お飯事の法則

「さて。今日の晩飯はなんだろうな」

訓練後の第一詰所。
応接間への廊下を歩きながら、悠人は鼻歌交じりにそんな事を考えていた。

エスペリアやオルファに加え、第二詰所のハリオンは鉄壁の布陣。
セリアやヘリオン、ヒミカに到ってもその腕は侮れない。
加えて最近めきめきと腕を上げつつあるアセリアやナナルゥ等、
この頃のスピリット隊食料事情は上昇の一途を辿っている。
互いが良きライバル関係を刺激しあっているのか、
その実力は日を追うごとにめきめきと上達しており頼もしい。
ある意味戦場とは違った熱い戦いが彼女達の中で勃発しているらしく、
それに伴い目に見えて華やかになりつつある食卓。

――――最もその遠因の殆どが悠人に起因するとは本人だけが自覚してはいなかったが。

彼にしてみれば美味いものを毎日食える、それだけでもう満足、それこそお腹一杯の状況だったのである。
「アセリアが最初に料理を始めた時なんかはそりゃもう凄かったもんだけどな」
往時を思い返し、苦笑する。
そんな事が出来るのも、今の恵まれた環境があったればこそ。
だからこそ、悠人は気が付かなかった。
幸せとは、油断すればすぐに逃げていってしまう儚い幻だという事に。
今まさに手をかけようとしている扉のノブ、後から思えばそれこそが地獄への十三階段、その第一歩だったのだ。

「あー腹減った……」
「お帰り~、パパ!」
扉を開くと、早速いつものはしゃいだ声。
応接間の正面にはいつも第一詰所の面々が食事を摂っている少し大きめのテーブルがある。
一番奥の席で、オルファリルが元気にぶんぶんと両手を振っていた。隣でアセリアもこくっと頷いている。
ウルカが軽く頭を下げて目線を伏せた。と、そこまでは普段どおりの光景だった。

いつも大抵悠人が最後で、そこにはウルカやアセリアが座って待っているのだが、今日は少し様子が違っている。
「あ、ユートさま、お帰りなさいー!」
「お帰りなさいぃ~」
「ああ、ただいま……ってあれ? 珍しいな、ネリーにシアー、それにニムまで」
「……ニムっていうな」

普段第二詰所で食事をしているはずの年少組三人が一斉にこちらを振り向いたのを見て、悠人はちょっと首を傾げた。
確かに悠人自身はたまに第二詰所へ夕食を摂りに行ったりはしているが、彼女達が逆にこっちに来るとは珍しい。
更に椅子をどこから調達したのか、席自体が増えているようだった。そしてその中に、空席が一つだけあるのを見つける。

「あれ? エスペリアは居ないのか?」
「んー、何か用事があるってさっき出て行ったよ?」
ネリーが何の屈託も無くにぱっと答え、隣でシアーが少しもじもじと落ち着かなさげに続く。
「あのね、シアー達、オヨバレされたの」
「お呼ばれ……ああ、招待されたって事か。ふうん、ま、いいか。大勢の方が賑やかでいいしな」
食事は大勢で楽しんだ方が良い。
悠人はそれ以上は深く考えず、少しいつもより狭い自分の席に着いた。

左隣に相変わらず膨れっ面のニムントールが探るようにしてこちらを見ていたので、にっと笑いかけてみる。
途端、慌てたようにそっぽを向かれてしまい、悠人は苦笑いをしながら右隣のネリーに尋ねた。
「で、どうするんだ? エスペリアには悪いけど、先に食べた方がいいのかな?」
部屋に入った時から気づいてはいたが、既に料理達は机の上にずらっと並べ終えられている。
中央に、大鍋のシチュー。手元にハーブの乗った肉料理。サラダボウルにロールパンと、相変わらずの夕餉。
組み合わせにあまり変化は無いが、食べ飽きない味は悠人のお気に入りである。
今日は何だか別のアレンジを施したのか、一風変わった湯気や匂いだが、それでも食欲をそそるのには変わりがない。
思わずごくりと喉が鳴る。この料理は、冷めても美味いが出来たての方がもっと美味い。
腹を空かせていたので、このまま黙って眺めているのは拷問とまではいかないまでも、苦痛に近いものがあった。
それに、美味しいうちに食べた方が、作ったエスペリアも喜ぶだろう。そうだ、そうに違いないと強引に結論付け、
「…………先に頂くか。みんなもそれでいいよな?」
気のせいか全員が注目しながらこくこくと頷くのを確認して、悠人はフォークを手に取った。


「まったくもう、ファーレーンったらわざわざこんな時間に怪談百物語を聞かせなくても……」
食材を並べ、さあ調理、という所で緊急な用事とネリーに言われ第二詰所に赴いていたエスペリアは、
この時間になってようやく開放され、トコトコと彼女なりの最大スピードで急いで帰って来た。
よくもこんなスピードで敵が待っていてくれるものだと我ながら不思議だが、仕様なのでしょうがない。
そんな事を考えながら廊下を通り、食堂へと抜ける応接間の扉を開こうとする。
すると奥から微かに会話のやりとりが聞こえ、あろうことかその中に愛しの悠人さまの声までが混ざっていた。

「……あら? この声……ユート様?」
エスペリアは慌てた。
まだ、食事の用意をしていない。こんな所で粗相をしてしまっては、汚れた存在に拍車がかかってしまう。
ただでさえ某ゲームが発売され、影が一層薄くなりかけているのに。
「あっと……いけませんね。まずは落ち着きませんと」
それでもこの期に及んでちゃっかり前髪の癖を指先で整えてみる。
身だしなみに気を取られたままノブを握ろうとして、慌てて転びそうになった。
せっかくなのでその勢いのまま、まるで自分の存在意義でも賭けたかのようにシールドハイロゥを展開しつつ扉を開く。

「申し訳有りませんユートさまっ! 夕食は今すぐにご用意致しますから……ふぇ?」
早口で捲くし立てながら飛び込んだエスペリアの目に飛び込んだのは、今正にあーんと大きく口を広げ、
まだ湯気の立つ肉料理らしきものを咥えようとしている愛しのソゥユート。
突然の闖入者に、フォークを持つ腕がぴたり、と止まる。
そしてその両隣にはここに居る筈のない年少組の面々。
エスペリアの姿を見て、あちゃ~といった表情で固まっている。
奥でウルカが気の毒そうな表情を浮かべていた。オルファは何故か大粒の汗を浮かべながら引き攣った笑み。
アセリアだけが無表情できょろきょろとこちらとあちらに視線を往復させているが、そんな事はどうでもいい。

大体の、事情が掴めた。と同時にエスペリアは叫んでいた。
「いけない! ユート様、それを口にされては――――」
「は? エスペリア、一体何言って……お、おお?!」
「――――あ」
しかしその一瞬の間隙を見逃さない者が、約一名。
机の下でこっそり隠し持っていた『曙光』の柄を捻ったのはニムントール。
僅かな動きだけでまるで生き物のように忠実に動いたその穂先が、フォークを持ったままの悠人の肘を軽くノックする。
かくん、とバランスを崩した悠人の右腕の先で揺れた肉の塊は、そのまま重力に従い、落下して――――
「なにが――――んぐっ?」
「……悪く思わないで」
「ん! んん~~~~!」
落ちた。悠人の口の中へと。何となく勢いでそのまま咀嚼してみるのは主人公の定めなのか。

「んぐ、んぐ――――――ぐぼあぁ#%☆ッッ!!!」

途端、悠人は仰け反ったまま、ぴくぴくと痙攣を始めた。
口中に広がるのは硫黄の香り、火山灰のような歯ざわり、活火山のような灼熱。文字通り怪○クンもびっくりの大噴火。
アセリアの時に味わった、あの走馬灯のような想い出が強制的に蘇る。
「ユ、ユート様っっ?! しっかり、しっかりして下さいましっっっ!!!」
エスペリアが慌てて駆け寄った時には、既に悠人は青い泡を吹きながら緑煙を吐き、
まるで妹の奇妙な帽子のように白目を向いて別世界へと旅立とうとしている真っ最中だった。


「あ~あ、折角ユートさまに褒められようと思ったのにぃ」
「だからニム、イヤだって言ったのに」
「でもぅ、みんな楽しそうだからって、ニムも結構乗り気だったよ~?」
「そーだよー、今更自分だけそんなのズルいぃー」
「そ、そんな事ないもん! 大体言いだしっぺはネリーでしょ!」
「えー。でも結局ニムが一番張り切ってたじゃん。ファーレーンにも頼んでたしー」
「し~」
「う……シ、シアーだってこっそりお菓子なんか入れてたじゃない! ニム見てたんだから!」
「だ、だってその方が美味しいよぅ……」

  『「いや、それはないから」』

騒ぎも収まった第一詰所では、鬼の様なマナを纏ったエスペリアに睨まれつつ、
それぞれの大きさのコブをこしらえた共謀者たちが散らかした厨房の掃除を仰せつかっていた。
「貴女たち、無駄口を叩く暇があったら手を動かしなさい! はい、次はこの鍋ですよ!」
「うー、なんでオルファまで……」
「手前にも良く判りませんが……これも修行」
「ん。みんなで皿洗い、楽しい」
約一名、事情を判っているのか判っていないのか良く判らない者もいたが。

その後、あやうくリヴァイブにより意識を取り戻した悠人は、小さな料理人達を早速問い詰めてみた。
「あのさ、一応聞いて見るけど……ちゃんと味見はしたのか?」
「え? アジミってなにー?」
「お菓子の名前かなぁ~」
「あっそうか、シアー、あったまいいー!」
「……二人とも、バカ? 味見っていうのは……ごにょごにょ」
「だ、ダメだよみんな、味見をしないと上手にならないんだよ……っていうかニム、知っててやらなかったの(汗」
「だってメンドくさいし。それに、さぁ」
「うん……そんなの怖くて出来ないよねぇ。見た目はエスペリアのとそっくりだったんだけど」
「匂いがね~、『孤独』が駄目だって止めるの~」
「ん。私もそうだった。でもユート、喜んでくれたぞ」
「…………ユート、アセリアのは喜ぶんだ」
「えー!! ずっるーいユートさまー!」
「ずっる~い」
「違う……色々と違う。……いや、なんでもない。もういいから、少し黙っててくれないか?」
予想通りの展開は、眩暈を一層強くさせただけだった。


おまけ。

更にその後、Exp今日子ルートのイベントにて。
「さー、出来たわよー」
「(うわぁ~……)あ、あれ? ネリーとシアーは?」
「さっき帰った。シアーがお腹が痛いって」
(……逃げたな)


法則:味見をしない。そのくせ食べる事を強要する。でも自分は食べない。