感動の舞台裏

終戦直後、崩れかけたバーンライト城の片隅で――――

 ~ BGM : Lost Days ~

――――私は、戦わなければならない。

ぼろぼろになってしまった戦闘服は、もはや防護の役目を完全に放棄してしまっている。
戦闘中に切り裂かれた肩口や脇腹、その他確認できるあらゆる傷に対しても、既に痛みすら覚えない。
額から流れ、頬を伝っていく鮮やかな赤が重力に従い顎から零れ落ちるのを、辛うじて繋ぎとめている意識が確認する。
乱暴に投げ出されたまま軋む両脚には、もう力が入らない。傷を擦ろうにも、包むべき両腕は――――動かない。動かせない。

「俺、この世界にきて。アセリアとエスペリアに助けられて。オルファに励まされた」

日差しが、眩しい。流れ行く雲達がまるで頭の中にまで入り込んできたかのように、白く霧のようなものが埋め尽くしていく。
次第に朦朧となっていく感覚。まるで壁を挟んだかのような遠くから届き、呼び覚まそうとする微かな声。
その間で、私は行ったり来たりを繰り返す。そしてその度に懸命に、自分に言い聞かせる言葉。国のため、仲間のため。

「本当に感謝してる。こうしていま、俺も佳織も生きているのはみんなのお陰なんだ」

――――私は、戦わなくてはならないの。

そのほんのささいな一言が、私を奮い立たせてくれる。もう少し、頑張ろうと思わせてくれる。だから、戦える。
失いかけたはずの力を足に込めて、少しだけ動かしてみる。激痛もまた蘇ったが、それはまだ生きている証拠。
ぎりっと奥歯を食いしばり、顔を上げる。睫毛の先から飛び込んだ汗で歪む景色が煩わしい。
くらっと軽い眩暈が起こり、慌てて軽く頭を揺する。場違いなほど、気持ちの良い風。こんな時に、どうしてなんだろう。

「まだ出合ったばかりだから、俺はもっとみんなのことを知りたいと思う。……ええと、うまく言えないな」

そう、出合ったばかりだから。私はまだ分らない。貴方と共に戦いたいのか。貴方を守るために、戦いたいのか。
だから、私も知りたい。貴方のことを。そして、知ってもらいたい。私の存在を。私がここにいるという事を。
でも、もうあまり時間は無いのかも。足に漲り始めたと思われた力は再び強い重力に囚われていってしまう。
ズダ袋のように重い身体に思わず心の中で苦笑する。無様ね。もう『赤光』すら、握る術も無いなんて。

「アセリアの手だって、剣をにぎるためにだけあるんじゃないと俺は思う」

ええ、そうなのかも知れない。でも、仕方が無かった。確かに戦いだけが、全てじゃない。それは、朧気ながらも分る気がする。
それでも剣を握るしかなかった。少なくともさっきまでは。たとえ骨までバラバラに砕けようとも。
でも、もうそろそろ限界。結果として私は、今間違い無く力尽きようとしている。時間が酷く長く、緩やかに流れているような。
混乱してきた意識が、身体のあちこちからの悲鳴のシグナルをてんでに知らせてくる。腕の麻痺した感覚、油のように重い足。
……苦しいよ。辛いよ。もう、いいのかな。終わらせても。ねぇ『赤光』、私、充分守れたよね、仲間の時間を。みんなの場所を。

「エスペリアも、オルファも、他のみんなも……死んで欲しくないと思ってる……もういやなんだよ、近くの人間が死ぬのは」

――――私は……戦う。戦うんだもの。

正常に働いたのが驚く位の聴覚を通して、はっきりと届く声。その少し不器用なたどたどしい韻律が、再び私を頑張らせてくれる。
死と隣合わせのこの状況で、なけなしの意地を振り絞っても構わない程に。全身を粟立たせながら、脂汗を流しながら。
一度目を瞑り、失いかけたハイロゥリングを織り上げる。指先に神経を集中させると、ちゃんと冷たい石の触感。
唇に、知らず笑みが浮かぶ。まだ、もうちょっとだけ、大丈夫。そう思わせてくれる人が、すぐそこに居るのだから。

「はは、なんか語ってるな、俺」
「……ん。わかった。ユートがそう言うのなら」

アセリアが、一体どんな表情をしているのか。それが今なら分る。きっと穏かな微笑みを浮かべていることだろう。
何故って、私も同じ気持ちだから。心の底から良かったと思える、そんな瞬間を与えてくれる人に出会えたのだから……後悔は、無い。
だけど、そんな温かさも、冷たく忍び寄ってくる冷たさには抗いようも無い。終わりは、着実に近づいてくる。
安心と諦めが入り混じったような心が、急かす。もう、いいから。充分だから。早く終わらせてよ、この苦痛から逃れさせてよ――――

「……私は、生きてみる」
「ああ、俺たちは生き延びようぜ。この先に何があっても、どんなことがあっても」
「……ん」

一陣の風が、静かな優しい雰囲気を運んでくる。
ああ、終わる。私の戦いは、ようやく終わるんだ。もう、大丈夫だよね、みんな。良かった――――

「ユートさま……。ユートさまは、変わりませんか?」

――――え゙、嘘。

………………………………
…………………………
……………………

  数刻後、崩れかけたバーンライト城の片隅で――――

がらがらがらっ!
「――――ふう~、全くエスペリアときたら。殺されるかと思ったじゃない」
私はようやく解放され、すっかり痺れきってしまった両腕を擦る。
そもそも検分ついでにこんな所を通りがかったのが運の尽き。壁一枚向こうからユート様の声が聞こえたかと思ったら、
その壁自体に亀裂が走り、危うくみんなの居る方へと崩落しそうになっていた。間一髪押さえたが、今度はこちら側へと倒れてくる始末。
まさか戦いの最中でも無いのに壁に潰されて怪我をしてしまうなどという間抜けな姿を晒す訳にもいかず、こうして支え続けていたのだが。
「ようやく一件落着しようとした所で余計な口を挟むもんだから……ぶつぶつ」
愚痴をこぼしながら、身体中の埃を払う。小一刻は続いたイベントのせいか、傷はすっかり『赤光』が治してしまっている。
それでも持久戦の末、緊張しっぱなしだった腕や足の筋肉は、ぱんぱんに張ってしまっていて辛い。これでは溜息の一つも漏れるというもの。
「はぁ……今日のお風呂は入念にしなくちゃね」
既に誰も居なくなっている、先程までみんながいた場所を見渡し、もう危険は無い事を改めて確認する。
妙にがらんとした空間がやや虚しい気もするが、これも役回りだから仕方が無い。踵を返し、一度だけ振り返ってみる。
「……まぁいいか。いいお話を聞くことも出来たし、それに」

 ―――― 国のため、仲間のため。それから……

「――――っっ」
言いかけた言葉を飲み込み、歩き出す。頬が少し熱い。でもそれはきっと、傾きかけた夕日の仕業――――