幻奏鎮魂歌

むかし、むかし。といっても今から10数年程前のことだが。
 ラキオスのある施設のスピリットと
 ある一人の青年の話。


 その青年は戦場に送り出す前にスピリットを育成する施設で働いていた。
 正直な話、彼は始めそこで働くことが嫌だった。
 スピリットの育成。この世界においてスピリットにいい感情を持つ者は少ない。
 ゆえに単なる一般人である彼のその感情はある意味当然といえた。
 しかも彼の仕事は雑用全般。
 どう考えても人数と仕事の量がつりあっていないうえに辞める人は多いのに入ってくる人は稀という環境。
休む間もないくらい忙しくきつい。
 それでも彼はその仕事を辞めなかった。
 理由は簡単だ。貰えるものが多いから。
 もっとも、多いといっても早くに両親を亡くし幼い妹を養ってる身としてはそれでもぎりぎりだった。
 そして働き始め幾日がたった頃。そんな彼の全てを変える出来事が起きた。
 彼のたった一人の身内たる妹が事故で死んだのだ。

 なにもする気が起きなかった。
 今まで俺はただ妹を守る為に生きてきた。それだけを考えてきた。
 けど、それは失われた。いともたやすく、だ。
 いったい今までの俺の人生とはなんだったのだろうか。いっそこのまま死んでしまおうか。
 そんなことをぼんやり考えていると、
 くいくい
「あ?」
 くいくい
 服を引っ張られる感触。
はて?さぼっているのだから怒鳴られるのならわかるがこれは一体、
 くいくいくいくいくいく
「いや、しつけーよ。」
 引っ張られている服のほうに視線をやる。
 長く赤い髪の少女。
おそらく年は五歳より下。
 その片手には俺の服の端。もう片方にはひどく不釣り合いなごつい双剣。
 どっからどう見てもスピリットなそいつは、
「おじさん、なにして――」
「ちょっと待て。」
 いまこいつなんつった?二十歳になって間もないこの俺に目の前のこの幼女さんはなんといいやがりましたか?

「?おじ――」
「違う。お兄さんだ。」
 間違いは正さなければいけない。それはもはや人の義務であり相手が未来を担うお子様というならばなおさらである。
「???」
 だが、どうやらこの子は納得できないご様子だ。なぜか。
「?・・・・おじちゃ―――」
「お兄さんつってんだろが、ガキ。」
「?お・・・おに・・・おじいちゃん?」
「悪化してんじゃねーか!てか一瞬お兄さんって言おうとしてたじゃねえか!なんだ、喧嘩売ってんのか!?」
「?・・・あ。」
 どうやらこの少女はやっとこさ俺の優しさ溢れる言葉の数々を理解してくれやがったらしい。ああ、よかっ
「おじさふごっ。」
 両頬を片手でキャッチ。
「・・・さっきのあ、はなんだ。さっきのあ、は。」
 そしてその時に見せた輝やかんばかりの笑顔はなんだった。笑顔は。
「おふぃやん、ひゃにふぅふんの?くるふぃいよおひぃひゃん。」
 無言で手に力をいれていく。ああ、こいつがスピリットでなければ今すぐにでも闇に葬ってやるに。・・・いや、もういっそヤッてしまうか。
「あ・・・あの。」

若干本気で考えた抹消の仕方を12通りから何とかいけそうかもしれない4通りに絞りこんだころいたく控えめなかんじで目の前のガキとは違う奴が話しかけてきた。
「あ?」
「ひぃっ。」
 若干人一人ヤッてしまいそうな程いらついていたため言葉がきつくなったが、んな露骨に怯えんでもいいだろうに。
 が、そいつの姿を見れば納得。
 歳はアレよりも少し年上ぐらいか。
 髪の色は同じだがこちらは短く、その手にはあいつよりは少し細めの双剣が握られている。
 つまり、こいつもスピリットということだ。
 こんなところで働いているが間近で見るのは実のところ始めてである。
 よりにもよってなんでこんな日に。
「・・・・あ・・・あの。」
 隅っこで震えて怯えているエヒグゥのような姿で話しかけんで欲しい。ちと罪悪感を感じてしまう。
 さて目の前のこいつと俺とは面識はない筈であり、それなのに話しかけてくるってことはだ、
「これに用事か?」
「ひゃれえ、ひみひゃりゃあ~ひゃほ~。」
「あ、はい。もうすぐ訓練なのにいないので探しにきたのですが、あの、何かその子が粗相でも・・・。」
「粗相、粗相か。ふ、ふふふ。」
「ひぃっ!」
「だから怯えんなよ。たく、ほら持ってけ。」
 好い加減握り飽きてきたそれを放ってやる。
「とと、あ・・・あり・・・がとう、ございます。」
 今だ怯えた感じのそいつはそういうとあいつの手をとってさっさと駆け出そうとしたが、あいつのほうが何故か振り返り、
「おじさん。」
「あのな、」
 いい加減うんざりしてきた俺にあいつは、
「元気でた?」
「っ!」
「ちょ、あんた何言って、ほら、行こう。」
「ま・・・待て!」
「え?」

 良くも悪くもそれが始まり。

「えっと・・・あの。」
「名前、名前はなんて――。」

 彼はその日始めてスピリットに触れた。
 他人から聞くだけだったその存在に対する感情はいともたやすく変化する。
 精神的に弱っていたからかもしれない。
 自分にはなにもないと思った。
 誰にも気にかけられないと思った。
 そうして一人孤独に消えていくのだと思った。
 そう思っていた彼に彼女は触れたのだ。
 他人にしてみれば何気一言だったのかもしれない。
 たかがそんなこと、というかもしれない。
 けど、その時彼は少しだけ救われた。

「ナナルゥだよ~。」
「ヒミカ、ヒミカレッドスピリットです。」

 少しずつ少しずつ彼らは日々を積み重ねていく。

「あ、おじさんこんにち――」
 ギロッ
「ひっ、お、お兄さ、こ、こんにちは。」
「おう、こにちは。ナナルゥはどうした?また逃げ出したのか?」
「え、ええまあ。もうすぐ訓練の時間なんですが。」
「しゃーねえなあ。と、そういやケーキを買ってきたんだが、食うか?」
「ケーキ!」
「あ。」
「はい見っけ。連れてけ。」
「ありがとうございます。」
「うわ~ん、ゲ~ギ~。」
「終わったら食わせてやるよ。」

 少しずつ少しずつその関係を築いていく。
 少しずつ少しずつ彼はその心を癒していく、
 
「ん~できない~。」
「難しいですね。あの、どうすればうまく吹けるんですか?」
「ん?ふっふっふ~。まあ、草笛に関しちゃー俺は他の連中に負けない自信があっからな。どれ、手本をみせてやろう。」

 そう、いつだってそれは築き上げていくのは大変で、

「ありがとうございます。」
「なんだいきなり。」
「いえ最近ナナルゥがよく笑うようになりましたから。」
「・・・よくもなにも年中笑顔だろあいつ。」
「いえ、そうでもないですよ。ナナルゥが笑っているのは私達と一緒にいるときだけです。・・・あの子は優しすぎるから。戦うことになんか向いてないのに。けど、私達はスピリットだから。戦うための道具だから、だから・・・。」
「俺はそうは思ってない。」
「え?」
「俺は二人とも妹ように思っている。」
「・・・ありがとうございます。」

 そして、崩れるのは一瞬。

「ど・・・いう・・・ことだ?」
「どうもこうもないさ。ここいらに敵国のスピリットが潜入したという情報がはいったのでな。ナナルゥをいかせただ。わかったか?わかったなら早く自分の仕事をしたまえ。」
 わかる?なにがだ。何故ナナルゥだ。なぜ、

 なぜヒミカではなく明らかに訓練不足であろうナナルゥをいかせた?

「いつまでそこに突っ立っていないで自分の仕事をしたらどうだ?」
 わかってる。なぜナナルゥか、なぜ

 目の前の男が人を馬鹿にしたような顔でそんなことを言っているのか

 単なる嫌がらせ。それ以上でもそれ以外でもない。

ナナルゥ達を普通の人として扱っている俺が周りからどんな目で見られているのかは知っている。
 ナナルゥが俺と知り合ってから訓練を前以上にサボるようになったのも知っている。
 ようは目の前のこの男は、そんな理由で
「おい!聞こえないのか!」

 ナナルゥを死ぬかもしれない場所に送りやがった

「がハッ!」
 気付けばそいつを思いっきり殴っていた。
「き、貴様!なにをし―――」
 うるさい。お前ごときに付き合う時間はもうない。
 早く行かなくては。
 ナナルゥのもとに


 走る
 息ができない。
 走る
 足がちぎれそうだ。
 走る
 この先にナナルゥがいるかどうかの確証はない。
 走る
 それでも、それでも
「はぁはぁ、っナ、ナナルゥ――――!!!」
 もう大切な人を失いたくない。

 
そこにいた。
 そこにナナルゥが立っている。 そして俺の叫びに反応して振り返り
 いつも通りの ―瞳に色はなく―
 あの笑顔を ―その体を紅に染め―
 見せてくれ ―その表情からはささやかな感情すら感じられない―
「ナ、ナナルゥ、だい、じょうぶ、か?けが、とか、ない、か?」
 そこにいたのは彼女であって彼女ではない。
 ハイロゥは黒く染まり神剣に飲まれ感情を失いもはや人形のようになってしまっている。
「ナナルゥ?」
反応はない。
まるで俺の声など聞こえていないかのように。
「ナナルゥ!」
 叫んでも反応せず、そんなことに構わず何故かナナルゥが右手を上げる。
何をするのかと思えば、
「・・・ファイア・・・ボルト。」
 その手から炎が放たれると同時に
「・・・ナナルゥッ!」
 ひどく聞き慣れた声と、ひどく見慣れた姿が
「ヒ・・・ミカ・・・。」
 目の前で炎の中に消えた。

 何が起きたか、なぜこんなことになったか理解できない。
なんでナナルゥがヒミカを?
 理解できない、したくない。

「・・・・・・マナを。」
「なっ!」
 呟きとともに彼女の周りを炎が踊る。
 落ち着け、落ち着け俺!
ヒミカはまだあの場に存在している。
まだ死んじゃいない。
まだ助けられる。
 ナナルゥが右手を上げる。
 だから、今お前がすべきことは
 あの口から何か言葉が発せられる前に
「やめろナナルゥ―――――!!!!」
 止めろ
 思いっきりナナルゥを抱きしめる
 例えどのような事になろうと
 周りを踊る炎が俺の体を焼く
 それでも
 強く強く抱きしめる
 体を焼く痛みに気を失いそうになる
 それでも
「ナ・・・ナナルゥ・・・。」
 自分にはなにもないと思った。
 誰にも気にかけられないと思った。
 そうして一人孤独に消えていくのだと思った。
 けど今は
「ナナ・・・ル・・・ゥ・・・かえ・・・るぞ・・・ヒミカ・・・と・・・さんに・・・んで・・・一緒に。」
 意識が消えていく
 もうさすがに限界
 結局俺には何も守れないのかもしれない

けど
 けれど
 失いたくない
 もう何も失いたくない
 失いたく――
「おじ・・・さ・・・ん」
 消え去る直前そんな相変わらず頭にくるような台詞を聞いたような気がした


 目が覚めるとそこは病院でなにやら周りの連中が忙しそうにしていた。
 後々分かったことだが俺は10日ほど生死の境をさ迷っていたらしい。
 医者曰く、生きていることが奇跡、らしい。
 ナナルゥとヒミカがその後どうなったかは分からなかった。

 リハビリやらなにやらで俺が退院し日常生活に支障がなくなるのに一年近くの時間を有した。
 その間俺は訓練士の勉強をしていた。
 なにかあいつらに関わることをしたかった、からかもしれない。
 自分でもよくわからない。
 暇だったから、何かをしてなければ落ち着かなかったからもしれない。
 そして正式に訓練士になるのに多くの時間を有し、俺はあの事件からニ年以上の時をかけ彼女達のもとに戻った。

「今度から君の訓練を担当することになった。よろしく。」
「はい。了解しました。」
 泣きたくなった。
 覚悟していたことだったのに。
 今俺の目の前には
「それじゃあ、始めようか。」
「はい。」
 そこにはかつての様な笑顔などなく
感情の動きなど感じられない
 変わり果てた彼女がいた。


 

 あの事件は、敵を倒したが、ナナルゥを庇ってヒミカが負傷をおい、それに俺が巻き込まれた事になっていた。
 ナナルゥの変化を気にかける者はその場にいなかった。
 ヒミカはその時の事が原因でか記憶を一部失って魔法に対して抵抗を持つようになった。
 俺もその時のことは何も喋らなかった。
感情の殆どを失っていたが、神剣に飲まれ黒くなったはずのナナルゥのハイロゥが白くなっていた。
一度飲まれたものが元に戻るなどそんなことは少なくとも俺は聞いたことがなかったし、誰かに言ったところで信じやしないだろうし気にも留めないだろう。
 それからの俺は、あの頃みたいに彼女達と接することなく、ただ一人の訓練士として接した。

 そうして月日は経ち、まずヒミカの配属が決まり施設を出て行き、ナナルゥもまたこの施設を今去ろうとしていた。
 そして今俺はそんなナナルゥの前にいる。
「・・・すまない。」
 あれから始めて彼女にかける言葉がこれだった。
「どうか、気をつけて。今さらだけど・・・」
 本当に、俺は今更何をやっているんだ?
 もう、どうしたところで彼女の笑顔は戻らない。
 何度後悔したことだろう。
 俺が彼女達に関わらなければ
 妹が死んだと聞いたすぐ後死ぬことを選んでいれば
 こんな結末にはならなかったんじゃないか?

「はい。自己の保存に努めます。」
 その言葉に泣きそうになりそうだった。
泣くことは許されない。
 そんな権利などない。
 今話しかける権利さえもあるかどうか疑わしいというのに。
「それじゃ、最後にもう1つだけ教えておくよ。戦いに関することじゃないけどさ。」
「はい。」
 そうして手にした草を口に当て演奏を始める。
―ん~できない~。―
何かを残したかったのかもしれない。
―難しいですね。あの、どうすればうまく吹けるんですか?―
もう会うことはないかもしれないから。
―ん?ふっふっふ~。まあ、草笛に関しちゃー俺は他の連中に負けない自信があっからな。どれ、手本をみせてやろう。―
 それはひどくおこがましいことなのかもしれない。けど、それでも俺は
 何かを残したかった。彼女達と過ごした日々をなかったことにしたくはなかったから。


 ナナルゥが去ってすぐ、俺はまた病院へと舞い戻っていた。
 予兆はもう何年も前からあった。
 始めは指先から。
 そして段々と体の感覚が無くなっていった。
 きっと罰だ。
 彼女が感情を無くしたのだからこれは相応の罰だろう。
 それでいい。
 それで。
 ただ、1つ惜しむことがあるとすれば、それは、

「ああ、どどど、どうしましょう~~。」
 油断していた。
 それは彼女が看護師になって担当した始めての患者だった。
 彼は昔の事故が原因で体のほとんどの感覚を失っていた。
 その人の担当を任され彼女は彼をかわいそうだと思い頑張って思った。
 満足に動けない彼の体を支えたり、退屈しないようにとできるだけおもしろい話をしたり。
 頑張りすぎていろいろ失敗して先輩に怒られたりした。
 そんな彼女は今その彼を捜していた。
 部屋を覗いたらいなかった。
 なぜ?
 一人じゃ満足に動けないはずなのに。
 泣きそうに、というかもう半泣きになりながら捜す彼女の耳に、
「え?」
 音が、聞こえた。
 それは綺麗な音だ。
 離れているからよく聞こえないがいったい誰が?
 足は自然とそちらに向いた。
 行ってみるとそこに彼がいた。
 口に草を当てて、草笛というのだったか、綺麗な優しい音を奏でている。
 その演奏が終わるまでただただ聞き惚れていた。
 そして、演奏が終わり、彼がこちらに気づくと、
「あっ、ご、ごめんなさい。」
「ふぇ?え、ええ!?あ、あの、その。」
 いきなり謝られたため混乱した。
「今、病室戻りま、」
そんなことに彼は気づかず立ち上がろうとして、
「危ない!」
 間一髪失敗して倒れそうになって彼を支える。

「む、無茶しないでくださいよ~。」
「はは、ごめんなさい。」
 見れば彼の体の所々汚れている。無理してここまで来たのだろう。
「もう、なんでこんなこと。」
「いや、ふと、吹きたくなったんで。」
「あ、さっきのですね。凄かったです。私思わず聞き惚れちゃいました。」
「ありがとう、そうだ。看護婦さんは夢ってあります?」
 突然そんなことを聞かれた。
「え?夢って、今のこの仕事に就くことでしたけど。」
「そっか。いいな、叶ったんですね。」
 そういって彼は遠くを見た。
 その顔はどこか儚げで、
「あの、あなたの夢は?」
 つい、そう聞き返してしまった。
「俺?俺の夢は――」
 ―ああ、たった一度で良かったから―
「夢は?何ですか?」
 ―彼女と一緒に―
「あの、どうしたんですか?大丈夫ですか?・・・あの、返事を・・・」


 もはや日課になりつつあるそれの為に森に来たナナルゥは違和感に襲われた。
 静か過ぎる。
 いくら夜とはいえ静か過ぎる。
 そうは思ったが気にしないことにした。
 なぜだろう。
 自分は今ここに存在する空気を好ましく何故か懐かしいとさえ感じている。
 草を手に取り口に。
 いつものように奏でる。
 音が、響き渡る。
 優しく、綺麗な音が。
 響き渡る、二つの音が。
 背後に気配を感じたが振り返ろうとはしなかった。
 してはいけない気がした。
 振り返ったら終わってしまうように思えたから。
 瞳から何かが流れているが気にせず続ける。
 奏でられる二つの音が重なり響き渡る。
 その日ナナルゥは日が昇るまで吹き続けた。

 それは一夜限りの幻
 叶うことのない夢
 儚き幻想
 最初で最後の、彼と彼女の演奏会。