Dialectic

 ラキオス王国はバーンライト王国へ侵攻、リーザリオ・リモドアを占領した。首都サモドアの防衛に専念するかに見えたバーンライト王国だったが、塞いでいたサモドア山道を開き、ラセリオを狙う動きを見せた。
ラセリオを落とされては首都ラキオスは目と鼻の先である。急ぎラセリオの防衛態勢を整えねばならないが、リモドアを空にするわけにもいかない。防衛施設の建築と同時に、部隊の再編・再配置を実行。
エスペリアの采配により、敵の精鋭部隊の襲来が予想されるラセリオへはエスペリア・アセリア・オルファリルが急行、リモドアの警戒守備には悠人と新たに配属されたセリア・ナナルゥが当たることになった。
残りのヒミカ・ハリオン・ネリー・シアー・ヘリオンは、戦局の変化に応じ臨機応変かつ柔軟にラセリオ方面またはリモドア方面の戦力を強化できるよう、首都ラキオスにて待機となった。
 そんな、戦局次第という薄氷のように危ういながらもつかの間の休息となった、ラキオススピリット隊第二詰所でのこと。洗濯当番の仕事が一段落して、しばしの休憩を取ろうと居間にやって来たヘリオンは、そこで目にした光景に少し驚いた。
「珍しいですね」
思わずその光景を構成する当事者の片割れであるハリオンに小声で話しかけてしまう。
「ふふ。たまには~、こんな日も~あるでしょう~」
やはり小声で応じて、ハリオンはヒミカの髪を撫でる。そう、ヒミカが毛布に包まってハリオンの膝枕で眠っていた。いつもなら所構わず眠ってしまうのはハリオンの方なのに。ハリオンのために居間に毛布が常備されているぐらいだ。
「へー、めっずらしー」
「ヒミカさん……かわいい~♪」
いつの間にか寄って来ていたネリーとシアーが、ヒミカの寝顔を覗き込んで囁いた。
「たしかに……ヒミカさんには失礼かもしれないですけど、かわいい、ですね」
膝枕しているハリオンの雰囲気もあるのだろうが、無防備に眠るヒミカの様子はどこか甘えているようにも見え、戦場での姿を考えるとヘリオンには意外だった。

「そういえば、ハリオンさんはヒミカさんとは長いんですよね? ヒミカさんってやっぱり昔から強かったんですか?」
ヘリオンは神剣が低位であることや本来の育成期間が満了する前に動員されたこともあり、年長のヒミカに憧れに似たものを抱いている。一般的に赤スピリットは強力な神剣魔法での攻撃を宗とし、直接攻撃は不得手なものだ。しかし、ヒミカは違った。
神剣魔法も使えないわけではないようだが、フレイムシャワー等の全体攻撃魔法を使うのを見たことがなかった。使わないのか使えないのかはヘリオンには分からなかったが。
どちらにせよ、ヒミカの真の特徴は神剣魔法ではなく、直接攻撃にある。基本的な威力こそ青スピリットには僅かに及ばないものの、並みの赤スピリットを遥かに凌ぐ威力を誇るのだ。きわめて風変わりな赤スピリットと言えるだろう。
だが、風変わりであるからこそ、自分の能力に劣等感を抱きがちなヘリオンの関心は強くなる。自分も強くなれる可能性をそこに見てしまうからだ。
「ん~、そうですねぇ~……あなたの言う意味では強くなかったんじゃないですかねぇ~」
ハリオンの答えは何だかよく分からなくて。
「くわしく! あ、すみません。くわしく教えて下さい」
つい声が大きくなってしまったヘリオン。
「聞き……(もがーっ、もががもがぁーっ)」
「ネリー、大きな声はだめだよ~」
便乗しておねだりしようとしたネリーの口をシアーが塞ぐ。そのシアーらしからぬ素早さに、ヘリオンは自分の黒スピリットとしての存在価値を少し疑問視してみたり。
「ん~、そうですね~、では~、お話ししてみましょうかぁ~。弱くて強かったヒミカちゃんのことを~」
そして、ハリオンは語り始めるのだった。

 あれはまだ育成期間の……今から見るとまだ最初の方でしたかねぇ、基礎体力づくりが終わり戦闘実技に入ってしばらくした頃だったと思うんですけど。ある日のことでした。訓練士さんに呼ばれて行ってみますと、
「赤スピリットの剣技の訓練相手を探してるという回状が来てる。丁度良いからお前行って来い」
と、こう言われまして。それで行ったところにいたのがヒミカちゃんだったんですね。挨拶が済むとすぐにヒミカちゃんは訊いてきましたね。
「それであなた、剣の技量[うで]は?」
わたしはただ首を横に振るだけです。
「そ、そう……それじゃあ防御は?」
やっぱりわたしはただ首を横に振るだけ。
「……」
「……」
じとーんっていう空気が流れました。
「あなた何しに来たの?」
「訓練士さんが言うにはぁ、『お前はのん気に過ぎる。緊張感を鍛えてこい。幸い相手は赤だ。魔法ならともかく剣技ということだから、お前の相手には丁度良かろう』とのことでしたぁ」
ヒミカちゃんってば、がっくりとくずおれましてね。今にして思えば泣いていたのかもしれませんね。いつも強がってましたけど、本当は泣き虫さんでしたからねぇ、ヒミカちゃん。肩を震わせながらぶつぶつ呟くんです。
「……しょせんわたしにはこんなのしか」

わたしも幼かったですからねぇ、「こんなの」呼ばわりされてつい、めっ、て。
「む~~~、そんなこと言う子はぁ、めっ、て、されちゃうんですからね」
でも、「しちゃう」じゃなくて「されちゃう」なのが、何と言いますか、あの頃ですねぇ。そんなこと言われれば当然黙ってるヒミカちゃんじゃありませんから、
「なら、わたしが間違ってるって証明してみせなさいよ、実力で!」
ということになっちゃいました。
 あの頃のヒミカちゃんはまだ今みたいに強くはなかったんですけど、それに輪をかけて私も強くなかったですからねぇ。こてんぱんにやられてしまいまして。それでも幼い頃のことでしたからね、わたしも悔しかったもので、
「アースプライヤ~」
「なっ!?」
って。いえ、それでもまたのされちゃったんですけどね。何度かくりかえしているうちにヒミカちゃんの動きが鈍ってきまして。ようやくわたしが初めて勝ちました。それまでに何回負けたのかもうわかりませんけどね。そのときヒミカちゃんが言ったんです。
「何よ……あるんじゃない、誇れるものが」
って。ぼろぼろになって倒れたまま。あ、もちろん急いで回復してあげましたよ。

「うふふ~。今のわたしがあるのは~、ヒミカちゃんのお蔭なんですよぉ~」
語り終えたハリオンはいつも以上に笑顔でそう言った。
「訓練で鍛えられたからですか?」
その言葉をとらえてヘリオンが尋ねるも、ハリオンはゆっくりと首を横に振って。
「それもありますけど~、心の強さをもらったんですよ~」
「どういうことですかっ!?」
「どー……(もがーっ、もががもがぁーっ)」
尻馬に乗ろうとしたネリーをまたもシアーが押さえるが、ヘリオンは見向きもしない。
「いつも訓練士さんに怒られてばかりで~、落ち込んでましたからね~。どうしてか訓練士さんにもヒミカちゃんにもそうは見えなかったみたいなんですけど~」
「(……ハ、ハリオンさんが落ち込んでるところって想像できない)」
「(……想像つかないなぁ)」
思わず見つめ合ってしまうヘリオンとシアー。ネリーは必死にもがいててそれどころではなかったが。
「ヒミカちゃんの『あるんじゃない、誇れるものが』って言葉が~、わたしを救ってくれたんですよ~。あぁ、大丈夫、わたしにもあるんだって。わたしはわたしなんだって。
あとで訓練士さんに『えぇいっ、ますますのん気になりおってからにっ!』って怒られたりもしましたけど、もう大丈夫でしたねぇ~」
「……あれ? それじゃあ、結局、ヒミカさんは強かったんですよね?」
はたと気づいてヘリオンが尋ねた。
「剣は決して強くはなかったと思いますよ~、わたしが弱かっただけで~。でも~、心は強かったと思いますよぉ~」

 その時、
「……まさか、あなたののん気さが治るどころかますますひどくなった原因が、わたしだったなんて……ね」
ヒミカがそう呟いて目を開け、身を起こした。
「えっ!?」
「あーっ!」
「あれ~?」
「あらあら~」
驚く年少組と、驚いているのかいないのかよく分からないハリオン。彼女らをよそに、ヒミカは首を回してこきこきと鳴らしている。
「もうっ、ネリーさん! 起こしちゃったじゃないですか」
「ネリーぃ~」
「めっ、ですよ~?」
「えーっ、ネリーじゃないよー!」
驚きから立ち直ったみんなに責められるネリー。まぁ、普段が普段だからねぇ、とヒミカは思ってみたりする。
「あの、それで……どの辺から聞いてました?」
恐る恐る尋ねるヘリオンに、
「んー……『くわしく!』から」
ヒミカはにやにやしながら答えた。
「あれ? ということは……」
「あれ~?」
「ほらーっ、ネリーじゃないじゃん! ぶーぶー」
「めっ、です~」
「はぅうぅうぅ~、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
矛先はネリーからヘリオンへと一転した。
「まぁ、それはいいとして」
騒ぎを適当なところで止めると、ヒミカは隣にいるハリオンの肩に手をかけて引き倒し、その頭を自らの腿に乗せた。そして脇にどけてあった毛布をハリオンの体にかける。
慣れないことでぎこちないが、一応は膝枕だ。べつにそうする必要があるわけではないけど、まぁ、なんとなく。
「あらあら~」
なんだかハリオンが楽しげな様子だけど、まぁ、ハリオンだから。
「今度はわたしが話すから聞きなさい」
そして、ヒミカは語り始めるのだった。

 わたしは落ちこぼれなのよ。この歳でこうしてあなたたちまで駆り出される状況になるまで本隊に配属されることもなかったぐらいにね。精鋭候補になるほどの潜在能力がなかったのもあるけど、神剣が恐かったのよ。だから魔法がからきし駄目でね。
今でも得意じゃないけど。ふふ。笑っちゃうでしょ? 赤スピリットで魔法が駄目だなんて。魔法が駄目なんだから、もう剣しかないじゃない? 別に得意なわけじゃなかったし、青みたいな重さも黒みたいな速さもなかったんだけどさ。
 そんなわけで訓練相手を探したんだけど、来たのがハリオンでしょ。今ほどではなかったけど、ずれた子だったからねぇ。そりゃ、
「……しょせんわたしにはこんなのしか」
とも言いたくなるわよ。で、言い合いになって、勝負になって。幼かったわねぇ、ハリオンもわたしも。
 最初はわたしが押してたんだけどね。いや、わたしは全然強くなかったわよ。同年齢時点のオルファリルにも勝てないだろうぐらい。もちろん魔法抜きでよ。それでもね、相手があの頃のハリオンだったから。
何せ防御が三撃分は遅れるのよ、信じられる? こっちがヘリオンやネリーみたいに速いわけでもないのによ? 最初はふざけてるのかと思ったけど、本気みたいでさ。今となっては「ハリオンらしい」としか思わない辺り、慣らされたものよね、わたしも。
 まぁ、そんなわけで楽勝……のはずだったんだけどねぇ。
「アースプライヤ~」
ハリオンのそれ一発で流れを変えられちゃってさ。こっちは疲れていく一方なのに、あっちは回復するんだもの。そりゃあ、最後には負けるわよね。とうとう「こんなの」と思ってたやつにのされちゃってさ。
「何よ……あるんじゃない、誇れるものが」
なんて。負け惜しみよね。そしたら、ハリオンがさ、
「いっしょに強くなりましょう~。大丈夫ですよ~、どんなに怪我しても、わたしが治してあげますから~」
なんて言って、わたしにアースプライヤーかけてくれたの。

「それがなんだかとってもあたたかくてね……涙が出たのを覚えてるわ。それはわたしが初めて見た希望の光。あぁ、この子はこんなわたしとでもいっしょに歩んでくれるんだ、支えてくれるんだ、って。
弱虫で臆病で意地っ張りな落ちこぼれの赤スピリットを暗闇から連れ出したのは、マナの導きなんかじゃ全然なくって、ずれててどんくさくて優しい落ちこぼれの緑スピリットだったのよ」
語り終えてヒミカは天を仰いだ。そこに当時が見えるとでもいうように。
「ほぇ~、友情ですねぇ」
「さて、どうかしらね」
いかにも感心といった風情のヘリオンを、ヒミカが苦笑しながらいなしたところで、
「すぴ~~~、すや~~~」
ハリオンがえらく間延びした寝息をたてた。
「あらら、ハリオンさん、眠っちゃってますね」
ヘリオンがハリオンを覗き込んで様子を見てそう言ったが、ヒミカは平然と。
「ハリオン、眠ってなんかいないんでしょう?」
するとハリオンはパチッと目を開いた。
「あらあら~。黙っててくれてもいいじゃないですかぁ~、ヒミカちゃん」
「一人だけ逃げようったってそうは……って、『ちゃん』はやめなさい、『ちゃん』は」
「いいじゃないですかぁ~。せっかく懐かしい気分になったことですしぃ~」
そのまま座が混沌の淵に沈もうとしたところで、ネリーが割り込みをかけた。
「ね、ね、で、どっちがほんとなのー?」
「へ?」
虚を突かれてヘリオンが凍る。シアーは先程から首を傾げて何やら考え込んだまま。ヒミカはにやりと笑い、ハリオンはハリオンだった。一時の静穏。それを動かすのはやはりネリーだ。
「だーかーらー、ハリオンの話とヒミカの話って、同じなのになんか違ーう!」
「あれ? そう言われると……」
ネリーの言葉は意味を成すか微妙に怪しかったがどうにか通じたようで、ヘリオンが記憶の中の話を反芻しだす。
「それは……」
ヒミカが口を出しかけたところで、
「えっと、どっちも正しいんだけど、どっちも間違ってる、じゃないかなぁ、だめかなぁ?」
割り込みをかけたのは今度はシアーだった。皆の視線がシアーに集中する。ヒミカも例外ではない。まぁ、ハリオンはやはり笑顔のままだったが。
「えっと……その……」
シアーがおずおずもじもじしだす。と、

「シアーさん、何かわかったんですかっ!?」
ヘリオンがいち早く驚きから立ち直って掴みかからんばかりに詰め寄る。
「えーっ、シアー、わかったのー!? ……ぐぇっ」
負けじと続こうとしたネリーを、ヒミカが襟を掴んで止めた。
「ヘリオンも! ほら、シアーが恐がってるじゃないの」
「はわっ、ご、ごめんなさい!」
慌てて立ち止まってぴょこんと頭を下げるヘリオン。
「って、ヒミカさん、ネリー、放してあげて~っ!」
シアーの慌てた声で気づいたヒミカは
「おっと」
どさっ。ネリーを解放した。
「ぐほっ、げほっ……ヒミカひどーい!」
「ごめんごめん。でもね、二人とも自分で考えてごらんなさい。シアーに訊くんじゃなく、ね」
「え゛ーっ、わかれば同じじゃん。なら、速い方がいーにきまってるじゃーん」
「そうですよぅ、速いに越したことはないじゃないですかぁ」
「二人とも……そこは『速い』じゃなくて『早い』でしょ。変なところで自己主張するんじゃないの」
二人が矛先を転じてくってかかるのを受け止めて、ヒミカは続ける。
「考えてわかったのと聞いてわかったのが本当に同じかしら? シアーはどう思う?」
「えっと……自分で考えた方がいいと思う」
ヒミカに話を振られて、シアーは少し考えて答えた。
「というわけで、二人とも自分で考えてみなさい。シアーから無理に聞き出そうとしたら、ハリオンによるおしおき」
「めっ、ってしちゃいますよ~?」
迫力ないことこの上ない。
「ま、まぁ、こんなだけど、ハリオンを怒らせると恐いわよ、普通とは違う意味で、ね」
そう言ってヒミカはため息をついて見せる。その様子に何を想像したものか二人が折れる。
「う゛ー、しょーがないかー」
「はぅー、しかたありませんね」
「まぁ、どうしても駄目なら言いなさい。ちゃんと自分で考えてみた様子があれば考えるのを手伝ってあげるから」
二人があまりにしょげるものだから、ヒミカは助け舟を出す。考えてみること自体を諦めてしまわないように。
「えっと……合ってるのかなぁ?」
おずおずと問うたシアーを、ヒミカは招き寄せると一瞬抱き締めた。そして、頭を撫でながら、瞳を見つめて、囁く。
「きっと、ね。それもまた『正しくて間違ってる』のかもしれないけれど……」