「アーイス……バニッシャ!」
「……ん?」
とある昼下がり。
たまたま通りかかった詰所裏でネリーの元気な声を聞き、セリアはそちらに足を向けた。
「……アイスバニッシャー」
「ちがうよアセリアぁ~。こう……バニッシャ!」
近づいてみると、見慣れた白い戦闘服のアセリアがネリーとシアーに囲まれて何か言われている。
「うん、短く詠唱して腹筋を締めるの~」
「そうそう、神剣魔法で贅マナもすっきり取れるからぁ、ちょーくーる!」
「ん。やってみる」
「…………?」
どうやらアセリアを囲み、ネリーとシアーが何かを指導しているようだ。
不審に思い、もう一歩踏み出す。さく。……さく?
「……なにやってるの、あなた達は」
そこで初めてそこら辺が雪塗れになっているのに気づき、セリアは呆れた声を上げた。
「わ! セリアだ! 逃げろー!」
「逃げろー!」
「あっ?! ちょっと、二人とも待ちなさ」
「セリアは必要ないからいいんだよー!」
「よー!」
「は?」
ぴゅー。途端、咄嗟に反応出来ずにいるセリアを尻目に、
双子たちはまるで蜘蛛の子を散らすような勢いで逃げ出した。
その姿はあっという間に米粒みたいに小さくなり、そして見えなくなる。
セリアは諦め気味な溜息をついた。
「はぁ……どうせまた何か下らない事でも考えてたんでしょうけど……」
「アイス、バニッシャー」
「…………」
セリアの背中で、淡々としたアセリアの詠唱が続いていた。
「バニッシャー……ん、上手くいかない」
「アセリア、なにやってるの?」
「ん、セリア、いたのか」
「いたのかじゃないわよ、無駄に神剣魔法を連発なんかして。どうするの、この雪」
言いながら、爪先で地面に積もった白いものをつつく。
放っておけば融けてしまうのだから問題は無いが、肝心の意味が判らない。
するとアセリアはやや首を傾げ、ぼそっと答えた。セリアの腰を指差しながら。
「こうすると、ここがすっきりするってネリーが言ってた」
「? ここって……腰?」
「ん。それがブルースピリット式なんだ、ってシアーが」
「……ふーん。でも私、そんなの初耳だけど」
「そうなのか? 簡単……バニッシャー、短く言う」
ぼそぼそと呟くアセリアを見ながら、セリアは考えた。
必要ない、とはそういう意味か。確かに、必要を感じた事などない。
美容、という単語を知ってはいるが、戦闘していれば腹筋など勝手に締まる。
むしろその方面で、アセリアが興味を示していることの方が驚きだった。
「あのね、アセリア。神剣をそんな風に使うことを、ネリーやシアーが癖にしたら困るでしょ?」
「困るのか?」
「困るわよ。マインドが無駄に下がるじゃない」
「大丈夫だ。二人とも65以上に保っておけば、ん、問題ない。全部使える」
「…………」
「……どうした、セリア」
セリアは、こめかみに指先を当てたまま唸った。
きょとん、とした顔で、無垢な表情を浮かべているアセリア。
その揺らぎの無い蒼い瞳を見て、セリアは確信した。言っても無駄、と。
「……とにかく、訓練以外で神剣魔法は禁止。ネリーやシアーにもそう言っておいて。わ か っ た?」
「…………ん」
説得を恫喝にかえ、きっと睨みつける。するとようやくアセリアは渋々頷いた。
そして残念そうに『存在』を携え、立ち去っていく。
背中がやや不満そうだが、その姿を見送りつつセリアは内心ほっとしていた。
この娘は約束は必ず守る。セリアはその点ではこの幼馴染を信頼していた。
「さて……ヒミカでも呼ぼうかしら」
放っておいても消える、とは思ったものの、日陰部分に積もった雪山は容易に融けてくれそうもない。
こんなものをエスペリア辺りに見つけられたら少々五月蝿そうだった。
そう考え、誰も居なくなったその場を後にしようとする。踵を返そうとして――セリアはぴたり、と足を止めた。
「…………」
顎に手を当て、暫く考える。もう片方の手で腰の辺りをさすりながら。
まさかね、馬鹿馬鹿しい、などと逡巡すること小一時間。意味もなくポニーテールの毛先を丸めたりして。
そして試すだけ、試すだけよと言い訳じみた思考の末、ぼそっと小さく
「アイス……バニッ」
「……何やってるんだ、セリア」
「きゃあああああああああああ!!!!!!」
いつの間にか背後に、ヘタレ隊長が立っていた。
つんざくような悲鳴に、思わず耳を塞ぐ悠人。
「うぉっ! びっくりしたっ!」
「ユユユユユユート様?!!」
しかしセリアの混乱は、その比ではない。飛び出しかけた心臓を必死に収める。
尻餅をつきかけた体勢のまま、呂律が良く回らない舌で
「な、な、な、なんでこんな所h」
「ん? うわ、なんだこの雪山。もしかして、セリアがやったのか?」
「い、い、いえ、これは違」
「駄目じゃないか、無駄に神剣魔法を使っちゃ。マインドが下がるぞ」
「あ、そ、それは大丈b」
「片付けとけよ。エスペリア辺りに見つかったら大変だぞ。じゃあな」
「あ! ちょ、ちょっと待って下さい話を……あ…………」
ようやく動揺から立ち直りかけた時には、ひらひらと手を振る後姿は既に遠くなってしまっていた。
「…………」
後には一人、セリアだけがぽつねんと取り残される。
「…………ぐす」
その両目から、ぽろりと大粒の涙が零れ落ちた。
「……アイス、バニッシャ」
そして直後唱えられた神剣魔法の前に、それは氷雪となり、儚く舞い散っていく。
「アイス、バニッシャ、アイス、バニッシャ、アイスバニッシャアイスバニッシャーーーー!!!!」
こうして木霊のような叫びと共に、セリアの腹筋はより美しく引き締まったという。よかったねよかったね。