右みて左みて

「よし、入っていいぞ」
「ありがとうございます……ユート様、手続きが終わりました」
前方に聳え立つ巨大な門。もう、半刻は待たされている。
その前で憲兵と話し込んでいたエスペリアが大きく手を振るのを見て、我達はようやく歩き出した。

「……はぁ、面倒」
動き出した途端、隣で、頭一つ低いニムのぶーたれた溜息が聞こえる。
「まぁそう言うなよ。こうしないと流入……流乳……あれ? なんだっけ?」
「くす。流入者を防げないのです、ユート様。無理もありません、ずっと戦乱が続いていましたから」
するとすかさずさり気なく、ファーレーンの助け舟が入る。
うむ、相変わらず出来た娘だ。そうだった、確かに前、ヨフアル狂いの王女がそんな話をしていた。
「そうそう、それだ。そのせいで、恵まれたラキオスに人が押し寄せて来てるんだよな。判ったか、ニム」
「むか。偉そう。なによお姉ちゃんに教えて貰ったくせに……あと、ニムって言うな!」
「いてっ!」
「こ、こらニム、ユート様になんてことを!」
「……ふん!」
「くっ……なんでこんなに手が早いんだ……」
したたかに蹴り上げられた向こう脛を押さえながら、慌ててファーレーンの背後に回る。
主人公としては情けないことこの上ないが、今の所これが最も効率的な防御法だ。
なに? 余計な口を滑らせなければいい? 甘いな。
そんな事をしたら、ファーレーンのうなじに唯一生えた黒い一房をこっそり覗き見る楽しみが無くなるじゃないか。
なにせ立ち絵じゃ全然判らんからな。これこそ正に一石二鳥。フェチだとか言わない。これは漢のロマンなんだ。
「む、今何か、邪な気配が」
――背後でちゃきり、と剣を構えるウルカさんの強烈な殺気が痛いので、今日はこれくらいにしておいてやろう。

「……ん?」
「あらあら~。どうしましたか、ヘリオンさん~?」
「あうぅ~なんでもありません……」
すぐ隣でリクェムage……ヘリオンが背中を向けたまま、背伸びをするような格好で一生懸命両お下げを持ち上げていた。
あまり色気も無いうなじがこちらからも丸見えなのだが、肝心の、それの意味するところがさっぱり掴めない。
ハリオンが不思議そうな、もとい、相変わらずのにこにこ顔のまま、面白そうに眺めている。一体何の遊びだろう。

「おい悠人、見えたか?(ボソ」
「ああ、ばっちり。黒だった(ボソ」
そんな騒ぎを尻目に見つつ、忍び寄ってきた光陰とこっそりがっちり腕を交わす。
まるで小学生が女子のスカート捲りを敢行した時なんぞの報告会みたいだが、この楽しみだけは女子共には理解できまい。
異性の秘密を知る。それも普段から良く知っていて、悪しからず思っている相手ならば尚更趣が――――
「あ、ん、た、ら、は~~~!!!」
「ぐぼっ!!!」
突然光陰が地面にめり込んだ。

「お、おい光陰?!」
「コウインさま!!」
「うわっ! びっくりした!」
そしていきなりどこにいたのか物凄い勢いで駆けつけたクォーリンに押し退けられる。
彼女は白目を剥いた光陰の頭を慌てて膝の上に乗せたかと思うと、すぐに回復魔法によるサルベージを試み始めた。
両手で抱え込む陥没した頭部がふっくらと豊満な胸に押し付けられて(二人共)幸せそうだな……ってそうじゃなくて。
「ちょ、今日、いつの間に背後をっ?!」
「問答、無用~~~!!!」
「うぎゃくぁw背drftgyふじこl;p@:!!!」
それが先日上書きしたばかりのペネトレイトⅥによる黒属性の三連撃だと悟った時には、
我の意識は遥か時空の彼方、遠くハイペリアの三途の川手前まで吹き飛ばされていた。

「ごめんよ佳織、俺がそんな頭蓋骨に育てたばかりに……はっ!」
ぱちくり。瞼を開くと、青い空。心配そうに見守っている仲間達の、顔顔顔。
首を捻れば向こうに見える、見覚えのある門。更に向こうに、もっと見覚えのある城の遠望。
「…………あれ? ここは……ラキオス?」
「ユート様! 気づかれましたか?!」
「ふう。ニムントール殿のリヴァイブがどうやら間に合った様子」
「ふん! 感謝してよね! まったくユートのせいで、いっつも余計な仕事が増えるんだから」
「クスクスまたそんな事を言って。ニムったら、真っ先に神剣魔法を唱え始めたんですよ」
「ええ~あの慌てぶり、ユート様にも見せたかったですぅ~」
「べ、別に慌ててなんかない! ニムはユートなんてどうでも良かったんだけど、お姉ちゃんがどうしてもって言うから」
「と、とにかく良かったです! 本当に危なかったんですよ! さっきなんてこう、マナの人魂が口からぶわっと」

姦しい周囲をよそに、頭を振る。さっきまでの記憶が無い。
「ええと……あれ?……俺、何してたんだっけ?」
確か、マロリガンで大統領が神剣に飲み込まれて、こっちも『求め』の力を最大限に引っ張り出して――――
『……チッ。捕らえ損ねたか』
「…………お前か」
油断も隙もない。どうやら一時、意志を奪われていたらしかった。
仲間達の様子を窺ってみるが、異状には気づかれなかったようだ。『求め』がよほど巧妙に操ってたのだろう。
もしくはラキオスに着いてからじっくり活動するつもりだったのか……危なかった。
『ふん。我は代償を求めただけだ』
「あん?」
代償ってこれかよ。まだ寝そべっている俺の視線を最後の力で縛りつけるなバカ剣。
いや、確かにスピリットの戦闘服って裾が短いなとか今まで思わなかったわけじゃないけどさ。
白とか黒とか水玉とかしゃがんで覗き込んでいるみんなにバレたら宿主ごとバルガーロア行き確定だろうが。
「……いいんだな、それで」
『む。なぜ恐山や樹海がビジュアルとして浮かぶのだ』
「名所だからな。独り言を呟く俺をさっきからウルカが不審そうに見つつ鍔口を切ってるんだ」
『あの妖精か……了解した、我は眠る』
「賢明だ。っていうか、もう起きんな」

などと相方と漫才を繰り広げていると、後ろの方がまた賑やかになっていた。
「ああっ! 大地の祈りが全然効かないっっ! コウインさま? コウインさまぁ~!!」
「ふん! 放っときゃいいのよ、そんなやつ」
「…………あっちも相変わらずか」
背後でまだ一人危ない奴が居るらしいが、あえて見ないことにする。
というか今日子、無事だったんだな。良かった。相変わらずで、何よりだ。


前置きが長くなったが、マロリガンを制圧した俺達は、こうして無事(?)ラキオスへと辿り着いた。
物珍しそうに辺りをきょろきょろと窺う光陰と今日子を、エスペリアが案内がてら城へ連れて行こうとする。
まぁ勝手に連れて来た訳だし、レスティーナに一言許可を貰わなければここでの市民権が得られないから当然か。
それにしても光陰、うちのグリーンスピリットは結局誰一人リヴァイブをかけなかったわけだが、よく生還したな。
クォーリンの大地の祈りだけでたいしたモンだ…どうでもいいけど何でみんな光陰に神剣魔法をかけたがらなかったんだ。

≪す、すみません。わたくしはちょっと……あの、今マインドが足りなくて……ぽ≫
だからどうしてそこで俺を見たんだエスペリア。変にもじもじしてたし。
≪わたしはぁ~、いつまで待っても覚えませんからぁ~≫
そうだった。のはいいんだけど、楽しそうな顔グラはなんとかならないのかハリオン。
≪~~コ、コウインは苦手!≫
いや、苦手とかじゃなくて。人の命がかかってるんだからさ。

「…………きっと、色々あったんだろうな」
「ん? 何か言ったか悠人」
「……いや」
「おかしなヤツだな。久し振りに帰ってきたんだろう? もっと嬉しそうな顔しろよ」
ばんばん、と気安げに肩を叩いてくる親友。不安の元凶が何ぬかす。
「……ところで悠人よ」
「あん?」
「どうだ? やっぱり属性と同じ色で統一されているのか?」
「……お前ってやつぁ……」
さっきまで『求め』と組んで何かをヤラかしていたに違いないと、その無駄に爽やかな笑顔を見て確信した。


「では、ユート様、わたくしはここで。さ、コウイン様、キョウコ様。王城へご案内いたします」
「お、そうか悪いな。それじゃ俺達はここでな、悠人」
「また後でね、悠」
「おう。しっかりおつとめ果たして来いよ~」
街の向こうへ消えていく後姿を見送りながら、ひらひらと手を振る。
すると、並んで歩く光陰と今日子の後をぱたぱたと追いかけていた背中が一度立ち止まり、振り返ってこちらを見た。
目が合うと、慌てて物凄いお辞儀をする。傾斜角80度はイってるんじゃないか、というくらいの。
顔を上げ、にっこりと微笑んだ緑の瞳に不覚にも一瞬どきりとした。
礼儀正しい娘じゃないか。光陰も良い部下を持って幸せだな。
とかなんとか、調子に乗って親指を立て、にっと笑い返してみる。

「!!!~~~~~っっ!!!」
「あ」
途端、びゅんと風のようにうなりを上げて立ち去るクォーリン。……またやってしまった。
前にエスペリアにも似たようなことをした気が。あの時も最後まで理由は教えて貰えなかったっけ。
ひょっとして、グリーンスピリットにだけ通じるサインみたいなものがあるのだろうか。
「…………」
くいっ
「あらあらあらあらぁ~。ユート様、こんな明るいうちからぁ~」
くねくねと身を捩じらせ、頬に両手を当てつつ喜ぶハリオン。……あれ?
「…………」
くいっくぃっ
「なっ! バ、バ、バカユート!!!」
「ぶべらylp;@!!」
「~~~ッ、お、お姉ちゃん、帰ろっっ!!」
「こ、こらニム! ユート様、いくらユート様でも……ちょ、ちょっとニム、引っ張らないで――」

「いてて……あれ? みんな、どこ行ったんだ?」
一瞬飛んだ意識を何とか取り戻した時には、ヘリオンとウルカ以外誰も居なくなっていた。
強烈な『曙光』の裏打ちを受けてまだ煙の出ている顎を擦りつつ首を元に戻す。すると。
「みんな、帰っちゃいましたよぅ……」
情けないような呆れるような声でヘリオンが答えてくれていた。
いつも元気一杯横に跳ねているお下げをだらんと垂れ下げたままで。
どうやら何か落ち込んでいるらしい。
いや、お下げが元気のバロメーターってわけじゃないだろうけど、見上げてきている目元がうるうると潤みっぱなしだし。

さて、もう気づいているかもしれないが。
つまり今回の遠征は、実は途中からずっとグリーンスピリットとブラックスピリットのみという編成だった。
ある日エスペリアに尋ねてみたら、何でも首都で問題が起きていたらしく、その為に青と赤は次々呼ばれたのだという。
気づいた時には黒と緑しか残っておらず、スレギトの荒涼とした風景の中、さすがに呆然とせざるを得なかった。
偶然だろうが、こう属性に偏りがあると戦闘が大変なのだ。よく3ルート同時突破などという無茶が出来たものだと思う。
「はぁ……やれやれ。行くか」
そんな訳で歴戦の疲れが溜まっていたし、本来なら、俺も真っ直ぐ詰所に戻ってゆっくりと羽根を伸ばしてみたい所だ。
……だが俺にはもう一つ、任務があった。それが何かと問われると、結構時間を遡らなければならないのだが。

あれは、ランサへ向かう前。エーテルジャンプ施設がまだ開発中だった頃。
『しかしユート、お前さんの世界では、一体どういう解決法を取ってるんだい?』
『あ~~? 俺の……世界?』
俺はいきなり拉致もとい招待されたヨーティアの研究室で大量のアカスクを無理矢理飲まされ、グデグデに酔っ払っていた。
そこで酒の肴にと、向こうの世界について色々と語っていたわけだ。
『なんだいもう酔っ払ったのかい? 弱っちいねぇ、エトランジェってのは』
『む。まだ酔ってなんかいないぞ……そうだなぁ、あっちじゃ――――』
俺もまだ、若かった。酔った勢いで強がり、殊更知識があるような見栄を張りたかったのだ。
実際ソレの構造なんて、全然わからない。しかし普段から使っていたのだから、ソレの機能だけはいやでも知っている。
身振り手振りで結構派手な説明を繰り返していると、ヨーティアはその度納得げに頷いた。
『ふ~んなるほどねぇ。よし、この天才様の力を見せてやろう。いいか今度の遠征までには……おい、寝ちまったのか?』
『う~ん……ントゥタン……ハァハァ……』
『……こんなイイ女を目の前にして別の女の寝言とは失礼なヤツだねぇ。……そうだ、こうしてやろう』
『あふぅ……だめだってそんなプラズマ……――――』
『…………一体何の夢を見ているんだ、コイツは』

そこで俺は沈没してしまい、朝気づいた時には自分のベッドで一人いびきを掻いていた。
起こしに来てくれたエスペリアが何かマズいものでも見てしまったかのように目線を逸らしたのだが、
なにせ昨日の記憶が無いものだから原因にも思い当たらない上二日酔いが酷くて深く追究する気にもならない。
それから出発まで、妙にみんなよそよそしい態度。――そう、誰も、教えてはくれなかった。
教えてくれたのは、砂漠のオアシスで、偶然水面に映った自分の顔。

 【消したら】帰ってきたら、街を視察しる!【処刑】 レスティーナ・ダィ・ラキオス

額に黒々と書かれた聖ヨト語。鏡など、この世界には無いのだと実感した瞬間だった。


「まったく。いくら前髪に隠れるっていってもあんなにチマチマと書き込みやがって――――」
「ユ、ユート様。あの、これからお暇ですか……?」
「消すの大変だったんだぞ。ただでさえ砂漠じゃ水は貴重なんだ。いやヨーティアのことだからそれも計算して――――」
「もしよろしければ私と、そ、その、一緒にお散歩でも……」
「やりかねん。くそ、おかげで忘れようにも忘れられない任務になっちまったじゃないか」
「二人でヨフアルを食べて……それから、えと、えと……きゃっ♪」
「だいたいなんなんだあの染料は。水に反応して自爆するなんて無駄機能、聞いた事もないぞ。絶対普通じゃない」
「……ユート様? どうかなさいましたか?」
「敵にも同情の目で見られるし。回復魔法まで気の毒そうにかけてくれて。トラウマになったらどうしてくれる」
「あ、あのぉ~」
「あ゙?」
「ヒッ!」
「……あ」
往時を思い返してブツクサ文句を垂れていると、再び不安そうなヘリオンの声が聴こえてきて我に返った。
……のはいいんだが、何だか反射的に睨みつけてしまったらしい。ずざざーと疾風のように後退されてしまった。

「ああいや、なんでもないんだ。気にしないでくれ、別にヘリオンが悪いわけじゃないんだし」
「は、はぃぃ~」
自分でも引き攣っているのが判る作り笑いに、却って気味悪がられてしまう。
たちまち青ざめ、自分の両肩を抱き締めて震えだす始末。自慢の触覚がぴくぴくと過敏に反応したりして。
悪いことしたな、とは思うものの、どうしようもない。困っているとぽん、と肩を叩かれた。
「悠人殿」
「お、ウルカ、まだ居たのか」
「……そこはかとなく酷い言われようですが、はい」
「そんな事はないぞ。むしろ地獄に仏だと思ったくらいだ」
「はぁ……ところでユート殿?」
「ん?」
「ふむ、もう大丈夫なご様子……手前もここで失礼致します。先程のヘリオン殿の俊敏な動き、手前も見習いたく」
「へ? わたし……ですか?」
「はい。宜しければ、これから訓練に付き合っては下さらぬか」
「え、え? わたしが? ウルカさん@漆黒の翼にですかぁ?!」
「ささ、時間が勿体無い故。急ぎましょう」
「ちょ、待っ、あ~~~ユート様ぁ~~……様ぁ~~……さまぁ………………」
「…………まぁいいか」
俺が何かを言う前に、さっさと話を決めたウルカがきびきびとした動きでヘリオンを連れ去っていってしまった。
そして誰もいなくなった。いつかどっかで聞いた事のあるなにかのタイトルみたいに。

そんな感じの流れで、街まで視察に赴いてみた訳だが。
「しっかししばらく見ないうちに……こりゃ凄いな」
久し振りに来たラキオスの城下街は、賑わっていた。
いや、賑わっていたなんてモンじゃない。人ごみでごった返しているとか、芋を洗うとか、そっちの方が近い。
西洋風の石畳は、全て足で埋まっている。うかつに歩き出すと他人の足を踏んでしまいそうな勢いだ。
ぼーっと立っていると波に背中を押されてしまう。姿勢を保つのが難しい。丁度満員電車のような。
「おかしいな、解消されたんじゃなかったのか……うおっ!」
「チッ、気をつけなっ!」
「いてて……なんなんだ」
肩がぶつかったアンちゃんは、捨て台詞を放ったかと思うともう消えていた。ふに。
「……ふに?」
手の平に伝わる妙な柔らかさに顔を上げる。
と、砂漠の民と思われる妙にスリットが深い衣装を着込んだ女性がわなわなと肩を震わせて
「いやぁぁぁっ!」
ばしっ!
「がふっ! ご、誤解だ……」
手の平でかち上げられた顎にあやうく舌を噛みそうになる。
しかし呟きながらもにぎにぎと豊満だった胸の感触を反芻してしまうのは悲しい漢の宿命と書いてさだめだな、うん。

そうこうしながら目的地に辿り着いた時には、俺の顔には沢山のもみじが散りばめられて秋の紅葉も真っ盛りだった。
いや、決して狙ったわけじゃないぞ。どこぞの痴漢者じゃあるまいし。
……いかん、まだ『求め』の余韻を引き摺ってるのかも。
「ふぅ、やっと着いたか。あれだな、ヨーティアが言ってたやつは」
気を取り直して前方に開けた大通りを確認する。
街でも、とりわけ大きい街道がぶつかる交差点。そこに今回の目標があった。

「う~ん……やっぱりイメージとは違うなぁ」
辻ごとに、新しく設置された銀色の箱のようなものが4つ、建っている。
大きさで言えば丁度詰所に宛がわれているドレッサーくらい。
人が二人入れば一杯くらいのそれが、差し向かいごとにぼんやり箱ごと青と赤に輝いていた。
異世界だし、俺の説明だけであっちの世界と同じものが出来るとも思ってはいなかったが、
こうして目の前にしてみるとどうしても奇妙な感じがある。どういう構造で光ってるんだろう。
「お、変わった」
4つの箱が同時に色を交換したのを見て、感心してしまった。
ちゃんと元いた世界の信号機と、機能は同じらしい。

――――そう、信号機。俺が交通整理の機能としてヨーティアに提示したものは、正にそれだった。

≪ふぅん、青は進め、赤は止まれ、ねぇ≫
≪ああ、それで事故を防ぎつつ、流れをスムーズにしてるんだ≫

ドカッ!!
「むぎゅっ!」
「オラオラ、そんな所でボーッと突っ立ってるんじゃねぇよ!」
回想に耽ってたら、いきなり事故ってしまった。
思わず漫画のような悲鳴が零れる。実際こんな声を出す日が来るとは思わなかった。
いや、そんなことより背中につけられたエクゥの蹄が痛すぎる。こりゃ暫く起き上がれないな。
ていうか、今の信号無視じゃないか? 確か青で渡ってたような気がするんだが、俺。
「……暴走エクゥ車?」
この世界でもいるのか。まったく世知辛い世の中だ。
「う~んそれ以前にむぎゅっ、信号ルールがまだぐっ、浸透していないようなウホッ♪」
視界の隅に映る信号機はやっぱり青のまま。
なのに煩雑している交差点で寝そべっている俺を市民達は躊躇無く踏み越えていく。
その拍子に時たま見え隠れしてしまうスカートの中を堪能しながら、俺は思索を繰り返してちゃき

……ちゃき?
「……やあセリア、久し振りだな」
いつの間にか首筋に怪しげな光を放つ『熱病』が突きつけられていた。

「……久し振り、ですって?」
セリアの表情は逆光で良く見えないが、仁王立ちの両目だけが蒼く鋭く光っている。
陽炎のようにゆらめく妖しげなオーラを背負った姿はポニーテールが波打ちつつ逆立ってまるで 山 姥
「ふふふ。このような所で昼寝をするエトランジェなどに面識はありませんが」
などとは口が裂けても絶対に言えない。

『む。なぜ津軽海峡や宗谷岬がビジュアルとして浮かぶのだ?』
「なんでそんなにあっちの地理に詳しいんだ」
「は? 何か仰いましたか?」
「いや、なんでも。ええと、昼寝してる訳じゃないんだけど。ところで一つ、いいかな?」
「なに? お互いが不幸にならない納得のいく説明をお願いしたいものだけど」
「ああ、いや俺今、動けないんだ。ほら、戦いから帰って来たばかりだし」

口から出任せだ。今更怪我で動けないなんて訳がない。
しかし戦いというキーワードに反応したのか、セリアははっと口元に手を当て、そしてしゅん、と項垂れた。
「あ……そうでしたか。……そうね、私の勘違いでした。……平和に慣れすぎるのって怖いわ」
「いや、それはいいよ。セリアたちが安心して暮らせるような世界にするために俺達は戦ってるんだ。そうだろ?」
「~~~は、はい。……ごめんなさい」
調子に乗って言いくるめていると、珍しく自分の非を認めたセリアが小さく謝罪まで述べてきた。
自慢のポニーテールが元気なく垂れ下がっているところを見ると、本当に反省してしまっているようだ。
……いや、別にポニーテールが元気のバロメーターって訳じゃないだろうけど。
心なし潤んでいる蒼い瞳を見ていると、いつも強気な分嗜虐感もとい、罪悪感が募ってくる。

――――しかし、ここは慎重にいかなければならない。
嘘をついていることは心の中でだけそっと謝っておく。今真実を告げればシャレでは済まされないだろう。
偽善と言われようが、黙っている事はお互いの為なんだ。判ってくれるよな、セリア。
「うん、だからさ、とりあえずは引き上げてくれると助かる。その、見えてるからさ、目のやり場に困……あ゙」
「え? 見え? やり場って……きゃあ!」

やばい、早速マヌケというか、口が滑った。
一瞬きょとん、としたセリアは言葉の意味を悟った途端、慌ててスカートの裾を両手で抑え込む。
今更そんな事をしても俺の脳裏に焼きついてしまった薄いブルーの光景は消えはしないのだが、じゃなくて。
涙目のまま睨みつけてくるセリアの頬がどんどん真っ赤になってきてるし。
小刻みに震えている肩の向こうから、ずごごごご……などとなんだか怪しげな擬音が聞こえてきたりしてるし。
……もしかしなくても手遅れのような。 何かの間違いで実は恥ずかしがっているだけ、とか有り得ないかなぁ、だめかなぁ。

「ユ~ウ~ト~さ~ま~?」
「うん、まずは落ち着いてくれセリア。俺今、動けないっていったよな。つまりそれはセリアが勝手に見せてたわけで」
いかん。言えば言うほど泥沼な気がする。
いやこの場合、火に油か。青のくせに。我ながら旨い事言うな、はっはっは。山田君、座布団一枚持ってって。
……こんなのっぴきならない状況で、結構余裕あるな俺。ああそうか、これが諦観ってやつか。
「~~~~長引かせてもっ! 意味っ! なんてっ!」
「ちょ、待てがっ! だから誤k! 少し餅つっ!」
『契約者よ、我は眠る』
「おいっ! 都合よく寝起きするんじゃねぇっ!」
「これっ! ぽっちもっ! 全っ然!! ないわ~~~っっ!!!」
「痛っ! あたたたっ! 痛いっ! 『熱病』痛いっっ!!」
こうして俺は無抵抗のまま、当然ボロ雑巾のように蹂躙の限りを尽くされた。
それはもう、振り返っても口にするのが恐ろしいくらいに。

「あたた……ほんとに手加減無しなんだもんな……」
「自業自得です。生きているだけ儲けものだと思って下さい。次は無いわよ」
「いや、次PS2版御謹製エーテルシンクを街中で放ったりしたらそれこそラキオス永久追放になるから」
まだ凍傷でひりひりする頬を感じながら周囲を見渡す。
突然のハルマゲドンに驚いたのだろう、辺りは蜘蛛の子を散らすような騒ぎの後、人っ子一人居なくなっていた。

「しっかしこりゃまた派手にやったなぁ」
道路周辺は、一様に凍り付いている。
緑映えた街路樹はそのまま雪祭りのオブジェみたいになっていたし、道路はすっかりスケートリンク。
建物の窓も台風に備えるように木を打ちつけられたまま閉め切られた上から霜が結晶を形造って綺麗だな、なんて。
「燃やしましょうか」
「ナナルゥ……いつの間に居たんだ?」
「いけませんか?」
「いや、いけないって訳じゃないけど。近いよ」
気づくとナナルゥが、目の前に相変わらずの無表情のまま立っていた。それも、こう、お互いの鼓動が判る程の距離で。

翡翠色の瞳に俺の顔が映し出されているのがはっきりと判る。
それが段々大きくなってくるのも。
「いや、だからさ、近いって。ナナルゥ近い」
「へっへっへ……ふぅ~」
「うわっ! 意味判んねコイツ! 鼻息をかけるなっ!」
首筋に生暖かい吐息を吹きかけられ、思わず身を捩る。が、それ以上はどうしようもない。
先程絶対零度で道路脇の家壁に張り付けられてしまった全身は未だ凍りついたまま指一本動かせないのだ。
行動回数が無くなってしまった俺を面白そうに(見える)仕草でからかうナナルゥ。
呆れて見ているセリアに視線で助けを求めるが、ぷい、とそっぽを向かれてしまう。
そうこうしているうちに、口を窄めたナナルゥが
「ふぅ~~~」
「うひゃ、うひゃひゃひゃ! ちょ、ひゃめ、そこ弱い!」
「……まとめて、吹き飛ばします」
「あひゃひゃひゃひゃ―――――え゙?」
直後、本日二度目の爆音が俺をキモ笑いごと完璧に薙ぎ払っていた。

「ふうん。これが信号機ねぇ……」
微妙に火加減を誤ったというか手加減無しのイグニッションで自由を得た俺は、
まだ燻ぶり続けるアフロヘアをがしがしとやりながらようやく目的のモノの前へと辿り着いていた。
いや、長い道のりだった。気持ち的にはマロリガン攻略中龍を退治に行く時位。喩えが判りづらいな俺。
「あっちの世界のとは大分違うな。一体どういう仕組みなんだ?」
呟きながら、ぽんぽんと「箱」を叩く。意外と硬い。丈夫そうだ。
「はい。どんな暴走エクゥ車でも頑丈に跳ね返します」
「人の心を読むな。っていうか、だめじゃんそれ」
交通整理を目的にしてるのに、事故を前提にしてどうするんだ。

ナナルゥに軽く突っ込みながら、改めて触れ直してみた。
手触りとしてはひんやりとした金属なんだが、どうやって発光しているのだろう。
「……ん?」
ごと。なんか動いた。もう一度叩いてみる。
ごとごとごと。あ、赤に変わった。

「えっと……押しボタン式なのか?」
セリアとナナルゥを振り返ってみる。と、何故か気まずそうに視線を逸らすポニーテールと変化のないボブカット。
二人とも態度から何も読み取らせまいと何だか必死そうだ。意味が判らない。

≪違うよ~~≫
「へ?」
首を傾げていると突然箱の中から返事が返ってきた。……箱の中? いや、今確かに聞こえたよな、ここから。
しかも、どっかで聞き覚えのあるやけに間延びした口調で。
≪こ、こらシアー! 喋っちゃだめでしょ!≫
≪え~? だってユートさまだよ~?≫
「ヒミカもいるのか? なにやってるんだ?」
≪――――――≫
≪――――――≫
「…………国のため仲間のため」
≪わたしは戦わなくては…………はっ?!≫
やっぱりヒミカか。そんな所で本当になにやってるんだ。

ややあって、ごそごそと気まずそうに箱の裏からヒミカとシアーが這い出てくる。
呆れながら、そんな所に出入り口があったのかと意味の無い事を考えていると、辻の向こうからも声が聞こえた。
「あ~、アセリアお姉ちゃん、出ちゃだめだよ~」
「ん、そうか?」
「オルファだって我慢してたのに……ってアセリアお姉ちゃん、待ってよ~」
出てきたアセリアとオルファは、そのままこそこそ建物の影へと消えていく。
「おい待てよ、二人ともどこへ」
「ユートさま、それはセクハラ発言です」
「……ああ、なるほど」
色々と、大変だったんだな。ヨーティアもその辺何とか考えてやればいいのに。

「ユートさまーー!!」
どかっ!
「ぐへっ!」
突然、背中を物凄い衝撃が襲う。そして圧し掛かるような圧力。
「へへーー。ネリー、超くーる? くーる?」
「く、くる……しい」
嬉しいのは判ったから、早く俺の背中からどいてくれ。


こうして並んだ面々を前に、俺はようやく事情を理解した。
「そういえば、誰も通ってないのね」
「ヒミカお姉ちゃん、気づいてなかったの?」
「ヒミカは生真面目だから」
「ちょっとどういう意味よ、セリア」
「セリアは、窮屈だとこぼしていましたので丁度良い機会とばかりに任務を投げ出しました」
「ま、待って、あれはユート様がきょ、挙動不審だったから」
「セリア、噛んだ」
「か、噛んでなんかないわよ!」
「セリア、ずっる~い」
「シアーまで……ってアセリア、何笑ってるのよ」
「ん。なんでも」
とりあえず、発光の仕組みは判った。青と赤の7人が交代交代で回していたのだろう。……ん? 7人?

「ちょっと待て。ネリー、誰と組んでいたんだ?」
「え? 何言ってんのーユート様。ネリーはナナルゥと一緒……あれ?」
「ナナルゥならずっと私といたわよ」
「はい。セリアが狭いから胸を押しつけるなとうるs」
「それはもういいから。シアーはヒミカ……アセリアはオルファリルよね」
「そうよ。ね、シアー?」
「うん」
「ん」
「暗かったけど、アセリアお姉ちゃんだったよ……あれ?」
「……じゃあ一体、ネリーは誰と組んでたんだ?」
「………………」
「………………」
「え、え? えーーーーーー?」
今更のように理解して、動揺するネリー。
気の毒そうに、それでいて目線を合わせようとしない面々。
謎は深まるばかりだった。
というか、始めた時点で誰か矛盾に気づけよ。

それはそうと。
「で、結局渋滞の解消にはならなかった訳か。こんだけ人員を割いておいて」
俺は深く溜息をついた。ただでさえ希少な戦力を戦場から奪っておいて、この投げやりな仕事っぷり。
どこぞの政治家じゃあるまいし。ラキオスの施政について、本気で心配してしまう。
帰ったらどうヨーティアに文句を言ってやろうかと考えていると、ナナルゥが肩を叩いてきた。
「良い事を思いつきました、ユート様」
「ん、なんだナナルゥ」
半分もうどうでもいい感じで訊いてみる。
「渋滞ごと燃やしてしまいましょう」
「またか……どうしてそんなに燃やしたがるんだ?」
「スピたんの影響で」
「そんなオチかよ」
半ば予想通りの答えに、俺は虚しさのあまり、がっくりと崩折れていた。


こうして当分の間、ラキオスでは信号機の導入が見送られたという。どっとはらい。