さんねんはんめのおいわいに

ぎぃ。カランカラン。
入り口の扉を開けて、すっかり暗くなってしまった店先へ出た。
道路に面した花壇の脇に立ててある丁字形の杭をクルリと回す。
《営業終了》の文字。
腰に手を当てふ、と一息。
ぎぃ。カランカラン。
緑色に塗られた扉を再び開けて、頭上の鈴がまた鳴った。

「さーて。いっちょうやりますか」
ヒミカは、フリル付きのエプロンを外して帳簿を手に取ると、店の奥へスタスタと歩いて行った。
店内の香ばしい残り香を後にして奥まったところ……そこは材料置き場。
大きな紙袋が何袋も積まれた小部屋。小麦粉、砂糖、塩。食用油缶や乾燥ネネの実。
「えー、ラート、ハート、メトラ……6袋っと」
ヨーティア製高輝度ランプを頼りに、数えた数字を帳簿に記載していく。
「お願いだから、今度こそ黒字になってよー」
愛用の万年筆で頭を掻き思わず呟いた。なんと言っても今年は緑亭開店三年目。今日は中間決算とは言え、いい加減、彼女にとって黒字化は悲願なのだ。
店の共同経営者である片っぽ、ハリオンにはその辺のところがすっぽり気持ちいいほどに抜けているのだから、
自分がしっかりしなくては、と熱い心にしっかりと刻み付けて日々精進。もっとも彼女自身はその辺を表に出していないつもりであるが。

店を出すに当たって出資してくれた女王陛下へはとても感謝している。戦後間も無い頃、二つ返事で引き受けてくれたのだから。
これはある意味スピリットが市井で生きられるかの試金石とも言えた。その辺も女王の頭にあったのだろうと思うし、なによりヒミカにはそういった自負が確固としてあった。
だからこそ赤字のままではいたくない。最初の二年間の赤字は仕方ないにしても。
そしておそらくヒミカだけが思っていることだろうけれど、いつの日にか店を繁盛させた暁には女王陛下が出してくれた資金を返したいのだ。
勝手な言いぐさだとは思うけれど、この緑亭を、自分とハリオン二人だけの物にしたいから……。

柄にもなくつい感傷に浸ってしまった彼女は、今日も頑張ってくれた黒髪の少女のことを思い出した。
「いてくれると助かるのよね」
セリアの孤児院にいる最年長の女の子。いつもお菓子を頂いてばかりだから、と先月から手伝いに来るようになった娘だ。
少し翳りのある娘だけれど、売り場に立つととてもいい顔をしてくれる。毎日来られる訳ではなくても、今ではすっかり堂に入った看板娘の面持ちだ。
でもちょっと問題はあって、フェイが来ると店を覗き込む悪ガキが増えるのがヒミカの苦笑の種。
男の子達の気持ちはヒミカにも分からなくもないので何も言わないが。何故って、スピリットであるフェイはオルファリル並みの美少女なのだから。
ハリオンは、「微笑ましいですね~羨ましいですね~」とお客がいる前でいきなりフェイを抱きしめたりするのがヒミカの頭痛の種。

その辺はさておいて。店の将来を夢想して、ヒミカはフェイにその気があるのなら暖簾分け等と希望の翼を拡げてみたりもする。
そして言うまでもないが、今はまだ階段の途中に過ぎない。二号店のためには今が重要なのだ。
黒字。ただそれだけを願って、棚卸しを再開するヒミカ。
「ちょっとくらいお小遣いあげたいしなー」
独り言を口ずさみ、部屋の隅へと視線を動かす。あれ? と違和感。見たことのない色の袋がまるで隠されているように……、
と言うか、完全に意図的に隠されている。
砂糖袋の中に混ぜ込まれた草色の袋には《イースペリア産コルーレ麦100% 特級》とある。
「こ、これはっ、さ、最高級のコルーレ麦!? な、ななんでこんなのが!?」
1袋20㎏で5万ルシルはする代物が2袋も。
因と果……言わずもがなである。思わず万年筆を握りしめたヒミカ。

その時。
背後から聞こえてきた相変わらずの声に、ヒミカはもしかしたら生まれて初めて殺意を覚えたのかも知れないと後に述懐するのだが。
「あらら~見つかっちゃいましたね~」
「あ、あんたねぇ! こ、これいくらすると!?」
「怒っちゃめーですよぉ~ 製粉所の方がですね、お勧め下さって~2袋買うともっと安くするって言うものですからぁ~~」
「あ~う~」
「きっとぉすごく美味しいですよ~。色も緑で綺麗ですし~」
暖簾分けよりも、目の前の暖簾を押さえる方法を探る方が黒字化への火急の一歩だと言うことにヒミカはようやく気付いた。
いや、とっくに気付いていただろうけれどまさかここまで容赦ないとは……。
「……はぁ。もぉいいわ……これはもう、注文生産にするか、生産を絞るしかないわね」
「そーですね~何たってすっごく高価ですから~」
「あんたがいうな。もぅ。少しは採算って物を……はぁ。そのかわり極上のお菓子を作ってもらうからね。いいっ?」
「はい~♪」
いつものように柳のように。ハリオンの対応にいつも通りに折れたのはヒミカの方だった。ずれたメガネを中指で押し上げる。
「そーですねぇ。でも、わたしも色々考えたんですよ~うちの店にも特徴が欲しいな~って。それにフェイも色々アイデア出してくれましたし~。
あ。フェイは全然悪くないですからね~」
「わかってるわよ」
自分は甘い事は分かっている。けれども……「しゃーないな」。グルグルっと肩を回して、力を抜いて。だってここは二人の店なのだから。
当然のようにさっぱりほだされてしまう自分の単純さに苦笑い。
「さて、それじゃ私はまだやることあるから。あんたは早急にアイデアを形にすること。私が納得できない物だったりしたらあんたのお給金からさっ引くからね」
「んふふ~だいじょぶですよぉ~」
ハリオンはいきなりヒミカを抱きしめて、ヒミカのために頑張ります~、と言って厨房へ消えていった。
ヒミカは窒息しそうでくらくらする頭を振り振り、今度は数字と格闘するためにカウンター兼事務机へと向かうのだった。

ハリオンが煎れてくれたお茶とお茶菓子で頑張った結果は結局のところ、それでもギリギリささやかに中間黒字達成で、ハリオンとハイタッチ。
お祝いはコルーレ麦の特大デコレーションラウンドケーキ。食べきれない分は店頭と孤児院で瞬殺となった。
かくして緑亭は今日も繁盛しています。