恋愛持論

ある日訓練を終え、この後はどう過ごすか、あのハリガネ頭に合う洗髪料を調合でもするか、
それともエスペリアの恥ずかしい日常をハイドウォッチングでもするかと悩んでいたナナルゥは、
人気の少ない第二詰所の裏まで来たところでふと足を止めた。
前方に人影を二つ捕捉。一人は良く知る顔。
「あれは、ヒミカですね。…………何をしているのでしょう」
好奇心、猫を殺す。なんですかソレな彼女は、早速行動に移った。
素早く近くの木の陰に隠れる。そして二人の気配を探りつつ、次の木の陰へ。
そしてまた次と、足音を立てないよう摺り足で徐々に接近する。――――早い話が盗み聞き。
風の流れや雑音を効率良く排除しつつ、会話だけをピックアップする。
その為に全能力を傾ける事。それが彼女の、甚だ迷惑な「戦い以外の生きる道」だった。いい加減止めなさい。

「ごめんなさい。これは、受け取れないわ」
「どうして? 俺はいつも、ヒミカを見ていた。今すぐ返事をくれとは言わない。けど、せめて読むだけ読んでくれよ!」
隠れるまでも無かった。風に乗って、鋭い叫びが聞こえてくる。
冷静に淡々と話すヒミカに対し、何か理不尽だと言わんばかりの男の憤慨。
丸聞こえである。これではスキルを発動した意味が無い。ナナルゥは、ちょっぴりがっかりした。

「――――をや? あの男性は、もしかして」
しかしそこで、興味有る事実を発見した。彼は確か、ヒミカが転送されてきた頃から付きっきりの訓練士。
名は、なんと言っただろう。ええと…………ああ、キ○ド・キレ。(一部本人の名誉の為伏字)
普段は「人」にしては珍しく、スピリットに対してもちゃんと快活に接する青年だ。
少しおどけた所もあるが、真面目な部分ではちゃんと真剣で、詰所でも評判がいい。
エスペリア曰く、どこかしら面影がラスク様に似ているとの事。
そんな事言われてもラスク様を知らないのでどう反応したらいいのか困るが、客観的にも好青年といえるだろう。
しかし、それにしても。

「なるほど。そういう事でしたか」
用も無いのに訓練を見学したり、偶然のように帰りがけに声をかけられているヒミカの姿はよく見かけてはいた。
赤の育成が苦手なくせに、いつもヒミカに拘っていたのはこういう訳か。妙に納得し、そして複雑な気分になる。
「そういう事じゃないの。私はスピリットだし、貴方は人。この意味は、判りますよね」
「そんな、人とかスピリットとか、関係ない! ……それともまさか、他に好きな奴でもいるのか?」
「………………」
何だか聞いた事のあるような台詞。アンニュイに浸っていたナナルゥは、顔を上げた。これがシュラバというものか。
予想通り、困ったようなヒミカの頬が薄っすらと染まってきている。間違いなく、“ツボ”だったのだろう。
自分だって不覚にも、どきどきしてしまっている。
ある意味反則的なその台詞をこの場で恥ずかしげもなく口に出来るとは、恐るべしキー○・キレ。

「…………判ったわ。でも、読むだけよ。余り期待とか、その、しないで……」
何だか手に汗握り締めつつ見守っていると、やがてためらいがちに差し出されるヒミカの細い腕。
途端、飛び跳ねるようにして喜ぶ○ード・キレ。そして何故か木陰のナナルゥも。
「やったぁ!――ありがとう! 本当に、嬉しいよ!」
「―――やったぁ」
だんだんと語尾が掠れてしまいには俯いてしまうヒミカを他所に、勝手にユニゾンするナナルゥとキード・○レだった。

その夜。何気無い風を装って、ナナルゥはヒミカの部屋の天井裏を訊ねた。
いや、別に何気無さを装う必要はないのだが、ただなんとなく。
「――――ん、ちゃんと机に向かってますね」
一部始終を見てしまったせいか、手紙の内容がとても気になる。そこにプライバシーの侵害という概念は無い。
なにせここはファンタズマゴリア。個人情報保護法など、この世界にはまだ縁の無いお話。

「ええと……私こと、キード・キ○はいつも貴方を見て着ました……はぁ~どうしよう、まいったなぁ」
早速ヒミカは机に突っ伏し、悩んでいた。
気のせいか、甘い吐息のような悩ましげな溜息など、普段からは想像も出来ない。
生真面目で何にでも本気で立ち向かう真摯な彼女にとって、たった一枚の小さな手紙がかつて無い強敵なのだろう。
「いつも頑張っている貴方を恒に支えたい……ああ、なんてことなの……」
男勝りな彼女が人前では絶対に見せないか弱い背中。潤んだ瞳が虚ろに彷徨う。
幼い子供がいやいやをするように首を振る、甘えた表情。

 ――――ぐびり。

「こ、これは……」
女っぽい仕草に、ナナルゥの喉は思わず鳴ってしまった。
気づかれなかったかと一瞬身を硬くする。しかし、手紙に夢中なヒミカは気がつかない。
何か、思いついたように顎に手を当てたかと思うと、熱心に筆を走らせている。
次は、一体どういう反応をするのか。いや、一体どんな返事を書くのか。
訳の判らない期待や好奇心にぞくぞくしてくる背中。
「ククク……もはや犯罪的ですねぇ……」
勝手に汗ばむ全身や乱れ始める呼吸に、ソーマもびっくりの声が漏れる。
悪魔に魂を売りかけ、ふらふらと身を乗り出したその瞬間。

「あーもうっ! ここもっ! 全く、誤字脱字が多すぎて読めたもんじゃないわ!」

どんがらがっしゃん。ナナルゥは盛大に、天井裏から落ちた。こう、床に頭から突っ込む勢いで。

「あら? ナナルゥ?」
「……よく、足だけでわかりますね」
床から生えた二本の太腿と化したナナルゥに、ごく冷静な口調でヒミカが振り向く。
その手に持っているのは巨大な朱筆。書道の先生が持ってたアレ。
「痛たたた……ああ、コブが出来てしまいました」
「大丈夫? 早くハリオンにでも看て貰った方がいいわよ。あと、覗きも程ほどにね」
「………………覗きではなくハイドウォッチングです」
ナナルゥは少し変な角度に曲がってしまった首を元に戻しながら訊ね返していた。

「――――そんな事よりヒミカ、一体何をしているのですか?」
「ああ、これ? う~んどうやらラブレターのようなんだけど、ほら私、誤字とか見つけると気になって気になって」
「………………」
「で、添削してみたんだけど……どうかな?」
「………………」
ばーんと擬音交じりで差し出されたそれは文面中が真っ赤に塗られ、
止せばいいのに「0点」なんて大きく朱書きまでされている。もう元の文章など読めるものではない。
なのにヒミカはすっかり上機嫌で、鼻歌でも聞こえてきそうな程のご満悦っぷり。
どこから突っ込めばいいのか。ナナルゥは、ようやく声を絞り出した。
「ヒミカ…………問題はそこなのですか」
「え? 他に何か、問題があるの?」

「………………」
まるで親によく出来た成績簿を見せてくる子供のように無邪気ににこにこと首を傾げるヒミカに、
ナナルゥはがっくりと膝をついた。これを返された後の青年の心を思うと、いくら感情の乏しい自分ですら何だか痛い。
人とかスピリットとか、確かにそんなものは関係ない。
この鈍さは、最早この世界の常識なのだろうかとちょっぴり眩暈を感じたナナルゥだった。