砂漠に一つだけの花

はあはあ……。
照りつける日差し。ハイペリアでもついぞ体験することの無かった灼熱の砂の海。
悠人は、強すぎる日光に目を細め、手を額に翳すと荒い息を吐いた。
背嚢に有る革袋が軽薄な音を立て、心許ない水の残量を背負い主の耳に知らせてくる。
熱風が吹き過ぎる。目の前の砂丘から黄土色の粒子が立ち上り、形を変えていく。
過ぎし日常のハイペリアでは、TVの箱の中でしか見ることの無かった天然の造形美。
それが、今目の前に延々と広がっていた。テレビにはなかった体感温度付きで。

乾ききった空気に喘ぎながら、悠人と数人の仲間達は黙々と歩き続けた。
そんな一行の行く手、ちょうど日差しを遮る方向に出来た丘は、麓にまっ黒な一時のオアシスを拡げていた。
「……ああ、みんなちょっと休憩しようぜ」
欲求には勝てそうもない。疲弊した体を振り返らせると、皆に呼び掛けた。
「はい~」
「了解しました。休息に入ります」
なんとか元気を保っているスピリット達から返事が届いてくる。そんな中、悠人は視界の中に有る違和感に気がついた。
「あれ? セリアがいないんじゃないか」
キョロキョロと目線をさまよわせても、目に気持ちいい青いポニーテールが見つからない。この炎暑の中、悠人の背中に冷たい汗が流れた。
単独で抜けることなど考えられない。まさか……脱落? それこそ考えられないことだが、悠人は自分の不明に顔を強張らせた……。
「ああ、それなら~お花摘みですよ~」
「花摘み? どういう事だハリオン。こんな砂漠でどこに花が咲いてるって言うんだ」
ハリオンの言葉に悠人はひりつく喉を動かした。場違いとしか思えない発言に声にイラつきが乗ってしまう。彼女は何を言っているんだ? 一体。
「あ、ほら来ましたよ~」
悠人の疑問には答えず首を巡らせたハリオンと同じ方向を見ると、やや離れたところからウイングハイロウを広げてこちらへ飛んでくるセリアの姿があった。
青すぎる空に、白いハイロウだけが浮き立っていた。

十数秒。
「セリア。どこに行っていたんだ」
さっと飛び下りたセリアの目の前へ行き、悠人は問い詰めた。強張った声。これは悠人としても看過できないことだった。
飛び出すのはアセリア一人で十分なのだ。しかも普段はアセリアを抑える役目のセリアが同じ轍を踏むとは悠人には信じられない。
「単独行動が許される状況じゃない事くらい分かってるだろう。一体何してたんだよっ」
どうしても言葉が荒くなってしまう。それでも無理に抑えながら悠人は言った。
「……ごめんなさい。少し用があったから」
「用? なんだよそれは。ハッキリ言ってくれよ」
セリアはうつむき加減でハリオンに目配せを送った。ハリオンは気が付いたのか何なのか、砂漠でも変わらないホンワカした笑顔で悠人に近づくと、
水と干し果物を悠人に差し出しながらセリアを取りなしてくれる。
「まあまあ、ユートさまその辺で~。お花詰みなんだから仕方ないじゃないですか~」
「花摘みってなんだよ? 花なんかあるのかよ」
セリアは思わず、この鈍感針金頭を叩きたくなる衝動に駆られるが、なんとか抑えた。『熱病』も後押しをするほどだったのだが。
我慢していた物をタイミングを見計らって解放して戻ってくれば、このような無駄な問答が待っていようとは……。だが悠人の言い分もセリアは認めるところ。
普段のセリアの悠人評からすれば、ここで何も言わない方が隊長失格なのだ。

「……花摘みとは、隠語です」
「いんご? なんだそれは」
「……符丁です」
「ふちょう? わからん」
「………………合い言葉」
元々のハイペリア語の語彙も怪しい悠人にはこの聖ヨト語は難しすぎるようだ。婉曲表現も崩れる砂の器のように無効化されてしまう。
だがなんとか最後の言葉は通じたようだ。
「花摘みが合い言葉で……だからなんなんだよ」
やはりというか……通じていない。だが悠人の前でハッキリと口にするのは非常にはばかられるのだ。
いいかげんにして! と言えればどんなに楽か。
いや、もう言ってしまっても問題ないとは思う。ハイペリアなら完全セクハラで悠人隊長辞意表明必至。
さすがに見かねたのかナナルゥが干し果物――フラルセの実を天日干ししたもの――を頬張ったまま近づき、静かな声で言う。
「御不浄のことです」
リスのような頬膨れなのに何故か明瞭な発音で、エスペリアが思わず嫉妬してしまいそうだがここにはいない。
「ごふじょう? いやだから意味分からないって」
「雪隠。はばかり。樋屋」
「いや……だから、聞いたことないヨト語ばかりなんだって!」
聖ヨト語にもこれほどの言い回しが有ったと言うこと自体驚きだが、悠人には残念ながら通じない。もっとストレートに行かなくては。
「あのね……」
個人的持ち物のお菓子を至福の表情でもきゅもきゅ中だったシアーがついに立ち上がった。救いの最終兵器彼女になれるのか。
すっ、と背伸びして悠人の耳に顔を近づける。
「……ゴニョゴニョ」

俄然。

くるっとセリアに背中を向けて、
「……あー、その。済まない。だけどさ、その、俺にもハッキリ言って欲しいと思う。やっぱり心配だからさ」
シアーが遂に直接的言葉を言ってしまった事に、セリアも顔をやや紅潮させつつ、
「…………私の方こそ、生理的に仕方のないことに羞恥心をもっていたのはよくありませんでした。
 申し訳ありません。その……今後は……あの」
「いいよ。おいおいやってくれれば、さ」
背を向けたまま右手を挙げて、セリアに合図を送り、ハリオンからおやつを受け取ると、
日陰の中、悠人は皆から離れたところへ一人ポツンと座り込んだ。
悠人にはやはりショックであった。差別というより性別の壁ではあるが。
だがこれで、どこかハイペリア的な良い意味で、妖精のように思っていたところのあるスピリット達への憧憬が崩れ、
等身大の存在として感じることが出来るようになったのは僥倖だったのかも知れない。
悠人は膝を抱き、干し果物を囓った。

「…………そうか……そうだよな。セリアだって大きい方するよな……テレビであったな……砂で拭くとかって……ハハハ」

――――スピリットも人間も俺にとっては同じだ。

干しフラルセの実が、砂混じりにざらついていた。