緑色の子守唄

────頭が、痛い。その強烈な痛みは体の自由すら奪う。
全身は火照り、だらだらと汗が出てくる。心なしか視界もぼやけている気がする──
「ごほっ、ごほっ、うぅ・・・」
抵抗も無く咳込むと、エスペリアの困ったような声が耳に入ってきた。
「全く・・・・・・こんな時に風邪を召されるなんて・・・」

俺はすっかり風邪を引いてしまっていた。
というのも、補給のためにマロリガン領からラキオスにエーテルジャンプをしたときに
強烈な温度差に見舞われてしまい、そのまま頭痛とともに倒れたのだった。

「ホント、パパはなんじゃくだね♪」
「・・・・・・あの温度差は正直しんどい。ハイロゥが使えるスピリットが羨ましい限りだよ」
「そうは言われますけど、マナ消失地帯ではスピリットもきついんですよ?」

ぶつぶつと文句を言いながら、エスペリアは手際よく氷袋を変えてくれた。
額のタオルの上からの痛いほどの冷気は、こういうときには気持ちのいいものだ。

「あ゙~効く~」
「・・・まあ、戦争はしばらくありませんでしょうから、ゆっくり養生なさってください。
私たちは下にいますので、何かありましたら、遠慮なく呼んでください。さあ、オルファ、行きましょう」
「じゃあね、パパ。ちゃんと風邪治さなきゃだめだよ?」
「ああ、そうさせてもらうよ」

そう言って二人は部屋を出て行った。どうやら俺に気を使っているようだった。
「(そういえばずっと前線にいたんだもんな・・・。温度差だけじゃなくて、疲れてたんだろうな)」
こんなときにはこういう気遣いはものすごく有難い。
窓からのそよ風が心地よさを倍増させるせいで、意識がどんどん薄れていく。

「(おやすみなさい、ってか)」
せっかくだからと、俺は全身の力を抜いて眠りの世界へと旅立っていった。

────何故だろう、体が重い。闇の中で何かが体中に纏わりつくような感覚が俺を襲う。
息ができないということは無いが、苦しい。さっきよりも体が動かない。
・・・・・・やがてその苦しさは俺を現実の世界へと呼び戻す─────

「(あ・・・ぐ、体が・・・動けない)」
だが、なんとか指は動かせそうだ。しっかりと意識を持つようにして指を動かしてみた・・・・・・
「・・・・・・?」
何か柔らかい感触が伝わってきた。だがまだそれが何なのかは判らない。
「(なんだ?・・・・・・これ)」
さらに指を動かし、その柔らかい所を探ってみる。すると、幽かに声が聞こえてきた。
「・・・・・・・・・ん・・・・・・とこ・・・・・・」
「え・・・・・・何?」

意識がはっきりとしてきた。聞こえる声もはっきりとしてくる。
「あぁん~、くすぐったいですぅ~。そんなところ触らないでください~」
「!!」

俺ははっとした。まさかと思いつつ、渾身の力を込めて首を横にしてみると・・・・・・!
「ハ、ハリオン~!?」
「あらあらぁ~?目が覚めちゃいましたかぁ~?」
意識がはっきりと戻った今、状況が飲み込めた。
隣でハリオンが俺をがっちりと抱くようにして一緒に布団に潜っていたのだ。
どうやら、俺はハリオンの下っ腹の辺りを触っていたらしい。
何気に力の強いハリオンに抱かれているんじゃ動けないわけだ。

「いや、これは誰でも目が覚めるって!」
「そうですかぁ~?」
「というか、何してるんだよ」
「えっと、ユート様がお風邪を召されていると聞きましたので~、添い寝を~♪」
「い、いやいやいや!」
何でそこで添い寝なんだ!と突っ込みを入れる前に、ハリオンはにっこりと微笑んで説明しだした。

 

「えっと~、お風邪を治すにはぁ~、暖かくして寝るのが一番ですから♪
一緒に寝ると~、と~っても暖かいんですよ~」

「そりゃわかるけど・・・・・・移るぞ、風邪」
「大丈夫ですよ~♪これは、初めてじゃありませんから~」
「初めてじゃないって?」

どうにもこうにも意味深な言葉が飛び出して、俺は少し呆然となる。
「(ちょっとマズいんじゃないか?それは・・・・・・)」
妙な想像をする俺を尻目に、ハリオンは言葉を続けた。

「ずっと前に、ヘリオンが風邪を引いたときも、こうしてあげたんですよ~。
そうしたら、たちどころに回復したんですよ~。ですから、実証済みなんです♪
それに、私は風邪には強いですから~。移ることはありませんよ~」
「へぇ、そうなんだ」

俺は無理やり納得することにした。そこまで言うなら大丈夫だろう、多分。
「ですから、こうして、ユート様の風邪を治すのを手伝ってあげますぅ~」

俺を心配しているのは伝わった。だからといって勝手に潜ってくるのもどうかと思うけど。
まあ、どうせ抵抗しても無駄だろう、素直に受け入れることにした。

「それはいいんだけどさ、少し力弱めて・・・苦しい」
「そうですか~?」

 


ぶにゅ。

少し体を動かすと、思わず動いた腕がさっきよりも遥かに弾力のあるものに当たった。
これだけの弾力を持つ部位は一箇所しかない。

「あ゙・・・・・・ご、ごめん」
「あらあら~?どうして謝るんですか~?」
「え、いや、だって」
どうしてと言われてあっけにとられるが、ハリオンは笑顔で答えてくれた。

「私が勝手に入ってきてるんですから~、気にしないでください~」
そう言われても、ハリオンの胸はぴったりと俺にくっついている。これで気にするなって方が無茶だ。
「でも~、ユート様さえよければ、もっといっぱいさわっちゃってもいいんですよ?」
とんでもない許可を出すハリオン。その瞬間のことだった。

キイィィィン・・・・・・!
「(ぐあッッ!)」
突然、『求め』が俺の意識の中に割り込んできた。
『契約者よ、お前がができないというならば、我に任せてもらおう』
「(な!や、やめろ!このバカ剣!)」
俺の中で欲望と理性が戦いを始める。もし欲望が勝ってしまったら目も当てられない。
「(くっ・・・!退けっ!)」
『・・・・・・フ』
珍しく『求め』はあっさりと退いた。まったく、何考えてんだか。

「~~?ユート様~、どうかしたんですかぁ~?」
ハリオンは心配そうに覗き込んでくるが、俺は何でもないという風に笑顔で応える。
とりあえず、正気を失う前に寝てしまったほうがいいと思った。

「そ、それじゃあ寝るか」
「でしたら~、よく眠れるようにお歌を歌いますね♪」
「歌?」
「はい~。子守唄ですぅ~」

俺は子供じゃない!と言おうと思ったが、風邪を治そうとしてくれるハリオンの心遣いが嬉しい。
何も躊躇することなく、目を瞑って子守唄に耳を傾けることにした。
「では、歌います~」


「♪♪♪~~~」
ハリオンは俺の体をぽんぽんと叩きながら優しく、柔らかい声で歌い始めた。


「(あれ、この感じ・・・?)」
何か、俺の中でとても暖かく、懐かしいものがこみ上げてきた。
それは、遥か昔の『母親』の記憶。それも本当の母親の記憶だった。

「(母さんのことは、よく覚えてない。でも、なんとなくわかる。昔こんな風に子守唄を歌ってもらったって)」

そう思っていると、何故だか涙が出てくる。
『母親』が隣で歌ってると思うと、同時に寂しさも沸いてきた。

おかしい。隣で歌ってくれているのはハリオンという別の女性なのに。
どうしても俺の中にある『母親』と重なってしまう。

なにもかもが心地いい、安心できる。綺麗で、やわらかくて、いいにおいがする。
俺の耳も、鼻も、体も、・・・心でさえも、隣の女性を『母親』として感じている。

「(ハリオン・・・?いや、母さん?・・・・・・どっちだ?)」

もうどちらでもよかった。感じていること全てが俺にとっては素敵なことだった。
俺の全てが楽になってゆく。次第に心身が癒されていくのがわかる。


目の前の闇に幽かな人影が写る。それは、髪が長くて、豊満な胸を持つ優しい感じのする女性。

俺には、それが誰なのかはわからなかった。
だが、わかっていた。この人は俺のことを想ってくれている人だって、受け入れてもいいって。
人影はどんどん近づいてくる。目の前まで来たとき、暖かな抱擁が俺を包んだ。


「(かあ・・・さん)」

──── 子守唄を聴いているうちに、俺の意識は再び闇に落ちた。

「・・・・・・ま・・・・・・・・・ト様」
「う・・・ん、んん?」
女性の声が聞こえる。母さんじゃないけど、俺が知ってる優しい人の声。
「ユート様、お起きになってください。もう夕食の時間ですよ」
「・・・・・・あ、エスペリア」

俺は目を覚ましたとき、周りはもう暗くなっていた。窓の外から虫の鳴き声が聞こえてくる。
どれくらい眠っていたんだろう、眠気はすっきりしているようだ。
「風邪のお加減はどうですか?」
「風邪・・・あっ」
額に手を当てて気づいた。頭痛は消え、熱も収まって、どうやら風邪は治ってしまったようだ。

「おかげで、すっかり治っちゃったみたいだ」
「そうですか・・・・・・それはよかったですね」
「・・・へ?」
心なしか、エスペリアが怒っているように見える。よく見ると額に青筋を浮かべていた。
「ユート様?一体何をしてもらったのか、説明してもらいますよ?」
「・・・って、あ゙あ゙!」

エスペリアの言葉で、俺は自分がどういう状況で寝ていたのかを思い出した。
────全ては、あの時のまま。ハリオンは俺に抱きついたまま幸せそうな顔で眠っていた。
「どういうことなんですか!?」
「い、いや、これは!お、おい!ハリオン、起きろ!」
俺はハリオンの体を力いっぱいゆする。ところが、ハリオンはまだ夢の世界にいるようだ。

「う~ん~、ユート様ぁ~♪そんな所触っちゃだめですよぅ~」
どんな夢を見ているのやら、とんでもない寝言。その瞬間、戦慄が俺の全身を走った。

「 ユ ー ト さ ま ~~~~~!!」
『献身』に殺意の混ざったマナが集まり始める。早くハリオンを起こさないと、殺される!
「ち、違うんだ!ああ、ハ、ハリオン!頼むから起きてくれ~!!」
慌てて起こそうとしていると、ハリオンの手に俺の頭はがっちりと掴まれ、一気に引き寄せられてしまった。
「うわあっ!」
「うふふふ~ユートさまぁ~、ん~♪」

ちゅっ

「「────!!」」
俺とハリオンの柔らかな唇が重なった瞬間、俺とエスペリアは同時に固まった。
顔は紅潮しているだろうが、背筋は絶対零度をも超える勢いで凍り付いているだろう。
恐る恐る後ろを振り向くと・・・・・・もうだめだ、エスペリアは殺る気満々だ。
「あ、あ、あの、エ、エスペリ・・・」
「 問 答 無 用 ~ ッ !!」

ドカッ バキッ ズシャッ ちゅどーん・・・
「(あ、向こうで母さんと父さんが手を振っている・・・・・・)」
───音速を超える斬撃と緑マナの大爆発をもろに食らって、俺は昏倒した。


30分後、ようやく目覚めたハリオンとエスペリアが全てを明かしたことによって、館中は大騒ぎになった。
年少組のオルファをはじめとする、スピリット隊のメンバーの大半が一緒に寝ようと押しかけてきたからだ。
ヘリオンやファーレーンに至っては話を聞いたその場で失神する始末。

・・・・・・その後すぐ、風邪がぶり返して(しかも大怪我)添い寝禁止になったのは言うまでも無い。
でも、ハリオンとなら、また一緒に寝てもいい。俺は、心のどこかでそう思っていた───。

                       ─ 終 ─