年の終わりも差し迫った聖ヨト歴331年スリハの月黒いつつの日。
マロリガン共和国との戦争を終えひとまずの平和を勝ち取ったここラキオスでは、恒例の大掃除が行われようとしていた。
戦争中はそれどころではなく、詰所内の普段手の回らなかった所をこの機会に徹底清掃しようというのである。
提案者でもあり、妙に気合が入っているエスペリアが人数の分配・配置を取り仕切り、
スピリット隊が一丸となったこの作業には、何故かマロリガンから入植したばかりの光陰や今日子、
それに何の因果か元稲妻部隊の面々まで刈り出されていた。
『はは、まるで罰当番みたいだな』などと光陰は笑っていたが、確かにそれに近い物はある。
自分が使った事の無い所を半ば強制的に掃除しなくてはならないという事態に理不尽さを感じるのは至極当然であろう。
そしてそんな不愉快さを殆ど全身で現している者がここ第一詰所にも約一名。
「……失礼します」
漏れる溜息を隠しもせず、セリアは箒を片手に彼女の隊長、エトランジェ・ユートの部屋の扉をノックしていた。
「居ないのかしら…………失礼します」
何度か確かめてみたが、中から返事が聞こえてくる気配が無い。
セリアは一瞬躊躇した後、もう一度確かめるように告げてからそっと扉を開いた。
部屋は第二詰所と同じ間取りなので、珍しい所はどこにも無い。
左手に窓、入り口に少し近い壁に沿って机と椅子のセットが一つ置かれている。
ただ自分の部屋に比べ、どこか殺風景な気がするとセリアは思った。
着の身着のままこの世界に来たらしいので、私物という物が何も無いのだろう。
掃除と言われても、これでは何に手を付ければ良いのか判らない。試しに窓枠に近寄り、その“さん”を指で掬ってみると。
「やっぱり。汚れてなんてないじゃない」
エスペリアが付きっきりで身の回りを世話しているのだ。
あの世話好きが、こんな単純な造りの部屋の掃除について手抜きをしているとも思えない。
だからこそ、この部屋に割り当てられたのが自分だというのが納得いかなかった。
掃除の必要があるのかというのもある。が、逆に言えばこの位がセリアには丁度良い、そう思われているのではないか。
大体自分が使いもしない第一詰所の、しかも男性の部屋を掃除しなければならないというのが我慢ならない。
「あら?」
確かに普段自分はろくに家事の一つもしていないけれど、それでもこんな僻地に追いやられるほど苦手ではない、
とそこまで考え少し頬を膨らませながら箒を壁に立てかけた所で、セリアはふと窓と反対側にあるベッドに目をやった。
綺麗に整頓された部屋の中で(最も殆ど何も無いのだが)ただ一箇所だけ、シーツが乱れきっている。
どうやら起きてすぐ出かけたのだろう。だらしが無い、そう考えかけ、そこでふいに自分の使命を思い出した。
「……仕方ないわね。男の人ってみんなこうなのかしら」
ぶつぶつと不貞腐れながら、セリアはシーツを手に取っていた。なんだかんだ言って役目がある事にはほっとしながら。
「んしょ……んしょ……あら?」
枕や掛け布団を取り除き、乱れたシーツを一度ベッドから剥がす。
改めて敷き直そうとして、僅かな汚れに気が付いた。泥のようなものがこびりついている。
「まったくあきれるわね、子供じゃないんだから。……まぁ私には関係無いけど」
どうせ外から帰って来てそのまま寝入ってしまったんだろう、無頓着な彼らしい。
そう呟きつつシーツを伸ばしかけるが、どうも気になって仕様が無かった。何となく見てしまう。
元々細かい所に潔癖気味な性格である。セリアは暫くその汚れを凝視し、
「……もう! 判ったわよ、やればいいんでしょ、やれば!」
根負けするように、シーツをぐるぐると全力で丸め始めた。
数刻後。
「はぁ、はぁ……い、意外と重労働だったわね……」
洗ったばかりの真っ白なシーツを見て、セリアは額に浮かぶ汗を拭っていた。
ついでにとばかりに枕や掛け布団まで洗濯場に運び→手洗い→干して→また持って来て→敷き直すという一連の作業。
我ながら余計な事と思いつつ、結局はそのコンボを達成してしまっていた。
運ぶ途中絡みついていた後ろ髪を軽く撫でて掬い上げる。手から洗剤の良い匂いがして人心地ついた。
「……さて、もう一仕事ね」
セリアは腕の裾を捲くり、むん、と気合を入れなおした。やるなら徹底的に、それが彼女の信条だった。
「……ふぅっ!」
枕を据え、掛け布団を敷き直す。ぱふっと軽い音と共に日向の匂いがして、セリアのベッドメイクは完了した。
完成した作品を、満足げに眺め直す。嫌々だった筈なのに、気づけば心地良い疲労感がセリアを満たしていた。
そうしてベッドを上から見ていた視線が床付近まで辿り着いたところで。
「ん?…………ああっ!! 」
しまった、とセリアは今更のように気が付いた。ベッドの下を掃除していなかった、という事を。
何という事だろう。戦場では常に冷静沈着、いつも正しい判断で味方を勝利に導いてきた彼女にとっては、ありえないミス。
セリアは口に手を当て、呆然としたまま立ち尽くした。すぐにはっと気を取り直し、慌てながら膝を付く。
どれ位の埃が溜まっているのだろう、エスペリアの事だからもしかしたらここもちゃんと掃除してくれていているかも、
先程までの面倒臭そうな態度はどこへやら、そんな期待と不安が半々入り混じった心境だった。
「……良かった」
そうして覗き込んだベッドの下は、やはりというか埃一つなく、フローリングの床がピカピカと輝いている。
そっと溜息を付き、流石はエスペリア、と半ば呆れながらもう一度見直してみた。すると今度は部屋の隅に何かが見つかる。
「これ……本? ん~っと…………」
よせばいいのに、セリアは思いっきり手を伸ばし、本の表紙に触れた。
―――――――――――
一方その頃第一詰所台所では、ヒミカとエスペリアが雑談しつつ鍋を磨いていた。
「いつもは中々ここまで手が回りませんから、こういう機会は有り難いです」
「今年の汚れ、今年の内にっと……でも珍しいわね、エスペリアがユート様の部屋の掃除をセリアに譲るなんて」
鼻歌を歌いながらの、何気ない一言。普段の様子からは当然の質問だったが、しかしエスペリアの手はピタリ、と止まった。
「…………エスペリア?」
「いいんです……どうせ……どうせわたくしなんて…………」
「ど、どうしたの急に。ほら泣かないでよ、まいったなぁ、何だっていうのよ…………」
―――――――――――
更に一方その頃悠人は分担の仕事を終え、自分の部屋の前に立っていた。ノブに手を当てると、中から人の気配がする。
そういえば誰かが掃除してくれてるんだっけ、そう思いながら悠人は扉を開いた。
「よ、ごくろうさん。って、ここの担当はセリアだったのか」
部屋の中央に、良く知った少女がいる。既に掃除は終えたのだろう、立ったまま夢中で本を読んでいた。
「ありがとうな……ってその本ぅぁっっっ!!!」
礼を述べようと声をかけかけた悠人は、そのまま仰け反ってしまった。
マロリガンから、光陰が持ち込んだモノ。無理矢理見せられた中、何故か興味を引いてしまったタイトル。
『 右手にヘブンズ左手にスウォード ~禁断のツンデレ、魅惑のエクゥ縛り年末大放出~ 』
セリアにそっくりな娘が恥じらいながらのアレやコレやが気に入って、絶対見つからない所にこっそり隠しておいたのに。
よりにもよって何故セリアがその本を? 悠人の思考は一気に真っ白になった。さーっと血の気が引いていく。
寒いのは決して部屋に充満し始めた異常な冷気のせいだけではなかった。
「……ば」
「ば?」
ぼんやりとした気まずい雰囲気の中、低い声が悠人を現実へと引き戻す。
良く見ると、セリアの肩はぷるぷると震えていた。ゆっくりと上げた顔が見事なまでに真っ赤に染まっている。
その蒼い両目に大粒の涙が光っているのを確認した瞬間、つんざくような悲鳴と共に衝撃が悠人を襲っていた。
「ばかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっ!!!!!!!!!」
「ふごくぁwsえdrftgyふじこlp;&%#!!!!!!!!!」
―――――――――――
ところで一方その頃第一詰所台所では、ヒミカの懸命な宥めにより、ようやくエスペリアは泣き止んでいた。
「全く、びっくりしたわよいきなり泣き出すんだもの」
「う゛う゛~~、ごべむなざいぃ~~」
「ほら鼻かんで…………ねぇ、私そんなに酷い事言った? だったら謝るよ、ごめんなさい」
「ちぃ~ん……ご、ごめんなさい、別にヒミカが悪い訳じゃないんです、ただわたくしが至らなかっただけで」
「? それじゃ判らないよ、掃除と何の関係が…………」
ごおぉぉぉぉぉぉぉん…………
「…………何? 今の音」
「…………さぁ? 除夜の鐘かも知れませんね。ハイペリアにはそのような習慣があると訊いた事があります」
「はぁ……そうなの?」
「ええ。もしかしたらユート様かも。さ、そんな事よりヒミカ、残りを片付けてしまいましょう」
「え、ええ……エスペリア?」
「なぁに、ヒミカ」
「…………ううん、何でもない。今年も終わりだね」
「ええ、来年は良い事があるかしら…………」
急に元気になり、不気味な笑みを浮かべながら取り憑かれたように鍋を磨くエスペリアを、
ヒミカは出来るだけ正視しないように自分の作業を続けた。
来年と言わず、とりあえず明日にはこのエスペリアの情緒不安定が直っていますようにと祈りながら。