「ユート君。もうね、ユート君に逢えなくなるみたい」
湖の見える高台。何度となく繰り返した偶然という名の逢瀬。
今この瞬間も、湖の水平線に沈む太陽をふたり並んで見つめながら、ベンチに寄り添い座っていた。
そして、どちらからともなくその手を求め合うはずだった。
しかし。
「な、なに言ってんだレムリア? い、いきなりどうしたんだよ」
突然の言葉に驚いて悠人は、隣のレムリアを見る。その横顔も艶めく黒髪も、夕日に照らされオレンジ色に輝いていた。
レムリアはゆっくりと首をめぐらせ悠人に真っ直ぐな顔を向けた。悠人を映し込んだ黒い双眸。憂いを秘めた眉。
悠人は今さらながらに今の状況を忘れて、その凄艶さに胸を高鳴らせてしまう。
「えへへ。ごめんねユート君。わたしのお父さんね……この前ね死んじゃったんだ。…………事故で。
だから、わたしが家を支えなきゃいけなくなったんだよ」
レムリアは目を逸らさずに言葉を続けた。けれど、最後には耐えきれなくなったのか、揺れる眼差しを湖へと移した。
住む世界の違い。そんな言葉が何故か悠人の心をよぎる。
「レムリアのお父さんが……」
「うん。だからね、近いうちにこの街から出ることになったんだ。だから、残念だけどお別れ」
目の端が光る。赤い、ほとんど水平に差し込む光が、透明な滴(シズク)の表面に跳ねた。
つつけば、崩れ落ちてしまうのではないか、そんな危うい脆さの笑い顔が、悠人の胸を苦しいほどに締め付ける。自分の無力さが恨めしかった。
「マジ、なのか。もう逢えないのか?」
「うん。もう無理。だから、運命はね、ここでおしまい……なんだよ」
たっとベンチから飛び上がったレムリアは、つま先でくるりと回ると、夕日を背にして悠人の正面に立ち腰をかがめた。
…………昏い影が、悠人に仄かな余韻を残して、すっと離れていく。
「こう言う時、ユート君の国ではなんて言うのかな。さよならだから、指切り、もう出来ないね」
「レ、ムリア…………」
レムリアの顔がよく見えない。昏くて遠くて、まだ目の前にいるのに既に届きそうもなく感じる。
まっ黒なシルエットが後ずさりし、空気を震わせる。
「じゃあねユート君。…………いつかまた、逢えるといいね」
きらめく雫を散らし、そのまま駆けだしたレムリアの後を、悠人は追うことも出来ず呆然と眺めていた。
石壁に穿たれた、切り取ったような狭く昏い階段へレムリアは消えていく。
必殺の構えで待ち受ける黒スピリットにも、爆炎の火壁にも怯むことなく踏み込んできたはずの両脚は、体の芯から降りてきた震えに萎えきり、
立ち上がることすらできなかった。
一瞬の触れ合いの名残はあっけなく消え去り、悠人はしばらく呆然と座っていた。空では一番星が輝き始め、次々と生まれでた新たな光が宵の残光を追い出していく。
悠人は顎を上げ、ベンチの背もたれに両手を投げ掛けて、ただ、上を向いていた。濃紺の空に散りばめられた幾千の星芒が、悠人の瞳に降りそそぐ。
そのまま動かない悠人の上で天上の星は瞬いていたが、悠人の瞳は瞬くことはなかった。
それは――――地上の星が、零れ落ちてしまわぬよう。
数十分はそうしていただろうか。
悠人は、ようやくのろのろと動き出した。階段へ消えていったレムリアの残影を追い求めるように、視線をゆっくりと、ぽっかりと空いた昏い階段口へ向けた。
のらりと立ち上がり、一歩二歩とふらつく足取りで歩く。星影の中、視界の隅に何かが映える。石畳の上に何か白い物が。
物憂げな仕草で、屈み込んで手を伸ばす。拾い上げたそれは小さなカードだった。星明かりにかざすと、かろうじて読みとれた。
そこには、こう書かれていた。
“ラキオスヨフアル本舗 ”
ヨフアル食い倒れ大会三連覇 レムリア殿
総合記録1024個 【進呈】《終身三割引券》
“ ”
――――レムリア……これを持っていれば、いつかまた逢える。そんな気がするんだ。
運命の糸は、まだ切れてはいない。そう胸に刻んだ悠人は、カードを握りしめながら空を見上げると、レムリアの笑顔を夜空に思い描いた。
遠くには微かな波の音が聞こえていた。