シュレーディンガーの青

「さあどうだ、これが新開発した『えあこん』だ!」

詰所の応接間に、期せずして歓声が上がる。
戦いを目前にして、ただの暑さに全滅しそうになっていた部隊に救世主が訪れた。
その名もヨーティア、自称天才科学者。性格に問題アリだが、こういう時には非常に頼りになる。

「……なんだか引っかかるモノローグだが、まあいい。それじゃ、スイッチを入れるぞ」
一同が見守る中、ぽちっとな、といった感じでボタンが押される。
天井近くの壁に設置されたその箱から、暫くして強烈な冷風が噴き出してきた。

「うわ~、すずし~ねぇ~」
普段ぽやぽやしていて反応の少ないシアーが、風を受けて目を細める。

「へぇ……便利なものですね、これは。……あらニム、もう隠れるのは止めたの?」
「お姉ちゃんが心配するからしかたなくね。本当に、しかたなくなんだから」
「あらあら~、そんな事言いながら、一番前で丸くなってぇ~」
素直に感心するファーレーン。いつの間にか現れたニムントールに、ハリオンが穏かに突っ込む。

「あーー!ずっるーいニム、そこはくーるなネリーの場所なのにーー!!」
「ああもう、そんなに慌てなくても、そのうち部屋全体が涼しくなるわよ」
喧嘩を始めようとしたネリーがヒミカに窘められている。

「ふむ……不思議です。一体どのようなカラクリなのでしょう」
滝で荒行に励んでいたウルカも、どこから聞きつけたのか部屋の隅で座禅を組んでいる。

「あのあの、皆さん仲良く使いませんかぁ?」
おろおろと年少組の間を取り持つヘリオン。

「………………へっへっへ」
そしてナナルゥは、怪しげな笑みを浮かべながら箱を見つめていた。

「……まぁ、ヒートフロアを唱えないだけましか」
一番危険な人物が大人しいのを確認して、ほっと胸を撫で下ろす。
「やれやれ取りあえずはこれで凌げるか……ん?エスペリア、もう大丈夫なのか?」
奥からエスペリアがやって来たので、声をかけてみる。なんだかげっそりと痩せたように漂う緑の少女。
それでも気丈に微笑んで、
「ええ……ご心配おかけしました、ユートさま。これだけ涼しければなんとか……あっ」
「もうエスペリアお姉ちゃん、まだ無茶しちゃダメだよ!」
ふらついたところをオルファに支えられていた。
「ごめんなさいオルファ……わたくしがこんな身体なばっかりに」
「お姉ちゃん、それは言わない約束だよ」
「よよよ……いつもすまないねぇ」
「………………」
どこかで聞いた様なやりとりを交わす二人に、本当は元気なんじゃないか、ともの凄く突っ込みたかった。

「ところでヨーティア、一体どうやって作ったんだ?エアコンの構造なんて、俺だって知らないぞ」
隣でみんなの反応を満足そうに眺めている天才サマに訊いてみる。すると、
「よーく聞いてくれた!実はこの冷気を発生させる為に周囲のマナを凝縮させ、分子運動を極端に小さく……」
「あー判った判った。何か凄いのは判ったけど、俺には判らないだろうということは判った」
長くなりそうなので、適当に打ち切った。
「ヤレヤレ全くこれからがイイところなのに……これだからボンクラは」
とかブツブツと呟きながら大層不満気なご様子だった。

そんなこんなでそよそよと小一時間後。

「あっれ~?そういえば、アセリアとセリアがいないよ~?」
突然ネリーがそんな事を言い出した。
「え?そんな事ないだろ……ホントだ」
普段無口な二人組なので気づかなかった、などと隊長らしからぬ感想を思い浮かべる。
皆も同じだったらしく、今更のようにお互いの顔を見合わせていた。

「えっと……あれ?最後にセリアを見たのって、いつだったっけ?」
「う~んそういえば朝からいなかったような気もしますねぇ~」
不思議そうに首を傾げるヒミカ。お茶を煤っていたハリオンが呑気そうに答える。

「んぐんぐ……えっとシアーは見てないよ~」
「わ、わたしも気づきませんでした……」
ヨフアルを口にしつつ、手を上げるシアー。つられるようにヘリオンも手を上げてから発言をする。

「ねえニム、二人を知りませんか?」
「う~んむにゃ……ニム知らない……」
軽く揺り起こそうとするファーレーンに、ニムントールが面倒臭そうに答えていた。

「…………静かに!……何か、怪しげな声が聴こえます……」
それまでじっと瞑想に耽っていたウルカの凛とした声に、場が一瞬鎮まる。
全員が息を飲み、静まり返る中。

  ――――……ちょっと、押さないでよ……だめだってば……

  ――――……ん……まだココは熱い……マナよ、氷となりて……

  ――――……あ……だ、だめ……だめだめだめ……っ!!

「……………………」
一同は、同時に『えあこん』の方を見た。

がたがたがたっ!

突然冷風がぴたりと止まり、箱が激しく振動し始める。
咄嗟に全員が警戒し、それぞれの神剣を持ち構えた。反応の速さは流石にラキオス精鋭部隊である。
緊張が張り詰めた空気を作り出す。誰かが飲み込んだ唾が、ごくりと大きく響いたのが合図だった。
「……先制攻撃、いきます」
「ってちょっと待てナナルゥ!?」
こんな場でぷっぱなされては敵わない。慌てて振り返って制止するも遅かった。先制攻撃は伊達ではなかった。
「アポカリプス」
「先制攻撃じゃねーーーーーっっっ!!!」

バリバリバリバリ…………ズガガァァァァァン…………

「けほっけほ……あら?ここは……」
「ん。みんな、涼しくなったか?」
どうやら何故ここにいるのかよく判ってないセリアと期待の篭った表情のアセリアが箱から這いずり出てくる。
セリアの頬が桜色に染まって多少服が乱れていたが、しかしそんな些細な事はこの際もうどうでも良くなっていた。

「心頭滅却すれば火もまた……きゅう」
座ったまま気絶するウルカ。

「ヒミカさん~生きてますかぁ~」
「ハ、ハリオンお願い……リヴァイブかけて……」
白目を剥き、だらしなく四肢を投げ出しているヒミカ。ちなみにいつまで待ってもハリオンは覚えないぞ。

「ヨフアルが凍っちゃったよぅ」
「もー、判ったから泣かないでよシアー」
ちゃっかり自分達だけバニッシュしていたらしいネリシア。

「ニ、ニム?!ニムしっかりっ!!」
「お姉ちゃん……良かったね、真っ黒だよ……」
「み、みんな真っ黒ですけど……」
半狂乱で妹にしがみつくファーレーン。何気にひどいニムントール。意外と冷静に突っ込むヘリオン。

「クックックッ…………」
そしてナナルゥは、未だ恍惚として『消沈』を握り締めたままさっきとは違う薄ら笑いを浮かべていた。

「をい」
「あん?」
不覚にも咄嗟にレジストで守ってしまったヨーティアに話しかける。
「どういう訳だか説明してもらおうか」
「だから説明してやったろ、アイスバニッシャーの……しかし意外と早く暗示が解けたねぇ」
「はぁ?」
「ああ、バレたからにはしょうがないね。考えるのが面倒だったから、暑さで気絶してた二人に協力して貰ったんだ」
「一体どんな暗示を……じゃなくて随分ベタな落ちだな、おいっ!」
半壊してしまった詰所に、半ばやけくそ気味な突っ込みが響き渡った。

「あ、ああ……ラスクさま……そこに居たのですね…………」
「エスペリアお姉ちゃん、しっかり!そっちは行っちゃダメだよっ!」
ふらふらと消えかけながら出口に向かうエスペリアを、パンチパーマのオルファが必死に抑えていた。


ラキオス布告令第2149
スピリットたるものは常に国の守護者としての誇りを忘れず、多少の暑さに安易に神剣魔法を用いるべからず。
またグリーンスピリットについてはより一層の精進により、暑さ寒さに惑わされない抵抗力を付けるべし。
あと、ヒートフロア禁止。ナナルゥ限定で、先制攻撃全般も禁止。暑いんだから仕事増やさないでユートくん。