淑女達の談義~あおい体験編~

「セリアぁ、まだぁ~?」
「ネリー、途中で出たらノーカンですよ」
じりじりと身を捩らせながら汗まみれで身もだえするのは『静寂』のネリー。
どの辺がくーるなのか判らない、むしろ対極に位置するような判り易いお元気娘。
一方冷静に突き放し、目を閉じたままじっと耐えているのは『熱病』のセリア。
くーるというのは正に彼女にこそ相応しいかもしれないが、
面と向かって言えば逆鱗に触れる事火を見るより明らかな、複雑なお年頃のツンデレである。

ランサ防衛戦が開始されてから早数週間。ここラキオスに残っているスピリットは少ない。
特に対魔法防御の要であるブルースピリットは忙しく、こうして四人が揃うというのはかなり珍しい事だった。

「…………ねぇねぇ、ノーカンってなぁに?」
「ん。シアー、ハイペリア語で無効、という意味だ」
ふわふわと平和な声でのんびり夢見心地なのは『孤独』のシアー。
南アルプス並みに純天然系な彼女は雑魚という境遇を身を持って具現している。
そして確か主役である筈の『存在』のアセリア。
たまにどこかへ逝ってしまうという癖があるが、どうやら今はまだまともに答えているようだった。

砂漠の戦いは過酷だ。無限に降り注ぐ紫外線。埃っぽい、焼けるような空気。……ついでに、極端に低いマナ。
あまり大声では言えないような所にまで掻いた汗が接着剤の役目を果たし、敏感な部分まで砂塗れになったりする。
更に四六時中浴び続けた紫外線との相乗効果によって、戦う乙女の柔肌には笑えない、深刻なダメージがあった。
繰り返して言うが、砂漠での戦いは過酷なのだ。特に、お年頃の娘達にとっては。……ついでに、戦う事にも。

「え~! も~ネリー我慢できないよぅ!」
「…………ねぇねぇ、なんでアセリアがそんな事知ってるの~?」

アイスバニッシャーやエーテルシンクを唱え続けてカラカラになる喉。
しかしマナを犠牲にしてまで得た水分(氷)は、いつも虚しく敵へと飛来して行ってしまう。

「ん……カオリに聞いた。ハイペリアの古い諺」
「……アセリア、子供に嘘を教えないで」

一度など、あろう事か砂漠でヒートフロアを唱えた敵が、汗を掻きつつ頭を下げてそのまま撤退していった。
だから謝るなら、最初からアタッカーにレッドスピリットも居ないのにヒートフロアなど唱えるな、と。
熱の篭ったままの砂を握りしめながら、小一時間問い詰めたかった。

「ネリー、あと少しだ」
「ううう~。ホントにこんなんでイイおんなになれるの~?」

蜃気楼が揺らめく景色の中に、独り元気良くレジストで切り込んで行くハリガネ頭に
何度『熱病』を直撃させたい誘惑に駆られた事か。気づくと薄っすらと微笑んでいる自分が怖かった。

「煩いわね。イヤなら出てもいいのよ。イ ヤ な ら」
「セ、セリア何だか笑ってるよぅ……」
「セリア、少し落ち着け」
「しょうがないでしょう! 暑いんだからっ!!!」
がばっと立ち上がった拍子に、巻いたタオルがぱらり、と落ちる。散らばる蒼い髪。
うっすらと玉のような汗が滑り落ちる火照った全身を隠しもせず、セリアはすっぽんぽんでアセリアを睨みつけた。

エーテルジャンプでほぼ同時に帰還したセリア達ブルースピリットは、
まずはこの気持ち悪く肌に纏わりつく汗と砂を何とかしようと浴場に飛び込んだ。
そこでこの施設―――サウナ風呂―――に遭遇したのである。丁度出てきた『理念』のイオがつやつやとした肌で、
「健康に大変優れた効能を発揮いたします。お肌にもよろしいようですよ」
などと微笑んだのは、たった今お肌に劣悪な環境から帰還した乙女達にとって、抵抗出来ない囁きだった。
とはいえ灼熱の砂漠から帰還していきなりの蒸し風呂直行。少女達は明らかに選択を間違えていた。

という訳で、只今四人はイオの言うところの三分間を必死に耐えている真っ最中なのである。
「ってうわわセリア、全部見えてるよぅ~」
慌てて目を両手で覆うシアー。もち肌というのか、ぷにぷにとした白い腕に汗が浮かぶ。
タオルの奥からはぷるん、とささやかな膨らみが拍子に持ち上げられ、意外にボリュームを形作っていた。
「うわ~、せくしぃ!」
恐れを知らないネリーが仁王立ちのセリアに興味深そうに近づく。ポニテがすっかりお尻の方まで貼り付いていた。
「ね、ね、ネリーもこんくらいになれるかなぁ?」
ぷにぷにもみもみ。
「きゃっ! ちょ、ちょっと止めなさいネリー……んっ!」
ふいをつかれ、ネリーの両手で整った胸をすっかり蹂躙され、揉みしだかれてしまうセリア。不覚にも声が色っぽい。
「あ……だめ……ふぅっ……」
こりっ。
「……あれぇ? なんか硬くなってきたよ?」
「セ、セリアどうしたの~? お顔真っ赤だよ~」
ネリーの絶妙ともいえる力加減に抵抗力が抜けてしまう。敏感になってくる先端がしなやかな手に擦れて痺れる。
ぴくんぴくん、と身体が跳ね上がり、その都度体温がどんどん熱くなっていく。ぼぅ、としてくる頭。
「イ、イヤ……もう……」
「……セリア、わたしと違う。濃い」
「はぁーっ……って何がよっ!!!」
じーっと下の方を見ていたアセリアの一言に、セリアはようやく我に返り、慌ててタオルで前を隠した。

かぽーん…………

「全く……危なかった」
「…………痛いぞセリア」
「口は災いの元っていうの。『熱病』で膾にしなかっただけ感謝しなさい。もう、髪が乱れちゃったじゃないの」
ちっとも痛そうじゃない表情で頭を擦るアセリアに、頬に張り付いた前髪を気怠い仕草で払うセリア。
「ネ、ネリーだいじょ~ぶぅ?」
「痛たたた……もぅ、酷いなぁ。ちょっとふざけただけじゃん」
大きなコブを貰ったネリーがうー、と少し恨めしそうな顔で見上げてくる。
セリアはちょっと溜息をつき、ネリーの隣に座り直して真面目な顔を作った。
「いい、ネリー。そう簡単に人の身体を触らないの。びっくりするでしょう?」
「え~? だってだって、ユートさまはいつも嬉しそうにしてくれるよぉ? ね、シアー?」
「う、うん……ダメなのぉ?」
「(#あの男は……)そ、そうね、でもそうじゃない人もいるのよ。憶えておきなさい」
「…………セリアは、嫌なのか?」
「え? わ、わたし?…………う゛」

じーっと全員に見つめられて、セリアは詰まった。大体、こういうのが苦手なのだ。
幼い頃から誰かさんに話しかけてもマトモなレスポンスを期待出来なかった環境が、彼女の人格に深刻な影響を与えていた。
相手が何を考えているか判らなくなり、ついには話しかけるというコミュニケーションに何も期待しなくなったのである。
三つ子の魂なんとやら。必要な時以外、誰にも何も期待しない、それが幼年期に於いてセリアが学んだスタンスだった。
今ではすっかり防御的になり、何かを自分から他人に持ち掛けるという行為自体を放棄するようになっている。
警戒が先に立ち、つい相手の顔色を窺って表情が強張ってしまうのが本当は良くないとは思ってはいるが、
昔叩き込まれた癖は今更直しようもない。だからこそ人に物を教えるとかいう事態を出来るだけ避けるようにしてきたのに、
よりにもよってその性格を創り上げた張本人に問い詰められてしまうとは。そっと緊張で強張った二の腕を掴む。
セリアは幼いネリーとシアーの無垢な瞳に混じって捨てられた子猫のようなアセリアの顔を心底恨めしく思った。

「セリアぁ、イヤ……だった?」
「ごめんなさい……知らなかったの……怒らないでぇ……」
暫く無言で複雑な表情を浮かべるセリアに、敏感に何事かを感じたネリーとシアーに広がる不安の気配。
縋るような視線に、セリアはマズい、と思った。ここで対応を間違えれば、二人共自分みたいになりかねない。
サウナの暑い空気で掻いたのとは別の冷たい汗が、追い詰められたセリアの桜色に染まった背中につつーと流れる。
仲間を犠牲には出来ない。わたしみたいなのは一人でいい。ここでもそんな彼女の几帳面な義務感が頭をもたげた。

「そ、そんなコト、ないわよ…………う、う、嬉しいかな、わたしも」
「……………………」
「……………………」
引き攣った頬の筋肉を懸命に持ち上げ、微妙な笑みを浮かべる。それだけで、胸が大きく波打った。
しゅーしゅーと、どこからか聞こえてくる水蒸気の音。セリアには、この時間が無限に続く拷問のように思えた。
間違ったコトを言ってしまったのだろうか。そんな不安が頭をよぎる。三人の顔色からは、何も読み取れない。
元々他人の顔色から何かを判断するなどという高等技術は持ち合わせていない。そんな事誰も教えてくれなかった。
昔のアセリアの顔をふと思い返しながら、セリアは無意識に長い後ろ髪を弄っていた。すっかり痛んでしまっていた。

「……よしっ! 三分経ったぁ!」
突然文字通り『静寂』を破るネリー。
いきなり立ち上がった彼女のスレンダーな身体を見上げながら、セリアは目を丸くした。
「もーいいんだよね、セリア? おッ先ぃ~!!!」
「え? さ、三分? え? え?」
「ふああ~。暑かったよぅ~」
上擦った返事よりも早く飛び出して行ったネリーの後を、シアーがぽやぽやと追いかける。
タオルの裾から零れた二人の白く瑞々しいお尻をセリアは呆然と見送った。隣で、すっとアセリアが立ち上がる。
「ん。セリア、行こう」
差し伸べられる細い腕。華奢なそれをじっと見つめていたセリアは、暫くしてやっと一言だけ口にした。
「ねぇアセリア……わたし、間違ってたの?」
「ん? 時間、ちゃんと数えなかったのか?」
「…………お願い、少し一人にして」
不思議そうに首を傾げるアセリアに、セリアはそれだけを告げるのが精一杯だった。

頭に疑問符を浮かべながら、アセリアがサウナを出て行く。
(そう、わたしみたいなのは一人で、いい……んだから…………くすん)
ぱたん、と空気が漏れるような扉の音を聞いた瞬間、小さな鼻がぴくん、と動く。華奢な肩が微かに震えた。
そうして人差し指で椅子をぐりぐりと突付きながら、セリアの両目からぽろんと二つ、大粒の涙が零れ落ちました。

かぽーん…………

「きゃはは~! 行っくよ~……えいっ♪」
暫くイジけていたセリアは、ふと外の騒ぎに顔を上げた。どうやらネリーが大声ではしゃいでいる。
「…………何の騒ぎかしら」
センチな気分を振り払い、気を取り直して立ち上がる。髪を後ろで纏めながら、サウナの扉に手をかけた。

ばたん!
ノブを捻ろうとした所で、いきなり勢い良く扉が反対側から開かれる。セリアは驚いて咄嗟に後ろに数歩下がった。
「だから裸で抱きつこうとするなって! どうしてこうみんな、自覚が無いんだ…………って…………」
「………………」

飛び込んで来たのは通称ヘタレエトランジェ、高嶺悠人。スピリット隊の中でもユウジュウフダンで有名な男である。
もっとも彼以外に男性はいなかったので、スピリットの方が刷り込みというか経験不足というか入れ食い状態なのだが。
とりあえずこの場合、悠人はサウナで仁王立ち(そう見えた)しているセリアを見て青くなった。
気のせいかいつもより何割か増しで冷え切った蒼いマナが周囲に充溢している。
「うわっセリア! ち、違うんだこれはっ! たまたま気づかなくって! ゴメン、すぐ出ていくからっ!」
慌てて出ようと背中を向ける。しかしその腕が思いがけない程強い力で引っ張られた。
「なっ…………うわわっ!」
バランスを崩してそのまま壁にぶつかる。すれ違ったセリアが素早く後ろ手に扉を閉め、そのまま睨みつけてきた。
「………………」
「う、い、いや、その……」
閉じ込められ、悠人は狼狽の声を上げた。無言のセリアから、何か尋常ではない空気を感じる。
ほんのりと紅色の肌には満遍なく汗を貼り付かせ、前髪で隠れた表情からは顔色が窺えない。
タオル一枚で身を包んでいるすらっとした身体から、色々な意味で目が離せなくなった。
胸の辺りの意外と大きい形の良さそうな膨らみや、太腿の眩しい白さについ目を奪われてしまう。
正に戦慄を覚える美しさと艶かしさ。ごくり、と悠人の鳴らした喉の音が、狭いサウナに大きく反響した。
「………………」
セリアは見ようによっては凄惨な笑みを浮かべたまま、すたすたと近寄ってくる。
悠人は目をぎゅっ、と瞑った。遠くの川越しに婆ちゃんが手を振っている光景を思い浮かべながら。

「へ…………?」
ふわり、と良い匂いが鼻を掠める。悠人は一瞬何が起きたか判らなかった。
長いセリアの後ろ髪が、勢いで肩口辺りに絡みつく。胸板に感じる熱く柔らかい二つの膨らみ。
内股に、バスタオル越しに感じる火照った体。背中にも汗で滑らせた細い指の感覚。
悠人はようやくセリアに抱き締められていることを理解した。
「ちょ、な、何を……!」
動揺して、上擦った声が漏れる。戦いで疲れきった体にこの刺激は強すぎた。即座に反応する、ある一部分。
慌てて引き離そうとするも、セリアは同じ力でしがみついて来る。
「……セリア?」
「…………嫌、ですか?」
細い体が震えていることに、悠人は驚いた。
微かな、掠れた言葉。怯えるような仕草に、ようやく何かあったのか、と思った。
場違いだと判っていても、むくむくと湧き上がって来るいつもの保護欲。悠人はそっとセリアの髪を撫でていた。
「嫌じゃないよ。むしろ嬉しいけどさ……セリアは、本当にこうしたいのか?」
「え…………?」
頭に手を置かれたまま、至近距離で見上げてくる。悠人は照れ臭くなって、思わず顔を背けた。
「いやあのさ、こういうのってされる方じゃなくて、する方の意思表示っていうか」
「意思、表示……? でもアセリアはそんな仕草、昔から一度も見せてくれなかったわ」
「アセリア? ああ……あいつは、なぁ」
扉の向こうを見ながら苦笑する。悠人はセリアとアセリアが幼馴染なのを、ようやく思い出した。
「でしょう? だから、解らなかった。相手が何を考えているのかなんて」
「う~ん…………それはまた、大変だっただろうなぁ」
アセリアの意味不明な言動や仕草には、振り回されてばっかりだ。小さい頃からそんな状況に晒されていたら。
セリアの普段の態度の源泉が、こんなところにあったのかと妙に納得してしまった。
胸の動悸がとくんとくん、と伝わる。緊張はいつの間にか解けていた。
なんとなく、セリアの言わんとしていることが判ってくる。悠人はもう一度セリアの瞳を覗き込んだ。
「セリアがこうしたいっていうのなら俺は嬉しいよ。……でもセリアは、抱き締められるのは嫌なのか?」

思いがけない悠人の質問に、セリアは目をぱちくり、と一度大きく瞬きさせた。
まだ帰って来たばかりで、埃っぽい悠人の体に自分の髪が貼り付いている。
よく見ると、硬い髪も埃で灰色になっていた。むっと匂う、汗の匂い。
(あ……折角身体、洗ったばかりなのに)
自分から抱きついておいて、そんな理不尽な考えが一瞬頭に浮かぶ。
汗の匂いに、異性に抱きついているという事実に今更気づき、熱くなる顔。
しかし身体はそんな理性とは相反した動きをとっていた。
「…………はい。嬉しい、です」
そうしてセリアは、更にぎゅっと抱き締めた腕に力を籠めた。
“抱き締めるのが”なのか、それとも“抱き締められるのが”か。そこだけを微妙に濁した台詞を呟いて。
……三分間は、とっくの昔に過ぎ去っていた。


いつまで経っても出てこない悠人とセリアに、水風呂に浸かっていたネリーが耐え切れなくなって叫んだ。
「う゛う~、も~二人とも、何してるのぉ?!」
ざばっと立ち上がり、サウナの方とざぶざぶと水を掻き分けていく。
「ネリー、邪魔しちゃだめだよぅ……」
口まで水に浸かりながらぶくぶくと泡を立て、寒い筈なのに顔を真っ赤にしたシアーがうわ言のように呟く。
隣でタオルを頭に乗せていたアセリアが、珍しく口元に笑顔を浮かべながらネリーの背中に呼びかけた。
「ネリー、ノーカンだ。くーるな女やり直し」
「え~~~~?!! も~本当にこんなんで綺麗になれるのぉ~!!!」
「ん。三分間我慢するってイオが言ってた」
どぼん、と少々はしたなく湯船に飛び込む音。足元に、四本の神剣が微妙に光りながら転がっていた。


こうして第二詰所のお風呂会は滞りなく終了した。どっとはらい。