ハリえもんショック

「ふぁぁ~……」
まだ空が薄暗い紫色に染まっている頃。
ハリオンの日常は、まだ周囲の寝静まった早朝から始まる。
「……朝、ですねぇ~」
寝惚け眼をぽやぽやとしょぼつかせつつ起き上がり、胸を逸らしてうーんと大きく伸びを

ぷちぷちぷちっ!

「……あらぁ~?」
拍子に、何か耐え切れずに弾け飛ぶような音。
いつもの事だが、すぐ忘れてしまう。直すのだって結構手間なのに。
「また、やってしまいましたぁ~」
寝巻きの前を大きくはだけたまま、ちらばったボタンと
たゆんたゆん揺れている豊満な胸を困ったように見下ろすハリオンだった。

ことことことこと…………
充分に煮込んだ大鍋から美味しそうな湯気が立ちこめる。
おたまで掬い、軽く味見。いつもと変わらない味が口に広がり、
「これは絶品ですぅ~」
自分で作ったものなのに、ハリオンは幸せそうな笑みを浮かべる。
「……あ、でもぅ、もう少しお塩さんを加えてみるのもいいですねぇ~」
それでも更なる追究を怠らない。拘りが、ハリオンのハリオンたる所以だった。

≪いただきまーす!!≫
今日も明るい声が第二詰所に響き渡る。
「はい、いただきましょう~」
「今日も美味しいです、ハリオンさんっ!」
「うふふ、ありがとうございますぅ~」
「うん、栄養も豊富そうだし、訓練前に丁度良い軽さだし、相変わらずね」
「え~そんなに褒めても何も出ませんよぉ~」
いつもの賛辞に、身をくねらせながら喜ぶ。揺れる胸に腕が当たりフォークが持ちづらいが、
もちろんそんな事は気にも留めない。皆の嬉しそうな顔がハリオンにとっての朝食。
お腹一杯詰め込んで、もといお胸一杯詰め込んで、今日一日を乗り切る原動力とするのだ。
ひょい。もこっ。
「……あらぁ~? ええとぉ、んしょ、ん~?」
「どうしたの? ハリオン」
「ん~、ネネの実さんが、潜り込んでしまいましたぁ~。くすぐったいですぅ~」
「…………」
一転して訪れる沈黙と冷ややかな空気。其々深刻な顔をして俯いてしまった一同をよそに、
ハリオンはくすぐったそうに激しく振動を繰り返す胸の谷間をごそごそと漁り続けていた。

相棒である『大樹』がひゅん、と空気を切り裂く。
普段からは想像もつかない速さだが、その重さも半端ではない。
たまたま触れた一本の枝が、蒸発するようにそこだけ削り取られて消え去る。
「凄いな。今度からハリオンも攻撃に参加してもらうか」
「あらあら、ユート様見てらしたんですかぁ~? 恥ずかしいですぅ~」
「恥ずかしいことなんてないよ。それより俺にも訓練をつけてくれないか?」
「え? ええっとぉ~……」
いきなり声をかけられた上、思わぬ提案に一瞬戸惑うが、ふと妙案が思い浮かぶ。
少し小首を傾げた細い瞳が悪戯っぽい色を帯びるが、当然キングオブヘタレ様は気がつかない。
「ん~そうですねぇ。ユート様、ちょっと『求め』さんを構えて下さりますかぁ~」
「ああ、こうか? え、お、おい」
「じっとしていて下さいぃ~。ここを、もう少し……」
「おおおっ! じゃなくて、胸が、胸がっ!」
「ん~? 胸が、どうかしましたか~?」
こうして弟のようなエトランジェをからかうのもいつも通りの光景だった。

自他共にみんなのお母さんと認める彼女の存在は、戦闘以外で負う所も大きい。
訓練後は、皆の身の回りのなんやかやを洗濯するという使命が待っている。
「ごしごしごしっと……ふふ、皆さんお綺麗ですよぉ~」
誰かの戦闘服へと語りかけながら、鼻歌交じりで洗剤を擦り付ける。
真っ白な泡が二の腕やうなじや頬っぺたへと飛び散って、何やら背徳の香り漂う洗濯場。
無意識に汗を拭った額や鼻の頭にまで付いているが、当の本人はシャボン玉に夢中になっている。
「抑えて~も、抑え切れな~い、揺れるこの谷~間~わぁ~……あららぁ?」
ふと、声がぴたりと止まる。手にしているのは某ブルースピリットの下着。
急に真剣な表情を浮かべ、暫く何かを考え込んだ後、
「――――さて、これでお終いですぅ。皆さんひなたぼっこのお時間ですよ~」
一瞬にして普段のぽやぽやとした表情に戻り、物干し場へと向かうハリオンだった。

気分の良い日差しの中、はためく洗濯物に囲まれ、額の汗を拭う。
これからは、夕飯の仕込みまでの自由時間。ハリオンにとっては買出しを兼ねた趣味の時間。
「うふふ~、楽しみですう~」
今日は城下の街にあるお菓子屋『みどり亭』で新作発表のある日。一体どんなお菓子が出るのだろう。
うきうきと街に向かう足取りが弾む。ついでに胸も弾んで急ぐのに邪魔だが、やっぱり気にしない。
着いた店先には、行列が出来ていた。お構いなしに割り込む。
「あらあら~、ごめんなさいぃ~」
誰もが胸を張って堂々と歩くハリオンに触れると顔を赤くして道を譲る。
特に常連の男性陣にはもう見知っている者も多く、ハリオンの笑顔にだらしなく鼻の下を伸ばす者や、
連れの女性に袖を引っ張られて名残惜しそうに離れる者とそれぞれのドラマ。
「これとこれ、ええとぉ、これもくださいねぇ」
「へい、いつもありがとな嬢ちゃん。ほら、こいつはオマケだ」
「はい~、ありがとうございますぅ~」
異端視されている筈のスピリットに有り得べからざるなごやかな光景。
紙袋を抱えて去っていく彼女の後姿を、見送る視線は何故かいつも温かかった。

「どう、ハリオン」
「ん~もう少し焼いた方が香ばしいかもしれませんね~」
届いたばかりのお菓子を囲み、相棒のヒミカと恒例の研究会。
この時ばかりはハリオンの表情がきゅっと引き締まる。ある意味戦闘よりも真剣勝負なのだ。
「そうね、今度は生地に何か練り込んでみましょうか」
「ええと、この時期だと何がいいでしょう~」
手を休めずに、あれこれと議論をする。時たまつまみ食いをしてヒミカに見つかり、怒られる。
きゃいきゃいと騒ぎ、結局お茶会に流れ込むのは普通の女の子と何も変わらない。

≪いただきまーす!!≫
朝と同じように繰り広げられる斉唱。その様子を眺めながら微笑むのがささやかな幸せ。
「……あら?」
ふと、向かいに座っていたセリアが不思議そうにスプーンを止める。
何か不味い所でもあったのだろうか。ハリオンは不安になって訊ねた。
「どうかしましたかぁ、セリアさん~」
「あ、ううん。なんか私のだけ別メニューなのかな、って」
「ああそっちですかぁ~、ええ、それはセリアさんだけの特別メニューなんですぅ~」
「そっち……? まぁいいわ、美味しいし。で、どんな効果があるの?」
「ふふふ、知りたいですかぁ? それはぁ、セリアさんの戦闘力を高める薬草を使った新作なんですよぉ~」
「へぇ……嬉しいわ。最近どうもスピードが乗らない時があったから。ありがとう、ハリオン」
「あー! いいないいなセリアだけー!」
「はいはい~、ネリーさんにもそのうち作ってあげますね~」
不満そうに頬を膨らませる年少組をやんわりと宥め、その場を収める。
そのうち、というのがいつなのかはっきりしないが、誰もそれに対して文句を言わない。
食後のお茶を用意しようと立ち上がったハリオンの重力に逆らった胸の動きとボリュームたっぷりのお尻。
そこに詰まった包容力に、毎回自分のスタイルについて考えさせられる一同だった。

湯船に浮かぶ丸い球体二つ。白く弾力のあるそれはぷかぷかと重さから開放されて気持ち良さそうに漂っている。
「あ~、気持ちがいいですねぇ~」
一日の疲れを癒す、入浴タイム。たっぷり張ったお湯が物凄い勢いで流れ出て、
ざざざ……と余韻を引いた静けさの中、様子を見ていたニムントールが羨ましそうに声を漏らす。
「はぁ……いいなぁ」
「まあ、ハリオンは特別ですから」
苦笑しながら慰めるのは覆面をつけたままのファーレーン。
彼女もスタイルは悪くないのだが、ハリオン相手だと部分部分で分が悪い。
「ふふふ~、ニムントールさんはこれからですから~……よいしょ、っと」
ざばあ。身体を洗うつもりで立ち上がったハリオンの透き通る背中に細かい水滴がきらきらと光る。
つつーと浮き上がった背骨を通り真っ白なお尻に流れ落ちるそれを見て、二人は一斉に溜息をついていた。

そして早めの就寝。朝が早いハリオンは、まだ宵の口でもぐっすりと寝息を立てている。
「んん~ユートさまぁ~……ふふ、可愛いですぅ~」
呼吸のたびに波打つシーツ。解かれて散らばっている長い髪は湯上りの良い匂いをまだ漂わせ、
枕に埋めた半開きの口元からは時折零れる吐息。一体どんな夢を見ているのだろう、幸せそうな寝顔。
立てかけた『大樹』が淡く輝いている。窓を通して月明かりが注ぐ。
見守るのは、穏かな日常と机の上に置かれた一本の壜。
緑色の薬草が詰まったそのラベルには、ヨト語でこう書いてある。

 『ハリオン特製胸ダイエット薬:大変危険なので自分では絶対試さないで下さいね~♪』

――――こうして成長期のライバル達を次々と蹴落としていくのだろう。
確かに嘘は言っていない。戦闘において大きすぎる胸は邪魔以外の何物でもないのはよく知っている。
だが、私だけは騙されない。その微笑に隠された、おそるべき陰謀に。
「次の標的はエスペリアのようですが……難しいでしょう、彼女は自分で料理をしますから」
一人呟き、また明日も必要になるだろう裁縫道具を胸に仕舞い込みながら、私は天井裏を後にした。


おまけ。

「あら? 今日はナナルゥも特別メニューなの?」
「ええ~最近ナナルゥさんも『消沈』のキレが悪いようですからぁ~」
「……………………」

どっとはらい。