対帝国戦の最中、サレ・スニルを攻めていた頃。
「とぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」 
「おっ、行ったな」 
短く揃えた蒼い髪を靡かせて、一人の少女が剣を逆手に突っ込んでいく。 
鋭く広げられたウイングハイロゥ。その俊敏さに、流石ブルースピリットと思わず感心してしまう。 
元々調整不足だった彼女は、この帝国戦が初参戦。同じ隊になったのはこのサレ・スニル攻略戦が初めてだった。 
「てりゃぁぁぁぁぁっっっ!!!」 
「…………ん?」 
局面は、既に追撃戦。 
城前に陣取っていた野戦部隊は大方城に引き返し、今はもう最後の反撃を試みて来た手負いの残部隊を逆に追い込んだ所。 
所謂残敵掃討というやつで正直彼女一人でも楽に撃退出来ると思い、レジストだけかけて見守っているのだが。 
「たぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」 
「…………おい」 
文字面とはうって変わって気の抜けるような掛声は愛嬌。 
普段のぽやぽやとした雰囲気を知っていれば、むしろ当然ともいえる。 
彼女は、一生懸命戦っていた。それこそ自分の持てるスキルを全て惜しげも無く繰り出して。だが。 
「ちょっと待て、シアー」 
「おりゃぁ――にゃんっ!?」 
一旦後退して丁度目の前に屈み、再度飛び込もうとしたシアーの襟首を、俺はむんず、と思いっきり掴んでいた。 
「う゛う~~……」 
「…………いやその、悪かったって」 
円らな瞳をうるうると潤ませながら無言の非難を浴びせられ、つい謝ってしまった。 
普段大人しい分だけ、熱中している所を邪魔されたりすると大層ご機嫌が悪くなるらしい。 
籠手越しに首の辺りをしきりにこしこしと擦っている。そういや掴んだ時ぐきっと嫌な音がしたっけ。 
いや、しかし。俺にも正当な理由があったのだ。それこそ鞭打ち覚悟の急制動かけてもいい位の。 
…………だからそんな睨むなよ。すんません反省してますってば。 
「でもな、シアー。何でいっつも、一撃離脱なんだ?」 
「……んん?」 
結局、本題に入る前に戦時食として隠し持っていたヨフアルを一個せしめられてしまった。 
もきゅもきゅと夢中で頬張る仕草から、あっさり機嫌は回復したようだ。 
いきなり話しかけられても食べかすを頬につけたまま、無邪気な笑顔で見上げてくれる。 
…………あれだけグズついていたくせに。とは決して迂闊に口にしてはいけない。凄く言いたいけどいけないんだ。 
そんな事より。そう、シアーは、先程から常に行動回数一回の攻撃を繰り返していた。 
技自体はちゃんと訓練されているし、多種多様でもある。ヘヴンズスウォード、フューリー、インパルスブロウ。 
特に属性攻撃であるフューリーやインパルスブロウなどはブルースピリット特有の重さが感じられるし、 
小柄ながらもしなやかさと敏捷さを兼ね備えた身体を精一杯撓らせて打ち込むヘヴンズスウォードは、 
振り切った時に『孤独』から舞いあがるマナと空気の粒子がぶつかり合う様から、その威力の大きさが充分伝わる。 
だがしかし、惜しいかな、それら全てが「一撃」なのだ。つまり避わされたら、はい、それまで。そこでお終い。 
敵だって、馬鹿じゃない。戦いぶりを観察していれば、初撃を防げばそれで安全だと分析できる。 
そしてシアーは、先程からある意味期待通り(?)その陥穽に嵌っていた。つまり、気合(?)の掛声と共に突撃し、 
自慢の技を敵が避けた後の地面に炸裂させ、爆風と共につき抜け、それをもう一度繰り返して戻ってくる。 
幸いにしてまだ振り切った後の無防備さをつかれたりはしていないが、それももう恐らく時間の問題だった。 
「……んく。う~ん、なんでだろうねぇ」 
「いや、俺に訊かれても」 
「えと、ユートさま、イチゲキリダツってなぁに?」 
「…………判らないなら答えるなよ。いい。シアーは一旦、後方待機な」 
「んぅ? は~い♪ …………ん~と……ユートさま、あのね?」 
「よしっ! 一緒に帰るか、シアー!!」 
頭痛のしてきたこめかみを抑え込み、俺は無理矢理笑顔を作りながら、ヤケクソ気味に大声を張り上げた。 
まだ戦いも終わってないのに、“後方待機”も知らないシアーを迷子の子供のように護送しなければならないとは。 
『契約者よ、得意の保護欲か?』 
(五月蝿い黙れ突然出てきて意味不明な台詞を吐くな) 
「一緒ぉ? ~~~うんっ!」 
「………………」 
『………………』 
少しはにかみながらにぱぁ、と心底嬉しそうな笑顔を浮かべるシアーに、俺と『求め』の波長が嫌なシンクロを成した。 
一旦既に制圧していたゼィギオスまで戻ってきた俺は、早速エスペリアやネリーにシアーの近況を聞いてみた。 
それによると、少し前にブルースピリット最強の技ヘヴンズスウォードを覚えた際に、 
唯一残っていた複数攻撃スキルであるリープアタックをうっかり上書きしてしまったという。 
それにより、シアーの攻撃スキルには、ずらっと行動回数一回のものばかりがものの見事に揃ってしまっていた。 
これでは先日のような事態も仕方が無いと頷ける。だがしかし、本人に自覚が無いのはいくらなんでも拙いだろう。 
俺は城の前でぽけ~と景色を眺めるシアーに声をかけてみた。 
「よ。何か見えるのか?」 
「………………」 
「ところでさ、話は聞いたよ。でもこのままじゃ、シアーの戦い方はまずいと思うんだ」 
「………………」 
「で、さ。一緒に訓練しないか。そうしたらもう一度リープアタックを覚えられるらしいから」 
「………………」 
「…………シアー?」 
「あ~、ユートさまだぁ。うん、お空が綺麗なんだよ~」 
「へ?」 
「そうなんだぁ。シアー、どこか変なのぉ?」 
「えっと……あの?」 
「う~ん…………うんいいよ、ユートさまと一緒ぉ……えへへぇ~」 
――――なんだかじれったくなってきた。 
「よし、じゃ、善は急げだ。早速行くかっ!」 
「ふぇ?…………や~ん♪」 
急に手を引っ張られた時差ぼけシアーが妙な声を上げたが、俺は構わずにずるずると訓練所まで引き摺っていった。 
「それじゃ、構えて」 
「あのぉ……ユートさまぁ?」 
抜いた『孤独』を膝の前で水平に持ち、おずおずと見上げてくるシアー。 
どうでもいいが、余り強く両手で握ると刃に食い込んで切れてしまうんじゃないかとはらはらしてしまう。 
「なんだ、シアー。何でも聞いてくれ」 
「その…………ゼンハイソゲって、なぁに?」 
「……いいか、良く見てろよ。連撃っていうのは、こう…………シッ!!」 
びゅびゅっ! 何となく展開が読めてきた俺は長くなりそうな話を一方的に打ち切り、フレンジーを振るって見せた。 
もちろん手加減はしたのでシアーの目でも充分追えた筈だ。ちらっとそちらを見ると、 
「ふぁぁ~。凄いねぇ」 
目を丸くして、小さな手をぱちぱちと叩き、感心しているようだった。 
というか何の為にこんな事をしているのかちゃんと判ってるんだろうか。 
「さ、シアーもやってみろ。いつもみたいに全力じゃなくていいから、その分次の一撃を繰り出すように」 
偉そうに指導しているが、実際俺も剣に長けている訳じゃない。言っている事も我ながら漠然としている。 
それでもんしょんしょと何か考え込んでいたシアーは、一度小さくうん、と頷き、そして。 
「……とぉぉぉぉぉぉぉ~~~」 
へろっ。へろっ。 
「………………」 
「ふぅ~。ねぇユートさまぁ、どうかな~」 
「……なぁシアー、なんでそんなに気合が入らないんだ?」 
まるで波線が見えてきそうなシアーの太刀筋に、俺はがくりと膝をついた。 
「あのね、もいっかいあると思うとね、シアー、力出ないんだぁ」 
落ち込んでいる俺を慰めているつもりなのか、すまなそうな声で髪をぽんぽんと撫でてくるシアー。 
何だか同情されているみたいだった。…………いや、あのな。なんで俺が慰められなきゃならんのだ。 
「ね、シアー頑張るから、ユートさまもがんばろ~」 
「………………」 
未だ面識も無い筈の、名も無き訓練士(シアー担当)のこれまでの苦労が窺える。 
こうして前途多難な特訓は全く実を結ぶ事無く無駄に数日を費やしていった。 
そして、いよいよサレ・スニル攻城戦が始まった。 
大掛かりな作戦なので、シアーといえども外す訳にはいかない。 
とはいえ直接訓練していたせいか、状況が判るだけに抑えても抑え切れない揺れるこの不安。 
目を離すとこちらが落ち着かないので、結局エスペリアに頼み込んで同じ部隊にしてもらった。 
アセリアにそれとなくフォローして貰うよう、頼んでおく。 
「ん。任せろ」 
無表情に自分の胸を叩くアセリアにもどことなく一抹の不安を感じるが、溺れる者は藁をも掴む。 
心配だからといって付きっきりでは手数を望んでシアーを狩り出した意味が無くなるので、自分の仕事に専念する。 
当面の敵を撃退し、進路を確保していざ城に突入、という所で二人を探してみた。 
「あ、人がいる~こんにちは~………あれ、敵?」 
「ん、いく」 
「こ、こっちに来るぅ~~」 
「…………この程度、すぐに片付く」 
「来ないで、来ないで~!」 
「やぁぁっ、たぁぁっっ!」 
「………………」 
敏感に反応し、遮二無二突っ込んで行くアセリアと、初動が遅い分どうしてもワンテンポ遅れるシアー。 
確かにアセリアは、しっかりと自分の使命を守っていた。申し分が無い程、忠実に。 
それこそシアーが一撃を仕掛ける前に、群がる敵を全て自分で打ち払う位素早い動きで。 
「いや、上手くいってるのはいいんだけどさ……」 
結果オーライ。そんな単語が浮かんでくる。だがしかし。 
「これじゃシアーが居る意味、無いだろ…………」 
二人共元気な様子に安心しながらも、やっぱりどこか釈然としなかった。 
「じゃ、シアーは俺の側を離れるなよ。攻撃のタイミングはこっちで指示するから」 
「は~い……えへへ~」 
何が嬉しいのか、とことこと駆け寄り、必要以上に俺の側にくっつくシアー。ホントに判ってるんだろうか。 
俺達は城に突入した際、それぞれのパートナーを交換していた。 
言い忘れていたが、部隊は四人編成。今アセリアと組んだネリーが羨ましそうに指を咥えてこちらを見ている。 
「ん~、ユートさまと一緒ぉ~」 
「こらぁシアー、ユートさまにくっつくの禁止ぃ!」 
「え~~? だってネリーもぉ、さっきまでユートさまと一緒だったよ~?」 
「……こんなトコで喧嘩するなよ、頼むから」 
大体なんでこんなにブルースピリットばかりになったんだ。 
≪ユートさまがそう仰るのでしたら反対はしませんけど……本当に宜しいのですか?≫ 
編成を頼んだ時のエスペリアの複雑な表情が思い出される。ああ、自分でそうしたんだっけ。 
「ユート、嬉しいか?」 
「……アセリア、どういう意味だよ」 
「ん、別に」 
「…………ちぇ」 
気のせいか、少しくすっと笑ったアセリアに、俺は今更ながら後先考えない自分の行動に呆れ、反省しそして後悔した。 
城は巨大な街道を塞ぐ形で建設されている。その構造上、入り口は南北に二箇所あった。 
北からヒミカ率いる別働隊が同時に攻め入る手筈になってはいたが、何とかという剣術使いを招聘する為、 
部隊の一部から、まだ訓練不足のヘリオン、ニムントール、それに交渉役のセリアが抜けてしまっている。 
その分戦力が大幅に抜けており、どちらかと言えば陽動に近い作戦行動しか取れない。 
神剣の位が高いハリオンやファーレーン、それにナナルゥがいるとはいえ、数の不足はどうしようも無かった。 
一方こちらはもう一部隊、エスペリア、ウルカ、オルファの精鋭ともいえる部隊が追従してきている。 
更に遊撃として、光陰や今日子が旧稲妻部隊を率い、城外に出た敵を引き付ける役目を負ってくれていた。 
それらを総合すれば、こちらのルートから城の中心に深く攻め込むのが作戦の成功に繋がると言っていいだろう。 
「みんなっ! 行くぞっ!!!」 
「お~!」 
「お、お~」 
「…………ん」 
「………………あのな、もうちょっと気合入れてくれ頼むから」 
振り返りつつ気合を入れる為にと叫んでみたが、面子を見渡すとどこか幼稚園児の引率を連想させるのが鬱だった。 
ヤケクソ気味に『求め』を振りかざしつつ飛び込んだ城内。そこに待ち受けていたのは、まずレッドスピリットの部隊。 
「これくらい熱い方がいいのよね、汗かいたら痩せるらしいし」 
「触れたら熱いと大評判! ……あたしの中でだけなんだけど」 
「これだけの炎なら、きっと凄いわよ ホント、すごく熱いんだってっ!」 
それぞれの神剣の先、集中したマナが真っ赤に焼けて渦を巻く。三人が横に並び、正に神剣魔法を放とうとした所だった。 
――――なんでこんなに気の抜ける戦闘台詞だけが重なってるんだろう。そんな疑問が頭を掠めるが、とりあえずは叫ぶ。 
「来るぞっ、ネリー頼む! アセリア、シアー、行くぞッ!!」 
自分自身は『求め』を両手で構えたまま、横に飛んだ。視界の隅に、ネリーが『静寂』を振りかざすのが見える。 
「これで向こうの力を抑えれば… うんっ、いけるいける~っ!」 
そしてひゅっと振り切った剣先から迸る青白いマナが飛び出し、周囲の炎を掻き消したのを確認し、俺は敵に飛び込んだ。 
神剣魔法を封じられたスピリット達は隊列を乱し、後方へと下がって時間を稼ごうとする。 
更に追いかけると、密集隊形になっていた。集団の向こうにアセリアがウイングハイロゥを広げている。 
反対側から斬り込むつもりなのだろう。俺は後ろを振り返り、付いて来ているであろうシアーに声をかけようとした。 
「……あれ?」 
いない。後ろに、シアーはいなかった。あれ程離れるなと言っておいたのに。 
「とぉぉぉぉぉぉぉっっっ!!!」 
「! シアー?!」 
上方から、ふいに聞こえてくる聞き覚えのある気の抜けた声。 
シアーは俺の頭上を飛び越えるように、ハイロゥを羽ばたかせていた。 
俺を追い越したシアーはまっしぐらに敵へと突っ込んでいく。 
あっけに取られて見ていると、逆手に持った『孤独』をくい、と捻り、上体を逸らして振り被った。 
無茶な動きに小さな身体が空中でバランスを崩し、勢いに急制動をかける。そしてそのままぽてり、と敵の前に“落ちた”。 
「………………」 
「………………」 
「あれぇ~? おかしいなぁ~」 
落ちた時に打ち付けたのか、しきりに腰をさすりながらあひる座りのような格好で『孤独』を不思議そうに眺めるシアー。 
どうでもいいが、敵の目前だった。突然の事態に反応してはいないが、唖然とした敵が我に返るのを待つ訳にはいかない。 
「どけ、シアー!!」 
「……ふえ?」 
俺は強引に両者の間に割って入り、そして『求め』を力一杯振り下ろした。 
「判ってるのか?! 一歩間違えれば死んでいたんだぞっ!」 
「ユートさまぁ、シアーも反省してるから……」 
「ネリーは黙っててくれ、俺はシアーに言ってるんだっ」 
「ユ、ユートさま、怖いよう……」 
アセリアとの挟撃でレッドスピリット達を倒しきった後。俺は、敵の拠点のど真ん中で怒鳴り散らすはめになっていた。 
「ユート、喧嘩、よくない」 
「なんだよアセリアまでっ! こんなの喧嘩じゃないだろ?!」 
じっと宥めるような口調で見つめるアセリアにも、当り散らした。完全に頭に血が昇っていた。 
「ユート、落ち着け」 
それでもぽん、とアセリアに腕を軽く叩かれ、はっと我に返る。徐々に気持ちが落ち着いてきた。 
「……悪かった。言い過ぎたよ」 
「ん」 
ネリーが、すっかり怯えて背中に隠れてしまったシアーを庇うように抱き締めている。 
「ネリーも……ごめんな、大声出して」 
「あ、ううん、ネリーはへーきだけど……」 
ちらっと後ろを見るネリーの視線を追いかける。見え隠れする蒼い髪が揺れていた。 
俺は『孤独』を両手で抱え込んでいるシアーに、努めて優しく話しかけた。 
「なぁシアー、どうしてあんなことしたんだ?」 
思い出しても不可解だった。空中であんな無茶な動きをしたら体勢が崩れるのは当たり前だ。 
大体前に見た時、シアーの構えはあんなんじゃなかった。あれじゃまるで……まるで俺の――――――フレンジー。 
「まさか……俺の真似をしようとしたのか?」 
問いかけに、ぴくっと丸い肩が跳ねる。おずおずと見上げてきた蒼い瞳が、無言のままこくり、と小さく頷いた。 
――――教えてはいない。飛びながらなんて、考えたこともない。当然だ、俺は空を飛べないんだから。 
地面への踏み込みやら『求め』の重量やら、それを使って振るう技なのに。それでもシアーは最初に見たそれを忠実に……。 
俺は膝を折り、目線をシアーの高さに合わせ、これ以上怯えさせないようにぽむ、と頭に手をやった。 
「ごめんな。俺、本当にシアーの事を考えて教えて無かった。シアーはちゃんと教わったとおりにやっただけなのにな」 
「ユートさま……?」 
「あれは飛ばないで使う構えなんだ、シアー。だからさ、今度は俺の隣でやってくれないかな。怒鳴ったりして……ごめん」 
視線を決して逸らさず、蒼い瞳を見つめる。しっかりと思いを伝えるように。 
すると何かを探っていたようなシアーの表情が、少しづつ安心したような柔らかさを取り戻した。 
「うん…………判った」 
そうして最後に小さく頷き、シアーはようやくちょっとだけ微笑んだ。 
丈夫な石で構成された城の内部は巨大な廊下が左右に広がっていた。吹き抜けの構造なのか、今居る地点から天井が見えない。 
正面の奥から時々ずしん、と地響きが鳴る所を見ると、どうやらヒミカ達も突入してきたようだ。向こうの方が数は少ない。 
こちらもまだ後衛のエスペリア達との連携が取れてはいないが、このままここでじっと待っている場合でも無さそうだった。 
アセリアが、ひくひくと鼻を動かしている。何をやっているのかと思ったら、急にこちらを見た。 
「?…………どうしたんだアセリア、なんだか挙動不審だぞ」 
「ユート、こっち」 
「え? お、おい」 
そしてそのまますたすたと歩いて行ってしまう。なんの躊躇いも無い後姿に、一瞬置いていかれた。 
「へへ~アセリアってぇ、匂いで判るんだって~」 
「匂いって……相変わらず器用なヤツだな」 
動物的な勘というやつだろうか。そういえば、今までも不思議な言動が多かったけど、間違ってた事は無いしな。 
などと苦笑しながら歩き出した所で、ちょこちょことネリーの後ろを歩くシアーと目が合った。 
「…………あ」 
しかしまだ少し警戒したような瞳で、すぐに下を向いてしまう。俺は『求め』を持ち直し、空いている手を差し出してみた。 
「さ、行こう、シアー」 
更に安心させるように、にっと笑ってみせる。すると俺の顔と手を交互に見比べていたシアーが 
「…………ん~」 
と、ようやくほっとしたような顔で右手を伸ばしてきた。そっと掴むと、少し湿っている。 
よほど緊張していたのだろう。まるで兎かなんかの小動物みたいだな、などと連想していると、 
「……ねぇ、ユートさまぁ?」 
「ん?」 
「キョドウフシンって、なぁに?」 
「………………」 
すっかり緩んだ表情のシアーに、うっかりここが戦場だという事を忘れそうになった。 
「ん、……来た」 
前を歩いていたアセリアがぴたりと止まり、『存在』を構え直す。途端、廊下の奥、暗闇から数人のスピリットが躍り出た。 
地上はもちろん壁からも空中からも、全方向からの強襲。ブラックスピリットとブルースピリットの群れ。 
暗闇の更に奥、ちかっと光ったオレンジ色の光に気づき、ネリーに指示を出す。 
「ネリー、頼む! ただしサイレントフィールドは無しだ、敵が多すぎる!」 
「おっまかせ~……紡がれる言葉、そしてマナの振動すら凍結させよ……アイスバニッシャーッ!」 
『静寂』の先から蒼い光球が弾けたのを確認し、俺は側にいたシアーの肩をぐい、と引き寄せた。 
「あ~! シアーったら、いいんだぁ~!」 
何故か地団駄を踏むような妙なダッシュで既に飛び出したアセリアを追うネリー。二人は空中の敵の迎撃に向かった。 
光輪が二つ、それに大きく羽ばたいたウイングハイロゥがニ翼、見通しの悪い天井の方で舞い、剣戟が響く。 
「いいか、俺がまず斬り込むから、シアーは後ろから付いてきて、合図があったらさっきのを試すんだ」 
地上の敵は皆ブラックスピリット。伏せるような低い姿勢から、所謂雁行で右手から襲い掛かってくる。 
上杉謙信の、車掛りの陣。そんな、歴史で習ったような単語が脳裏に浮かんだ。 
武田信玄がどう対応したかは残念ながら憶えていない。とりあえず、その先頭から潰していくしかなかった。 
「ん~……は~い」 
表面だけは、勇ましくきっ、と敵を見据えているシアーを確認し、どこか不安になりながらも俺は最初の敵に斬りかかった。 
ガ、ギ、キンッ! ガ、ガガガッ! 
複数の剣戟が廊下中で火花を散らす。空中の情勢も気になったが、俺はそれ以上に手が一杯で余裕が無かった。 
「ハッ!」 
短い気合と共に、上段に構えたブラックスピリットが膝を折り畳んだ姿勢から飛び込んで来る。 
全身ごとぶつかって来るのは体当たりで姿勢を崩そうというのだろう。向こうは多勢。倒れれば、命は無い。 
「く、こ、のっ!」 
左手に飛び退きながら、上体を逸らす。そのまま下から摺り上げてくるもう一人の剣に、『求め』を合わせた。 
「マナよ、我が求めに応じよ、オーラとなりて、守りの力となれ……レジストッ!」 
キンッ、という高い音と同時に、腕に伝わってくる鈍い痺れに耐えながら、オーラフォトンを展開する。 
発生させた魔法陣のマナの壁に、周囲の敵が一旦弾かれたように後退した。陣形が崩れる。そこが狙い目だった。 
「今だ、シアーッ!!…………うぉっ!」 
しかしそこで、どさっと急に背中に圧し掛かる重量感。頭が揺らされ、膝を付く。 
ぐわん、とぶれる視界。四つんばいになった拍子に床に叩き付けた『求め』ががしゃり、とイヤな音を立てた。 
一体何が起きたのか、一瞬判らなかった。 
アセリアが倒した敵が空中から落下してきたものだったのだが、くらくらした頭ではそんな判断が出来ない。 
自分の姿勢がどちらを向いているのかも漠然としている。ぐにゃり、と歪む世界。波のようにうねる床。 
ああ脳震盪だなこれ、とどこか冷めた一部分で冷静に悟る。身体が思う様に動かない。そしてそれを敵が見逃す筈もなかった。 
「…………てあぁぁぁぁぁっ!」 
ふいに、隣を通り過ぎる気配。ふわ、と浮いた白い羽根が目の前を舞う。小柄な身体が撓み、その背にまで翻る神剣。 
『孤独』が細く煌き、青白いマナを撒き散らしながら振り切られるのを遠くなりかけた意識の隅で見ていた。 
「おい悠人! しっかりしろ!」 
がつん、と突然目から火花が飛ぶような衝撃が後頭部を襲った。歳の割りにやけに渋い声。 
混濁しかけた頭が痛みで急速に覚醒する。俺は光陰に思いっきり殴られていた。 
「~~~こ、光陰?」 
「よ、目は覚めたか?」 
「話は後よ、さっさとシャキっとしなさい、悠!」 
「っ!そうだ、シアーは?!」 
がばっと起き上がり、周囲を見渡す。正面に、シアーの姿があった。遠巻きの敵の中、おろおろと『孤独』を構えている。 
足元に、敵が二体マナの霧に代わろうとしていた。…………二体。フレンジーの攻撃回数。イヤな予感が駆け上がる。 
その瞬間、敵が一斉に動き出した。 
「シアー、待ってろっ!」 
俺は一足先に駆け出した光陰と今日子に遅れないよう、必死に『求め』にマナを送りつつ駆け出していた。 
後続の光陰達が間に合ってくれたお陰で不利を悟ったのか、敵は蜘蛛の子を散らすような勢いで逃げ出していった。 
逃げ出した方向から膨大なマナと火球の明滅、悲鳴が聞こえる。 
エスペリア達かヒミカ達が突入したのに鉢合わせしたのだろう。戦いは、収束に向かっているようだった。 
後から聞いた話によると、どうやら俺達は自覚無しに敵の本営を直接衝いていたらしい。 
後日エスペリアにはその無謀さをくどく説教されたが、その場にアセリアが居ないのは納得がいかなかった。
それはそうと、敵が去った後、俺は夢中でその中心にいた少女へと駆け寄っていた。 
「シアー、おい、大丈夫か?!」 
例によってぺたりとあひる座りで座り込んだまま、ぴくりとも動かない背中。ゆらゆらと揺れている短い髪。 
このまま倒れてしまうんじゃないかと不安になった。意識が混濁していたのが、どれ位だったのかは判らない。 
しかしその間、確実にシアーは一人で敵の中心に居たのだ。何の支援も無く、たった一人で。ただ、俺に言われた通りに。 
叫ぶような呼び声に、小さな身体がぴく、と反応する。ゆっくりと振り向くシアーに、俺は心底ほっとしていた。 
「はぁぁ~……良かった……」 
膝を付き、改めてどこかまだぼーっとしている少女を見直す。『孤独』がまだ薄くマナを帯びていた。 
グレーの戦闘服は所々破れ、擦り傷があちこちに出来ている。見上げた顔も髪も泥だらけだった。それでもシアーは、 
「へへ~ユートさまぁ、やったよ~、見てくれてたぁ~?」 
にぱっ、とまるでネリーのように明るく微笑んでVサインをした。まるで、全てを信頼しきっているかのように。 
「~~~~ごめん」 
「ふぇ? ユ、ユートさまぁ?」 
突然頭を下げた俺に、案の定何も判っていない戸惑うような声。 
「ねぇ、どうして謝るのぉ?」 
ぽんぽん、と頭を撫でられる。俺は搾り出すように言っていた。 
「ああ……シアー、良くやったな……」 
それが、今最も彼女が言って欲しい一言だと信じて。褒めるどころか、慰められてしまった自分に言う資格などは無いのに。 
苦い顔をしていると、不思議そうに覗き込んでいたシアーが少しだけ抑えたような声で、囁くように告げていた。 
「うん、ユートさまを守らなきゃって思ったら、なんでか力、出たんだぁ~」 
「…………っ!」 
「わ、わ、……ど、ど~したのぉ~?」 
照れたように、はにかむシアー。俺は思わず抱き締めていた。わたわたと慌てるその小さな身体を。 
大量のマナを馴れない戦いで消費したせいか、その後すぐにシアーは寝てしまった。 
その身体を両手で抱え、戦場を後にする。光陰や今日子に散々冷やかされたが、全然構わなかった。 
『契約者よ、得意の保護欲か?』
どこかで一度聞いた事のあるような『求め』の台詞。 
それに対して答えた口調は自分でも驚く位穏かで、そしてはっきりしたものだった。 
「いや、これは……そんなんじゃ、無い」 
腕の中にすっぽりと収まり、既にすやすやと寝息を立てているシアーからどうしても目を離せずに。