空気なんて、よんでられない

 ぐらり。
 砂漠の向こうに悠人の姿が見えなくなると、光陰は気が抜けた様にくずおれた。
 やせ我慢も、男の意地ももう限界。いかに踏ん張ろうとも、命の限界を越える事は出来はしない。
「コウイン隊長ッ!!」
 崩れ落ちる光陰の体を、マロリガンの緑スピリットが駆け寄り、抱き止める。
「隊長ッ!! しっかりして下さい、コウイン隊長ッ!!!」
「クォーリン……か?」
「はい、そうです、隊長!! 今、回復魔法をかけますからっ!!
 大地よ、我が願いに応じよ!! アースプライヤーッ!!」
 しかし必死の回復魔法も、クォーリンの切なる願いも、命の灯火が消えかけた光陰には、なんらの効果も見せはしない。
 血を吐くが如き叫びが、祈りが、幾度も幾度も繰り返される。
「何で、どうして!?
 効いてよ!! お願いだから!!
 アースプライヤーッ!!」
 もう、目もまともに見えていないのだろう。
 焦点も定かでないながら、それでも光陰は、いつもの笑みをふっと浮かべた。どこかちょっぴり皮肉めいた、余裕を感じさせる笑み。ふてぶてしく力強い、皆を励ます頼もしい笑み。
「はは……ムダだよ。
 自分の事は自分が一番良く解る……っつー言い方は、ちと傲慢に過ぎるか。
 ……けど、クォーリン、オマエにももう、解ってるだろ?
 もう手遅れ……だよ。これ以上無理するな、クォーリン」
「そんな事ありません!! そんな事!!」
「ははっ……じゃあ、どうしてそんなに泣いてるんだ」
「コウイン隊長が……なんて、そんな事有り得ません!! 認めませんっ!!
 大丈夫!! まだ、まだ大丈夫ですっ!!」
 泣きながら、自分に言い聞かせる様に必死に叫びながら、クォーリンは回復魔法をかけ続ける。
 けれども光陰の体からはマナがどんどん消えていく。
 必死に固く支える腕から、こぼれる命が止まらない。
「泣くな、クォーリン。頼むから泣かないでくれ。
 女の子泣かせるのは、俺の流儀じゃ無いんだ」

 その時砂漠の向こうから、駆け来る二つの影があった。
 それはラキオススピリット。
 稲妻部隊は瞳に押さえきれない怒りを込めて、その前に並び立ち塞がる。
「よせ……やめろ」
「隊長!?」
「そいつらに手を出す事は、許さん」
「コウイン隊長……何で……どうして……」

「……ユートの言ってたコウインってエトランジェ? ユートの言ってた『親友』ってヤツ?」
 幼い緑スピリットの物言いに、クォーリンが堪らず睨みつけるが、それすら光陰は弱々しくも手を振り制する。
「ああ。俺が碧光陰だ。こんな格好で宜しくも無いが……な」
「ふーん」
「こらニム!! そんな失礼な言い方するんじゃありません!!
 私はラキオスのファーレーン=ブラックスピリットと申します。
 この子はニムントール=グリーンスピリットです。
 本当にすいません。御無礼ばかりで」
「いいさ。俺はあいつの信頼を裏切って、殺そうとまでした、あんた達の敵なんだ。
 それにしても、こんな俺をそれでも『親友』か。全く、あいつらしい……な。
 悠人なら先に行ったぜ。あんたらも早く行って手助けしてやれ」
「コウインはどうするの?」
「こらニム!! 呼び捨てにしてはいけません!! ユート様の御親友なのですよ!!」
「でも、敵だし」
「昨日の敵は今日の友という言葉もあります。世界を敵と味方の二つに分けない事!!」
「……ん。お姉ちゃんがそういうなら。コウインはまぁ、敵じゃ無い事にしとく」
 ラキオスの二人の掛け合いに、光陰は思わず苦笑する。
「すまないな。俺はちょっと手助けに行けそうも無い。
 悠人のヤツに、約束を破っちまってすまない、と伝えてくれ」
「嫌、自分で言って」
 ラキオスの緑スピリットはにべも無い。
「はは……。確かにそうだな。そんな事頼めた義理じゃ無いな。
 俺は悠人を殺そうとしてたんだ。それも当然か。
 どうせならとことん憎まれようとも思ったが、それも見事に失敗したみたいだしな。
 まぁ、相手があの悠人じゃあ、それもやむなし、か。
 ……ち、我ながら未練たらしいな」
「何を弱気な事を言っているのですか、コウイン様!!
 何を……何をバカな事を……ッ!!」
 堪らず、クォーリンが話に割り込む。
 最早呼び方も『隊長』ではなくなっていた。
 隊員として隊長を慕うというだけの気持ちでは収まらない。
 一人の女として、光陰という男に惹かれていた。その気持ちが溢れて溢れてもう止められない。
「死なないで!! 死なないで下さい、コウイン様っ!!
 好き。好きなんです!! どうか死なないで下さい!!」
 届かぬ想いと解ってはいた。
 人間だとか、スピリットだとか、そんな事は関係無い。碧光陰はそんな事気にもしない。
 それでも自分の想いは届かない。
 光陰の心にはもう既に、岬今日子がいるのだから。
 そんな事位、すぐ解る。想いは、決して届かないと解っている。そんな事とうに解りきっている。
 それでも言わずにいられなかった。
「……クォーリン、お前の気持ちに気付いちゃいた。
 だが、すまないな。俺はお前の気持ちには応えてやれない」
「バカッ!! バカバカッ!!
 こんな時くらい、嘘をついて下さってもいいのに!!
 どうして!! どうして……貴方は……」
「はは……すまないな。
 謝りついでに、最後の最後まで我が侭言わせてくれ。
 悠人のヤツは、大将を止めるだろう。
 出来るならでいい。ラキオスに……悠人に協力してやってくれ。
 悠人ならお前らの事を絶対に悪い様にはしない。
 そして、悠人達の作る世界で、スピリットの解放された世界で、自由に生き、幸せになってくれ」
「私はっ!!
 自由なんていらない!! 開放なんてされなくていい!!
 コウイン様がいない世界に意味なんて……無い……!!」
 クォーリンはもう溢れる涙を拭いもしない。
 ああ、前に見たTVドラマに、こんな場面があったっけな、と光陰は思い出す。
(あんときゃ、何て陳腐な展開なんだと思ったが、いやはや、わが身になりゃあ、確かにロクな言葉の一つも出てきやしねぇ。
 馬鹿馬鹿しいと鼻で笑ってなんかいねぇで、しっかりシミュレーションしとくんだったぜ。
 俺みたいなヤツの人生の終わりは、どうせ馬鹿馬鹿しいモンだって解ってた筈なのによ)
「貴方は……貴方って人は最後の最後までっ!! 最後の最後まで自分勝手に他人の事ばかり!!
 自分勝手に、他人の事ばっかり考えて……一人で結論を出して……。
 御自分がどれほど残酷な事を言っているのか……。
 解っているの……ですか……」
 解って言っているのだろう。
 それが光陰という男だ。
「コウイン様、好きなんです!! 私を残していかないで!!
 心をしっかり持てと言って下さった貴方が、私を残して逝ってしまうだなんて酷すぎます!!
 こんなに辛いなら、心なんていらなかったのに!!
 なのに……なのに……っ!!」
「すまなかった。俺はお前らを利用したんだ。
 謝って許されるモンでも無いだろう。だが、謝らせてくれ。
 本当に、すまなかったな。クォーリンも、他のみんなも。
 じゃあな、クォーリン。世話になった。本当に、すまなかったな」
「謝らないで!! 謝らないで……下さいっ……!!」
 光陰はクォーリンに、最期になるであろう笑みを向けた。
 それはクォーリンが初めて見る、光陰の素直な笑顔だった。
 その笑みも、金色の霧に変わりゆく。
「コウイン様……コウイン様ぁ……」
 クォーリンは、子供の様に泣きじゃくる。
 その横から、ぶっきらぼうな声がした。
「リヴァイブ」
 つまらなさげに幼少の緑スピリットが呟いた途端、拡散しかけていた光陰の体を構成するマナが光陰の体に戻り、しっかりと固定される。
「……」
「……」
「まだ怪我は残ってるけど、後は自分達で何とか出来るでしょ。
 じゃあ、ニムはもう行くから。行こ、お姉ちゃん」
 覆面の黒スピリットが、光陰達に頭を下げる。
「あ、あははは……すいません!!
 この子には今度からちゃんと空気をよむ様に言い聞かせておきますから」
「ほら、早くお姉ちゃん」
 幼さの残る緑スピリットが、黒スピリットの袖を引っ張る。
「こ、こら、ニム、待ちなさい。あの、申し訳ありませんが、急ぎますのでこれで失礼しますね。で、ではー」
 たったったった……。
「……」
「……」
 呆然。
 ラキオススピリット二人は去り、後には光陰とクォーリン、稲妻部隊の面々、そして何とも言えない微妙な沈黙が残された。

 幼少の緑スピリットが空気をよんでいたら、光陰はどこまでも綺麗に消えていたのだろう。
 しかしカッコつけるだけつけて、これではただの道化。いや、間抜けだ。
 それが良かったのか悪かったのか……。
「コウイン様ぁ!!」
 がばちょ。
「ぐえええええーーーーっ!?」
 命を取り留めたとはいえ重傷であった光陰は、クォーリンの愛の篭った抱擁で再び死に掛けるのだった。
「きゃあっ!! コウイン様っ!!
 す、すいません!!
 アースプライヤー!!」

 先程と一転、呆けた、間抜けた空気が流れる。
 けれどもそれは、どこか優しい。

 光陰も回復し、かなり気まずい空気の中で、クォーリンがすっと立ち上がる。
「……行きましょう、コウイン様」
「行くって……どこへ?」
 頭の回転の非常に早い光陰ではあるが、さすがにこの状況、上手い言葉も出てこない。
「決まっています。キョウコ様を助けに、です」
 きっぱりと、クォーリンは言い切った。
「あの方達はきっとキョウコ様を『空虚』から救い出される事でしょう。
 ですが、キョウコ様が無傷ですむとも思えません。
 私は、コウイン様の事を諦めはしません。
 ですから、今、キョウコ様に死なれる訳にはいかないのです。
 今キョウコ様に死なれてしまっては、私は絶対に、永遠にキョウコ様に勝てなくなってしまいますから。
 私、諦めませんから」
 言って、クォーリンは走り出す。
「ったく、あいつは俺かっての」
 光陰もまた半ば自嘲めいた笑みを浮かべ、クォーリンの後を追って走り出すのだった。