内助の孤独

「う~ん……」
「ん~~? どーしたの、ユートさまぁ」
「へ?」
中庭のベンチに座って考えに耽っていた悠人は、呼びかけられてはっと隣を見た。
いつの間にやってきたのか、しゃがみ込んだシアーがぽやぽやと上目遣いで覗き込んできている。
普段はネリーの影に怯えたように隠れているが、今日は珍しく悠人が一人なせいか、自分から話しかけてきた。
「なんだシアーか。いや、なんでもないよ。最近ちょっとおかしなことが多くてさ」
「?? おかしなことぉ~~?」
「はは、まぁ大したことじゃないよ。心配させちまってごめんな」
自分の事のように首を捻りながら悩み出す仕草に何だか可笑しくなり、髪を撫でてやる。
「ん~~……えへへぇ~」
すると最初は遠慮がちに、そしてゆっくりと悠人の膝に頭を乗せて甘えてくるシアー。
気持ちよさそうに目を細める蒼い髪の少女を眺めながら、悠人は先程と同じ事をまた考え始めた。
つまりは、最近身の回りで起きている数々の奇妙な出来事について。

 ――――――――――――

あれは確か一週間ほど前の事。
ネリーとシアーの訓練に付き合った後の帰り道。
「……痛て」
動いている最中は気が付かなかったが、肘に薄っすらと血が滲んでいた。
どうやら避わした筈の二人の攻撃が僅かに掠っていたらしい。
一瞬エスペリアに治癒魔法をかけて貰おうかとも思ったが、この程度の傷で大騒ぎするのも恥ずかしい。
「まぁいいか。ほっときゃ治るだろ」
そう思いなおして自室に戻った時だった。
「…………あれ?」
机の上に、見慣れない小瓶。草か何かを練ったような、濃緑の物体が入っていた。
何だろうと手に取ってみると、小さなラベルが貼ってある。良く見るとヨト語で『傷薬』と書いてあった。

一昨日の夕食は、第二詰所で食べる番だった。
どんな話があったのかは知らないが、たまにこういう日がある。
エスペリアの料理は美味いし不満なんかないけど、ハリオンの手料理もこれはこれで新鮮だ。
ところがその日は、違う意味で試練だった。
「な、なぁハリオン、これって……」
「あら~ユートさま、リクェムがどうかいたしましたかぁ~」
「いや、なんでもないんだけど、さ。は、はは」
やっぱり。皿の隅で一際目立つ色と香り。にこにこと微笑むハリオンに、引き攣った笑いを返すしか出来ない。
無意識なのか、それとも弱点克服とかって考えているのか。その表情からはさっぱり読めなかった。
「あーっ! ユートさま、ひょっとして……」
「うわ、こらネリー、余計な事喋るなっ!」
「んっ! ん~ん~っ!!」
隣で目を輝かせ始めた小さな口を片手で慌てて塞ぐ。こんな所で恥を晒す気は毛頭無い。
そうして目を白黒させながら頷いたネリーを開放し、料理に向かい直した時。
「あれ……?」
無かった。リクェムが、一つも。首を傾げながら見渡すと、雑談を交わしている面々。
逆隣ではシアーがもきゅもきゅと不器用な手つきで自分の料理と格闘していた。
誰もこちらを見ている様子が無い。よくわからないまま深く考えるのはやめにしてフォークを手に取った。

そして昨日。
「…………ん?」
「ユート、どうした?」
「いや……なんでも……」
戦闘中。背中から、視線を感じた。アセリアがじーっと見つめてくるのでそれかと思ったがそうでもない。
ちょこちょことついてくる蒼い眸はもう少し先を睨みつけていた。視線を追ってみると、敵が数人。
「ん……行く!」
「おうっ……ってちょっと待てアセリア!くそっ間に合うか……」
敵の中に、レッドスピリットが混じっている。
他の敵の背後でスフィアハイロゥを浮かべ、隠れるように詠唱を唱える姿がちらっと見えてしまった。
気づいているのかいないのか、アセリアは構わず突っ込んで行く。
慌ててレジストを唱えたが間に合うかどうかという際どいタイミングだった。
「……あれ?」
しかし心配は杞憂だった。アセリアは次々と敵を斬り伏せ、あっという間に全員をマナの霧に変えてしまっていた。
一瞬レッドスピリットが驚愕の表情で動きを止めたような気がしたが、すぐにアセリアが殺到したので良く判らない。
「どうした、ユート」
「アセリア……無事か?」
「?ヘンなユート」
いつの間にか戻ってきたアセリアが不思議そうに訊ねてきたが、こっちが理由を教えて欲しい位だった。
そういえば、と視線の事を思い出して振り向くと、ようやく後続の部隊が追いついてきた所だった。

 ――――――――――――

「……あれ?」
ふと気づくと、シアーの姿が見えなくなっていた。さっきまで確かに膝の上の頭を撫でていた筈なのに、影も形もない。
「……もしかして呆れられたかな?」
少し考え込みすぎたかもしれないと思いながら悠人は立ち上がり、軽くノビをした。
折角珍しく自分から話し掛けて来てくれたのに。もっと構ってやれば良かったと後悔が頭を掠める。
「んんーーっ…………はぁ。まぁいいや、帰るか」
ぼんやりしている間に、すっかり辺りは茜色に染まっていた。そろそろ夕食時だと思い出す。
悠人は『求め』を手に取り、日の沈みかけた中庭を後にした。

いつも通りの賑やかな食事を終え、自分の部屋に戻る途中。
ぱたぱたぱた……
「ん?」
悠人は廊下を走り去る後姿を見た。
すぐに角を曲がったので一瞬しか見えなかったが、消える瞬間ちらりと見えたのは短く切りそろえた蒼い髪。
「…………シアー?」
咄嗟に追いかけようとも思ったが、もう足音も聞こえない。
なんとなく自分の部屋から出てきたような気もする。……なんだろう、と思いながら扉の取っ手を回した。

薄暗い部屋に廊下の光が差し込む。いつもの見慣れた部屋。その奥に、木製の机と椅子が浮かび上がっている。
扉を閉じる前に机の上のランプに灯りを灯そうとした時、手が少し引かれた椅子に触れた。
拍子に白い布みたいなものが目に飛び込んでくる。どこかで見たような作りの服。
「え……羽織りか?」
悠人は驚いた。慌てて今更のように自分の身なりを確かめる。
出かける時には確かに着ていた筈の一張羅は、何故かいつの間にか身に着けていなかった。
「おかしいなぁ、朝はちゃんと……」
思い返してみるも、脱いだ記憶などない。訓練の時、アセリアの剣が少し掠って綻びたのまで憶えている。
「どうしてこんな所にあるんだ?」
呟きながら、きちんと畳まれている羽織を手にする。良く見ると綺麗に洗濯までされているようだ。

「…………え?」
不思議そうに眺めていた視線が、ふいにある一点でぴたりと止まった。
確かに、綻びた筈の羽織の裾。剣で破られたそこが、所々はねた糸で縫い合わされていた。
「これ……そっか……」
ちょっと力を籠めただけで簡単にほつれそうな不器用な縫い目。悠人はそっと指を這わせながら、
「ありがとな……」
窓越しに第二詰所の方へと目を向け、静かに呟いていた。

そして次の日。
戦闘中逃げる敵を深追いし過ぎて部隊とはぐれかかった悠人は、一旦引き返そうとした。
「確かこっちだったよな……ん? お、おいっ!」
掻き分け、踏み込んだ草叢の先。樹の幹に寄りかかるように倒れているスピリットがいる。
一瞬仲間の誰かかと思い、悠人は慌てて駆け寄った。
「…………敵か」
どうやら見知らぬ少女だと気づき、ほっと胸を撫で下ろす。少女は既に絶命し、金色のマナに包まれていた。
「全然気がつかなかったな……でもどうして」
今来た場所を振り返ってみる。背中を向けていた自分は格好の的だったはず。
死角から襲われていたらと思うとぞっとする。それにしても一体誰が。
そこまで考えていて、ふと敵の少女が何かを握り締めているのに気がついた。
「これ……」
引きちぎられた戦闘服。消えていくそれは、白地に紺色が混ざっていた。
戦いの最中、必死でちぎったものなのだろう。明らかにラキオスの戦闘服の一部だった。
となるとやはり味方の誰かが助けてくれた事になる。……それなら声をかけてくれてもいいのに。
悠人は首を傾げながら、その場を後にした。

味方の部隊はすぐに見つかった。
「まったく、わたくし達がどれだけ心配したと――」
急に姿を消していた事でエスペリアに小言を言われながら、上の空で辺りを見回す。
「なぁエスペリア、シアー知らないか?」
「――え?シアーでしたらええと……ユートさま? まだお話は…………」
部隊の隅の方で短く切りそろえた蒼い髪を見つける。小さな後姿は何だかこそこそと足を擦っているようだった。
悠人は追いかけてくるエスペリアの声に構わず、歩き始めていた。
「よっ、どうしたんだ、そんな隅っこで」
背中に出来るだけ優しく声をかける。一瞬ぴくっと震えた肩が、ゆっくりと悠人の方を向いた。
「あ~ユートさまぁ、お帰りなさい~」
「シアー…………」
にへら~と浮かべるぼんやりとしたいつもの笑顔。その微笑みに、悠人は言葉を繋げる事が出来なかった。
普段は穏かに感じる表情が、今日はどうしても何かを我慢しているようにしか見えなかった。
今までなら気づきもしなかった仕草。隠しているつもりだろうか、血の滲んだ膝の前で両手を組んでいる。
それでも泥だらけの少しちぎれた服の裾は隠しようも無かった。

「……なんで」
そんな無理をするんだ、と言いかけて、悠人は言葉を飲み込んだ。
ヒミカやセリア達に比べて、まだ訓練が十分とはいえないシアー。
彼女は彼女なりに、部隊の足手まといにならないようにと周囲に気を配っているのか。
迷惑にならないようにと、こっそりと。自分のトラブルは自分だけで抱え込むように。
誰もそんな事は思っていないのに。それでもシアーにとってはそれが精一杯の自己主張なんだ――――

ひょい。瞬間。悠人は堪らなくなり、いきなりシアーの小柄な身体を両手で抱え上げていた。

「…………なっ!?」
遠目に悠人の行動を見守っていたエスペリアが息を飲んで固まった。
「どうしたのよ……え゛」
硬直したエスペリアに不審なものを感じたヒミカも視線を追ってそのまま固まる。
「ん」「わわっ!」「ほう」「ふぇっ?」「なななっ!」「……ふっ」「あらあらぁ~♪」
連鎖するように、注目し始めた周囲も次々と固まっていった。

「~~~ユ、ユートさまぁ?」
突然のお姫様だっこに、もちろん当のシアーは完全無欠に固まっている。
それでも悠人は構わずそのまま視線を下ろし、真っ赤になってしまったシアーを覗き込んだ。
「じっとしてろよ、シアー」
「…………うん。ありがとお~」
真面目な表情に、シアーは少し考え、そして大人しく身体の力をふっと抜いた。

駐屯地の隅に設置されているベンチ。そこまでくると悠人はそっとシアーをそこに座らせた。
そして自分も隣に腰を下ろしてごそごそと懐を探り、小さな壜を取り出す。
緑色のそれを見て、シアーが小さく息を飲んだ。
「あ……それ」
「ちょっとだけ我慢してくれ。知ってると思うけど、少し沁みるんだこれ」
そう言って、悠人は出来るだけ傷に沁みないように、優しく膝に傷薬を塗り始めた。
「え、う、うん。…………あは、ホントだねぇ~」
「? ごめん、痛かったか?」
「えへへぇ~。ユートさま、沁みるよぅ~」
「……ばか。我慢する事無かったんだ」
熱心に薬を膝小僧に塗っている悠人。その髪に、ぽつぽつと冷たい雫が落ちてくる。シアーは笑いながら泣いていた。
いつも目立たない所でじっとしているシアー。内気な性格からか、どれだけ自分を殺してきたのだろう。
それでも隠れて、こっそりと周りのフォローに回っているのだ。こんな小さな体に、一生懸命『孤独』を抱えて。

「…………いつもありがとな、シアー」
治療を終え、そっと髪を撫でてやる。これからはもっと、ちゃんとシアーを見るから。そんな想いを籠めて。
「ふわぁ……気持ちいぃ~……」
ゆっくりと閉じられる瞼。やがて小さな頭がぽふり、と膝の上に乗せられる。悠人は苦笑して呟いた。
「おいおいどこででも寝るやつだな、まったく」
「……ユートさま、何いってんの?シアーはここで以外、お外で寝たことなんてないんだよ?」
「うわっ、脅かすなよ。ここって……ベンチでか?」
「ん~とそうじゃなくてぇ、こ、こ、以外♪」
いつの間にか背後から覗き込んでいたネリーが寝た子を起こさないようにか、そっと囁く。
こ、こ、と指差したのは、悠人の膝の上。言われて悠人は顔が赤くなるのを感じた。
「え?え? そ、そうなのか?」
「も~ユートさまニブいねぇ~……へへ、シアーったらすっかり安心しちゃってぇ。可愛い顔♪」
焦る悠人を尻目に、ぷにぷにと面白そうにシアーの丸い頬っぺたをツンツンと突っつくネリー。
夢見心地で静かに寝息を立てる蒼い髪が微かに揺れる。長い睫毛から大粒の水晶のような涙が光っていた。