしてくれてたヒミカが太鼓を叩きに行ってからぁ、もうずっと大変でして~。
はいどうぞ、お待たせしましたぁ~。……ふぅ。少々お待ちくださいねぇ~」
脇目も振らずにヨフアルを袋に詰めて、お釣りと一緒に商品を渡した後にようやくハリオンが悠人に向き直る。
「ヒミカも仕事だからなぁ。それで、何を手伝えば……」
と続けようとした悠人の口が、そのまま開きっぱなしで止まった。
視界の端に映った人だかりの構成員の一部に心からの同意と殺意を送る。
「ちょ、な、なんて格好してるんだよ……っ」
「えぇ~? 暑いですから、こうしてるとすっごくらくちんなんですよぅ~?」
忙しさを証明するように軽く息をきらせ、顔色はすっかり薄紅に染まり、
ヨフアル焼き器の鉄板と人の熱気にあてられて上気した肌も汗にまみれて、
浴衣が身体の線をはっきりと示すほどに張り付いている。さらには浴衣にこもる熱を逃がすつもりか、
その豊かな胸元が盛大に緩められていて、出来上がった谷間が惜しげもなく周りに晒されてしまっていた。
呼吸で上下する胸に浮かんだ汗がつつぅっとその隙間に流れ込んでいくのを目の当たりにしてしまい、
視線を逸らす努力はしつつも無駄に終わっていることに葛藤を覚える悠人をよそに、
「それじゃあ、ユートさまには生地を作ってもらいますね~。そろそろ足りなくなりそうで困ってたんです~」
何も気にしないようにハリオンは材料置き場から一通りのものを運んで悠人の前に用意する。
それなら、なるべく自分も気にしない方が良いんだと悠人は半ば諦めつつ泡だて器を手に取った。

だがしかし、ハリオンが『よいしょ』と抱えていた材料を鉄板の横に置かれた調理台に置いた瞬間に、
反動でたゆん、と胸が揺れたのと同時に人だかりからどよめきが洩れる。
血管をこめかみに浮かべた悠人が材料を混ぜている最中に横目で見ても、
ヨフアルを型から外せばたゆん、袋に詰めればたゆん、相手に袋を渡せばたゆんたゆん。
極めつけには最後に頭を下げると胸元から零れ落ちそうに……
「ほら、ハリオン! 生地が出来たから! 接客は俺がやるからハリオンは追加を焼くのに専念してくれ!」
「あらあら~? そうですかぁ。それじゃあどんどん焼きますね~」
異常なまでの早さで力強く生地をかき混ぜ終え、だらしなく鼻の下を伸ばした客その一の前からハリオンを退かせて、
手早く袋にヨフアルを詰めていく。おそらく、ハリオン自身に注意してみても、
『暑いんですからぁ、しょうがないじゃないですか~』などと返ってくるだけに違いない。
ヒミカが離れてから忙しくなった、という言葉の意味を正確に捉え直して、
今はいない彼女の代わりを務めるべく悠人は客の一部の層に向けて注意深く視線を向けた。
そうして客の動きを見定めると、きっとヨフアルではなくハリオンだけが目当てだと思われる客が良く分かった。
混雑の原因となっている、買うときにも受け取るときにもわざわざたっぷりと時間をかけようとする客がそうだった。
「はい、お 待 た せ し ま し た」
鉄板の熱と湯気に煽られて玉の汗を浮かべているハリオンにでれでれと見惚れている客その二にヨフアルを突きつけて、
「あ り が と う ご ざ い ま し た」
有無を言わせないにこやかな笑みで送り出す。長年のバイト生活で培われた業であった。
悠人の『接客』で行列が滞りなく進むようになると、残りのお客の大半は普段からハリオンが手伝う店の
常連のおばちゃん達であるらしく、邪魔にならないくらいにハリオンに一言、言葉をかけて買っていく。
満足げにヨフアルの受け渡しを続けていた悠人であったが、労いや男性陣への愚痴に加えて混じる、
助け出すように接客に移った悠人への冷やかしには気恥ずかしさを止める事が出来無かった。

「ありがとうございましたっ……。よし、これでちょうど売り切れか」
「はい~、完売御礼ですね~」
悠人が最後のお客を送り出し、ハリオンは何も残っていない鉄板と、
空になった生地を入れていた大鍋を誇らしげに悠人に見せる。にやりとした笑みと、
ニコニコとした笑顔が互いの喜びを増幅させる心地がした。
忙しさの中では使う機会も無かった椅子に、とすんとハリオンが腰を下ろす。
「ふぅ、ちょっと疲れちゃいましたねぇ~。あぁ、そうですぅ~、ユートさま、ちょっとこちらへどうぞ~」
そのままの体勢で、ぱたぱたと手招きするハリオンに導かれるままハリオンの前に移動して、
「そうそう、それでぇ、少しかがんでくださいな~」
悠人が軽く腰を落とす。何をするつもりなのかこの瞬間まで想像できずに、
ただ働いている最中は気にならなかった露出が目の前にあることがようやく意識された。
即座に頭に血を上らせていたために、ハリオンの次の行動への対処も何も出来ないまま、
「ふふ~っ……えいっ」
伸ばされたハリオンの腕に頭を抱え込まれて、直前まで目に入っていた胸の中で『なでなで』されていた。
「背伸びもできないくらいに疲れちゃいましたから、今はユートさまがかがんでいて下さいね~。
お手伝いしてくださって、ありがとうございました~」
「んむ……っ! ……! ……っ」
 下手に動けば余計に触れる事になるということにも気付かずに、
ほとんど動けないくらいに抱えられた腕の中で真っ赤になってもがく。火照った顔にも劣らず温かな肌の感触、
汗に濡れているはずなのに不快ではない甘い匂いを直に感じて、だんだんと頭の中が白くなっていく。
「それから~、お客さんに怖い顔をしたのはちょっぴりめっめっ、でしたけどぉ……ふふ、嬉しかったですよ、ユートさま~」
「…………」
「あら~?」
 その告白を最後まで聞く事が出来たのかどうか、くたりと脱力したまま動かなくなった悠人から確かめるのは不可能だった。