彼氏と彼女の痔情

 聖ヨト暦332年 ルカモの月

 マロリガンを下したラキオスは、神聖サーギオス帝国との決戦に向け、着々と準備を進めていた。
 当初圧倒的だった国力差は、マロリガンを手中に収めることで総マナ量を上回った。
 陣営にも、『因果』のコウイン等、稲妻部隊が加わり、戦力面でもほぼ互角となった。
 今のラキオスに死角らしい死角は見当たらない。

 しかし、その一方で、決定力に欠いているのも事実であった。原因は技に秀でた訓練士の不在である。
 イオ、ロウィナールを初めとした、神剣魔法等のマナコントロールに長けた訓練士は居れど、
剣技に長けた訓練士が圧倒的に不足しているのだ。

 情報部からの報告書を眺め、嘆息を付いているレスティーナに、技術者クォーフォデは、
1人の女性訓練士の名前を告げた。
 なんでも彼女は、50年以上妙齢の姿を維持している、伝説的な剣聖なのだとか。
 眉唾ではあったが、藁にも縋る思いで、レスティーナは情報部にその所在を探し出すよう指示した。
 そして、ついにその場所を突き止めたのであった。

 ミライド遺跡。一見、只のほら穴にしか見えないそれは、ダスカトロン大砂漠の中心に存在した。
「ここね。」
 交渉人として派遣されたファーレーンは、独りつぶやくと、入り口へと向かった。
 中へ入ると、一切の明かりが無く、内部は完全な闇に包まれていた。
 ブラックスピリットのファーレーンには苦にもならないが、とても人が生活しているとは思えない。
「(これは、外れでしょうか…。)」
「いや、正解だ。」
 ため息を付いたファーレーンの喉元に、突然冷やりとした感触と、それ以上に冷たい声が囁いた。
 五感を研ぎ澄ませていたにも関わらず、背後からの接近を許した事などかつて一度も無い。
「ミュラー・セフィス様ですね?」
 屈辱と動揺を覆い隠し、ファーレーンは背後の人物に問いかけた。
「なるほど。私がここに居ると知っていながら、挨拶も無く入ってきたわけか。」
 背後の人物は、殺意を顕にし、嘲笑うように答える。
 常人であれば、それだけで殺すことも出来るであろう殺気に気が触れそうになる。
 しかし、国への忠誠心、自分を慕う妹、そして隊長への想いが、辛うじて彼女の意思を繋いだ。
「了承も得ず、内部に侵入したという無礼はお詫び致します。
 申し遅れましたが、私はラキオス所属のファーレーン・ブラックスピリット。
 本日は、女王陛下の命により参りました。」
 前もって用意していた言葉をなんとか言い切る。
 すると、喉元の怜悧な感触と、背後の殺気が消え去った。

「そうか、あのクォーフォデに腰を上げさせたラキオスか。」
 独り納得するように呟く背後の人物。吹き出た汗を拭い、恐る恐る振り返ると、
そこには穏やかな顔をした、妙齢の女性が立っていた。
 先程とは一変し、穏やかで温かみのある声であった。
「最近帝国からの追っ手がしつこくてな、いや、済まない事をした。」
「いえ、そんな、こちらこそ無作法をし、真に申し訳ありません!」
 スピリット相手に頭を下げる彼女に、ファーレーンは慌てて手と頭を振って謝罪をする。

 彼女は、そんなファーレーンをおかしそうに見つめると、崩れた壁を拾い上げた。
 すると、何も無いはずの壁がせり上がり、扉が姿を現した。
「ま、立ち話もなんだから、とりあえず中に入ってくれ。」
 呆気に取られているファーレーンを招き入れると、室内中央の円卓へと案内し、椅子を差し出した。
 明かりも何も無く、崩れ落ちた壁がそのままになっている外とは対照的に、
 室内は明るく、第一詰め所のような小奇麗な空間が整っていた。

「では、話を伺おうか。」
 お茶にも手をつけようとせず、すっかり面食らっているファーレーンに、ミュラーは話を促した。
 忘れかけていた使命を思い出し、は、はい、と慌てて本題を切り出そうとした其の時である。

「ぜん゛ぜ~~~~~~~~~!!!!ぜん゛ぜぇぇぇぇぇ~~~~~~~!!!」

 静寂に包まれていた空間に、突然、呻き声とも叫び声とも付かない悲鳴が響き渡る。
 一瞬驚き竦み上がったのも束の間、戦士としての本能が、ファーレーンを抜刀態勢に移行させた。
 しかし、ミュラーは特に慌てた様子も無く茶を啜り、鍔元に手を掛けるファーレーンを制止すると、
「済まない、少し待ってくれるか。」
 と言い残し、入り口とは異なる扉を開いた。
 ぱたん、と扉が閉まると、ファーレーン1人を残し、場は静寂に包まれた。

「(あの扉の向こうに、何かがある。)」
 直感でそれを覚っていたが、今回の任務はあくまでミュラーとの交渉である。
 下手な探りを入れ、交渉を不意にするような事は断じてあってはならない。
 しかし一方で、好奇心や野次馬根性等とは断じて違う、情報部としての使命感がそれを許そうとしない。
 とは言え、相手はミュラー。下手に近付こうものなら、あっさりと看過されるであろう。
 だから、彼女はその場で目を瞑ると、全神経を聴覚に集中させ、鋭敏になった感覚を神剣の力で増幅させた。
 雑踏の中でも、500M先で針を落とす音すら聞き分けるという『月光』の隠された能力。
 早い話が『盗聴』である。ちなみに、仲間にはこの能力の事を話していない。
 情報部所属が極秘裏な事も理由の一つだが、以前この能力について嬉々とニムに話した時、
「お姉ちゃん、キモイ…」
 という思考を、表情から読み取ってしまった事がトラウマになっているからだ。
 以心伝心が仇になる事は少なくない。
 そんな事を思い出しながら涙を滲ませていると、扉の向こうから声が聞こえてきた。

「ロティ、今は客人が来ている。熱心なのはいいが、もう少し静かにしてくれないか。」
「でも先生…、僕には、こんな、太いの、無理、です。どうか、せめて、他のに…。」

 どうやら、修行中の弟子の声だったようだ。弟子が居るとは聞いていなかったが、
伝説の剣聖なのだから1人ぐらい居てもおかしくはないだろう。でも、「太い」って一体…?
 ファーレーンは訝しりながらも、聞き耳を立てた。

「ったく、堪え性が無い奴だな。まぁいい、こっちのに変えてやるからしばらく静かにしててくれ。」
「本当に、すいません。あぁ、死ぬかと思ったぁ…、って先生!それさっきのよりも太あ゛あ゛あ゛
あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」 

 ずぷりという、何かを裂いたような音を最後に、再び静寂が場を支配した。

 1分後、ファーレーンが『月光』の力を止め、知覚を正常に戻すと、扉の開く音がした。
「話の腰を折って済まなかったな。では改めて話を聞かせてもらおうか。」
 ミュラーは、そう告げると再びファーレーンの向かい側の椅子に座った。
「はい、でも、其の前に、一つだけ質問してもよろしいでしょうか?」
「別に構わないが?」
 何だろうと頷くミュラーに、ファーレーンはおずおずと質問を繰り出した。

「…さっきの人、大丈夫、ですよね?」

 考え込むように数秒の間を空けた後、剣聖ミュラー・セフィスは穏やかな笑顔でこう答えた。

「あぁ、全く問題ない!」

 そうですか、とファーレーンも同じように笑顔で答えると、本題を切り出した。

 レスティーナの理想の事、帝国との対決が間近に控えている事、訓練士が不足している事、
そしてミュラーにも協力してほしい事。

 ミュラーは一つ一つの言葉に真剣に耳を傾けて聞き、話が終わると、考える間もなく快諾してくれた。
 荷物を用意する外で待つよう指示を残し、奥の部屋に行こうとするミュラーにファーレーンは再び声を掛けた。
「あの、もう一つだけよろしいでしょうか?」
「あぁ、構わない。」
 ファーレーンは、頬を上気させながらこう聞いた。

「ユート様、いえ、私達の隊長も、ミュラー様の訓練受けるんですよね?」

 すると、ミュラーは不敵な笑みを浮かべ、

「無論だ。」

 と言い残し、奥の部屋へと向かっていった。

 遺跡の外で待っていると、軽そうな旅行カバンと大太刀を担いだけのミュラーが現れた。
 もし必要な荷物があるのであれば私が持つとファーレーンは言った。
 しかしミュラーは、
「戦場に大事な物は持っていけないよ。」
 と笑いながらその申し出を断った。

「(そう、私がミュラー様を連れていく場所は、生と死が恒常的に隣り合わせの戦場なんだ。)」
 ファーレーンは自らの考えの至らなさを悔やんだ。しかし悔やんだところで、何も生み出さない。
 だから、彼女は唯一言
「行きましょう!」
 と、自分に言い聞かせるように大声で叫んだ。ミュラーも黙って頷いた。
 砂漠には似つかわしくない小鳥の囀りと、遺跡の奥から響く、何かを懇願するような叫び声を背に、 二人はその場を後にした。


 サーギオスとの決戦は近い。