焼きたての情熱

「抑えて~も抑えき~れない揺れるこの谷~間~わぁ~」
かちゃかちゃ。じゅっ。
「とめどな~く寄せて上げる~ヒミ」
「ハリオン!次焼けたわよっ!!」
「あらあら~はいはいいらっしゃいませぇ」
「まったく危険な……変な唄歌ってないで手動かしなさい!忙しいんだからっ」
「ん~、でもぅ、こっちはもう焼きあがってますしぃ」
「う……」
普段のぼーっとした態度からは、考えもつかない手際の良さ。
好きこそ物の上手なれ、自分の担当を神速で終わらせていたハリオンが困った顔をする。
どうしましょう~などと呟き激しく胸を揺らす相棒の姿に一瞬殺意が湧いた。

「お姉ちゃ~ん、ヨフアルちょ~だい」
突然くいくい、と裾が引っ張られる。かけられた声にはっと我に返った。
「いらっしゃいま……」
光りかけた『赤光』は後手へと隠し、とりあえず最大限の営業スマイルを……って。
「……あら?また来たのね」
「うんっ!だってお姉ちゃんの焼いたヨフアル、すっごく美味しいんだもん!」
「ありがと。そう言って貰えると、嬉しいよ」
ちょっと前から毎日買いに来てくれる少女。顔馴染みの笑顔にころっと機嫌が直ってしまった。
お世辞でもそう言われればやはり嬉しい。我ながら単純だと思う。
いつの間にか営業スマイルが、ごく自然にくすぐったいような微笑みに変わっていた。

「ふふ、今日も一個でいい?」
子供なので、そんなにお小遣いがある訳ではない。この娘もいつも、一個だけ買っていく。
それを承知で、訊いてみた。今日こそは、もう一個オマケするつもりで。
「う、うんあのね……」
「あれ?今日は……」
それなのに。
ちゃりん。少し照れたように、差し出されるルシル硬貨。受け取ったそれは、二枚あった。
「えっとね……えへへ、二個っ!」

屈託無くにこにこと見上げてくる少女に、ちょっと戸惑った。
このまま受け取って、代金分のヨフアルを渡すのは容易い。
だけど、少女はひょっとしたら無理をしているのではないか。
そんな余計なのかも知れない心配がこのまま受け取るのを躊躇わせていた。

「あら~、どうしたのですかぁ、ヒミカさん~?」
そんな気配を察したのか、奥からハリオンが顔を覗かせる。
のほほんとした表情が、今だけは渡りに船だった。
ちなみにハイペリアの諺を多用するのは間違いなくユート様の影響である。
「あ、ハリオン。実は……」
品物を包むフリをして、そっと説明する。
ふんふんと聞いていたハリオンは、ふいに少女に向き直した。
しゃがみ込み、目線の高さを同じにして、じっと少女の瞳を見つめる。

「ん~~~?」
「え?え?えっと……えへへ……」
「んふふふ~~~」
「えへへへぇ~……あはっ」
「なるほどぉ~」
ただ見つめ合っているだけなのに、妙なコミュニケーションが成立する二人。
最初は首を傾げていただけだったのが、すぐに照れたようにはにかみだす少女。
ハリオンが何かを納得したかのようにうんうんと頷いている。訳が判らなかった。
「??? ねぇハリオン、ちょっと……」
「ほらぁ~ヒミカさん、あそこにぃ~……」
頭に疑問符を浮かべ出した所で、立ち上がったハリオンがそっと耳打ちしてきた。

「―――――なんですよ~」
「……ああ、なるほど」
そういう事かとようやく納得し、目の前の少女を改めて見てみる。
頬をほんわりと染め、恥ずかしそうに落ち着かない視線できょろきょろと辺りを見回し。
スカートの裾をきゅっと小さく握りながら、時々気になるのか、前髪を整えている。
そんな背伸びをしたちょこちょことした仕草が、初々しくてとても微笑ましかった。

「えっとぉ、ですからぁ~」
「了解、判ってる。……今日は、二個オマケしておくね」
後半は、少女に向き直りながら。紙袋を差し出すと、大きく瞳を輝かせて見せてくれた。
きらきらと、無邪気な瞳が本当に眩しかった。そしてホンの少し――羨ましかった。

「うわぁ~ホントにぃ?!ありがとう、お姉ちゃん!」
「いいから早く行きなさい……待ってるわよ。デート、頑張ってね」
「あ……うんっ!」
ぺこり、と勢い良く頭を下げ、そしてたたた……と駆け去っていく少女。
その先で、ちらちらとこちらを伺っている男の子が立っていた。
偶然目線が合ってしまい、慌てて顔が真っ赤になっている。
可笑しくなって軽く手を振ってみると、ぺこりと頭を下げてくれた。

二人を見送りながら、先程からの素朴な疑問を訊いてみる。
「……ところでハリオン、何で見ただけで判ったの?」
問いかけに、えへんとその大きな胸を逸らしながらハリオンは即答していた。
「んふふ~、わたしだって、女の子ですからぁ~」
「…………」
「あらあら何を言わせるんですかぁ~。もぉぅ、めっめっですぅ~」

理由になってない。しかも、私は女の子じゃない、とでも言いたいのだろうか。
くねくねと何故か照れているハリオンにそんな突っ込みが浮かんだが、言うのはぐっと我慢した。
気づかなかったのは、確かだし。無言で察したハリオンが、一枚も二枚も上手なのは否定出来ない。

――――悔しいが、私だって女の子なのだ。

こういう時、ハリオンの包容力に敵わないのは判っている。そういう意味ではこの相棒は最強だろう。
それに、嬉しそうに手を振っていた少女に貰った、この不思議な気分を無粋な発言で壊したくは無かった。

「そうね、私も頑張らなくっちゃ」
そんな呟きに、ハリオンはやはりというか、『何をですか』とは訊いてこない。
その代わりに、黙って微笑みながら紙袋を差し出してくる。
私はちょっと拗ねた風に湯気の立つそれを受け取り、そしてにっと笑って見せた。
(負けるもんかっ!)
こんな素敵なライバルに。今はまだ、ネリー辺りが言う所の「イイオンナ」にはちょっと届かないけれど。
敵を知り、己を知れば百戦危うからずってね。……あれ?諺じゃなかったっけ。

「マナの導きにぃ~」
「乾杯っ!」
そうして焼きたてのヨフアルを口に運びつつ、私達は囁き合う。ほんのり甘い一日を噛み締めながら。