罪と罰

「ユート様」

ある晴れた昼下がり、詰め所の居間で、ハリオンお手製のお茶を片手にまったりと過ごしていると、
ふと、同じようにテーブルの向かいでボーッとしていたナナルゥが、めずらしく自分から話し掛けてきた。

色々あった戦闘の日々も去り、スピリット達の立場もレスティーナの尽力により少しづつではあるが、
改善されてきている。
うちの連中はまだマシなほうだったが、一般的に人間にも自身ですらも戦いの道具としてしか、
価値を認められず、また戦いのやり方以外、何も知らなかったような他のスピリット達も、
徐々に人間らしい趣味や娯楽を見出してきている。

うちの連中の中でも特に感情が希薄だったナナルゥも最近ではとみに感情豊かになったものだ。
表情自体は若干まだ硬いが、その分純粋で混じり気の無い気持ちが伝わってくる。
好奇心も年少組に負けないくらい旺盛で、何か知りたいこと、分からないことがあると、
俺に限らず、光陰や今日子、セリアやエスペリアなどと積極的にコミュニケーションを図ろうとする。
それはとても良い傾向だと思う。だが……。

「”萌え”とは一体どういう意味を持つのでしょうか?」

誰だ。いらん事を吹き込んだ奴は。(いや、十中十生臭坊主だろうが。後でシメる)

結局教えることになった。
あの期待に満ちた瞳(一見無表情だが、分かる奴には分かるのだ)で見られたら、
突っぱねるのは極めて困難だ。

『萌え』

ハイペリアにおいてもごく最近出来た言葉……というか、概念だと思う。
本来は植物の芽が出るとかいう意味だったが、何をどう間違ったのか今では立派なヲタ用語。
俺は、ある意味萌えの貯蔵庫と言っても良い第二詰め所でずっと暮らしてきていた。
無論、萌えという概念など感覚として実感できている。
だが、あえて他人に説明するとなると意外なほど難しい。
何しろ概念だからな。『生きる事』や『運命』等について論じるのとも大差無いと思う。
上位永遠神剣の銘に『萌え』という名があってもおかしくない勢いだ。

うむ。
やはり言葉でこの概念を分からせるのはナンセンスだな。
感覚として実感させるのが一番良い。プロシュートの兄貴もそう言っている。(言ってません)

――さて。誰に白羽の矢を立てるべき、か。
この場にいないのは、外交でレスティーナの護衛についていったエスペリアと今日子、
買い物に出かけたネリシアにオルファ、付き添いとして嬉々としてついていった光陰、
目付けとして(誰に対してかは言うまでもなかろう)セリアといってところである。

「ふ……む」

ぐるりと部屋を見回し、黙考する。と、目に止まったのはちっこい黒妖精。

「よしヘリオン、君に決めた!」

「え?」

いきなり指名を受けて目を白黒させるヘリオン。それには構わず手招きすると、
小動物じみた動きで駆け寄ってくる。
……うん、萌えだ。
彼女たちとて解っている筈なのだ。
ただ、こんな萌え空間で暮らし続け――――もとい、環境に慣れすぎて、
或いは戦争により感情が磨耗して、ピントが合っていないだけ。
ならば、事は簡単だ。至極解り易い形にして目の前で表現してやればいい。即ち――

「ああ、ヘリオン。それじゃあ向こう向いてくれ」

言われたとおり素直に俺の前で回れ右するヘリオン。
その小さな頭に、俺は懐から取り出したネコ耳の形をしたカチューシャをジョイントさせた。

「あ、あの、ユート様?」
「あーヘリオン、そのまま小首を傾げて適当な小動物の鳴き声でもあげてくれたまえ」

釈然としないながらも、ヘリオンが俺の指示に従った瞬間。
刻は、確かに止まった――。
発端のナナルゥに始まり、ヒミカも、ハリオンも、ウルカも、ファーレーンも、アセリアやニムまでもが、
恐らくは初めて自覚したであろう、言いようの無い衝動に為す術もなく氷結していた。

――ネコ耳。

数ある萌具の中でも最もポピュラーかつ高い威力を誇る物の一つである。
本来はこの萌具の真価は、ヘリオンでは引き出す事は出来ない。
従順かつ人懐こい彼女に合うのはネコ耳ではなくイヌ耳である。
ネコ耳の真価を存分に引き出せる人材は、この面子の中では、ツンデレ属性を持つニムントールに、
気まぐれで天然な性格を持つアセリアだろう。

それでもあえて俺がヘリオンを選んだ理由。
それはネコ耳とイヌ耳の違いなどこの異世界の住人には分からないだろうという事。
そして、初心者には、複雑な性格をしているニムやアセリアよりも、
ヘリオンの方がわかり易いだろうと判断したからである。

俺はテーブルに組んだ両手の肘をつけ、渋く決めた。

「これ以上あれこれ語る必要も無かろう。即ちコレが萌えである」

俺はとんでもない事をしてしまった……。

その後、何処からどう話が流れ伝わったのか、ネコ耳オルファに一発KOされたどこぞのヨフアル女王や
、一部のスピリットの手により、首都ラオキスで獣の耳を模したカチューシャ型アクセサリーが
大陸中で大流行した。文字通りネコも杓子も獣耳である。
若い女の子ならともかく、恐怖な事にオバハンや老女、何をどう勘違いしやがったのか、
男性までも、果ては脂ぎったオヤジまでがつけ始めたのだ……!

――ああ。俺はとんでもない事をしてしまった。

――思うに、我が故郷でも、江戸時代のチョンマゲや、中世ヨーロッパの三段カールなども、
何処かの異界からの介入者が面白半分に流行らせたのではないかと思う。
だって普通に考えてあんな面白可笑し過ぎる髪型はありえないだろう。
俺だったら影でせせら笑うね。むしろ写真撮ってネットでバラ撒くね。踊る阿呆に見る阿呆。
まさしく裸の王様さトニー。HAHAHAHAHAHAHA…………。

…………そんな事はどうでもいい、どうでもいいのだ。

今考えるべきことは

「ここにいたわよ!故郷の恥晒しが!!」
「ひぃっ!や、やべぇ!!」

佳織、今日子、時深の阿修羅同盟(身内の恥抹殺し隊会)の制裁をどう回避するか。
それだけである。

「大人しく然るべき裁きを受けなさい――!」
「お兄ちゃんのバカーーーー!!」

ニゲロニゲロ ニゲロニゲロ ドアヲアケロー