淑女達の談義~みどり編~

 ~BGM:メヌエット

開け放った窓から流れてくる、湖からの涼しげな空気。森の樹の瑞々しい香りが風に運ばれて鼻をくすぐる。
柔らかい、温かな日差し。時折聞こえる鳥達の囀り。楽しげな歌声が、穏かな休日の午後に彩を与えていた。

かちゃり。掃除洗濯を終え、ここ第二詰所に訪れた『献身のエスペリア』は優雅な手つきで白いカップを手に取った。
メイド服の膨らんだ袖口から覗いている艶やかな手首。濃緑の、慈愛に満ちた瞳がその手元をずっと追っている。
「……いい風ですね。わたくしの汚れた心も身体もまるで洗ってくれているよう」
口元に運んだ所で一度止め、ゆっくりとクールハテの香りを楽しみ、それから静かにそう呟く。

「そうですねぇ~。平和ですぅ~」
ぽんやりと夢見がちな表情で答えるのは同じグリーンスピリットの『大樹のハリオン』。
どこが「そう」なのかによっては相当な皮肉とも取れる台詞を平気で放てる、奇特な人望の持ち主である。
ボリュームのあるたわわな胸が両腕の間で窮屈そうにその形を変えている。
しなやかな細く白い指。両手でそっと包み込むようにカップを持ち、目を細めて窓の外を眺めていた。
全く害の無い、心底人を安心させるようなその横顔。エスペリアは軽く苦笑してカップに口をつけた。

ランサ防衛戦が開始されてから早数週間。ここラキオスに残っているスピリットは少ない。
特に回復の要であるグリーンスピリットは忙しく、こうして三人が揃うというのはかなり珍しい事だった。
「……ってなんでニムまでここにいるのよ」
「まあまあいいじゃありませんかニムントールさん~。たまにはこうして親睦を深めるというのもぉ」
「そうですよニムントール。考えてみればわたくし達がこうして集う、というのも初めてかも知れませんし」
「……別に」
いいけどね、とそっぽを向くのは『曙光のニムントール』。ちょっぴり斜めに醒めたスピリット最年少である。
子供らしくお下げに束ねた髪が日差しを浴びて天使の輪を形作っていた。
ぷい、と不機嫌そうなニムントールの空になったカップに、無言で微笑みながらハリオンがお茶を注ぎ入れる。
横目で見ていた緑柚色の大きな瞳がクールハテの優しい匂いに誘われたのか珍しくありがと、と素直に呟いていた。

差し出されたヨフアルを一生懸命もきゅもきゅと頬張るニムントールの頬に着いた食べかすを摘みながら、
「それでぇ、今日はなにか、お話があるのではないのですかエスペリアさん~?」
ハリオンは薄く目を閉じているエスペリアへと切り出した。
「そう、ですね……」
無意識にか亜麻色の毛先を弄っていた指先がぴたりと止まる。カップを同じ白いソーサへと優雅な仕草でそっと置く。
かちゃり、と陶器同士が触れ合う音が乾いた音を立てた。静かに下ろした両手が白い前掛けの裾をぎゅっと掴む。

一瞬の沈黙が流れた。
雰囲気を悟ったニムントールがヨフアルを咥えたまま、不思議そうに二人の顔を左右交互に見渡す。
しかし直ぐに関心を失い、再びヨフアルへと取り掛かった。焼きたてが一番、と言わんばかりの態度で頬張る。
俯いていたエスペリアがようやく、いかにも当惑しているといった感じで小首を傾げながら顔を上げた。
ハリオンはカップを手にしたまま、風にやや乱れた髪をそっともう一つの手で押さえながら無言で先を促す。
部屋には暫くの間、ニムントールが奏でるはむはむという音だけが聞こえていた。

「実は……最近、ユート様が冷たいの、です」
やがて蚊の鳴くような声で、意を決したエスペリアが囁く。耳を澄ませて、やっと聞こえるほどのか細い声。
当然、ヨフアルに夢中になっているニムントールには聞こえなかったようだ。
しかしその秘め事を打ち明けるような囁きに、ハリオンの眉がぴくりと動いた。目元が微かに揺らめく。
「ん~、それは一体、どういう事なのでしょう~」
それだけでは判らない、といった風にエスペリア同様小首を傾げる。頬に当てた人差し指の仕草がやや幼い。
拍子にさらっとやや長い前髪が一房、顔にかかって表情が見えなくなった。頭上のハイロゥが薄く輝き出す。

何だかイヤな迫力を醸し出してきたハリオンに、ニムントールは一瞬ビクっと身を竦めた。
子供らしい、純粋な警戒心が首をもたげる。面倒なことになる前に、立ち去るべきかと一瞬悩んだ。
「…………」
目の前に置かれている、まだ湯気の立つヨフアルが美味しそうな匂いを放っている。
(でもニム、関係ないしね)
秤にかけ、そしてニムントールは敢えて危険を選んだ。ハリオンの顔色を伺いながら、そっと手を伸ばす。
しかし指先が触れるかどうかの所で、反対側から突然、冷や水を浴びせるような低い声。
「夜、お訪ねしてもいらっしゃらない事が多いのです。どうやら別の場所でお休みになられているご様子で」
警戒していた方向とは別の角度からの攻撃に、ニムントールのディフェンスは完全に裏を掻かれた。
心臓が飛び跳ねるような衝撃に、差し出した手が凍りつく。どきどきしながら覗き込む視線がすっかり萎縮していた。
平板な表情を崩さずにお茶を楽しんでいる仕草はそのまま、やはりというかエスペリアの光輪が淡緑に輝いている。
ニムントールは知っていた。最近たまに悠人が夜中、ハリオンの部屋に入っていくのを。
トイレに行こうと部屋を出た所で怪しい人影に驚き、一瞬漏らしそうになったのは死んでも言えないが。

「おやおや~、めっめっですよぅ、後をつけたりしてはぁ。ユートさまにもぷらいべぇとがおありでしょうし~」
「ええ、それはもちろん。……でもユート様は わ た く し 達の隊長ですから、やはり心配です」
「そうですねぇ、副隊長さんも大変ですぅ~。覗 き ま で しなければならないのですからぁ~」
「そんな事はありません。ハリオンがしっかりこちらを見てくれていますから、あちらに 専 念 できるのですよ」
「あらあら~」
「ふふふふふ……」
目を細め、お互いを見つめながら微笑み合う二人。手に持つカップの中でお茶が優雅にさざ波立つ。
じわじわと集まり出す癒しの緑マナ。穏かな透明な日差しの中、薄っすらと目に見える程に渦を巻き始めている。
いつもは心地良いそれが、ようやく事態を掴んだニムントールのすべすべの背中にざりざりと鳥肌を立たせた。
(こ、このままだと……殺られる!?)
まるで戦場のような台詞が自然に思い浮かぶが、腕を伸ばした体勢のまま、金縛りにあったように動けない。
ニムントールはつつーと流れる汗を額に感じながら、生まれて、いや転送されて初めて恐怖というものを感じていた。
窓の外に広がる澄んだ青空の下、ぽかぽかと穏かなマナがやけに遠く懐かしく思われた。

「ところでニムントール」
「は、はいっ!」
いつもからは考えられない程素直な返事が返る。ニムントールは雷に打たれたように「気をつけ」の姿勢になった。
しかし立ち上がった彼女に驚きもせずににこっと微笑みながら、気持ちが悪い程優しい声で、
「最近、ファーレーンはどうしていますか?」
などと一見関係ない事を訊いてくるエスペリア。ほっと油断したニムントールは気を緩め、
「えっと最近は……うん、良く偵察とかに行ってるよ、ユートと一緒に…………あ゛」
「そう……ユート様と……御一緒に……」
「へぇ~ユートさまと御一緒にぃ~……それはぁ、初耳でしたぁ~」
急に目を細める二人の周囲の空気がぴしり、と音を立てて亀裂を走らせる。酷く息苦しい。
有り得ないプレッシャーに、なんでニムがこんな目に、とニムントールは泣きたくなった。針のムシロだった。
(……大体これというのもユートがユウジュウフダンだからっ!)
段々腹が立ってくる。そもそも気が長い方では無い。ヤラレたままで済ますような性格でも無かった。
鈍感なエトランジェのせいだと決め付けてしまえば話は早い。コノウラミハラサデカ。
ニムントールの頭上でも、ヤケクソ気味に光輪が輝き始めた。部屋中が濃密な緑色の光に包まれていった。

「おい大変だ、悠人のヤツがアセリアと一緒に現代世界に飛ばされて……っておわっ!?」
そこへ突然飛び込んでくる碧光陰。いまいち二枚目としての本領が発揮できない憐れなエトランジェである。
間の悪さは最早才能のようなもので、この場合も部屋に充満する不穏な空気に気づくのが少々遅かった。
ところで彼の放った一言は、事態の重大さよりも『アセリアと一緒』の部分が誇張されて三人に伝わる。
「あらあらぁ? なんでコーインさまがこんな所にぃ~?……えいっ!」
「ぐはっ! な、なんだいきなり……」
何の予備動作も無く放たれたハリオンの八つ当たりエレメンタルブラストは生臭坊主の動きをぴたりと止める。
絶対の防御力も行動回数への攻撃には無防備同然だった。その場に貼りついたように何も出来なくなる。
「大体コーインさまはまだ、敵の筈です。大胆不敵にも程がありますね」
「いや、それは作者の意向……ってぐあっ! や、やめっ!」
エスペリアの八つ当たりエレメンタルブラストが、『献身』の穂先から迸る。これで絶対の防御力も削られた。
「何だか知らないけど丁度いいや……やられる前に、先に潰すっ!」
「ちょっ待っ、誰もやろうとなんかしてな……ホント、勘弁、しっ!」
そしてニムントールの八つ当たりエレブラ3000が扉に手をかけたままの光陰を――
「だ、誰か癒しの魔法を……ガクリ」
――完全無欠に黒焦げにした。

「はっ、今確かにコーインさまの声がっ!」
その頃クォーリンは、遠いマロリガンの空の下で見当違いなサーギオスの方角を振り返っていた。

「でもなんでいきなりコーインがここに出てくるのよ」
つんつん、と爪先でぷすぷすと音を立てている“元”光陰を突付きながら首を傾げるニムントール。
ストレスを発散させて機嫌が直ったのか、エスペリアとハリオンがお茶を口にしながら同時に答えた。
「それはですねぇ~」
「この談義が“みどり”編だからですよ、ニムントール」
「…………そんなオチでいいの?」

こうして今日も第二詰所の危険なお茶会は無事終了した。どっとはらい。