セリア~ホーコの月

砂漠の凄愴な程蒼い月を見上げ、セリアはそっとハイロゥを閉じた。
「悪く――――思わないで」
たった今止めを刺した金色の霧に語りかける。
しかし当然返事など返ってはこない。砂混じりの風が語尾だけを虚しく運んでいく。
踵を返し、元来た道を振り返る。歩き出そうとして、腕が何かにくん、と引っかかった。
「――――?」
不審に思い、手元を確かめる。先程まで凍りついたような血が滴り落ちていた神剣『熱病』。
その剣先が、乾いた砂の地面にめり込んだまま押し黙っている。そういえば、腕がやけに重い。
「……そうね、動きたくないか、もう」
肩には、もう感覚が無かった。敵に受けた傷は、マナの希薄なこの土地では致命傷に近い。
その他にも全身に出来た裂傷からは、今も緩やかに体温が抜けていく。
セリアは何だか面倒臭くなり、尻餅をつくようにその場に腰を下ろした。
戦闘後の余熱はとっくに冷めている筈なのに、硬い地面は何故かひんやりと小気味良い。
膝を抱え、砂に寝かした『熱病』の背をそっと撫でる。銀色の刃は指先が触れる度曇っていった。
「お疲れ様…………ん……」
まだ動く右腕で頭の後ろを探る。利き腕では無いので慣れなかったが、髪留めを外す位は何とか出来た。
窮屈に結び付けられていた蒼い髪が砂漠の風に嬲られ、思い思いに散らばっていく。
「ふぅ。気持ちいい……」
砂漠の夜は寒い。溜息はたちまち白く結晶して、まだ残っていた敵の金色と交じり合う。
セリアはその最後が中空に消えていくのを、ただぼんやりと見送った。指先で髪留めを弄びながら。

激戦だった。味方を庇い、深追いしすぎ、複数の敵に包囲され。手加減など、求めようもなかった。
無我夢中で剣を振るい、砂漠を駆け抜け。夜の帳が下りる頃、ようやく自分がまだ生きていると悟った。
改めて周囲を見渡すが、荒涼とした砂の海に見渡せるのは、星空と砂丘の境界線のみ。
味方とは、とっくにはぐれてしまっている。治癒魔法など求めようも無い。
満足なのは、今回も仲間を護れた事。敵に対しては、何の感傷も無い。いずれは自分も逝く。
ただ願わくば、自分の最後もこんな美しい、そして凄愴な程の光景の中であったなら。
「……くだらない」
そうしてすぐに、口に出して否定する。戦闘服の胸元で目を掠めるラキオスの紋章。
龍を模倣したそれがいつも仲間達の顔を連想させる。暖かい、自分の居場所。
「戦わなくちゃ……守れないわよ」
声が寂しさを帯び、震え始める。体温の低下が、迫りつつある死の気配をじわりと伝えてきた。
「――――ッッ!」
思わず膝に顔を埋める。それでも寒さは凌げない。今更のように押し寄せる孤独感。
さっきまで美しい景色だなどと思っていた自分が悔しかった。
場所など、関係ない。
今、自分が抱えている自身。それが消えてしまう。たった独りで、こんな砂漠で。
「……帰り、たいなぁ…………」
幼くなってしまった呟きが、そして熱い雫が、音も無く乾いた地面に吸い込まれていった。

「……? ん……」
どれ位、そうしていただろうか。或いは何度か意識を失っていたのかもしれない。
唐突に感じた気配に、セリアはのろのろと顔を上げた。すると同時にこちらに気付く、月明かりに動く人影。
近づいてくる気が仲間のものだと理解した途端、セリアは声を上げようとして――――ぐっと思い留まった。
慌てて乾いた涙の後をごしごしと、赤くなる程擦りつける。
「もう……ここはまだ、敵の勢力下なのに……」
そうしてよろよろと立ち上がったセリアの目元はまだ赤い。それでも長い睫毛の奥で、瞳だけは蒼く輝き。
砂漠の澄んだ月だけが、そんな反発する感情を優しく見守っていた。